動物園とケーキ屋さん
2023.01.21 文言修正&追加
『みぶろう』の打ち合わせの後、水奈都と克己が頭を突き合わせて何やら相談している。
先程の打ち合わせで克己が提案したオルゴールの埋め込み位置の確認をしているのだが、やっぱり二人の距離は近い様に思う。
「…はぁ」
二人を信じると決めたものの、モヤモヤするのは止められない。目を閉じて小さく溜息をして自然と入っていた肩の力を抜く。
目を開けると、こちらを見ていた侑士とバチッと目が合ってしまう。侑士の顔に微かに走った緊張の色に気付いてしまった。そんなに心配しなくても、筋違いの嫉妬は抑えるよ。
「打ち合わせに疲れちゃった」
そうやって声に出して言うと本当にそれで疲れている様にも思える。良かった。抑えられている。自然と口元も緩む。
嫉妬が全く無いと言うと嘘になるけど、以前に比べれば心は凪いでいた。
大丈夫。心の中で唱えながら二人の方を見る。
大丈夫と思っていたのに、楽しそうな二人を見ると次第に顔を顰めてしまう。
「嫉妬しても仕方ないって分かっているつもりなんだけど、うまく行かないね」
なんとなく自分の耳朶に触れた。指先で穴をみつけると確認するように何度も撫でる。
「嫉妬するのも分かるよ。なぁ友久」
「ああ。由恵は悪くないって」
ほとんど独り言に近い言葉に返答があった。
侑士と友久はわたしに肯定の言葉を返してくれた。
実はわたしは相当嫉妬深いのだろうかと思っていたのだけど、友久はそれを当然だと言ってくれた。
周りに聞こえないようにボソボソと弱音を零すわたしに、友久がうんうんと頷きながら聞いてくれる。
何度も「大丈夫だ」「由恵は間違っていない」と、染み入るような低い声で返してくれて、ようやく落ち着ける事が出来た。
友久は克己と飲んだ日以降、わたしと克己が付き合っていると明かされたからなのか、バイクで通学していて帰りの電車で三人になる事は少なくなっていた。
だけどたまにバイクを大学に置いたまま、電車で一緒に帰ってくれる時もあった。
そういう時は大抵、わたしが克己の事でいっぱいいっぱいになっているので、克己が降りてから自宅のある駅に着くまでの間だけのお悩み相談室だ。
たまにそうやって吐き出させてくれるから、ようやくわたしは克己と水奈都が二人で話している姿を見ていられる様になった。友久と二人になる事をもしかしたら克己も嫉妬してくれていたりして、なんて考える事もある。
それにしても、キャンパス内で克己と水奈都が噂になっても、わたしと克己の噂が出ないくらいには顔に出していないと思うのに、わたしの平気なフリに友久は何で気付くのだろう、と不思議に思って聞いてみた。
「由恵は不安になると耳朶を触る癖があるから分かりやすい」
言われてみれば、気分を落ち着けたい時には耳にピアスが無い事を確認しているような気がする。
まだ塞がっていない小さな穴を撫でると、克己を信じようと決心した気持ちを思い出せるから。
わたしが不安に揺れている時は、友久からすれば一目瞭然だったようだ。
十二月に入ってから克己とクリスマスイブデートの約束をした。二人でどこに行くか相談していると、克己はミュージカルに興味を示したけれど、流石にイブのチケットは完売していた。
購入出来るチケットを探している時に、2月末公演でまだ辛うじてS席に空きがあるのを見付けた。
学生にはとても贅沢な価格だけど、克己が喜んでくれるなら良いかなと思ったから、こっそりと購入画面へと進んだ。
克己と二人でこんなギリギリじゃダメだね。って笑い合って、色々探すけど十二月に入ってから調べたら遅い事が分かった。
チケットや予約が要らない。そんな理由でイルミネーションを観に行く約束をした。
そんな事前のドタバタとは打って変わって、当日は楽しむ事が出来た。夜に二人で遠出するのはとても新鮮だった。
イルミネーションはとても綺麗で光のトンネルを二人で手を繋いで通り抜ける。
トンネルの全長を聞いた時にはそんなもんかと思ったけど、人出が凄くて亀だか牛だかの歩みで通り抜けるとかなり時間が掛かって、実際よりもいっぱい歩いた気がした。
飲食店も人で溢れていたので、帰ってから作って食べた。クリスマスだから豪勢に!といきたいところだけど、人混みの中たくさん歩いてヘトヘトだったから、簡単に出来る焼き鳥丼とお味噌汁だ。辛うじてチキンだけど、クリスマスらしさは皆無になってしまった。
お母さんがお店で出した残りのロールケーキをくれたのでそれが唯一のクリスマスらしいメニューだろう。
サテライトも盛況だったようでお母さんもお疲れのようだった。片付けの続きは明日の朝に回して今日はもう休む、と早々に二階へ引き上げる。
