卒展の後とスプリングコート
2023.01.29 矛盾があったので文章修正
いつもより早い時間に家を出た。
水奈都がやると言ったのだから、ちゃんと終わっているだろうけど、でも、もしかしたら、まだ終わっていないかもしれない。メッセージアプリで進捗を聞けばいいだけかもしれない。だけど、ちゃんと顔を見て話すべきだと思ったのでメッセージは送らなかった。
「由恵、おはよう」
電車で席に座ってうつらうつらしているといつの間にか克己がわたしの前に立っていた。
「…おはよ。克己も早く来たんだ」
「うん」
遅刻魔王の克己が早起きするとは思っていなくてまさかこんな時間に会うとは予想外だった。特に申し合わせたわけでも無いのに同じ電車に乗った事が単純に嬉しくなった。
大学の最寄り駅から先は、通常なら学校から出ている送迎バスを使うが、まだ走っている時間じゃないので、公共のバスか徒歩になる。少しでも早く行きたかったのでバスを使った。
卒制を展示している部屋へ行くと、そこには既に友久が来ていた。友久は暗幕の中で星空を映し出してそれを静かに眺めていた。
お互い挨拶を交わして三人で星空を見上げる。僅かなズレはちゃんと修正されていた。
わたしの目から見ると、星の発色も良いし、日時を変更してもズレは無い。
友久から「問題なし」とお墨付きが出て肩の力を抜く。
「友久はもしかして始発?」
「いや、バイクで来たから」
「そっか」
確認を終えると手持ち無沙汰になった。克己と友久が雑談を始めて、それから昨日の話になった。
「昨日はごめんなさい」
「勝手にしたことだから気にしなくてもいいのに」
友久には随分と迷惑を掛けてしまったと頭を下げた。
「ハンカチはまだ洗濯中だから、また今度返すね。ありがとう」
「い、いつでもいいから」
お礼とともにニコリと微笑むと、友久は何故か狼狽した。
心なしか頬が赤くなっているようにも見える。
八時半を過ぎて、侑士と水奈都が姿を見せた。水奈都は昨日と変わらない服装だったけど、ちゃんと睡眠は取れたようですっきりとした顔をしていた。
「水奈都!」
「由恵。昨日はごめん」
「わたしの方こそごめんなさい」
お互いの両手を胸の前でタッチする様に合わせて、挨拶よりもまず謝りあった。
「水奈都も同じ人が好きなのだと思って言い出せなかったの」
思い切って心境を告げると、涙が滲んでしまう。水奈都が怒っていないことにホッとしたのもあるかもしれない。
ここで泣いたら困らせるだけだと、必死にこらえているが視界は徐々に滲んでいく。
そんなわたしとは反対に水奈都は優しく微笑んでいた。
「水奈都といっぱい話したい」
「うん。私も由恵と話したい」
ごめんなさい、が受け入れられて、言いたい事がいっぱい溢れてきた。克己を好きになった事、克己と付き合っている事、水奈都も克己が好きなのだと思った事……全部水奈都に聞いて欲しかった。
「卒展が終わったら泊まりに行ってもいい?」
「もちろん」
「その時に聞かせてもらうから今は卒制に集中。ね?」
今にも話しそうになっていたわたしは水奈都の言葉に逸る気持ちを抑えた。
そうだ。発表会まで時間はあまり無い。とにかく今は卒制優先だ。
何とか気持ちを切り替えて資料のコピーやら、発表会の流れや想定される質疑などの確認やらを『みぶろう』のみんなで行った。
侑士が中心となっての発表は恙無く終わった。人前に立つ侑士は普段の猫背をピンと伸ばして悠然としていた。朗々と説明する声は、いつもより少し高くハキハキと聞き取りやすい。少し意地悪な質問にも、淀みなく答えていて、緊張は一切感じなかった。
隣にいる水奈都がそんな侑士の姿に憧れの表情を浮かべていた。気分がかなり高揚しているのか顔が赤くなっている。
