表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
失恋のその先。  作者: 加藤爽子
近藤由恵 視点
18/27

レジンと波の音

2023.01.16 文言修正

 コーヒーを飲み終えると、カップとソーサーはシンクに置いて、部屋からレジンに使う道具一式を持ってきた。


 一式と言っても、そんなに多くは無い。

 クリアのUVレジン、顔料、混ぜる為の容器、型を取るためのプラスチック粘土、UVライトなど。ほとんどは100円ショップで手に入るものだ。

 それらを一つのケースにまとめて入れている。


 大きな机が使いたくてダイニングテーブルだったけど、プラスチック粘土を柔らかくする為にお湯がいるので、ここで作業を始めて大正解だ。


 電気ケトルでお湯を沸かすとボウルに注ぐ。その中にプラスチック粘土を浸けて柔らかくしたら、星座盤の穴よりも大きい塊をアンタレスに押し付ける。プラスチック粘土は凸の形で冷まして固めると今度は別の塊にその凸を押し付けて凹の型を作った。


 克己と友久はジッとわたしがすることを見ている。

 クリアのレジンを容器に出して赤い顔料を混ぜる。濃い目の赤が出来たところで凹の型に流し込んだ。気泡が出来ないよう要注意だ。

 それにUVライトを充てて固まったら完成する。


 クリアレッドの円柱をそっとアンタレスに嵌め込んだ。

 穴にピッタリと収まったそれは作った色より暗く感じる。

 凸の型を作った時に先を丸く整えて穴から少し出るようにした方が見栄えが良くなるかもしれない。


「いいと思う。けど、この数作るのは大変じゃないか?」

「わたし、まだ何もやってないから大丈夫」

「全部作るのじゃなくて、2等級以上だけに絞ればいいか…」


 わたしと友久がそんな相談をしている中、克己は自分でもやってみたくて仕方無かったみたいで、柔らかくしたプラスチック粘土に鉛筆やら顔料の蓋やらを押し付け適当な型を作って、まだ残っている赤く染めたレジンを流し込んでいた。