明日は開店前に清掃を終わらせなければならないので、手伝ってね、と念を押すのは忘れないところは流石だ。いつものように「いいよ」と返す克己が恨めしい。克己が手伝うのにわたしだけ寝坊する訳にはいかない。
お母さんが寝た後は、お互いにクリスマスプレゼントを贈りあった。わたしから克己にプレゼントしたのはネクタイだ。就活の間毎回同じネクタイをしていたので気になっていたので、布を買って来てニ本のネクタイを縫った。
克己からはソフトボールくらいの大きさの天球儀を貰った。スイッチを入れるとオルゴールが鳴りながらゆっくりと回転する。流行りのクリスマスソングを奏でるその天球儀は克己の手作りらしい。卒制の副産物だと言っていた。
天球儀を支える半円の支柱の部分が幾つもの三角形が集まるように棒を組み合わせている。
偶然だけど、お互い手作りのものを贈り合って嬉しくなる。
翌朝、客間で寝ていた克己が騒がしいなと思ったら、枕元に動物園の無料入場券が置いてあったようだ。
動物園に勤めているお姉ちゃんは帰ってきていないので、お母さんの仕業に違いない。おそらく仕入れに行く前に置いていったのだろう。
お母さん経由のお姉ちゃんの話では、冬季の動物園は閑散期になるので、関係者の家族に配られるそうだ。言われてみれば、確かに去年ももらった気がする。
お母さんとわたしの分で二枚、飼育員をしているお姉ちゃんから郵送で送られてきたけど、わたしと克己で行っておいで、という事らしい。
克己は、寝ている間にこっそりと置かれていたので、「サンタクロースが来たのかと思った」と笑っていた。
動物園の場所は実は克己の家に近い。子供の時に一度連れて行ってもらった事があると言っていた。
懐かしい、と目を細める克己に一緒に行こうと声を掛ける。
「いいよ」
いつもの返事は、心なしか優しい声だった。目元をピンクに染めてはにかむ克己が可愛く見えた。
最近、ほとんどサテライトに入り浸りの克己でも、流石に年末年始は家族と過ごさなければならないらしく、行くのは一月中旬頃、という事になった。
その日はお姉ちゃんの職場に行く電車の中で、振り袖の人をたくさん見掛けた。そういえば今日は成人式だった、と思い至る。色とりどりの着物を着た人達を見ていると、とても華やかで眩しい。
デートの時は、克己がバイクでサテライトまで来て、それから二人で移動していたから、一人で待ち合わせ場所に向かう、というのが新鮮だ。
普段JRを使っている克己だけどそれより少し遠い私鉄の駅のホームが待ち合わせ場所だった。
そこから二駅でお姉ちゃんが勤めている動物園へ行ける。
電車が待ち合わせの駅へと入っていく。扉の前に立ちながらホームに目を凝らして克己の姿を探した。
姿を見付ける事は出来なかったけど、待ち合わせ時間の十分前だ。遅刻常習犯の克己がまだ来ていなくても不思議では無い。
電車が停まったら一度降りてホームにある待合室に入って座っていよう。
プシュ~と音を立てて目の前の扉が開く。
階段に近い扉だったので人の流れからそれて、階段を降りてしまわないようにした。降りる人が途切れホームで待っている人が電車に乗り込み始めた時、階段の下に克己の姿が見えた。
小さく手を挙げたわたしに気付いて二段飛ばしで階段を駆け上がってくる。
その勢いのままに手首を掴まれて、わたしは降りてきたばかりの電車に引き戻された。
「きゃあ」
振り袖の集団から悲鳴が上がる。恐怖の悲鳴ではなく、いわゆる黄色い声というやつだ。克己は美人なのでこういう事はよくある。
『お客様に連絡します。駆け込み乗車は大変危険です―――』
そこに車内アナウンスで注意されてしまった。扉付近の人達だけではなく、同じ車両の人達の視線を受けて恥ずかしい。
「……もう。次の電車で良かったのに」
「次、二十分後」
はぁはぁと息を整えている克己に不満を零すと次の電車までに時間がある事を伝えられた。
そういえばそうだった。待ち合わせ時間に間に合う電車を調べていた時に、二十分置きだった事を思い出した。
「それなら走らなくていい時間に家を出なきゃ」
「僕もそのつもりだったんだけど」
お小言を言うわたしに、言い訳して膨れている克己が可愛くて、直ぐに許してしまう。
動物園前の駅に着いて手を繋いで電車を降りると、電車内から再び黄色い悲鳴が聞こえる。克己がその声に振り返ると晴れ着の集団と目が合ったらしく、空いている方の手をヒラヒラと振っていた。直ぐに扉が閉まったけれど、黄色い声が一際大きくなったので、キュッと繋いでいる手を強く握ってしまう。
誰にでも愛想が良くいつもニコニコしている克己を好きになったのだから言っちゃいけないと思うけど、付き合う様になってから誰にでも愛嬌を振りまくのを止めて欲しいとずっと願っている。
言わなくても分かってよ。わたしだけに笑ってよ。わたしが特別だって思わさせてよ。
