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失恋のその先。  作者: 加藤爽子
沖田水奈都 視点
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スペインバルと仮想彼氏

202.01.04 文言修正

 そして、約束した晩御飯の日。


「後から行くから先に行っておいて」


 そういうなり慌ただしく内線を掛けて営業に確認しだした大矢さんの後ろで、私と各務さんが顔を見合わせる。


「今日は中止にしましょう」

「お言葉に甘えて先に行こう。折角お店を予約していることだし」

「いえ、やっぱり大矢さんも一緒に行ける日にしましょう」

「少し遅れるだけで後から行くわよ?」


 通話の邪魔にならないように小声で相談していたら、いつの間にか通話を終えた大矢さんが会話に割り込んできた。

 結局押し切られる形で各務さんと二人で先にお店へ行く事になった。


「人多いね。はぐれないように手を繋ぐ?」

「はぐれたらお店で合流しましょう」

「残念」


 二人になった途端にコレだ。

 各務さんが予約したお店は会社の最寄り駅から二駅先のスペインバルだ。予めお店の名前を聞いていたので、ネットで地図を見て場所を確認している。それにお祭りでもあるならいざ知らず、これくらいの人混みならお互いを見失う程でも無いだろう。


 案の定、特にはぐれることもなくお店に着くことが出来た。

 道路に面する壁はほとんど大きな硝子戸に占められており、中の様子がよく見えた。オレンジ掛かった少し暗めの照明が店内の様子を照らしている。


 木製の扉をくぐると、黒いベストを着た店員さんが声を掛けてくる。


「ご予約はされていますか?」

「はい。各務です」

「各務様ですね。承っております。二名様ご案内します」


 店員さんと各務さんのやり取りに違和感を覚えた。

 予約は三名では無いのだろうか?それとも今は二人しか居ないので『二名様ご案内』と言ったのだろうか?

 後からもう一人来ると伝えなくても良いのだろうか?


