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失恋のその先。  作者: 加藤爽子
近藤由恵 視点
16/27

油絵と一目惚れ

 閲覧ありがとうございます。


 由恵編を書くために読み返した時に、誤字を修正したのですが、その日のアクセス数が増えていて…更新期待して見に来てくれたのに、すみません。

 全部書き終わってから、と思っていましたが、待っていてくれている方に申し訳ないので、思い切って公開する事にしました。毎週月曜日、週一更新になります。


2023.01.12 文言修正&追加

2023.01.14 文言修正&追加

 両親が離婚したのは、わたしがニ歳の頃だった。

 だから、父の事はほとんど何も覚えていない。ただ、父の目に止まらないように、三歳年上の姉の沙恵と息を潜めていた事だけはなんとなく覚えている。

 ―――父親は暴力を振るう人だったのだ。


 お母さんは父と離婚した後、わたし達を連れて実家に戻った。

 お母さんの実家は山間にある町だ。祖父と祖母はそこで果物屋を営んでいた。住居兼お店の家は外階段を昇って二階に玄関がある少し変わった造りだ。


 わたしが小学生になる頃、祖父が亡くなった。そして、後を追う様に祖母も…。

 その頃には町の中にスーパーもコンビニもあって、果物屋の経営は厳しくなっていたから、お母さんが思い切って一階を改装して喫茶店にしたのだ。


 父はほとんど記憶に無く、優しかった祖父ともそんなに長く一緒には居られなかった為、家族は女性しか居なかった。

 家族三人の生活を支える為にお母さんは喫茶サテライトに掛かりきりで、わたしは姉に育てられたと言っても過言では無いくらいだ。


 幼稚園と小学校は共学だったけど父親がいない事をからかって来る男の子と同じ学校へ行きたくなくて、中高一貫の女子校に進学した。今思うと潜在意識の中の父の記憶が無意識に男の人を避けていたのもあるかもしれない。


 それでも、中高で友達と回し読みした少女漫画で、わたしもあんな恋をしたいと憧れる様になっていた。

 だけど現実は、通学電車でチカンにあっても誰かが助けてくれるワケも無く、学校にイケメン教師が赴任してくるハズも無く、アルバイト禁止の学校だったのでバイト先の出会いも無かった。

 実際にヒーローなんて存在しないと頭では分かっているのだけど、心のどこかは少女漫画のようなヒーローが現れる事を期待してしまう。


 そんな高校生活を送っていたのに時間だけは残酷に過ぎていき、進路を考えないといけなくなった。

 わたしは小さい頃から何をやってもダメで、褒められることのある教科は家庭科と美術くらいだった。

 担任は当然のように家政科か芸大かを勧めてくる。

 それでわたしは、女子大である家政科ではなく共学の芸大を受験することに決めたのだ。造形を選んだのも興味が持てそうな中で一番倍率が低かったからだ。それに共学の方が素敵な出会いがあるかもしれない、と思った。

 動機が不純で恥ずかしいから誰にも言った事は無い。


 わたしの家の近くに川があるのだけど、下流に向かって歩くと河川敷公園に着く。受験勉強に行き詰まったりすると、よくその公園へ散歩に行った。


 ある朝、散歩をしていた時に、イーゼルを立てて油絵を描いている男の人を見掛けた。

 スケッチブックに描いている人はたまに見掛けるが、本格的に油絵を描いている人は珍しい。

 どんな絵を描いているのか興味が出てきたので、後ろからこっそりと覗き見させて貰った。

 初めはコンテの黒い線だけだったのが、どんどん輪郭が出来上がり、そのうち色付き始め鮮やかになっていくのを見るのが楽しみで、その男の人の姿を見掛けたら必ずこっそりと絵を覗きに行ったものだ。


