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失恋のその先。  作者: 加藤爽子
近藤由恵 視点
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愛した人と愛してくれる人

2023.01.29 文言修正

 友久が、何でわたしを気に掛けてくれていたのか、克己とトラブルがあった時に話を聞いてくれていたのか。凄く納得出来たのと同時に、そんなに前から知っていたのに何で卒制のグループを結成するまで話しかけてこなかったのだろうかと不思議に思った。


「その子に名乗り出ないの?」

「ああ」


 臆病なわたしは覚えていないフリをして聞いてみると、友久はあっさりと肯いた。


「…幸せならいいんだ」


 それから聞こえないくらいの小さな小さな呟きでそういった。

 わたしに聞こえたとは思っていないだろう。友久はそれ以上何も言わなかった。ただ、困ったような、それでいて切ない目をしてわたしを見ている。

 友久はわたしを否定した事は一度もない。それは「幸せならいい」というその言葉に集約されている気がした。


 何だか急にお腹が空いてきて、有り難く用意してもらったサンドイッチを頂く事にした。

 ミルクティーは話している間に氷が溶けて少し薄かったけど、サンドイッチもミルクティーもとても美味しく感じた。


 食器を下げた時に古新聞の束を持ってきた友久は、キャンバスに付いた埃を丁寧に払うと新聞紙に包んで、クローゼットにしまい込んでしまった。


「絵はもう描かないの?」

「描きたい、と思わなくなった」

「そうなんだ。残念」

「残念?」

「うん。今の絵も星座盤のイラストも、わたしは好きだから」

「……そ…うか。ありがとう」


 わたしの言葉がよっぽど意外だったのか、友久は驚いた顔をした。


「絵を教えて欲しいって思ったんだけど、残念」


 高校生の時に、河川敷公園で友久の絵を見た時に、わたしもアレくらい描けたら、と思った事を思い出した。

 だけど、わたしには描けないだろう。友久の絵には友久の内面が溢れ出ている。とても優しくて繊細な絵なのだ。

 わたしだけで描いてもあの絵にはならないけど、友久と一緒に描いたなら少しでも優しい絵になるのじゃ無いかと思った。


 不意にドアがノックされた。

 友久の返事を待たずにドアが開けられる。


「服乾いたよー」


 友久のお母さんの間延びした声と共に綺麗に畳まれたワンピースが差し出される。


「挨拶もせずにすみませんでした。洗濯ありがとうございました」

「お!元気になったみたいで良かった」


 挨拶どころかろくに顔を見ることも無かったのに、気にするふうでもなく、ニカッと笑っている。友久のお母さんはおおらかな人のようだ。


「ご心配おかけしました」


 ペコリと頭を下げてワンピースを受け取った。


「…やっぱり女の子は可愛いな。こんな娘が欲しかったわ~。

今からでもお父さんに頑張って貰おうかな?それとも孫娘の方が早いかな?」

「わあぁぁ!何言ってんだ!このバカ親!」


 いつもは穏やかな友久が声を荒らげて母親を部屋から追い出してしまう。その様子がおかしくてついクスクスと笑ってしまった。


「なんかごめん。でも、本当に元気になったみたいで良かった」


 眼鏡で分かりにくいけど、ほんのりと赤い顔をして項垂れた友久がぎこちない笑みを浮かべてこちらを見た。


「お陰様で」


 わたしはそう言ってにっこりと自然に笑う。克己以外の男性に自然体で笑えたのは初めてかもしれない。


「着替える?」


 友久はもう落ち着いてしまったらしくいつもの雰囲気に戻ってしまった。もう少し友久の赤い顔を見ていたかったのに少し残念だ。

