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失恋のその先。  作者: 加藤爽子
斎藤侑士 視点
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腕時計と花火大会

2023.01.02 誤字修正&文章修正

 前のグループメンバー達に声を掛けられたのは、梅雨入りして鬱陶しい天気が続く六月だった。


 卒制のテーマが決まらなくてイライラしてたんだ、とか言って詫てきたから、適当に「俺も悪かったから」と流していたら、その中の一人がニヤニヤとイヤな笑いを浮かべて肩を組んできた。


「それにしてもお前上手いことしたな」

「どっちか味見した?」

「は?」


 意味が分からない。

 いや、言葉の意味は分かったけれど、どういう思考回路しているのかが理解できない。

 あまりの言いぐさに黙っていると、元メンバーの三人は勝手なことをしゃべり始めた。


「沖田は男慣れしているよな。あれ絶対彼氏いるぞ」

「ああ、男物の腕時計してるしな」

「近藤も初心(うぶ)なフリして案外遊んでんじゃねーの?」

 

 なんて言うか、開いた口が塞がらないとはこういう事を言うのだろうか。男慣れとか遊んでるとかお前らの願望だろ。

 相変わらずバイトに追われている俺は、あれからチャットくらいしか参加出来ないでいたから、プライベートな会話をするほど仲は良くなっていない。

 だけど、少なくとも女と見れば勝手に批評し始めるこいつらみたいに(うわ)ついてはいないことは分かる。


「制作はちゃんと進んでるのか?」


 自分の事は棚に上げつつ露骨に話題を変えて、肩に乗せられている腕を振り(ほど)く。


「斎藤が居なくなってからは好調だよ」


 こちらの嫌味に気付いたのか、向こうもしっかり嫌味を置き土産にして去っていった。

 つるんでいた時にはそんなに気にならなかったから、俺もあの中でそれなりに馴染んでいたはずなんだよな。

 追い出された時にはしがみつきたい気持ちも少しはあったはずなのに、今はなんの未練も感じなかった。


 その日、大学内に居たグループメンバーは水奈都だけだった。一人で卒制の作業をしていたようだ。

 作業と言っても作品に取りかかっていたのではなく、その前段階の設計だ。完成予想図を書いてそれを元に、それぞれの部分の大きさなどを決めていっている。


 Tシャツにジーパンというシンプルな格好でおよそオシャレとは程遠いが美人は何を着てもサマになるものだ。スレンダーな水奈都にはシンプルなその格好がよく似合っていた。


 元メンバー達の会話が頭の片隅に残っていたせいか、自然にそれを見付けてしまった。水奈都の紙を押さえる左手の細い手首には、男物の青いシリコンのスポーツウォッチが付いていたのだ。


「突っ立ってないで座ったら?」


 こちらに気が付いた水奈都が、腕時計の付いた手を伸ばして、俺の腕を引いて座るように促す。引かれるままに隣の席に腰を下ろした。


「ちょうど誰かに相談したいと思ってた」

「俺で分かることなら」

「聞いてくれるだけでも助かるよ」


 水奈都はそういうと、完成予想図を手元に引き寄せた。芯を引っ込めたシャーペンを指し棒代わりにして、現状の説明と問題点を話してくれる。

 要約すると、照明用の電球をプラネタリウムに流用すると、照明部分が明るくて天井や壁に上手く星が映し出されないかもしれない、ということだ。

 そればかりは作ってみないと分からないけれど、電球を2つにして、別々にオン・オフのスイッチを付けた方が無難だという結論になった。

 照明部分も昼光色にしたり、摺りガラスで囲むなど、間接照明にした方が良いかもしれない、と話し合った。


「侑士が居てくれて良かった」


 そう言って水奈都が笑う。少しでも役に立てたなら良かったと俺は胸を撫で下ろした。

 水奈都は、机の上を片付けるとスマホを取り出した。

 程なくして、俺のスマホが震え出す。水奈都から『みぶろう』のグループチャットに、ミーティングしよう、という連絡が入っていた。

 全面的に俺の予定に合わせてくれて、全員揃ったミーティングが来週の火曜日に決まった。


 そして、あっという間にその火曜日が来る。


 作品は大きく分けて三つのパーツに分けられる。柱部分と照明部分とプラネタリウム部分だ。

 別々に作って組み上げた方が良いということで、それぞれれ順番に、水奈都、克己、友久がメインで担当することになった。由恵は、人手が必要なところを手伝うそうだ。


 俺には発表するという役割を与えられた。卒業間近のニ月下旬に卒制発表会と卒制展示会が行われる。既に決まっている日付でしかも半年以上先の二日だけの予定なので、いくらバイトに追われている俺でも予定を空けておくことが出来る。それにプレゼンなら、会社で慣れているので、適任とも言えた。

