告白と失恋
2021.08.21 侑士視点 完結
2022.01.26 展開に矛盾があったので修正
2023.01.04 文言修正
「卒制、何とかなって良かったな」
「明日、明後日が本番だよ」
気まずい空気を払拭するように卒制を話題に出す。
それで思い出したけど、明日の資料の修正があったんだった。
水奈都に了承を貰って、座卓の上にあるパソコンのスイッチを押すと床に座り込んで起動が終わるのを待つ。
今日指摘された誤字脱字と、プラネタリウムの写真の角度も直さなければ。さっき組み直しが完了した時点でプラネタリウムの写真を撮り直せば良かったとも思ったが、撮影に使った高性能なカメラは借り物で手元には無いので、この方法で問題無いだろう。
作業中に湯沸かしが完了したアナウンスがあったので、バスタオルと真新しいスウェットを押し付けて水奈都に先にお風呂に入ってもらう。
プリントアウトが終わって、ちょうどパソコンをシャットダウンしたところで水奈都がお風呂から上がってきた。
ドライヤーを渡して、ベッドは水奈都が使っていいからと伝えて、俺もお風呂に入った。
少し温くなったお湯を意識してしまうのは見逃して欲しい。水奈都に罪悪感を抱きながらお風呂を終えた俺が、部屋に戻ると水奈都はカーテンを開けて窓の外の月を見ていた。
「水奈都?」
声を掛けると窓際に立っていた水奈都はそっとカーテンを締めて振り返った。
「…由恵と克己は付き合っていたんだね」
水奈都の声は沈んでいる。
女性にしては肩幅のある体形とはいえ、流石に男物を着ると袖口や裾はダブついており、更にはいつもは結ばれている真っ直ぐな艶のある黒髪が解けれて肩に掛かっている。
物憂いげな潤んだ瞳がこれまでになく女性らしかった。
吸い寄せられる様に水奈都の横に立つと両手を開いて言葉を掛ける。
「俺で良ければ胸を貸そうか?」
「胸を?」
「泣きたいんだろう?」
俺の意図が分からないとばかりに濡れた瞳で見上げて来る水奈都を見つめ返しながら、出来るだけ優しく声を掛けた。
すり寄ってきた水奈都の頭を右手でそっと抱き寄せると髪を撫でる。いつも俺が使っているシャンプーの香りと同じ筈だが何故かいつもより甘い香りがした。思わず左手も彼女の背中に回してしまうが、彼女がそれを指摘することは無かった。
胸を貸すと言ったものの俺と水奈都の身長差では肩になってしまっている。
「由恵に悪い事をした」
「水奈都のせいじゃない」
むしろ付き合っている事を隠した二人が悪い。
じんわりと右肩が濡れてくるのが分かる。それ以上掛ける言葉も見付からず、ただ彼女の髪を撫でたり、励ますように背中をポンポンと叩く事しか出来なかった。
熱く濡れた肩が冷えてひんやりと感じられた頃、水奈都がそっと体を離した。
離れた温もりを少し残念に思いながらも、少しは元気になったようだと安堵した。
窓際から移動して並んでベッドに腰掛ける。
「克己のこと忘れられそう?」
「えっ!?」
吹っ切れたように口元が綻んだ水奈都にそう聞いたら、驚いた声が上がった。
「何で克己?」
「克己のことが好きなんだろう?」
首を傾げた水奈都につられて同じ方向に首を傾げる。突然、水奈都が声を出して笑った。
「違う違う」
「だって学部内でも噂になってた…」
「嘘!?全然気付かなかった」
青くなったり赤くなったり百面相を繰り返す水奈都に何だか身体の力が抜けた。俺は随分と緊張していたらしい。
「私、本当に鈍いんだよね…」
中学の時も高校の時も、仲のいい友達の意中の男子と何故か噂になって後から知ったのだとボヤいた。
「克己は、何か雰囲気が弟に似ているからつい気安くなっちゃって。恋愛なんて考えた事も無かった。それに、由恵が…」