 友久から、等級によって穴の大きさは異なり-1から6までの八種類だと教えてもらった。

 2等級以上の四種類と言われたが、念の為八種類全部の凸の型を取らせて貰う。先程考えた様に、先っぽを丸く整える事を忘れずしておく。


 友久からは後日、大きさと色の分かる資料を借りる約束をした。

 今日は凸の型を取ったところで作業終了だ。それから何をいくつ作ればいいのかリストにする必要がある。


 克己は、鉛筆のおしりから作った六角柱を満足そうに見ている。キラキラの笑顔を見ているとこっちまで顔が緩んでしまう。


 レジンの一式を元通りケースに収めて、シンクに置いたままの食器を洗う。水滴を残さず綺麗に拭き取ったら、トレイに置いた。


 お母さんが後で来るように言っていたので、お店に顔を出さないと…。


「お店に行くんでしょ?それ持つよ」


 気が重いわたしとは反対にとても楽しそうな克己がトレイを運んでくれた。


「靴!」


 早々とお母さんが使っていた内階段を降りて行く克己は声を掛けても止まらず、わたしと友久は玄関から靴を持ってきて克己を追いかけた。

 店は当然土足なので、靴は必須なのだ。


「コーヒー御馳走様でした」

「「ごちそうさま〜」」


 友久が丁寧にお礼を言うのに便乗して、わたしと克己の声がハモった。思わず顔を見合わせてクスクス笑う。

 お店は閉店時間を過ぎていて、お母さんは後片付けを始めるところだった。


「ついでに晩御飯はいかが?」


 改めて二人を紹介すると、お母さんがもう帰るという二人を引き留めた。


「由恵、手伝って」

「はいはい」


 お店の厨房に入るとエプロンを着ける。男性が苦手だったわたしはお店の手伝いは、いつもお客さんが居ない時間帯の後片付けや清掃だ。

 だから、この厨房で料理するのはあまり経験が無いので実はちょっと気まずい。


「男の子は唐揚げでしょう!」


 お母さんの偏見でメニューが決まったが、二人とも異論は無いようだ。

 業務用の冷蔵庫の中には、下揚げをした鶏肉があった。


「…下拵えの量間違えちゃった」


 いい年したおばさんのテヘペロなんて可愛くない。

 どうやら、偏見ではなく在庫処分だったようだ。

 明らかにわたしとお母さんの二人では食べ切れない量に思わず苦笑する。


 わたしが揚げている間に、お母さんがレタスやトマトやレモンやらを切ったりスープを作ったりした。

 下揚げをしているので揚げる時間は短くて済むから、どんどんと唐揚げの山を作っていく。


 最初の一皿はお母さんがカフェランチの様にオシャレに盛り付けたけど、その後ろにドーンと大皿に盛られた唐揚げを置いて、お好きにお代わりどうぞ、と差し出した。


 色んな味を楽しめる様にと、甘酢ダレ、タルタルソース、チリソース、塩コショウ、ポン酢などを並べている。

 営業時間中は繊細な気配りをするお母さんも、プライベートでは見ての通り大雑把だ。


 食べながらお母さんが二人の話を聞き出していたのが、迷惑じゃないかと心配したけど、克己も友久も笑っていたから多分大丈夫だろう。


 克己は車で駅まで送るつもりだったけど、どうせ駅前の方に行くからと友久が克己をバイクで送ってくれる事になった。


 克己も友久のバイクの後ろに乗るのは初めてでは無いらしく、友久の大型バイクのリアにあるバッグから当然の様に予備のヘルメットを取り出して被っている。そのバッグに星座盤の入ったケースを入れてリュックのように背負った。


「二人も男の子を連れてきたからビックリしたじゃない。で、どっちが由恵の本命なの?」


 二人が帰った後のお母さんはまだまだ絶好調だった。お店の清掃をしながら、根掘り葉掘り聞き出そうとしてくる。

 初めはなんとか躱していたけれど、話題を変えたようにみせかけて探りを入れられ、お母さんの話術にアッという間に白状させられてしまった。


「え?克己君と付き合ってるの?由恵が?」


 男性と話をするのが苦手で、お店のお手伝いも裏方しか絶対にしないわたしが、男の子と付き合うという事が信じられないらしい。まぁ、逆の立場だったらわたしも信じられないだろう。


「あんたもお姉ちゃんも全然興味無いんだと思ってたわ」


 三歳年上のお姉ちゃんももう二十五歳になるのに、全く男っ気は無かった。仕事が恋人と豪語するお姉ちゃんは、動物園の飼育員をしている。

 生き物を相手にしているので、突然早朝や深夜の勤務になる事もあり、連休というものはほとんど無い。お盆や年末年始も他の飼育員と交代なのでカレンダーとはズレているが、何事にも淡白なお姉ちゃんは気にならないようだ。


 淡白と言ったがわたしとは違って口数が少ないからそう見えるだけで、実は頑固で世話焼きなのだ。ほとんどお姉ちゃんに育てられたと思っているわたしが言うのだから間違いない。