 万が一制作にノータッチになったとしても俺が気にしなくても良いように、グループメンバーの優しさだろうとも思う。


 こんな感じでそれぞれの担当も決まり、そろそろ解散の流れになった。

 ―――筈だった。


「プラネタリウムも星座盤も両方作ろう。それで連動させようよ。こう側面に星座盤があって星座盤の日時を合わせるとプラネタリウムが映し出す星もその日時のやつになるの」


 克己が特大の波紋を投げ掛ける。


「そんなにも色々盛り込むと、発表会までに完成出来ない。まずはプラネタリウムを作って時間があれば、余裕を見ながら星座盤、連動作業って増やした方が良くない?」

「ああ、水奈都はそっちなんだ。いっぱい機能ある方が楽しいじゃん。思いついたもの全部詰め込んで無理そうなら減らしたらいいよ」

「まずは完成させるべきだって」


 ミニマムで完成させたい水奈都と、マックスで制作したい克己とでは、平行線を辿り続ける。


「でも、出来たら素敵ね」


 それを打ち破ったのは由恵だった。ロマンチストな由恵はうっとりとした顔で克己を見ている。そして、水奈都は克己に厳しくても由恵には甘いのだ。


「出来たら良いとは私も思っているよ」

「その場合、オレが星座早見盤も作るのか?」


 元天文学部だったために、プラネタリウムの投影部分の担当になった友久が動揺した声を上げた。

 八十八星座…日本から見えない星座もあるから、それよりも少ないかもしれないが、その数の星を刻むだけでも大変だ。

 それにプラネタリウム部分なら星を刻むだけで済むが星座早見盤なら、星座のイラストや星名も入れた方が良さそうだ。

 

「プラネタリウムは、適当に穴開けて星空っぽくなれば良くないか?」

「それだったら連動できない」


 負担を減らすべく発言してみたが、あえなく克己に駄目出しされてしまった。


「分かった。友久には星座早見盤を作ってもらって、プラネタリウムの投影部分は私が作る」


 いつの間にか克己に丸め込まれて作る方向で話が進んでいるし、水奈都は最終的にはこうして自分で抱え込んでしまうところがある。やると言ったなら、必ずやり遂げるところは美点だが、抱え込み過ぎじゃないかと心配になる。


 だからと言って「自分がやる」と立候補するのは尻込みしてしまう。仕事との両立を考えると体がいくつあっても足りない。

 アメーバーみたいに体が分裂してくれたらいいのに…。


 そうだ。分裂だ。


「あのさ、知り合いの工場で3Dプリンターとスキャナーを持っているところが在るんだけど使わせてもらえないか聞いてみる、ってどう?」


 分裂させるのは自分では無くて、星座盤の方。

 複製してからイラストをつければ無駄はないし、作品の中に隠れるプラネタリウム部分と外側の星座早見盤だと大きさも違うので、縮尺も自由に変えられる3Dプリンターなら時間も随分と短縮出来るだろう。


 うちの会社と古くから取引のある工場が確かここからなら電車で三十分くらいで行けるはずだ。

 会えばまるで親戚のおじさんのように構ってくるから、繁忙期でない限りは断られないと思う。ただし、頼み事は電話やメールではなく、直接顔を合わせて頭を下げないと聞いてくれない。頑固オヤジでもあった。

