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失恋のその先。  作者: 加藤爽子
近藤由恵 視点
21/27

ハンカチと嫉妬

閲覧、ブックマークありがとうございます。


2023.01.26 文章修正&追加

 ケーキと紅茶は普通に美味しかったし、妹さんは可愛かったし、心身共にリフレッシュして、駅に向かった。


「美味しかったね」

「僕は智恵(ちえ)さんが作った方が好き」


 智恵はお母さんの名前だ。いつの間に名前で呼ぶ事になったのだろうか?

 でも、家族と仲良くしてくれるのは嬉しいし、わたしもお母さんの手作りは美味しいと思う。妹さんのバイト先のふわふわで噛まなくても無くなりそうなスポンジとは違って、お母さんの作るケーキはどっしり小さくても重量感のある素朴な味わいだ。


「瑞穂ちゃんが作ったの?」

「いや、あいつはまだ接客のみのはず。学校も入学前だし」


 いつもニコニコ穏やかな克己が、妹の瑞穂ちゃんに対しては少し辛口だ。

 普段あまり見ない克己を見られたので思わず顔が緩んだ。いつもと違う克己の喋り方が、わたしに気を許してくれているようで新鮮に思えた。


 朝待ち合わせした駅で克己と「また行こうね」と約束して別れて、一人で電車に揺られる。

 帰りの電車ではもう振り袖姿の女の子は見掛けなかった。


 大学へ行って卒制をしたり、卒論の最後の詰めをしたり、克己と遊んだり、サテライトの掃除をしたり、バタバタと毎日を過ごすうちに気が付けば明日はバレンタインデーとなっていた。『みぶろう』の打ち合わせもある。


 ふと思い立ってみんなにクッキーを焼いていこうと思った。本命チョコも用意するべきか悩んだけれど、克己はきっと今年もたくさん貰うんだろうなと予想できるのであまり量の多いのは困るだろう。

 それにお母さんがガトーショコラを焼いている。一口大にカットして、サテライトのお客さんに配るらしい。お客さんよりは大き目サイズを取り置きしてくれると言っていた。

 ケーキ屋さんのケーキより好きだと言っていたお母さんのケーキがあるのに、一緒に渡せる自信はない。あの時、思い切ってチケットを買っていたわたし、グッジョブだ。


 克己には、みんなと同じ市松模様のクッキーも渡すけど、除けておいたクッキー生地でプレーンとチョコの二種類の丸いクッキーを焼いて、チョコペンで絵を描く。

 動物クッキーをチケットに添えて渡す事にしたのだ。象にライオンに熊…動物園で見掛けた動物を描いてみた。少し子供っぽいけど克己なら楽しんでくれると思う。


 出来上がったアイスボックスクッキーは五等分して、百均で購入した不織布とリボンで一人分ずつラッピングしていく。こういう作業は好きなので時間を忘れて没頭した。


 打ち合わせの時に配ったクッキーは好評だった。バレンタインデーだという事を忘れていた水奈都が恐縮しまくっていたのが逆に悪かったなぁと思う。お返しはホワイトデーでと悪ノリして言ってしまったけど、見返りを求めているわけではないので気にしないで欲しい。

 卒制の作業は順調で、何とか空きがあったミュージカルの日時が発表日の前日だけど、問題なく行けそうだ。


 夜、サテライトで克己と一緒に、お母さんが作ったガトーショコラを食べた。お皿にガトーショコラを置いて、ホイップクリーム、ミックスベリーソース、ミントの葉を添えて、カウンター席に並んで座っているわたしと克己に出してくれる。ケーキを出したら直ぐに二階に退散してしまった事も含めて、ハロウィンやクリスマスの時のデジャヴだ。


 動物クッキーは案の定、楽しんでもらえた。絵を描くのは好きなので、結構リアルに描き込んだのがウケた。

 一番の力作はやはりリスザルだ。リスザルだけはコミカルにおめめをキラキラにさせた。

 一緒に渡したミュージカルのチケットも動物園の時のようにはしゃいでいた。楽しみにしてもらえて、買った甲斐があった。

 その後は二人で予めミュージカルのあらすじや俳優さんを調べたりして、益々楽しみになった。


 それなのに。


「これ、星座早見盤とプラネタリウムの連動、ズレていないか?」


 卒制発表の前日の打ち合わせにて、その友久の言葉を切っ掛けに事態はどんどんと最悪の展開を迎える。

 組み立てをしていた水奈都が青い顔で組み直しを宣言した。


「発表会と展示会の二日間気付かれなければいいのだからこのままでも大丈夫じゃないか?」


 侑士のその言葉にわたしは飛び付いた。そうそう!製品化するわけでも無いし、卒業の単位さえ取れたらそれでいい。


 だけど、真面目な水奈都がそれで納得できるわけも無く…わたしも今日じゃなければ水奈都に賛成していたと思うからその気持ちは分かる。


「一人で出来るから皆は帰っていいよ。友久はバイトがあるんでしょ?侑士もちゃんと睡眠取って明日の発表に備えてよ」


 もうその場の空気は組み直す流れになってしまったし、水奈都のその言葉に甘えるしかない。

 そう思っていたらよりによって克己が水奈都に応えてしまった。


「配線部分は僕がやった方がいい」

「助かるよ」


 克己の立候補を水奈都があっさりと受け入れた。克己は不測の事態を楽しんでニコニコしているし、血の気が引いて白くなっていた水奈都の顔色にも赤味が戻っていた。


「なんで?」


 なんで、よりによって今日なの?