 疑問を覚えながらも後に付いて行くと、案内された席に愕然とした。明らかに二人用のテーブル席だったのだ。

 どういうことか、と問い詰めたい気持ちをググッと抑える。ここで声を荒らげて店員さんやお店に迷惑を掛けたく無かった。


「荷物貸して」


 各務さんが私の肩に掛かっているショルダーバッグを足元に置いてある籠の中に置くと、壁にあるハンガーを手に取って渡してくれる。

 促されるままにスプリングコートを脱いでハンガーに掛け、各務さんが引いてくれた椅子に戸惑いながらも座る。呆れるくらい完璧なエスコートだ。

 大人しく席に着いたのは、いつまでもこんな事を繰り返すのは不毛なので、一度ちゃんと話すべきだと思ったのだ。


 向かい側に座る各務さんは悪びれる様子もなくリラックスしていて、私だけが怯えているのが悔しかった。


「食べられないものはある?」


 各務さんの質問に首を横に振る。

 好き嫌いは特に無いけど、それ以前に食欲が無くなってしまった。


「飲み物は?」


 その質問にも私は首を横に振った。各務さんが適当に注文している傍らで、どう話を切り出すのがいいか考えていた。

 結局、良い案は思い付かず、思い付くままにぶつけるしか無いと思った。


「大矢さん、来ないのですね」

「そうみたいだね」

「いつから来れないって分かっていたんですか?」


 各務さんは私の質問に笑みを深くしただけで答えなかった。答えを促そうとした時に店員さんがワイングラスを運んできたため、私も口をつむぐ。

 続いてボトルで赤ワインと付き出しのオリーブの実が運ばれてきた。店員さんが離れると各務さんがワインをグラスに注いでくれる。


 グラスの細い足を持ち上げ乾杯を促す各務さんに戸惑いながらもグラスの縁を軽く合わせた。

 お酒には弱いので、本当に唇を濡らすだけにして、グラスをテーブルに置いた。ワインの甘い香りが立ち昇るけれど、香り程味は甘くない。スッキリとした味わいだ。


「スペイン産のワインも悪くないね」


 各務さんはグラスを回して香りを楽しんでからワインを一口飲んでいたが、ムスクの香りと喧嘩しないのだろうか。

 場の空気が大矢さんについての質問を流してしまったので、私は質問を変える事にした。


「私に何か言いたい事があるんじゃないですか?」

「僕にもう少し優しくしてくれないかな」


 流し目をされても困る。視線を避けるようにワインに手を伸ばした。飲むまではいかない。湿らせる程度。

 一向に無くならない私のグラスとは違って、各務さんは既に一杯目を飲み終えたようで新しくグラスに注いでいる。


「どの辺が優しくないと思いました?」

「その感じ」


 もしかしたら手酌をさせてしまって居るのが駄目なのかもしれない。大学では特待生でいる為に勉学に重きを置いて、お酒が弱い事もありコンパの誘いも断っていた。

 お酒の席でのルールを知らないからそのことを指摘されたのだろうか?


 言葉に詰まったタイミングで、料理が運ばれてきた。

 イワシのマリネとカットしたバゲットの上に具材をたっぷり乗せて爪楊枝で止めたオープンサンド。

 スペイン料理にはあまり詳しく無いので名前は知らないけれど、どちらもカラフルで美味しそうだ。無かった筈の食欲が、楽しそうな見た目に刺激された。

 オープンサンドを一口齧ると、生ハムの塩味が良いアクセントになっていて美味しかった。


「パーティーに良さそうな料理ですね。今度は同期全員誘って晩御飯に来ませんか?」

「ほら、その感じ」


 その感じとはどの感じなのだ。分かるように説明して欲しい。混乱する私の手の甲を各務さんの指が撫でた。反射的に手を引く。


「ミナツちゃんは僕に興味を持っていないよね」

「持っています。何でこんなことをするんだろうと思っています」

「ベッドの上でなら口を割るかもしれないよ」

「それなら別に知らなくても良いです」

「ほらね。僕に興味が無い」


 各務さんは何が楽しいのかクスクスと笑っている。

 本当に意味が分からない。絡みつく視線に無性に喉が渇いてしまった。ワインを一口喉を鳴らして飲み込む。


 蜘蛛の巣に絡め取られてしまう様な錯覚がした。これまでの人生ではお目にかかった事が無い人種だ。質問にはのらりくらりと躱して、周りの人の懐に入り込み味方に付けて、気が付けば雁字搦めになりそうだ。