 友久が部屋を出ていこうとするので呼び止める。


「この服、借りていってもいいかな?」

「いいんじゃないかな」

「じゃあこのままで。…送ってくれる?」

「あぁ勿論」


 克己なら笑顔で「いいよ」と言うところだ。と咄嗟にそう思ってしまったのが、なんだか悔しい。

 連絡すれば克己が車で迎えに来てくれるとは思うけど、今はまだ克己に頼るのは嫌だった。

 次点で今日はお姉ちゃんがいるはずだけど、お姉ちゃんに来てもらうのも気まずい。

 お母さんは、お店があるから無理だろう。

 歩いて帰るには上り坂を一時間延々と登って行かなくちゃならないし、バスもあるけどこの時間帯の本数は少ない。


 心の中でたくさんの言い訳をしながら、友久に送ってもらう事にした。

 友久のお母さんにも、服をこのまま貸して欲しいとお願いしてOKをもらった。


 海から連れて帰ってもらった時と違ってパンツスタイルなのでバイクに跨っても恥ずかしく無いと思っていたのに、いざリアに跨って友久の腰に手を回そうとすると無性に恥ずかしく、心臓が小さく音をたてた。それでもなんとか友久の背中に体を預ける。男性にだいぶ慣れたと思っていたけど、まだまだ緊張はしてしまう。


 友久から仄かに香る煙草の匂いにサテライトの店内を思い出した。煙草の匂いは嫌いでも無いけれど、決して好きとは言えない。その筈だったのに友久の服に染みた煙草の残り香はなぜだか安心感を覚えた。


 帰り道、河川敷公園が見えてくるとドキリとした。

 今までそんな事思った事も無いのに、いつもより輝いて見えた。初めて間近に見たここの風景を切り取ったあの絵の構図が視界に入ると、何故だがとても愛おしいと感じた。

 絵の中に居た鷺は居ないし、朝靄も無い。普遍的にあるのは川と橋だけだ。季節も時間帯も違うから色味は随分と違うけれど、それでも「あの絵だ」と思った。


 公園を過ぎるとすぐに喫茶サテライトの看板が見える。

 友久はレジンを見せるために(うち)に来てもらった時以来だったけど、迷わず裏手の駐車場にバイクを停めた。

 克己のバイクもそこにあった。二台並ぶとまるで二人の身長差の様にバイクの大きさが違っていた。


「友久も来て」


 そのまま帰ろうとする友久の手を取って、玄関に続く階段へ向かう。友久は一瞬戸惑ったものの、何も聞かずについて来てくれた。

 もし理由を聞かれたとしてもはっきりとした理由は思い浮かばなかったので、聞かれなくて良かった。ただ一人で克己と顔を合わせ辛いと漠然と思っただけである。

 巻き込まれるであろう友久に心の中でごめんと手を合わせた。


 家に入るとダイニングでお姉ちゃんと克己が楽しそうに昼食を摂っているところだった。笑っている克己を見てツキリと胸が痛くなる。

 どうしょうもなく震える手をキュッと握ってくれる手があった。大きく息を吐いて一歩踏み出す。


「あ、由恵。おかえり」


 すぐに気付いたお姉ちゃんの後に克己も「おかえり」を言ってくる。

 ここで「ただいま」を返すとまた何も言えないままモヤモヤを抱えて過ごす事になるから、返事は返さなかった。


「克己、好き」

「うん?」

「克己はわたしの事好き?」

「うん」

「じゃあ何で怒らないの?」

「うん?」

「友久と手を繋いでいるけど何とも思わない?」

「うん」


 突然の話に克己は変わらず淡々と相槌を打つけど、お姉ちゃんと友久は言葉も出ないようで唖然とした顔をしていた。

 海辺で「克己から言うまで別れてあげない!」と強く思った事が脳裏をよぎったけれど、克己の受け答えはそんな気持ちさえガラガラと音を立ててと崩れ去ってしまうくらい軽いものだった。