 なんで、克己が手伝うの?

 なんで、克己はそんなに楽しそうなの?


 友久からハンカチを差し出されて、初めてわたしは泣いていることに気付いた。


 頭では、卒制優先だと分かっている。水奈都一人に押し付けることなんて出来ない。

 ただ、自分勝手だっていうのは分かっているけど、気持ちが抑えられなかった。

 

「克己のバカ!」


 封印したはずの嫉妬がぐんぐんと大きくなって気が付けばその想いを克己にぶつけて、その場から逃げてしまった。


「由恵!」


 すぐにわたしの名前を呼んで追いかけてきてくれた人は、友久だった。

 駆け出したわたしは中庭(そと)に出たら失速してトボトボと門を目指して歩いた。


 友久はハンカチをわたしの左頬にそっとあてた。じんわりとハンカチが湿るのが分かる。きっとファンデーションもベットリと付いてしまったに違いない。

 わたしがノロノロと左腕を上げてハンカチを掴むと、友久は手を引いた。


 克己が追ってこない。ただそれだけのことが悲しい。

 だけどもう不思議と涙は止まっている。でも笑みを浮かべる事も出来ない。

 笑うのに失敗して歪む顔を見られたくなくて、一人になりたかった。


 足は枷をつけられたかの様に重く、引きずる様に歩き続ける。習慣とは恐ろしいもので無意識に駅への送迎バスに乗り込んだ。

 そんなわたしの後ろを友久が心配そうについてくる。

 バスの最後尾に座ると友久も隣に腰を下ろした。


「一人になりたいの」

「……オレの事は居ないと思って」


 そっとしておいて欲しかったのに、友久は肯いてくれなかった。抗議しようと振り返ったら、眉を寄せて辛そうな顔をしている友久に何も言えなくなった。結局、何も言わずに俯く。

 やっぱりわたしを一人にさせる気は無いらしく、でも居ないと思っての言葉通りに、何も言わずにバスに揺られている。


「今日、克己とデートの予定だったの」

「……うん」

「チケットの時間があるから代えられないデートなの」

「うん」


 一人にして貰えないならこのどす黒い気持ちを吐き出すしか無い。突然話し出したら、戸惑ったような相槌があった。

 わたしは漠然と窓の外を見ていて友久を振り返らない。ただの独り言の様に言いたい事を言い続けた。

 たまに恋愛相談に乗ってもらっていたからか、友久の相槌からはすぐに戸惑いが消えた。友久は思い付くままに話すわたしのよく分からない話でも、水を差すことなく聞いてくれた。低く優しい相槌がわたしを慰めてくれる。


 やがてバスは駅前に着きわたしと友久はバスを降りた。

 やっぱり習慣に導かれて、駅の改札に足が向く。


 不意に友久のスマホが鳴った。そこで初めてわたしは何も持ってきていない事に気付いた。わたしの荷物は握りしめている友久のハンカチくらいだ。


「……ん。一緒にいる。今、駅前」

「え?……ああ」

「うん。分かった」


 電話の相手の声は聞こえないので、友久の声だけがその場に響いた。

 現在地を伝えているので、きっと『みぶろう』の誰かだ。


「克己が迎えに来るって。まだ歩ける?少し戻ろう」


 電話を切ると友久がわたしの頭をポンポンとして、戻るように促した。スマホも財布も家の鍵でさえ大学に置いてきたわたしは急に一人になるのが怖くなって大人しく友久について行く。


 克己が来る?卒制を放り出して?

 水奈都と楽しそうに笑い合っていた克己が来るというのが俄には信じられなかった。

 行きとは反対に、今度はわたしが友久の背中を追いかける。長身の友久とチビのわたしでは歩幅が全然違う筈だけどわたしに丁度いい速度だった。


 バス停まで戻ってそこにあるベンチに友久と二人並んで座った。

 バスの中で色々と吐き出したからか荷物が無くて電車に乗れないからか、気が抜けたらなんだか急に体が疲れを主張し始めた。


「友久バイトは?」


 さっきまで自分の事しか考えられなかったけど、頭の中の靄が晴れてきたようだ。不意に今日友久がバイトがだという事を思い出した。


「大丈夫」


 何でもないように澄ました顔でそういうけれど、本当に大丈夫なのだろうか。結構急いで帰ろうとしていたから、今からすぐ帰れば間に合うのではないだろうか。

 わたしの突発的な行動で振り回してしまったのだと思うと申し訳ない。


 そこで何気ない話をしていると、友久の言う通り克己の姿が見えた。さっきまであんなに克己への不満が溜まっていたのに、目が合った途端ににっこりとエンジェルスマイルを浮かべた彼に見惚れてしまった。