「由恵が?」
言い淀んで口を噤んだ水奈都を促すと、意を決して続きを話し始めた。
「一年で友達になったばかりの時に由恵が、女子高出身だから男子が少し怖いと言ったんだ。それを聞いて『ああ、私が守ってあげなきゃ』って思って」
意識して由恵に話し掛けてくる男子はそれとなく引き離していたそうだ。克己からもずっと守っているつもりだったのだ、と。
「さっきの涙は…」
「気付かなかった自分が不甲斐なくって。それに侑士が甘えさせてくれるのが嬉しくて」
妹と弟が居るのと、頼られると嬉しい性格なのとで、甘えられる事があっても甘やかしてもらえる事はあまり無いのだと言う。
「それに侑士の方が克己より断然タイプだし」
突然の言葉にきっと俺は間抜けな顔を晒していることだろう。
「俺の事は恋愛対象?」
「そうだね」
冗談めかした俺の質問に水奈都が即答するのを聞いて、全身が熱くなった。
どうやら彼女はクールに見えて天然だったようだ。そのギャップに完全にやられてしまった。
水奈都は自分が告白めいた事を口にしたのは、気付いていないようだ。涼し気な顔が憎らしい。
思わず手を伸ばして指先で頬を撫でる。驚いて俯いた水奈都の顔が心なしか紅く染まった事に胸が高鳴り、そのまま滑らせた指で顎を持ち上げしっかりと視線を合わせた。
「俺も水奈都は恋愛対象だよ」
俺が目を合わせてそう告げると恥ずかしげにしている。振り払われない事に後押しされて、水奈都の唇に自分の唇を合わせた。一瞬触れ合うだけのライトキス。
キスした拍子に俺の膝の上に滑り落ちてきた水奈都の手がくすぐったい。その手を捕まえて俺の肩に乗せた後、彼女の腰に手を回し更に引き寄せる。水奈都は頬を紅く染めているだけで全く嫌がっている様子は無い。
調子に乗ってもう一度顔を寄せると強く胸を押された。その拍子に顎に触れていた手が離れる。
「駄目だ。これ以上されたら好きになってしまう」
「いくらでも好きになればいい」
俺のことをタイプだと言って一度キスを受け入れたのに、このタイミングで拒まれるとは思わなかった。
「駄目なんだ。私、器用じゃないから」
座ったまま距離を取って、でも腰から引き剥がした俺の手を両手で包み込んで水奈都は一生懸命に説明してくれた。
就職と上京という新生活に必死になる事は目に見えている。そこに恋愛なんて要素が加わると自分の手には負えない。
ましてや遠距離恋愛になんて、到底自分に出来るとは思えない。
「侑士にはつい甘えちゃうから、自分が無くなっちゃいそうで怖い」
いつも理路整然と話す水奈都にしてはまとまらない話し方だ。
要約すると、新生活が控えていて不安だからこれ以上不安要素を増やしたくないので付き合えない、といったところだろう。
だけど、最後の言葉は逆効果だと気付かないのだろうか。どう考えても、熱烈な告白にしか聞こえないのだが。
しかし、大丈夫だと言える自分も居なかった。
明らかに両想いなのに付き合えないことを不満には思うけど、水奈都に無理強いするつもりは無い。
水奈都の言う通り、卒業目前の今になって付き合ったとしても、生活のすれ違いと距離で別れることになる可能性は高いように思える。
それに俺自身、アルバイトから社員になって新設の部署を率いる立場になるのだから、入社後にやることは山積みだろう。水奈都の不安を払拭するとは言い切れなかった。
不安に揺れる水奈都の視線を受けながら「分かった」と頷くしか無かった。
「ありがとう」
水奈都のお礼の言葉にも頷いて、今日はもう寝ようと水奈都にはそのままベッドを使うように言って、自分用にクローゼットの中から予備の布団を引っ張り出して床に敷いた。