 男友達と手をつないでいても嫉妬の一つもされないなんて、わたしは彼女として認められていないのだろうか。

 何だか一気に老けてしまった気分になった。こんな時でさえ、克己の顔が美しいと思ってしまうのだから、自分の思考回路にがっかりだ。


「……克己、別れよう」

「いいよ。……あっ」


 意識せず零れ出た言葉に克己は動揺することもなく、いつものように「いいよ」と返事したが、その後に何かを思い出したようで視線を泳がせて、お姉ちゃんを見た。

 何かお姉ちゃんと約束が有るのだと思った。

 声にした途端「しまった」と思ったけれど、この場面でわたしよりもお姉ちゃんを気にした事で、逆に言って良かったという気になってくる。


「気にしなくていいよ。お母さんやお姉ちゃんと約束するのは克己の自由だから」


 それ以上話す事も聞く事もしたく無くなって、わたしはその場を立ち去った。

 自分の部屋に入るとボロボロと涙が溢れてくる。


「由恵……」


 そう声を掛けられて、友久とまだ手を繋いだままだった事に気付いた。


「友久…巻き、込んだ…。わた……酷い、よね」


 既に涙が溢れ出ているわたしはまともに言葉を紡ぐ事も出来なかった。

 巻き込むのは連れてきた時から分かっていた。

 おそらくわたしは克己に嫉妬をしてもらいたいだけなのに、それさえもしてもらえなかったのだ。

 思えば卒展の一日目もわたしと友久が二人で駅に行ったのに嫉妬らしいものは見せなかった。


 友久はハンカチを差し出してくれたが、それを受け取らず友久にしがみついて泣きじゃくった。

 わたしが顔を友久の胸に埋めた瞬間、びくっと小さく体を震わせたが、何も言わずにそっとわたしの背中に手を回して背中を撫でてくれた。


 その手が優しくて余計に涙が止まらない。初めは克己と別れた事が哀しくて、嫉妬さえされない事が惨めで、更に自分の傲慢さに気付いて、涙を流し続けた。


「由恵。オレは由恵が好きだ」


 ようやく落ち着き始めた時に、友久の低く静かな声が頭の上から聞こえた。


「絵を見ていた時や物作りをしている時の笑顔が好きだ。由恵の明るい声を聞いていたら元気になれる。いつも不安そうにしているから、その明るい声や笑顔がもっと増えればと思う」


 友久はわたしの背中を撫でながら、手作りのクッキーが美味しかった、レジンの提案が凄い良かった、大きな目が可愛い、と続ける。

 些細な言動をたくさん褒めてくれるので、段々と恥ずかしくなってくる。わたしは友久の好意に気付いていながら利用したのだ。それなのに友久は怒ることなく際限なくわたしを褒め続ける。

 それにしても次から次へとよく思い付くものだ。言葉を変えて同じ事を言っているだけのものもあって思わず、フフッと笑ってしまう。

 それで自然と涙が止まると、友久の口も閉じた。


 眼鏡越しの目とわたしの目が合った。目の下はヒリヒリしているし、まぶたは相当腫れているのか薄目でしか見れないけれど、友久はとても優しい目をしていた。


「もういっそうの事、オレと付き合う?」

「うん」


 殊更明るい声で茶化す様に言った友久の言葉に肯いたら、びっくりした顔をされた。わたしも無意識で頷いていて自分でもびっくりしたので当然の反応だろう。


 愛した人よりも愛してくれる人の方が女は幸せになれると言ったのはどの少女漫画だっただろうか。

 本当にその通りなのかもしれない。たくさんわたしの長所を並べてくれた友久に気持ちが揺れている。


「いや、由恵。今ならまだ克己と寄りが戻せるかも…」


 友久もまさかわたしが頷くなんて思っていなかったようで少し混乱しているようだ。慌てて真逆の事を言い出したので、わたしは首を横に振った。


「わたし今はまだ克己が好き。だけど、そのうち友久の方が好きになれると思う」


 信じられない、という顔をしている友久に今の気持ちを素直に伝えた。

 声に出してみると、もう既に友久を好きになりかけていると思った。先程、克己と別れたばかりだというのに、変わり身の早さに自分でも信じられない。


 今日はバイクに乗った時の二回と泣いてしまったさっきの合計三回も友久にしがみついたけど、男性に対する恐怖や不安は全く感じなかった。

 ずっと水奈都にも言えなかった克己に関する不安を聞いてもらっていたということもあるかもしれないけれど、さっきは克己と話をする時にそばに居て欲しい、と思うままに振り回してしまった。


