滅びの魔女 ―be with you―
不死の英雄とセットで、男女の温度差をお楽しみください。
体がちぎれる痛み。
誰かが『私』を殺そうとしている。
早く殺して。もうたくさん。
早くこの暗闇から解放されたい。この孤独で寒い牢獄から――。
私を邪悪な『私』に拘束する、この檻の名前は暗闇――――人の心の中で生まれる醜い思いや感情だ。
どうして私だけがこんな運命を背負わなければいけなかったの?
どうして私ひとりだけがこんなに苦しまなければならないの?
許せない。みんな苦しめばいい。
そう願えば願うほど、私は暗闇に取り込まれた。
増大した『私』の力は、生きとし生けるものを苦しめる。
そして私自身をも――。
いつしか『私』は、滅びの魔女と呼ばれるようになった。
たくさんの英雄が『私』を殺しに来て、殺されていった。
誰も『私』を殺してくれなかった。
私を、この暗闇から解放してはくれなかった。
でも、いま『私』を殺そうとしているこの人は、そんな『私』の力に匹敵していた。
この人なら『私』を殺してくれる。
ようやく私を解放してくれる。
はやく。私を消して――――。
「――っディア!!」
私の視界に闇以外の存在がうつりこむ。
……誰なの?
「やっと会えた! 今度こそ助けるから!」
「もういい……。殺して」
激痛が意識を支配する。『私』がばらばらになっていく痛みが私に共有される。私に苦痛を与えて、その苦しみを吸収するために――。
しかし、『私』の近くにいるこの人にとっても、それは同じだろう。
『私』の体は滅びの魔女なのだ。『私』に近づく、生きとし生けるものには滅びが待っている。
早く『私』を殺さなければ、この人が死んでしまう。
なぜ殺さないの? それだけの力を秘めているのに。
その力を全て使えば、『私』を完全に葬り去ることくらい、難しくないはずなのに。
もういいから……早く殺して。
私をはやく楽にして。
「そんなこと言うな! 絶対に助けるから! どうしたら君を元に戻せるんだ!!
ディア! 知っていたら教えてくれ……!」
ディア…………?
それは、かつて『私』が私だったときに呼ばれていた名前だ。
私は、『私』を殺しに来た英雄の顔を、あらためて見た。
――見覚えのある顔だった。
遠い記憶が戻ってくる。
同じ師についた仲間のひとりだ。
すごく自信がなくて、いつも陰に隠れていて、あまりしゃべっているのを見たことがない。
思い出したくない記憶も蘇る。
師も殺してしまった。
仲間もみんな。
『私』が殺してしまった。
でも――。
あなたは、生きててくれたのね。
それだけじゃなくて、私の記憶のままの姿で、今ここにいる。
違う……。もう、あのときの自信のなさそうな表情はどこにもない。
あの日から、どれくらいのときが経ってしまったの?
あなたは、ずっと生きててくれたの……?
私と同じ、気が遠くなるほどの長い年月を……?
私の中に占めていた闇が薄まる。忘れていたあたたかさを思い出した。
このあたたかさの名前を、私は知っている。
優しさ。
生きているものの体温――。
あなたの持っているあたたかさ。
そう……。人が持っているあたたかさだ。
人間が抱えているのは暗闇だけではない。
なぜ忘れていたんだろう。このあたたかさを。
絶望に、これ以上屈してたまるもんですか……!
私は力を振り絞り、自分の声を発する。
自分の喉で、自分の声を、目の前の人に伝えるため――。
「……龍脈、つないで……均衡を」
私が答えを伝えるのを拒むように、『私』が私を道づれに張り裂けた。あてつけのように激痛を私に共有させて――。
でも私はもう屈しない。痛みにも、苦しみにも。
今は体が張り裂けた痛みよりも、あの人に少しでもヒントを伝えられた達成感の方が上回っていた。
こんな高揚感はいったい、いつぶりだろう。
無事に伝わったかしら……。あの人は賢かったはず……。だから……きっと……大丈夫。
再び『私』は復活まで、眠りにつく。
永遠でもあり、束の間でもある眠りに――。
いつもなら私の意識はここで消える。滅びの魔女とともに――。
でも今は闇の中に、私がたしかに在る。まぎれもない私自身が。
声が聞こえた。彼の声だ。
《きみは……ひとりじゃない……》
うれしい。ありがとう。
《……ぼくを……おいていかないで……》
置いて行ったりなんか……するわけない。
こんなになってしまった私を、ずっと忘れずにいてくれたあなたを置いていくような、そんな薄情な女だなんて思われたら心外よ。
『私』がこれ以上世界を滅ぼさないように、いつも止めてくれていたのは、あなただった――。
あなたは私と同じ年月を過ごしてくれていた。
いま、私がこうして私のままでいること。
私が私を取り戻せたこと。
これもあなたのおかげ。
私はそれに報いたい。
次にあなたに会うときは、きっと私は滅びの魔女ではなく、本来の私の姿で会いたい。
私は私を取り戻す。
もう暗闇の受け皿として生きながらえるのなんて、ごめんだわ。
もう私は十分に人間たちの穢れを抱え込んできた。
あとはもう知るもんですか。
これからは、あなたと一緒に生きていきたい。
いえ、生きていくの。そう決めたわ。
…………。
………………?