気が付けば午前一時を超えており、たった一日で色々な事が有り過ぎて体も頭も疲れ切っていたため、布団に入ると直ぐに眠ってしまった。
目が覚めるとベッドの上の水奈都はまだ寝ている様だった。
もしかしたら、俺が寝たあともなかなか寝付けなかったのかもしれない。
時計を見ると六時を過ぎたところだった。発表会が始まるのは十時からなので後二、三時間寝ていても問題無いだろう。
水奈都の寝顔を覗き見しながら、起こさないようにそっと布団を畳んだが、クローゼットを開ける音がいつもは気にならないのに随分と響いた気がした。
「おはよう」
「おはよう…まだ早いからもう少し寝ててもいいよ」
案の定、目を覚ました水奈都に挨拶されて気まずくなる。
「ん、起きるよ」
それから昨晩コンビニで買ったパンで朝食を済ませて、順番に洗面所で着替え等の身支度を整えても時間はまだ余っていた。
「あのさ。前に家電を譲ってくれるって話したの覚えている」
「ああ」
「本当に譲ってもらってもいい?」
「もちろん」
あの時、ふざけて男装してうちに家電のサイズを確認しに来ると言っていたが、まさか本当になるとは思わなかった。
俺が引き出しからメジャーを取り出すと、水奈都も鞄の中から間取り図を取り出して、二人で色々測っては書き込んでいった。
「テレビとテレビ台は無理だね」
この部屋に慣れていると六畳くらいしか無いその間取り図がとても狭く見える。
他にも座卓やハンガーラック、乾燥機付きのドラム式洗濯機は無理そうだった。
冷蔵庫と炊飯器、電子レンジ、トースター、後はパイプベッドは、譲る事が確定した。
布団やカーテン、クッション等の布製品は新しく買った方がいいと説得して諦めさせた。特にカーテンはこの四年間洗った記憶が無い。
水奈都の新住所を書いた紙をもらって、そこに送るよう手配する約束もする。今から引っ越し業者は見付からないかもしれないが、全てネットで購入したものなので宅配で送れば良い。最悪、会社のトラックに間借りして運んで貰えば何とかなるだろう。
水奈都からは、送料を着払いにするように言われているけどそんな格好悪いことは出来ない。浮いたお金は残りの家具を買う時の予算にして欲しい、と伝えた。
そうこうするうちに八時半を過ぎたので大学に行くことにする。発表会に使う資料を人数分コピーしなければならない。うちにあるプリンターは複合機なのでコピーも出来るが、学部全員に配るには流石に枚数が多いので紙のストックが足りないと思った。
昨日の今日で、流石に心配したのか由恵と克己と友久は既に大学に居た。八時には着いていたらしい。
顔を合わせるなり、由恵と水奈都はお互いの手を取り合って謝り合っていた。
克己は水奈都の進言通り友久に連絡を取って合流したらしい。ちゃんと上演時間にも間に合ったそうだ。
「水奈都も同じ人が好きなのだと思って言い出せなかったの」
そう言って瞳に涙を溜める由恵は、俺から見ればあざとく感じたが、水奈都が納得しているから何も言う事はない。
黙々と予定通り資料のコピーをして、全員でホッチキス留めの作業をする。
質疑応答の際に、機能については克己、天文については友久が回答するよう念押しをして、臨んだ発表会は大きなトラブルもなく終える事ができた。
翌日の展示会は一般人も来ることから、順番に作品の側に控えながら他のグループの展示を見て回る。
こうして大学生活最後から二番目のイベントが終わった。
この日、初めて五人揃って駅前の居酒屋に行った。卒業制作が終わったので打ち上げだ。
意外にも由恵はお酒に強いらしく飲んでもほとんど変わらなかった。