 だけど、それがお母さんからしたら、お姉ちゃんを子供として育ててあげれなかった、という負い目を持ってしまっているようだ。

 お姉ちゃんもお姉ちゃんで、シングルマザーの母親を気遣ってか、特に母親には甘えを見せないように振る舞っているところがあった。

 家族に遠慮なんて要らないと思うけど、お互い無意識なので質が悪い。

 もうちょっと相手に甘えたら?って傍で見ているわたしは思うけど、お互い相手に頼っている自覚はあるので甘えていると思い込んでいる。頼ると甘えるは違うと思うんだけど。


 そのお姉ちゃんが、世間のお盆休みよりも早目に連休を取って帰って来た。動物園で出産ラッシュだった、と零すとよっぽど疲れていたのか、ほとんど寝て過ごしている。

 身長の低いお母さんやわたしと違って、克己や水奈都よりも少し低いだけのお姉ちゃんは男手の無い近藤家で力仕事を担っていたが、今年はそれどころでは無いようだ。


 克己は友久と一緒にうちに来て以来、しょっちゅうバイクで遊びに来るようになった。

 公共の交通機関だとうちを行き過ぎて、更にバスに乗らないといけないので、乗り換えの待ち時間などを考えるとバイクの方が早いそうだ。

 友久のバイクより一回り小さいそれは、確かに二人乗りには向いていなさそうだった。


 克己は持ち前の人懐っこさで、アッという間にお母さんともお姉ちゃんとも馴染んでしまった。

 お姉ちゃんが自分の仕事と思っていた力仕事を克己が笑顔で引き受けてくれるから、安心して眠りこけている。


 電球の交換、庭の草刈り、お店の仕入れの荷運びなど。女の子の様な綺麗な見た目に反して、わたしからしたら大変な仕事を難なく(こな)していく克己は凄く頼りになった。


 克己は克己でお姉ちゃんの職場の話に好奇心を刺激されるみたいで、動物園の裏話を聞きたがった。

 お姉ちゃんも、起きていると周りをウロチョロする克己がリスザルのシン君に似てると、微笑ましそうだ。

 美人の克己をお猿さんに似ていると言ってしまう姉もどうかしていると思うが、克己はそれもまた面白がった。「沙恵さん」とお姉ちゃんを名前で呼んで懐いている。


 担当動物の生活習慣に影響されたか完全に夜行性になっていたお姉ちゃんに合わせておしゃべりをする為に克己が自然と(うち)に泊まるようにもなった。

 家族と仲良くしてくれるのはわたしもとても嬉しかったけれど、なかなか二人きりになれないのは寂しい。


 更に、お姉ちゃんが自宅へ帰るのと同時に克己にもしばらく会えなくなった。家族旅行でニューヨークへ行ってしまったのだ。

 偶然だと分かってはいるけど、お姉ちゃんが帰っちゃったからじゃ無いの?と心が拗ねてしまう。

 ニューヨークから帰ってきてから一緒に海水浴へ行く約束を取り付けていたから少し拗ねるだけで済んでいた。


 あっさりと約束してくれた事は良かったのたけど、お母さんやお姉ちゃんにも同じように何でも「いいよ」を返す克己にはモヤモヤとした。


 ニューヨークから帰って来た克己からお土産は無かった。だけど、そんな事はどうでもいい。事故に遭わずに無事に帰ってきてくれた事が最大のお土産だ。

 お姉ちゃんは居なかったけど相変わらず家に泊まっていく克己に拗ねた心は何処かへ消えてしまった。


 この辺りで一番近い海水浴場は、電車で四駅のところにある。

 なんとなく克己のバイクで行かないかと言ってみたけど、やっぱり断られた。わざわざ家にバイクで来たのにそこからわたしの軽自動車(くるま)に乗って駅に行き、電車に乗って目的地へ向かう。


 海水浴場まで車で行っても良いのだけど、いつもは三百円で停められる駐車場がこの時期は千円になるのだ。

 三倍以上に跳ね上がるのが分かっているのに車で行くのも馬鹿らしくて結局電車にしてしまう。


 背は小さいけれど胸は人並みにはあるし、そんなに悪くは無いと思うんだけど…。

 流石にビキニは恥ずかしくて着れなかった。

 それでも、デコルテや背中はしっかり見える水色のワンピースタイプの水着をこの日の為に購入した。


 手が届かなかったからと、克己にお願いして背中に日焼け止めクリームを塗ってもらう。「いいよ」とやっぱり軽い返事で塗って貰えたけど、彼女として意識されていない気がして仕方がない。少しは照れるとかしてくれても良いのに。