 わたしはこれでも克己に怒っていたはずだ。奥歯を噛み締めて綻んだ表情を引き締める。


 克己の肩には女物のショルダーバッグが掛かっていた。キャラメル色の合皮の鞄は見覚えのあるものだった。わたしの鞄を持ってきてくれたのだ。

 「はい」と手渡されて思わず受け取ってしまう。それで怒るタイミングを失ってしまった。


「友久、ごめん」

「おう。オレじゃなくて由恵に謝れ」

「……あの、ありがとう」


 小さく謝った克己に友久が言い返す。じんわりと胸が熱くなった。おずおずと友久にお礼を言うと「良かったな」と頭をポンポンされた。

 大きくて温かい手のひらが心地よい。


 ふわりと頭の触り方が変わったので見上げると頭を撫でる手が、友久から克己に交代していた。それから克己が手櫛でくしゃくしゃになった髪の毛を整えてくれる。克己の繊細な細い指で髪を梳かれるたびに、心臓が音を立てる。それからじんわりと頬が熱くなった。


「じゃ、オレは戻るわ」


 友久が珍しくニヤニヤとした笑いを浮かべている。

 それから背中を向けて、克己が降りてきた送迎バスに向かって歩いている。


「ハンカチ!洗濯してから返すから」


 手に握りしめていた友久のハンカチを思い出して、そう声を掛けると、友久は振り返る事も無く右手を軽く挙げただけでバスに乗り込んだ。


 振り返ってもらえなかったのが寂しかったので、紛らわすように克己の手に擦り寄った。

 心得たとばかりに克己が手を繋いでくる。友久と違って冷たい手がわたしの手を包み込んだ。お互いの体温が混じり合って次第に温まってくる手をキュッと握りしめる。


「……卒制」

「ん?」

「戻ろうよ」

「いや、水奈都と侑士の二人でするって」


 もういい。迎えに来てくれて今手を繋いでいるだけでいい。しがない学生の分際でミュージカルのS席だなんて不相応だったんだ。大学に戻ろうと提案したけど克己は首を横に振った。


「水奈都が怒るから嫌だ。戻らない」


 どうやら、わたしとの約束がある事を聞いた水奈都は、わたしが怒って当たり前だ、と凄い剣幕だったらしい。

 わたしは、水奈都と克己に何度も嫉妬して、それでも水奈都にいい顔見せたくて我慢して勝手に爆発して自滅しているのに、水奈都は隠していた事を怒らず、わたしの事で怒ってくれるんだ。


 こういうの何ていうんだっけ?敵に塩を送る?そんな感じだ。水奈都のおおらかさに人として負けている。

 それとも、水奈都の中で克己よりわたしを大事に思ってくれているのだろうか。わたしに都合の良い思考回路に思わず苦笑してしまった。そんなご都合主義がある訳無いのに。


「由恵、電車乗るよー」


 バス停の前のベンチで物思いに耽っていたら、克己と繋いでいる手を引かれて反射的に立ち上がる。

 そのまま駅に行くと予定していた電車に間に合っていた。

 電車を待つ間に克己はスマホのチャットアプリでどこかに連絡していた。


「約束今日だと思っていなくてごめん」


 座席に詰めて座ると自然と体がくっつくので、克己の声が近い。本当にごめんと思っているのだろうか?

 笑顔の克己はやっぱり美人だ。そして、美人であるのは得だと思う。その綺麗な顔を見ると怒る気なんて失せてしまうのだ。


「いいよ」


 まるで克己が移ってしまったかのように克己のお決まりの一言を口にしていた。

 仕方ないなぁ。そう思えて許してしまうんだから、本当にどうしようもない。

 今、水奈都と侑士が必死に卒制を仕上げようと頑張っているのに本当に戻らなくていいのかな、ともう一度克己に聞くと、戻った方が絶対に水奈都に怒られる、と力説された。


 ミュージカルは童話が基になった恋愛物だ。醜い怪物のヒーローと美人のヒロインの話を観ている時は、すっかりその世界に入り込んで一緒に泣いて笑って、終わる時には感動でほんわかしていた。


 時間はあっという間に過ぎて帰る頃になると、やっぱり卒制が頭を過ぎった。克己も同じなのか、今日はうちには来ないで帰ることになった。

 明日は早く大学へ行って様子を見たい。


 克己と離れれば色々と考えてしまって眠れないかもしれない、という予想に反して、色々あったので思っていた以上に体は疲れていたようで、お風呂から上がって体が温かい内にベッドに入るとすぐに眠ってしまった。

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