翌日の一般人も来る展示会も好評に終わった。
来場者に説明する為に何度もオルゴールを鳴らしたので、後片付けの時に思わずその曲の鼻歌を歌ってしまった。
ニヤニヤとする克己に恥ずかしさが込み上げてくる。思わず克己の胸をポカポカすると、他のメンバーにもニヤニヤされて恥ずかしさが倍増した。
夜は打ち上げと称して『みぶろう』の五人で居酒屋へ行った。そうしたグループは多いみたいで店のあちこちで乾杯の声が上がっている。
うちも負けじと「乾杯」の声を上げて、とりあえずの一杯を飲んだ。今日の帰りは駅前の駐車場に車を置いていくこと確定だ。
どうやら水奈都はお酒にはあまり強くないらしく乾杯の一口で顔が赤くなっている。お酒が進むと共にテンションが高くなった水奈都は、「侑士の発表が凄かった」「グループに入ってくれて良かった」と何度も繰り返していた。
「家遠いのにちゃんと帰れるのか?」
絡まれている侑士は困りながらも水奈都を心配している。
「今日はうちに泊めるから大丈夫」
「いいなぁ。僕も泊まりたい」
「克己はダメ」
侑士とわたしの会話を聞きつけて克己が割り込んできた。
今日は水奈都といっぱい話をする予定だから、克己が来てもお邪魔虫になるだけだ。克己はしょっちゅう来ているんだから今日は遠慮してもらおう。
完全に、わたしと克己と水奈都の三人と、友久と侑士の二人のふたグループに別れて会話を始めたところで、店員さんがドリンク飲み放題の終了時間になった事を告げてきた。
水奈都も限界だし丁度いい頃合いなので、解散する事になった。
大学の近くに住んでいる侑士を除いて全員同じ電車だと思っていたら、友久は侑士とまだ飲むらしい。水奈都と克己とわたしの三人で電車に乗った。元々お泊りを予定していた水奈都の荷物は少し多いので、フラフラの水奈都から奪ってわたしが持つ。
まだうちに来たがる克己を、克己の家の最寄り駅で追い払い水奈都と二人になった。
やっぱり今日は寝て、話すのは明日かな?と思っていたけど、電車からバスに乗り換え、初めてのサテライトに目を丸くして、お風呂と歯磨きを済ませたら、水奈都の酔いはそれなりに冷めたみたいだ。
わたしの部屋に布団を敷いて、わたしは自分のベッド、水奈都は布団で横になる。
常夜灯にして薄暗くなった部屋の中、わたしは改めて水奈都に謝った。
「克己と付き合っている事隠していてごめんなさい。わたし、水奈都も失いたくなくて…」
最近のわたしはとても涙腺が弱くなっていて、泣いてしまうかもと思っていたけど不思議と涙は出なかった。
「私の方こそごめん。花火の時に気付くべきだった。由恵は私のせいでずっと悩んでいたんだろう?」
もっと怒ったり責められたりすると思っていたのに水奈都はそんなことをしなかった。薄明かりの中じっと天井を見て話していた水奈都が不意にこちらを向いたので、思わず息を飲んだ。
「一昨日…もう昨日になってたかな?……とにかく、昨日、侑士に指摘されるまで、周りに克己が好きだと勘違いされている事も学部中で噂になっている事も知らなかったんだ」
「……勘違い?」
「うん。指摘されて初めて克己に構いすぎていた事に気付いたよ。克己は四つ下の弟に似ているんだ。…似ている、って言っても容姿は断然克己の方が綺麗だよ。言動とか雰囲気がね、弟に似ていてつい構いすぎた」
「克己の事、好きじゃないの?」
「友達としては好きだよ。でも、タイプじゃない」
淡々と告げる水奈都の言葉はわたしには凄い衝撃的だった。
「本当に鈍くてごめん。……由恵はまだ不安みたいだから思い切って言うけど、私、自分より背が高い人がいい。『みぶろう』で言うなら侑士の方が克己より好みだ」
もしかして、本当は好きだけどわたしのためにそう誤魔化してくれているんじゃないだろうか?