 何で一度ちゃんと話そうと思ってしまったのか。大矢さんが来ないと分かった時点で帰るべきだったのだ。

 今から帰ったところで意味が無い。せめて一矢報いなければ、完全に絡め取られてしまいそうだ。


『じゃあ、彼氏が居ることにしたら?』


 由恵の声が頭の中で木霊する。


「…付き合っている人が居るんです。だからこういう事は止めてください」

「こういう事?」

「二人で食事とか、手を触るとか、ベッドの上発言とか、後は下の名前で呼ぶのも…」


 ボヤけた言い方は誤解を招くので、具体的に上げていくと各務さんが驚いた顔をした。

 これで一線を引くことは出来ただろうか。

 返事もせずにマジマジと私の顔を見てくる各務さんに耐えられなくなって、私は、これ以上話す事も無いと言わんばかりに鞄とコートを掴むとお店を飛び出した。


 お金を払っていない事に気付いたのは電車に乗ってからだった。各務さんに借りを作りたくなかったのにやはり私は間が抜けているな。


 トボトボと築二十年を超えるマンションとは名ばかりの四階建ての狭い我が家に帰る。

 お湯を張る気力も無いので、シャワーを浴びて寝てしまうことにした。


 しかし、布団に入ると疲労感があるのに眠れない。

 寝返りをするとパイプベッドがギシと音を立てた。何気なく頭上のパイプを撫でる。その冷たい感触に何故か涙が出てきた。


 ああ、今、ここに侑士が居てくれたら胸を貸してくれるのに。


 思い浮かんだその考えを、自ら否定する。


 居たとしてももう貸してもらえないだろう。

 自分の足で立てなくなることが怖いと告白を拒んだのに、まだ私は侑士に甘えようとしているのだ。

 私はこんなにも弱かったのか。借りられる胸は無いので、パジャマの袖を目に押し当てる。


 どれくらい涙を流していたか分からないがようやく治まった頃、由恵に電話をしてみようか、と思い立った。

 しかしながら、時計を確認すると二時を過ぎたところだったので、いくら何でも非常識過ぎる、と思い直した。明日、仕事が終わったら由恵に電話しよう。


 結局、眠れないまま朝を迎えて、会社に行った私は、まずは大矢さんの姿を探す。


「昨日は行けなくてごめんね」


 大矢さんの席に行くといきなり謝罪されてしまった。


「それはもういいんです。私、各務さんにお支払いを任せてしまって…割り勘にしたいんですけど、大矢さん付き添って下さい」


 一応、メイクをしているけれど、私のメイクスキルでは、完全に隈を隠すことが出来なかった。

 大矢さんは私を騙したという疚しさがあるから、私の顔色を見て断る事は出来なかったのだろう。


「いいわ。行きましょう」


 大矢さんを伴って各務さんの席に行くと、各務さんは昨日の事を気にした様子もなく笑顔を浮かべた。


「おはよう。昨晩は楽しかったね」

「おはようございます」


 無邪気な笑顔を浮かべて誤解を招く言い回しをする各務さんの神経が解らない。ただ、大矢さんが居るからか、彼氏が居ると伝えたからか、嫌な視線は無い。

 私は五千円札を各務さんの手に握らせる。


「昨日はお会計をお任せしてしまい、すみませんでした」


 昨日はメニューを見なかったから、今朝、スマホで価格帯を調べておいた。

 ワインと前菜的な二皿、お通し代を取られたとしてもそんなにはかからないだろう。これっきりにしてくれるなら払い過ぎた分が戻ってこなくても構わない。


「目、腫れてるね。彼氏に怒られた?」


 そうか。目が腫れているのか。朝、メイクの為に鏡を見た時は隈に気を取られて腫れには気付かなかった。ファンデーションで隠せなかったことは残念だ。


「いえ。怒られていません」


 そもそも彼氏なんて居ないのだから怒られる訳は無い。それに侑士なら怒りはしないと思う。


「へー。彼氏嫉妬しないんだ。それって…」


 各務さんが何か言いかけて口を閉じる。目線を追うと後ろにいる大矢さんを気にしている様だ。


「ご心配ありがとうございます。でも、大丈夫です」 


 私は大矢さんに付いてきてもらって良かったと安堵しながらそう言って、各務さんの席を離れた。


「付き添いありがとうございました」

「何もしていないけどね」

「いえ、助かりました」

「そう…」


 予想でしか無いけれど、私だけで各務さんのところへ行っていれば、また蜘蛛の巣が張られたかもしれなかった。

 それが未然に防がれただけでも大矢さんに居てもらった意味はあるのだ。


 自席に戻ると大矢さんから今日の仕事の指示がある。

 今日はこの前まとめたアンケートの要望を元に駅の構内に置くパネル広告のデザインを自分が担当すると思ってデザインを提案してみて、と言われた。実際の担当者は他に居るから気軽にね、とのこと。

 仕事を任せてもらえるようにはまだなっていないが、デザイン出来る事が嬉しい。

 質問があれば遠慮せずにしてね、とも言われて「はい」と返事する。


 午前中はアンケートの対象となった広告を資料室から探し出し、それに対する要望と見比べる。さらにその時の広告主の希望とこちらの提案をファイルサーバーのバックアップから探し出して確認する。