空いている手で耳朶を撫でて、自分勝手な言い分が今にも口から出て来そうになるのを抑え込みながら、繋いでいた手を振りほどき思い切って腕を克己の腕に絡ませた。
少し驚いた顔の克己と目が合うと何か言われるかもと緊張したけど、克己は目を合わせたままにっこりと笑っただけだった。絡めた腕を振り払われる事も無い。
たったそれだけの事に、とてもホッとした。
お姉ちゃんから貰った入園券で動物園に入ると、入口で貰ったリーフレットの案内図を確認する。
特に珍しい動物が居るわけでもなく、生態が観察しやすい檻にしているわけでもない、至って普通の動物園だ。
入って時計回りでグルっと一周する事に決めると再び手を繋いで歩き始める。
克己は持ち前の好奇心を発揮させて、小さな子供の様にはしゃいでいた。
リスザルの檻の前では、噂のシン君を直ぐに見付ける事が出来たけど、克己に似てるかな?と初めはよく分からなかった。ツナギを着たお姉ちゃんが餌の入ったバケツを持ってバックヤードから現れると途端に納得した。
他のリスザルは餌を気にしているけど、シン君は純粋そうな丸い目をキラキラさせてお姉ちゃんを追っている。
もっと近付きたいけど、お仕事の邪魔をしたら駄目かもと思っているのかどうか分からないけど、餌には見向きもしていない。食べそびれないようにシン君に手渡ししていたが、シン君はそれを手に持ったまま、お姉ちゃんがバックヤードに入るまで後追いを続けた。
バックヤードに続く扉が完全に閉まるとようやく手にした餌を思い出してモゴモゴと食べ始める。
目のキラキラは落ち着いてまた群れの中に埋没した。心なしか背中が丸まっている。
キラキラの目と、そのキラキラが消えた瞬間が似ていると言えば似ているかな。
「えーっ、僕あんな感じ?」
「うん。ちょっと似てた」
どうやら克己は不本意らしい。自分ならもっとアピールしていると熱弁しているので、何に必死になっているの、と声を出して笑ってしまった。
一度声を出して笑うと、何だか全部が可笑しくて、象を見てもキリンを見てもアルパカを見ても、いちいちはしゃぐ克己とケラケラと笑ってしまうわたしは、きっと目立っていたと思う。
園内を時間を掛けて回ったけれど、全部回り終わってもまだ日は高かった。
丁度、おやつの時間だった事もあって克己は小さなケーキ屋さんに連れて行ってくれた。イートインスペースもあるので中で食べるようだ。
駅からは結構遠くて隣の駅との中間地点くらいの場所で、動物園も含めていっぱい歩いたわたしは両足が悲鳴を上げていた。
「あ、いたいた。瑞穂」
レジに立つ美人が知り合いらしい……。少しタレ目だけどまつ毛が長くて瞳が大きくてキリッとした眉が意思の強そうな印象だ。可愛いと美人の間の美人寄り。
わたしは思わず克己の腕にしがみついた。
「ん?」
「彼女さん?初めまして、カツ兄の妹の瑞穂です」
克己は何で腕を引かれたのか分かっていなかったみたいだけど、レジの女性が慌てて自己紹介してくれた。
言われてみれば克己に似ている。
「あ、あの、お兄さんとお付き合いしている近藤由恵といいます」
「聞いてる!家が喫茶店なんだよね。カツ兄入り浸りだけど迷惑してない?」
「いえ、色々手伝ってくれて家族も喜んでます」
「え?嘘?!うちでお手伝いしているの見た事無いんだけど?」
克己の妹さんだから明らかに年下のはずだけど、フランクな話し方にタジタジになってしまう。こちらは身内の登場に緊張して敬語だと言うのに。
「瑞穂。バイト中!」
克己は会話をズバッと断ち切ると、イートインスペースの一番奥の席に座った。
妹の瑞穂ちゃんは四月から製菓専門学校に入学する予定で将来はパティシエールを目指しているらしい。それでケーキ屋さんでアルバイトをしているのだ。
注文を取りに来た瑞穂ちゃんは、マニュアル通りの対応になっていた。克己はケーキセットを二つ注文して、コーヒーはサテライトの方が美味しいからと紅茶を選んだ。
瑞穂ちゃんは店員としての態度は崩さないけど、忌々しそうに克己を睨みつけて去っていく。
「…仲良いんだね」
「良いのかな?いつも突っかかってくるんだけど」
天敵だ、と言いつつも、バイト先に来るんだから仲良いよ。
「沙恵さんと由恵を見ていると、もうちょっと瑞穂と仲良く出来そうな気がしたんだけど駄目だった」
お姉ちゃんはどちらかと言うと、うちには居ない父親代わりか第二の母親かという関係なので、私からすると好き勝手に言い合っている克己と瑞穂ちゃんは十分仲が良いと思う。
それに本当に仲が悪かったら、わたしの事知らないだろう。わたしの実家が喫茶店だって知っているんだから、ちゃんと会話はあるんだよね。克己も妹のバイト先を把握しているし、やっぱり仲は良いのだろう。
兄妹にこんな事言うのはなんだけど、ちょっとケンカップルみたいで微笑ましかった。