そんな疑問が顔に出ていたのか、水奈都が自分の好みが誰なのか教えてくれた。恥ずかしそうに目線を泳がせる水奈都からは嘘を感じなかった。
本当に?克己に恋していない?
「侑士に告白しないの?」
「……東京行くから」
水奈都が布団を頭まで被って赤くなった顔を隠した。掛け布団越しに聞こえた水奈都の返事は小さくてくぐもっていたけど、ちゃんと聞こえた。
「言わないと後悔するかも?」
「由恵は?言わないで後悔した事ある?」
「いや、わたしは告白したから」
「え?由恵が告白したの?」
やぶ蛇だった。すっかり赤味が引いた顔を勢いよく布団から顔を出すと、期待した目で見られる。
水奈都の恋バナを聞こうと思っていたのに、すっかりわたしの話になってしまった。
克己にはほとんど一目惚れで恋をして、卒制グループが同じになった事が運命だと思った。
いつの間にかお母さんと連絡先を交換していて今日泊まるかどうかをわたしよりもお母さんの方が把握しているのが納得いかないといつしか愚痴に変わった頃には、水奈都の寝息が聞こえた。
翌日、目が冷めたらお姉ちゃんからメッセージアプリに連絡が来ていた。仕事がお休みなのでこっちに帰ってくるらしい。昼過ぎに駅まで迎えに来て、という連絡だ。
お姉ちゃんを迎えに行く間、水奈都は喫茶サテライトで待っているか聞くと、その時に駅まで一緒に行こうと言われた。
時間的に丁度いいから帰るらしい。
午前中は水奈都と取り留めもないおしゃべりをして過ごした。お姉ちゃんが動物園で飼育員をしていて、この前その動物園へ克己と一緒に冷やかしに行った話とか、ほとんどが克己の話だった。頭のどこかでやっぱり水奈都と克己の噂が残っていたのだと思うけど、わたしは無意識に見栄を張って克己とは仲良く楽しく過ごしているんだとアピールした。
水奈都も克己に似ているという弟さんの話をしてくれた。一緒に買い物に行くとすぐにどこかへ行ってしまうから説教しているのにニコニコと悪びれた様子もなく「次は姉ちゃんも一緒に行こう」と誘われたそうだ。確かに同じシチュエーションだったら克己も同じ事を言いそうで笑ってしまった。
お昼御飯を終えると、水奈都と二人でバスに乗って駅に行った。駅前に借りている駐車場に着いたら、既にお姉ちゃんの姿があった。聞いていた時間より早いけど一本前の電車に乗れたのかもしれない。
「「はじめまして」」
お姉ちゃんと水奈都は挨拶をし合うと少しだけおしゃべりをしていた。軽い自己紹介と大学や家でのわたしの話だ。
数分程度の会話の中で何を言われるのだろうとドキドキだしたが、二人とも褒めてくれていて妙にくすぐったかった。
悪口では無かった事にホッとして、水奈都を見送る。それから、お姉ちゃんと車で帰ろうと思ったら、春物のコートが欲しいと言うので二人で買い物に行く事になった。
「あ、それ由恵に似合うね。卒業祝いに買ってあげるよ」
「違うの。お姉ちゃんに見てたの」
ああ、この色お姉ちゃんに似合うなぁ、と淡い萌葱色のコートを手に取って見ていたら、お姉ちゃんが買ってくれると言うので慌てて遠慮した。パステルカラーのアウターは背の低いわたしには幼く見える気がして自分には絶対に選ばない色だった。
「仲がよろしいのですね。御姉妹でしたら共用されるのはいかがですか?」
いつの間にか側に来ていた、わたし達より少し年上に見える店員さんがにこやかに声を掛けてきた。
お姉ちゃんとわたしは思わず顔を見合わせた。正直SサイズのわたしとMサイズのお姉ちゃんではあまり服を共用出来ない。それに今は一緒に暮らしていないから現実的な提案では無かった。
「由恵、色違いのお揃いにしよう」