……あれ? ちょっと待って……?
あの人、なんて名前だったかしら……?
やだ! 大変!! 覚えてないわ!!
顔は覚えてるのよ、顔は!
えーっと、そう! よく……体のおっきい……なんとかってやつに魔法でいじめられてて……それで……! そう! そのあとソイツだけじゃなくって、お金持ちのぼくちゃんみたいなのも混ざって悪ノリしてあの人をからかってて……って、あー! もう! 誰の名前も出てこないわ!!
どんだけ大昔の記憶よ! 覚えてる方が異常じゃない!?
あー……でもあの人、ちゃんと私の名前呼んでくれたし……。
……てゆーか、すごくない? え? なんか、今すっごいじわじわ来てるけど、普通にすごくない?
正直何百年経ってるかちょっと分かんないけど、そんなに私のことを想い続けてるって……!
それもう……特別感全開って感じじゃない? つまりラブってことよね? ぞっこんってことよね? でなきゃおかしいわよね。そうよ! つまりそういうことなのよね!
やだもー! ちょっとそういうことなら早く言ってよ!
来たわ! ついに私にも春が来たのよ!
だめね。危険だわ。
これで私が覚えてませんって、それ私どんだけ失礼なやつなのよ!?
そんな無礼があったら100年の恋も冷めちゃうわ! 100年どころじゃないけど。だからこそダメージが倍増しちゃうわよね……。危険だわ。危険すぎる……。
だめだめ……覚えてませんだなんて私のプライドが許さないわ……。
あーもう! 顔は覚えてるのよ、顔は!! 顔はね!
って顔ばかりしか覚えてないって、それじゃあ私が人の外見だけ興味を持ってるみたいじゃないの!
そうよ! 思い出してきたわ! 癒やしの魔法はあの人、得意だった気がするわ! 誰かがいじめていた小さなモンスターをこっそり治療してたもの!
……でも……授業のときには、あんまり褒められてなかったわね……。どうしてなのかしら。高度な技だったと思うのだけれど……。
あんまり自慢とかするタイプじゃなかったんだったかしら……。
いまいち影が薄かったのよねぇ。
あ! だめだめ! 影うすいとか言ったら泣いちゃうわ、あの人。
……なんか昔、なにげなく言った言葉であの人、泣かしちゃったことがあったような…………。
あ! 今はそんなことよりもあの人の名前よね! 余計なことは置いときましょう。
ああ困ったわ。どうしましょう……! 全然思い出しそうにないわ!
アイザック、アレックス、アレン、アンドリュー……。
――だめよ! だめだめ! こんなことしてたらあっという間に300年経ってしまうわ!
なんとなく、すごい後半に出てきそうな気がするもの!
……そこまで思い出せそうなら、なんで名前を思い出さないのよ、私のバカ!
こうなったら……奥の手ね。
私の意識の欠片をあの人に飛ばして、誰かがあの人の名前を呼ぶまでずっと貼りついてることにしましょう。
……我ながら名案だわ。さすが私。
貴重な私の魔力を無駄遣いはできないんだけど、まあ100年くらい貼りついてれば、誰か一人くらいあの人の名前呼ぶはずよね?
それで残りの200年は、この滅びの魔女の殻を壊すための力を温存して……。
いけるわ、余裕ね。さすが私だわ。
きっとあの人が龍脈を繋いでくれれば、私の中に、もう邪悪な感情は流れ込まない。滅びの魔女の魔力は、これ以上増大しない。
だてに大魔法使いの異名を持ってないのよ私は。
次は負けるもんですか。
そしたら、あの人と――――……。
キャー!!
甘々キュンキュンのラブラブスローライフを堪能するのよ!
ちょっと名前が出てこないから、仮にダーリンって呼ぶことにして……。
『ねえダーリン♡ 今日はがんばって双首獣のハーブグリルを作ってみたの♡ どうかな? お口に合うかなあ♡』
『ディアの作った料理ならなんだっておいしいよ』
『やだあ! もう! ダーリンったら♡』
的な! 的な!!
――もうっ! はやく名前思い出しなさいよね、私!!
あの人との今後をいろいろイメージするのに、名前が出てこないと、なんか雰囲気出ないでしょ!
あと300年、すっごいヒマなんだから!!