 正直、泳ぐのが苦手なわたしは海に入るよりも見ている方が好きだ。日焼けもしたくないし、薄手の長袖パーカーを羽織って日傘を手放さない。


「日焼けしたくないなら海じゃなくて屋内プールにしたら良かったのに」

「波の音、好きなの。克己は泳いできてもいいよ」


 砂浜から動かないから退屈した克己が不満気だ。克己が笑っていないと不安に思ってしまうわたしは、本当は側にいて欲しい気持ちを隠してつい離れる事を許してしまった。

 波の音なんてでまかせだった。屋内プール…なんで思い付かなかったんだろう…。


 上半身裸の克己は流石に女の子に間違われる事は無いから男にナンパされてはいないけど、際どいビキニのお姉さん達に声を掛けられていた。


 どんなに耳を澄ませても離れていて声は聞こえないので、笑顔でお姉さん達と話している克己が何を言ったのか分からないけど、ニコニコと愛想よく手を振っている姿にヤキモキしてしまう。


 声を掛けられること三回。ようやく海に辿り着いた克己は遠浅の海を沖に向かって走り出し、腰まで浸かったところで空を仰いでプカリと浮き上がった。

 まるで野原で昼寝をしているように空を仰いでいるので本当に寝ているんじゃないかと心配になった。


 けれど、そうしていた時間はそう長くはなく、すぐに反転してうつ伏せの体勢になった。それから体が海の中に沈み込む。

 少し間があって立ち上がった克己の胸まで海に浸かっていたので、僅かに沖へ流されたのかもしれない。


 そして、何事も無かったようにそのまま歩いて真っ直ぐとこちらに戻ってきた。


「泳がなくて良かったの?」

「いや、泳げないの忘れてた」

「ふふっ。そうなんだ」


 わたしと一緒だ、と笑い合った。


「あげる」


 克己がそう言って渡して来たのは、白い貝殻だった。螺旋を描いた巻き貝は掌に収まる程の大きさだけど、欠けたところのない綺麗な状態だった。海に潜って少し間があったのはコレを拾っていたらしい。


「波の音、聴こえるかも」


 わたしが波の音が好きだと言ったから、拾ってきてくれたのだろうか。


「……ありがとう」


 克己の手から貝を受け取ると、克己はビーチバッグからタオルを取り出して濡れた髪を拭く。

 克己の茶色がかった髪と水滴が太陽の光をキラキラと反射していて思わず見惚れてしまった。


 わたしの視線に気付いた克己がニコッと笑う。それは反則でしょう。わたしばっかりがドキドキさせられて悔しさでギュッと小さく丸まる。それから、赤くなった顔を隠すように日傘を肩にかけて目一杯下げてしまう。


「由恵、どうかした?気分悪い?」

「……いっぱいナンパされてた」


 克己が腕を掴んで傘の中を覗き込もうとするから、つい意地悪を言ってしまった。心配してくれていただけなのに、素直に甘えられない自分が憎い。


「ナンパじゃないよ。由恵に塗ってたの見てたみたいで『私も日焼け止め塗って』って頼まれた」


 やっぱりナンパじゃないか、と思ったけれど、克己が誰かの背中に触っていなかった事はここから見ていて知っている。


「三回とも?」

「あ〜。最後のは違った」


 顔を隠していたのを忘れて思わず傘を上げて克己の顔を見てしまう。


「『彼女一人にして大丈夫?』って訊かれたよ」


 普通に良い人だったようだ。


「大丈夫だったよね?」

「……うん」


 いえ。克己の笑顔に大丈夫じゃ無いです。ドキドキが止まりません。やっぱりズルいよ。

 再び日傘を引き下ろして顔から熱が引くまで引きこもってしまった。


 手の中の貝殻をそっと耳に当てる。

 ザザァー、と波の音が聞こえた気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