反対に水奈都はあまり強くは無いみたいで、ヘラヘラと上機嫌でしきりに「侑士がグループに来てくれて良かった」と繰り返すのには参った。こんな状態で遠くまで帰れるのかと心配していたら「今日はうちに泊めるから大丈夫」と由恵が請け負ってくれた。
克己が「僕も泊まりたい」と由恵におねだりしているので二人の仲も持ち直したのだろう。
テンション高めの三人を見守るように友久は静かに飲んでいた。色々と思う所もあるらしく物言いたげな目が合ったので、こっそりと二人だけの二次会に誘った。
駅前で克己と由恵と水奈都の三人を見送ってからスーパーに行ってツマミと酒を適当に買って帰る。
バスには乗らず歩いたので寒さで酔いは醒めてしまった。
友久は店内で我慢していたせいか、スーパーを出るなり煙草を咥えて、紫煙を燻らせながら歩いている。
白く立ち昇る煙を見ているとふいに非常階段で友久にグループに誘われた時の事を思い出した。
「ありがとな」
「なんだ?」
俺の突然の感謝に友久は首を捻る。
「『みぶろう』に誘ってもらって良かったと思って」
「その礼は何度も聞いたよ」
「いや、改めてそう思ったんだ」
「そういや水奈都もずっと侑士に感謝していたな」
「……そうだな」
水奈都の名前に思わず反応をしてしまったが、友久に気付かれただろうか。
携帯灰皿を取り出して煙草を片付けた友久が口を開くのを待ったが、結局、二人沈黙したままマンションに着いた。
守衛の居るエントランスを越えて部屋へ行く。
「ちょっと散らかっているから気を付けて」
玄関脇に積んだダンボールには、夏物の服と仕事で使った資料などが分けて入っている。
昨日から直ぐに使わない物を荷作りし始めたのだ。
今日で二月の最終日。大学生活最後のイベントである卒業式まであと僅かだ。
散らかっていると言っても入り口付近に荷物が積んであるだけだ。部屋の中はほとんど様子が変わらない。
床にクッションを置いて座ると、スーパーで買ってきたものを座卓の上に並べる。
一缶目は卒展の話とか他愛も無い会話をした。
歩いているうちにアルコールは抜けたと思ったけれど、二缶目で酔いが戻ってきた気がする。それは友久も同じだったらしく眼鏡の奥の目が赤くなっていた。
「水奈都もお人好しだよな。克己が追ってくるなんて思わなかった…」
丁度駅に着いたところで克己から電話があったらしい。
バス停のベンチで待っていた時には辛そうだった由恵が、迎えに来た克己の笑顔に見惚れていた。
由恵が忘れてきた鞄を克己に渡されると照れくさそうにしていた。
合流した二人と別れてしばらくしてから、ピロリンと音を立てたスマホに気付いて確認すると克己から「間に合った〜」という何とも呑気なメッセージが届いたそうだ。
卒制に戻らずそのまま帰ってしまって悪かった、と謝られた。
話を聞いただけなのに克己のマイペースぶりに脱力した。ただただ克己らしい言動に振り回された友久と由恵に同情した。
「克己と水奈都がくっつくと思ったんだけどな…」
「克己は水奈都のタイプじゃ無いらしいぞ」
同情はしていたが、そこだけは聞き流せなくてつい訂正してしまった。
でも、俺も水奈都は克己が好きなのだと思い込んでいたので、言える立場じゃない事を言ってから気付いた。
「もしかして水奈都と何かあった?」
俺の憮然とした声に敏感に反応した友久に「しまった」と思ったがもう遅い。
お互い酔いが回って留まる事も出来なかった。何故か気が付けば取っ組み合いになっていて、意外に筋肉質な友久に四の字固めを決められて屈してしまった。
「フラれたんだよ!それ以上は聞くな!」
そう叫んだ後の記憶は無い―――。
閲覧ありがとうございます。
少しお休みを頂いて、24日から水奈都視点が始まります。