 地道に星を彫る作業をするよりは、直接行って頭を下げる方が時間がかからないだろう。


 新しい技術は、克己の好奇心を大いに刺激したようで、「それ面白い」と乗り気だ。


「では、侑士に頼んでもらって無理なら私が担当するよ」


 水奈都がそう締めて、今度こそ解散となった。


 それから俺はまずはアポを取って、社長兼工場長である田島さんに会って貰える日取りを決めた。大学は夏休みに入る七月下旬だった。


 グループチャットに、挨拶行ってくるよ、とその日時を報せておく。すぐさま水奈都から、グループリーダーとして一緒に挨拶に行く、と返事があった。


 元データとなる丸い板に星図に従って穴を開けたものを作っている友久からも、その日迄に作っておくから持っていくか?と質問があった。

 当日は、3Dプリンターを使わせて貰えないかの相談だけするつもりだったが、確かに現物があった方が頼みやすいかもしれない。その日に印刷出来るか分からないが、現物があるなら持っていきたい、と伝えた。


 当日は用事があるので来れないという友久は、前日のうちに、俺の住んでいるマンションに来て、現物を預けてくれることになった。大学で待ち合わせしようと思っていたのだが、うちが大学の門を出て三分掛からない場所にあると言ったら直接来てくれたのだ。

 実はこのマンション、男子学生向けで女子禁止なのだ。入口の横にある管理人室には昼には管理人、夜には警備員が常駐している。

 芸大生をターゲットに絞っているためか、ワンルームとはいえ、部屋は広く防音性が高い。

 親父も良くまぁこんなところを見付けてきたものだ。家賃と光熱費を出してもらっているから住んでいるけど、もし自腹なら手が出ない。学費が無ければギリギリいけるかもしれないが。

 特待生試験には残念ながら受験資格が無かったし、奨学金は、所詮借金なので利用せずに済むなら使いたく無かった。


 とにかく女子禁止で管理人か警備員に見付かったら追い返されてしまうが、男子ならノータッチなので友久なら問題なく俺の部屋まで入って来ることが出来る。


「広いな」

「音楽専攻ならピアノとかも置けるようになっているらしい」

「なるほど」


 友久が落ち着きなく銀縁の眼鏡の眉間の部分を何度も押し上げている。

 グラスに氷を入れて紙パックのアイスコーヒーを注いで出すとあちこち見回していた友久の視線がようやく落ち着いた。


「見てもいいか?」

「ああ、勿論」


 B4サイズの黒いプラスチックケースから、宅配ピザのようなサイズの円盤が出てきた。

 薄めの合板に彫刻刀で穴を彫ったというそれは、等級ごとに大きさを決めていて、星座の線は描かれていないけどどことなく見たことのある形に並んで自然と星を繋ぐ線が浮かんでくるような気がした。