お姉ちゃんはにっこりと笑うと、お姉ちゃんに似合うと思った色のMサイズと、淡い茜色のSサイズを手に取る。暖色系のパステルカラーに躊躇するわたしを鏡の前に立たせるとコートを肩に掛けてくれた。
少し派手だと思った色は、羽織ってみるとそこまで派手でもなく、しっくりと馴染んでいた。
鏡の中でライトブルーのコートを羽織ったお姉ちゃんが横に並んだ。思った通り春の空と芽吹きたての若葉を合わせたような爽やかな色はお姉ちゃんに似合っている。
わたしの羽織っているコートとは色相環の反対に位置する色だけど、原色では無く淡い色合いなので、並んでも反発はしていない。むしろ、夕暮れ時の空のグラデーションを彷彿させる優しい組み合わせだった。
デザインは可愛いけど、お値段は可愛くないコートだったが、お姉ちゃんがさっさと二着とも買ってしまった。
ああ、この値段だったから共用を勧めたのかと変な勘繰りかもしれないが、店員さんの「ありがとうございました」の声が跳ね上がっているので、当たらずとも遠からずだろう。
卒業祝いに買ってもらったスプリングコートは、ギリギリ二月の今の時期にはまだ少し早いけど、着られる時が楽しみだ。お姉ちゃんとお揃いと言うのにも浮かれた。お下がりはよくあったけど、お揃いの服は本当に小さかった頃以来だった。お姉ちゃんが一人暮らしを始めて遠くなった距離が少しだけ縮まった気がした。
帰りもわたしが運転をして帰ってくると、サテライトの裏の駐車スペースの奥に克己のバイクが停まっていた。
家に入ると克己はエプロンを着けてサテライトのフロアでオーダーされていたものを運んでいた。
今どき珍しい喫煙可能な喫茶店のサテライトは、いつもは男性が多いのだが、今日は明らかに克己目当てだと思われる女性客が目立っていた。常連さんの肩身が狭そうだ。
「昨日は駄目って言われたから今日来ちゃった」
「聞いてないんだけど…」
「智恵さんに聞いたらOKだったよ」
どうやらお母さんに了承を得たらしい。そうニコニコしながら言われると怒る気も失せる。
「由恵が帰ってきたから克己くんはあがっていいよ」
そうお母さんに言われてエプロンを外した克己に、女性客から非難の声が上がって会計を始めた。あからさまに克己目当てだったのが分かるが、常連客のホッとした顔が見えたのでムッとした気持ちはあっという間に消えた。
「さっきはありがとう」
「いや僕のせいだから」
二階で始まったお姉ちゃんと克己の和やかな会話に首をひねる。
「どういう事?」
意味が分からず話を聞いてみた。
寝坊してバイトに遅刻すると騒ぎ立てる妹の瑞穂ちゃんをバイクでバイト先のケーキ屋さんに送らされた後、動物園の近くを通ったら偶然駅に向かって歩くお姉ちゃんを見掛けて声を掛けたらしい。
駅のすぐ近くでそのまま少し立ち話をしたら、ホームから電車が発車する音が聞こえて乗り遅れた事に気付き、克己がそのままバイクでお姉ちゃんを乗せてきたそうだ。
克己はサテライトまで送ろうとしたけど、買い物したかったお姉ちゃんは駅で降ろしてもらった。もううちに来る気になっていた克己はお母さんに了承を得てその足で泊まりに来た。そんな経緯だったようだ。
確かに呼び止めたのは克己で、お姉ちゃんが電車に乗り遅れてしまったのだから、送ってくるのも分かるけど、わたしが頼んでも乗せてくれないバイクに、お姉ちゃんを乗せたのだと思うと複雑な気分だった。
それにそこでわたしではなくお母さんに連絡しているのも意味がわからないから、克己に問い質すと「由恵は運転中と思ったから」と悪びれた様子は無かった。
そうかもしれないけど、メッセージの一つくらい残しておいてくれたら良かったのに!