 勿論、天気の悪い日は来ないし、晴れていても必ず来るわけでは無かったけれど、完成に近づく過程を見逃したくなくてほとんど日課と言っても良いくらい朝の散歩をしていた。


 数ヶ月後、キャンバスの中には色鮮やかな世界が出来上がっていた。

 川の水面と朝靄が朝日を反射してキラキラと輝いていて、逆光でシルエットになっている橋とおそらく鷺と思われる鳥影。空のグラデーションが多彩で本当に美しかった。


「綺麗……」


 油絵の具なのにこんなに繊細な色が出るのだと感動して思わず声が出ていた。

 わたしの声に絵を描いていた男の人が振り返ったので慌ててその場を逃げ出してしまった。


 あの日以降、あの男の人に見咎められるのが怖くて朝の散歩は止めてしまったけど、心に浮かぶあの絵が芸大を受験するわたしの支えになった。

 わたしが選んだ専攻は絵画では無く造形だけど、あの時見た朝日に輝く川の絵の様に、誰かを感動させるものが作りたいと思った。


 そんなこんなで何とか迎えることが出来たキャンパスライフだったけど、入学式早々に男性の多さに目眩がした。自分で共学を選んだのに情けない。


 強張る顔に気付いて声をかけてくれたのが、水奈都だった。

 沖田水奈都(おきたみなつ)。大学生活最初の友人だ。凛とした、という言葉を体現したかのような彼女は、女性で在りながら少女漫画に出てくる理想のヒーローのようだった。

 彼女は特待生で、名前を呼ばれて新入生代表の挨拶をする為に壇上に上がったのを見て本当に驚いた。性別が男性だったら完璧だと思った。


 水奈都は、男性が少し苦手、と思わず溢したわたしに、なんで共学に来たの?とか野暮な質問はしないでいてくれた。

 その上、それとなく男の人から庇ってくれているのが分かる。わたしに声を掛けてきた男性はいつの間にか水奈都と話しているのだ。

 やっぱり男性は苦手だったのでわたしは水奈都の振る舞いに甘えて、いつも庇ってもらっていた。


 そんな中で唯一例外だった男性が、同じ学科の原田君だった。少女漫画からそのまま飛び出してきた様な整った顔立ちに、水奈都と同じくらいの高過ぎない身長と低すぎない朗らかな声にわたしはトキメイた。一目惚れって本当にあるんだと思った。


 自分から話しかけたかったけれど、人気者の原田君はいつも誰かと一緒に居て、声を掛ける事も出来ないまま、気が付けば四回生になっていた。

 だけど、きっかけは突然訪れた。


「それ何の本?」


 わたしが水奈都の持っていた書店の紙カバーがかかった文庫本を指して質問する。


「『星座の伝説』っていう本。星座にまつわる神話を集めた話」

「素敵!ねぇ、さっきの講義で話していた卒制、テーマは星とか良いかも」


 卒業制作は三人以上のグループ制作でわたしと水奈都と少なくともあと一人は必要だ。三人目のメンバーも星好きな女子を見付けなければ……そう思った矢先だった。


「いいね!それ。星は友久も詳しいだろう?」

「まぁな」


 突然会話に割り込んできた男声に私の心臓は跳ね上がった。そっとそちらを見てみるとこれまで話し掛ける事も出来なかった原田君が向こうから話し掛けてきていたのだ。


「それならこの四人でグループにならない?」

「オレはいいけど克己は?」

「もちろん!よろしく」


 憧れの原田君がこんな近くに居るのが信じられないけど、それ以上にサラリと同じグループに誘った自分が信じられない。

 大丈夫?、と心配してくれる水奈都にコクコクと頷く。原田君と一緒にいる彼…永倉君は真っ黒な硬そうな短髪と見下ろして来るような高身長に低い声で、男性らしい男性の外見をしていたけど、眼鏡を掛けているせいかあまり自分から話さない理知的な印象なので、多分そこまで怖くはならないだろう。


「原田、永倉、こちらこそよろしく」

「……折角だから、みんな下の名前で呼び合わない?」


 水奈都が二人に挨拶するのを聞いて、そう提案した。今日のわたしは本当に大胆だ。

 その提案も直ぐに受け入れられて名前呼びになった。グループとしての結束が出来たようで嬉しかった。

 ドサクサに紛れて一目惚れした彼の名前呼びの許可と連絡先までゲット出来て、この幸運に感謝した。


 さっき、友久は星に詳しいと克己が言っていたけど、友久はどうやら高校時代に天文部だったようだ。

 文化系の部活だった事も、大人し目の性格を裏付けていて内心ホッとした。ガツガツ来る(ひと)は本当に苦手なのだ。


 初めは四人で始まった卒制も、ゴールデンウィーク明けには侑士が加わって五人になった。

 本当は緊張するのでこれ以上男性が増えるのは嫌だと思ったけど、侑士は家業の手伝いが忙しいらしく、最低限しか参加出来ないと言うので、それなら何とか大丈夫だろうと頷いた。


 実際、侑士はほとんどミーティングくらいしか顔を出さなかったし、それも早く終わらせたいのか無駄話にもあまり参加しなかった。

 ミーティングを長引かせるのは、いつも思い付くままに発言する克己だ。

 でも、克己の話には夢があって実現したら素敵だな、と思えるものが多くて、ついつい聴き入ってしまう。

 そんな時の克己は目をキラキラさせて本当に楽しそうだ。


 初めて見た時も好きだと思ったけれど、やっぱり好きだなぁって思った。気持ちを伝えて振られたら気不味い中で卒制を作らなければならない可能性がある事も分かっていたけれど、こんなに好きだと思える異性にはもう出会えないかもしれない、と思うと何もしないでいることなんて出来なかった。


 だから、非常階段に呼び出して思い切って告白したのだ。

 「好きだから付き合って欲しい」と告げたら、克己は何か良い思い付きをした時と同じ様に目をキラキラさせて「いいよ」と気楽な返事をくれた。

 あまりにも軽い返事に、もう一度聞き返してしまったくらいだ。


 付き合い始めて一週間してもわたしと克己に変化は無かった。大学から家までの方向は同じだったけど、それは友久もだった。わたし達が付き合っていると知っていれば友久もきっと気を使って一緒には帰らないだろうに、克己は何も言ってくれなかったし、自分から伝える事もわたしには出来なかった。

 降りる駅が違う克己よりもむしろ同じ駅の友久と二人になる事が多くなってしまって、悲しくなる。


 もしかしたら、わたしと克己は付き合っていないのかもしれない。意を決して伝えた告白は夢だったのだろうか?