「凄いな」


 思わず漏れた俺の言葉に友久の口元が緩んだ。


「これだけで完成しているよ。これ以上手を加えたら雰囲気を壊してしまいそうだ」


 芸大に在席しているが、俺に絵心は無い。学びたかったのは、グローバルデザインやインテリアコーディネートなどの分野だからそれでも問題無い。


「この後、星座のイラストを入れるのに怖い事言うなよ」


 友久が口を尖らせて抗議してきた。


「イラストは何かお手本にして描くのか?」

「まぁ自宅にある星座早見盤を参考にはするけど、出来るだけオリジナルで描くつもり」

「オリジナルで?凄いな」

「絵画教室に通っていた事があるんだ」

「へぇ」


 友久は俺とは違って絵心が有りそうだ。

 大学の専攻は絵画を選ばなかったんだな、というのは聞けなかったが、とにかく何か理由があったのだろう。


「『素敵』と言われる絵が描けたらいいんだろうけどな」

「そうだな」


 友久の眼鏡の奥はこちらを見ておらず、俺に、というよりは、他の誰かへ伝えたい言葉が零れ落ちてしまったようだった。


「じゃあ、これ預からせて貰うな」

「ああ、ケースも使ってくれ」

「助かるよ。遠慮なく」


 友久から鞄ごと星座盤を預る。壊さないように気を付けないとな。責任重大だ。


 翌日、田島さんの工場へ行く予定の日、水奈都との待ち合わせは学食でしている。

 学食に行ったら既に水奈都が来ていた。サマーニットに紺のスラックスでいつもすっぴんの水奈都にしては珍しくメイクをしている。


「オシャレしているの珍しいね。とりあえず塗ったくったって感じだけど」


 そんな失礼な発言をしたのは、断じて俺では無い。


「あれ?克己?どうせ化粧に慣れてないよ」

「馬子にも衣装ってやつ?似合ってない事も無いよ」

「はいはい、それはどうも。それより何で居るの?」


 いつも意見がぶつかり合っている水奈都と克己は遠慮の無い言い合いをする。

 誰に対しても生真面目に対応する水奈都と、人懐っこいけど興味の無いものには一切無関心な克己が、こんな雑な言い合いをするのは、お互いだけのような気がする。

 だからと言っていがみ合っているわけではない。その証拠に二人は笑っている。卒業制作がきっかけで話し始めたとは思えないくらい息が合っているように見える。


「目的地、僕の地元だから一緒に帰ろうと思って」

「そうなんだ?じゃあ、一緒に行こう」


 みんなに進捗が伝わるように、今日の待ち合わせはグループチャットでしていたから、克己はそれを見て学食に顔を出したようだ。


 大学から駅まで徒歩十五分。平日なら、無料送迎バスが出ているので五分で行けるが、夏休み中のため、公共のバスを使うか歩くかしかない。勿論、お金の無い学生は、有無を言わさず徒歩一択だ。

 歩いて私鉄の駅まで行って、券売機で各自切符を購入した。

 地元だと言っていたので、克己は定期があるのでは?、と聞いてみたら、いつもはJRを使っているそうだ。水奈都も克己も通学定期券を持っており、鉄道会社や区間が違うにしてもICカードなのだからそれを使えば良かったのに、と言うと、切符を買う俺に釣られたらしい。


 改札を通り抜けたところで、克己のスマホが鳴った。


「もしもし?由恵?え…花火?」


 どうやら、由恵から花火大会に誘われたようだ。


「克己、代わって」


 水奈都が克己に手を出すと、克己も素直にスマホを渡す。

 水奈都がもう改札も抜けて切符代も勿体無いからと由恵を説得していたけど、もう一度、電話を代わった克己が引き返すと決めて、窓口で駅員さんに言って外に出してもらっていた。


「克己も由恵の我儘に付き合わなくてもいいのに」


 肩をすくめて不満そうに言う水奈都に、もしかして水奈都は克己の事が好きなのか、と思った。

 いきなり当日に花火大会へ克己を誘った由恵も克己に気がありそうだ。というか、断らない克己も由恵に気があるのか?うわぁ、三角関係とか勘弁してくれよ。

 そこではたと気付く。水奈都、その腕時計の彼氏はいいのか?口に出したら藪蛇になりそうで、俺は慌てて言葉を飲み込んだ。

 その後の水奈都はいつも通りだったので、俺の勘違いかもしれない。


 田島さんの工場への訪問は、終業時間に合わせて夕方六時に約束していた。

 久しぶりに会った田島さんはやっぱり親戚のおじさんのように歓迎してくれた。

 美人の水奈都が一緒だったからか、水奈都の用意していた折り菓子が気に入ったのか、いつもよりご機嫌だったようにも思う。

 友久の作った星座盤を見せて経緯を説明し、3Dスキャナーと3Dプリンターを使わせて貰えないか伺うと、二つ返事で引き受けてくれる。

 複雑な形では無いのでそんなに時間はかからないだろうと、その場の勢いで作業し始めた。

 スキャナーで読み込んで、読み取りきれなかった部分を調整して縮小したサイズで印刷する。俺と水奈都も調整作業を少しさせてもらったが、やはり職人の経験則には全く敵わなかった。

 素材はABSという樹脂だ。耐熱温度がそんなに高くないから、白熱電球では無くLEDにすること、と念を押された。

 体感ではあっという間に出来た感じだったが、気が付くと二時間が過ぎていた。


 水奈都の家は、大学を挟んで向こう側。今日の花火の会場も超えて更に先だ。帰りの電車は花火帰りの客でごった返しているかもしれない。

 通学には二時間近くかかっているらしい。ここからだと約二時間半になるから今更ながらに門限は無いのかと心配になる。俺の実家はこの工場のある最寄り駅より先の方。

 通学時間は同じくらいなのに一人暮らしさせて貰っている俺は、なんだかんだ言って甘やかされているのかもしれない。


 駅に向かう道、水奈都と二人並んで夜空を見上げたが、町中では見える星は数えるほどしか無かった。

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