 それだけで気が付けば一時を過ぎていた。今日のお昼はお弁当を作ってくるのをサボったのでコンビニに買いに行く事にする。


「あら?沖田さんがお昼外へ出るなんて珍しいんじゃない?」

「お弁当作れなかったので買いに行くところです」


 会社を出たところですぐに大矢さんに声を掛けられた。

 大矢さんは他の先輩方とランチに行くところのようだ。


「じゃあ、今日はわたしと行きましょう」

「え?」

「わたし、今日は沖田さんと行ってくるわ」


 大矢さんは私の戸惑いを他所に一緒にいた面々に断りを入れると私の手を掴んでズンズンと歩き出す。

 着いたところは、裏道に入ったところにある洋食屋だった。

 ワンコインどころか、その三倍はしそうな価格帯に目眩がする。おそらくその価格設定と昼休みには遅めな時間帯のため、食事が終わりかけのグループが二組居るだけだ。


「わたしの奢りよ。好きな物を頼んで」

「では日替わりでお願いします」


 こういう時は目上の人より高いものは頼んではいけない。

 幸い好き嫌いは無いので一番安いメニューで即決する。

 注文を終えて店員さんの姿が見えなくなると、大矢さんが何か言いたげにじっと見詰めてくる。


「……沖田さんって」

「はい?」

「彼氏居るのね」


 今朝、各務さんとの会話を聞いていれば当然そんな話題も出てくるのは分かるが、本当は嘘だからとても気まずい。

 でも、本当の事を話したらどこを巡って各務さんの耳に入るか分からない。


「はい。居ます」


 だから私は嘘を突き通そうと思った。


「でも、そんな気配しないのよね」

「そうですか」


 彼氏が居る気配って、何だろう?

 そんなの私は感じた事ない。それが分かるようなら由恵をあんなに悲しませたりしなかった。


「彼氏は年上?」

「同い年です」

「大学の?」

「そうですね」

「イケメン?」

「普通ですよ」


 頭の中に侑士を思い浮かべて素直に答えてみたが、大矢さんは不満そうな顔をしている。

 そこに店員さんがランチを運んできたので、とりあえず食べる事になった。


「各務君だけど、沖田さんが同期の中で自分だけに冷たいと色んな人に相談してたのよ」


 ようやく本題に入ったようだ。

 各務さんの名前が出て来て、ランチのハンバーグが喉に詰まりそうになった。


 ああ、それで色んな人から仲良くするように言われたのか。まだ四月だと言うのに、随分早いうちから冷たいと感じさせてしまったようだ。何が切っ掛けなのか検討もつかない。

 各務さんに苦手意識を持つようになったのは最近だ。色んな人から注意されるようになったから、どう接したらいいのか分からなくて苦手だと思う様になったのだ。そうこうするうちに思わせぶりな態度を取ってくるようになり増々苦手になった。


「誤解されているようだからちゃんと話す機会が欲しい、と言うから、その機会を作ったのよ」


 小会議室や晩御飯で二人きりにされたのはそういう事だったのか。


「あなた昼はずっとお弁当で、飲み会にもまだ参加していないじゃない?みんなあなたを知る機会が無いから知っている各務君の方をかばうのよ」

「そうだったんですね」

「真面目すぎるのよ。各務君は懐に入り込むのが上手いから絆されちゃうの」


 私はそんなに真面目なのだろうか?自分ではよく分からない。だけど各務さんに関しては納得だ。


「こんな事を言うのも変かもしれないけれど、もう少し遊びを持った方が良いと思うわ。ゆとりと言った方がいいかしら」

「アドバイスありがとうございます」

「やっぱ固いわね。直ぐには無理そう」


 大矢さんは肩をすくめながら、食後のコーヒーを飲み干した。

 そうか遊びか。そういわれると自分は随分と余裕を失くしていたように思う。


「ご馳走さまでした」


 初めに言っていたようにランチ代を払って貰ってしまった。

 周りがみんな各務さんの味方のように感じ始めていたけれど、そうでは無いのだと教えてくれたのにご飯まで奢って貰ってしまって申し訳ない。

 確かに強引に連れてこられたランチだったけど、大矢さんに誘って貰えて良かった。


 遊びの部分は克己が得意分野だろうな。

 思い付くままに機能を追加していく事に振り回されていたのが懐かしい。

 大学時代の勉強は、最後の年の卒制はともかく他は基本自分だけで完結する事が出来たけど、仕事はそうはいかない。人と関わらない仕事なんて無いのだ。


 もっと職場のみんなと話す機会を作るべきなのだろう。

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