 わたしが勝手に勘違いをしているのだろうか?


 そんな不安な気持ちを押し隠して、この辺では一番大きな花火大会に二人で行かないかと誘ってみた。

 告白した時と同じ様に満開の笑顔で「いいよ」と言った克己にホッとした。


 花火大会の会場は大学からなら自宅とは反対方向だった。当日、大学内で克己に声を掛けて一緒に会場に行くつもりだったのに、姿が見付からない。

 恐る恐る克己に電話をかけると、直ぐに出てくれた事に安堵する。


「あ、克己。今日、花火大会なんだけど…」

「もしもし?由恵?え…花火?」


 人の多いところにいるのか雑踏が聞こえる。

 その雑踏に混じって、「克己、代わって」と水奈都の声が聞こえた。

 聞き間違いだと思いたかったけれど、電話口から水奈都の声が聞こえてきて、今から侑士の知り合いの工場へ行く所で、改札をもう通った後だと聞かされた。


 冷水をかけられたかのように心臓がキュッと絞られた。

 そういえばグループチャットでそんな会話をしていた。それも今日だったんだ。


 もしかして、水奈都も克己の事が好きなのだろうか?

 だから水奈都は克己を庇っているのだ。


 わたしが大学生活を無事に過ごせているのは水奈都のお陰だ。苦手な男子から庇ってもらっているだけでは無く、何故かあざといとかカマトトぶっていると言ってくる女子からも庇ってくれているし、講義で分からないことがあれば教えてくれる。水奈都には本当に感謝している。

 だから、水奈都に見捨てられるのは怖かったし、傷付けたくなかった。

 もしも水奈都も克己の事が好きなのだとしたら、そう思うとわたしは付き合っていると言い出せなくなってしまった。


 その反面、今、克己が水奈都と一緒にいるという事実に頭の中がグチャグチャになった。

 困惑と悲しみと怒りと嫉妬と恐怖…色々な感情が一度に湧いてきて、目眩がした。


 電話はいつの間にか克己に戻っていて、今から行く、と伝えられ、ようやく頭の中が落ち着いてくる。

 克己は大学まで迎えに行くと言ってくれたけど、どうせ駅に行かなければならないので待っていてもらう事になった。


 駅に向かうバスの中で、わたしは先程のグチャグチャの感情が溢れ出してしまった時の事を考える。

 まるで自分が知性を持たない獣になってしまったようで、とても恥ずかしかった。


 冷静になってしまえば初めから待ち合わせをちゃんとしておけば良かっただけなのだ。

 克己と水奈都が二人でいるのだと思うと信じられないくらい心が狭くなった。落ち着いて考えると二人きりではなく侑士も一緒のはずなのに。

 自分がこんなにも独占欲が強いなんて知らなかった。


 バスの乗降口の近くに立って待っていた克己の姿を見たら、仄暗い感情はあっという間に消えてしまった。


「約束守れなくてごめん」

「ううん。わたしもごめん」


 花火大会の日をちゃんと調べて居なかったのだと頭を掻いている克己が可愛くて直ぐに許してしまう。

 あちこちに貼られている告知で知っていると思ってちゃんと日付を伝えていなかったわたしも悪かったのだ。


 改札機を通してしまった私鉄の切符は結局払い戻ししてもらえなかったみたいだ。

 花火はいつも通学で乗っているJRで行くので、勿体無いけど使い回しも出来ない。

 帰宅する時とは反対方向の電車で三駅。そこが花火大会の最寄り駅だ。


 この日、克己と初めて手を繋いで歩いた。人が多いので逸れないように、と。

 繋いだ手の温もりが、まるで腕を通して全身を巡ってしまったようだ。

 克己の体温に酔ったか、人混みに酔ったか、頭がぼーっとしている。少しのぼせたかなと思っていたら、克己がかき氷を食べようと言って手を繋いだまま屋台に並んだ。


 わたしはレモン、克己はイチゴを選んで、横道に入って人混みから抜け出したところで二人並んで食べていたら、見知らぬ二人連れの男性に声を掛けられた。


「キミたち、めっちゃ可愛いね」

「一緒に花火観ない?良く見える穴場知っているんだ」


 ナンパだ。断らないと、と思うのだけど、急に喉が貼り付いて声が出ない。克己が無視して行こうと言わんばかりに腕を軽く引っ張ってくるのだけど、足が竦んで動けなくなってしまった。


 片方の男性は、金髪に染めていて喋るとチラリと無機質な輝きが見えた。どうやら舌にピアスをしているらしい。

 もう一人も、アッシュグレーに染めていて、いかにも軽そうな二人組に体が震える。

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