 思えば、大学に入学する前から知り合っていたなんて、それも少女漫画的な出会いでは無いだろうか。

 およそ五年間もずっとわたしを好きで居てくれたなんて奇跡だと思った。


「わたしが幸せならいいんでしょ?じゃあ、友久が幸せにしてよ」


 一気に顔が赤くなる友久をみて、これじゃあ告白じゃなくてプロポーズのようだ、と気付いたけれど、一度口にした言葉は消えて無くならない。

 

「ああ、絶対幸せにする」


 すぐに力強く頷いてくれただけで嬉しくなった。

 ねぇ、友久。わたし既に一つ幸せにしてもらったよ。


「由恵、オレと付き合って欲しい」

「うん。よろしくね」


 先程とは打って変わって茶化した様子は鳴りを潜めて、改めて告白された。

 なし崩しではなく仕切り直してくれたのが嬉しくて全力で頷いた


 二人揃って部屋を出ると、心配そうな顔をしたお姉ちゃんが遠慮がちに声を掛けてきた。まだ顔がつっぱった感覚がするからきっとわたしの顔は浮腫んでいるだろう。心配もかけるよね。


「克己は帰らせたから」


 お姉ちゃんが克己の名前を呼んだ事も、「帰った」ではなく「帰らせた」と表現した事も、少し前ならモヤモヤした筈だ。実際、チリリと胸に痛みを感じたけれど、友久の大きな手がそっと背中を支えてくれたから、痛みはすぐに霧散した。


「さっき克己にも言ったけど、お姉ちゃんと克己が連絡取ったりするのは自由だよ」


 克己の隣に立つのはわたしでは力不足だった。ただそれだけだったのだ。わたしが、それだけの魅力も覚悟も持ち合わせていなかった、というだけ。


 しばらくは、克己と顔を合わせづらいだろうけど、それもきっといずれ大丈夫になるだろう。

 なんとなく…本当になんとなくだけど、それほど遠くない未来に克己がこの家で笑っているような気がした。

 その時、わたしは友久の横で笑っているだろう。


 友久がバイクに跨っている姿をみて、そういえば友久と克己はツーリング仲間だったと思い出した。


「友久も克己と連絡取るのは自由だからね」

「ああ。ありがとう」


 何も克己が嫌いになったから別れたわけではなく、克己の言動に振り回されている自分が嫌いになったから別れたのだ。周りの交友関係にまで影響するのは本意では無い。


「今度一緒にスケッチしに行かないか?」

「いいの?嬉しい」


 絵が描きたいと思わなくなった、と言っていた友久が不意に誘ってくれた事が嬉しくて顔が緩んだ。

 お弁当を作って、スケッチブックとカラーコンテを持って行こう。ハイキングみたいできっと楽しい。

 荷物が多いからバイクじゃなくて車になるだろう。


「あっ!でも一番最初は河川敷公園がいい!」


 思わずそう声に出して言うと、眼鏡の奥の目が優しく弧を描いた。


「そうしよう」


 友久の低い声が心地良い。

 また一つ幸せをもらった。

2022.1.3 完結


 あけましておめでとうございます。

 もしかして年内に完結するかも?と思っていたのですが、年越してしまいました。


 完結までお付き合い頂きありがとうございました。

 あと一話、後日談を書きたいと思っていますので、よろしければそちらもお付き合い下さい。

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