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失恋のその先。  作者: 加藤爽子
沖田水奈都 視点
12/27

最終電車とアクシデント

2023.01.07 文言修正&追加

 お酒にはあまり強くないけど、侑士がお猪口に一杯分けてくれた冷酒をチビチビと舐めるように飲んだ。

 侑士の言う通り魚がとても美味しくてそれがまた冷酒に合っていた。


 完全に舞い上がってしまって、この雰囲気を壊したくなくて、こと更に楽しかった話ばかりをしてしまう。

 自分でも信じられないくらいおしゃべりで酔っているのかもしれないという自覚はあった。


 非情にも時間はあっという間に過ぎて侑士が帰る時間が迫って来る。少しでも長く一緒に居たかった私は東京駅の新幹線の改札まで見送りに行く事にした。

 どのみち東京駅は私の帰り道の通過駅になるので、遠回りにはならない。


 コインロッカーから取り出した侑士の鞄はキャスターの付いている小振りの旅行鞄だった。

 思っていたよりも大荷物に驚いたが、そういえば克己からのメッセージは週の前半だったから、侑士は四、五日程ホテル暮らしだった事になる。

 偶然同じ新幹線で東京に来ていた克己は翌日には帰った筈だと教えて貰った。


 電車が東京駅に着くにはそう時間がかからず、在来線のホームの階段を降り始めたその時、ホームで響くベルの音に階段を物凄い勢いで駆け上がってくるサラリーマンが居た。


 このままでは肩が当たると体を捻ったが、その男性の勢いは留まる事無く肘が私の背中に当たる。

 あっと思った時には遅くバランスを取ろうとした左足が階段を踏み外した。


「水奈都!」


 侑士の焦った声がして、階段に左足の脛を打ちつけ、続けて右足も打ちつけ膝も熱くなる。

 このまま落ちたら骨折くらいはするかもしれない、と絶望的になった時、体が浮く様な感覚があった。


 続いてガンガンとけたたましい音が鳴り響いた。

 音の方を見てみると、侑士のキャリーケースが階段を滑り降りていく。


 幸い前を歩いていた人は少なく、近くを歩いていた人も素早く避けてくれたのでキャリーケースが誰かに当たる事も無かった。

 浮いた足を何とか階段に乗せて顔をあげると、丁度侑士のお腹辺りに私の顔があった。両脇を侑士に抱えられている。

 自分の荷物を放り出して私を捕まえてくれたのだと理解した途端、急に怖くなって震えが止まらなくなった。


 腰が抜けてそのまま階段に座り込んでしまう。

 脇を掴んでいた侑士の手が離れて前に回り込んで来た。


「大丈夫か?」

「……腰が抜けて」


 それを言ってしまうのは恥ずかしかったけど、この場を動けない以上、正直に言うしか無かった。


「ちょっと休めば動けるようになるから、侑士は新幹線乗り場に行って」


 そう伝えたら侑士が眉をしかめた。


「明日帰るからいい」


 座り込んでいたら余計に侑士の気を使わせてしまう。痛みを訴える足を動かすと幸い捻挫は無さそうだった。


「大丈夫ですか?どうしましたか?」


 もう一度、侑士に行くように言おうとしたら、階段の下から駅員さんが来て声を掛けてくれた。

 階段から落ちかけてしまったことを伝えると、私の擦りむいた両足が目についたようだ。

 駅員さんの視線につられて自分の足を見るとあまりにもな惨状に居た堪れなくなった。

 紺色のスーツのスカートからベージュのパンストに包まれた足が伸びているが、パンストは両足とも派手に伝線が入っており血が滲んでいる。パンストの色でよく分からないが皮が剥けて痣も出来ていそうだ。


「救急車を呼びましょうか?」


 このまま座り込んでいたら本当に救急車を呼ばれてしまうと焦った私は、救急車を断ってえいっと立ち上がった。

 幸い打ち身と擦り傷だけで、ヒリヒリズキズキはしているが、思った通り捻挫や骨折は無さそうだ。

 何とか落とさずに腕に掛かっていたショルダーバッグを肩に掛け直そうとしたら侑士が持ってくれた。

 そんなに重たくはないけれど、鞄が無いだけで少し歩きやすくなる。スーツを来た男性が明らかに女物のショルダーバッグを持っている姿に思わず笑いが溢れて、その後、非常に申し訳なくなる。


「大丈夫です。歩けます」

「駅長室で手当しましょう」


 救急車を断ったら手当するように提案されたのでゆっくりと階段を降り始めた。

 まるでエスコートする様に手のひらを差し出した侑士の手を掴むのは気恥ずかしくて、私は階段の手摺りを握った。

 ここでまた足を滑らせたら笑えない、と一歩一歩確認するように階段を降りる。その私のノロノロとした動きに合わせて駅員さんと侑士も階段を降りた。


 一番下まで降りきると、侑士はそこに転がっていたキャリーケースを手に取った。

 段差が無くなれば手摺りも必要なく、いつもよりはゆっくりだけどふらつく事無く歩く事が出来た。


 私が思っていたよりも随分と時間が経っていたみたいで、駅長室の時計を見ると新幹線の発車時間はとっくに過ぎていた。


「侑士ごめん。新幹線が」

「明日帰るからいい。それより、ほら、手当てが先だって」

「時間が過ぎているので本当は出来ないのですが、今回は特別に払い戻しをしましょう」


 内緒ですよ、と笑う駅員さんの好意に、二人の御礼の言葉が重なって、思わず顔を見合わせる。


 いざ手当てを、というところで、駅員さんが女性の駅員さんを呼んできてくれた。

 ショールを持った女性駅員さんが現れると、入れ違いに男二人が出ていく。


 手当の為に膝にショールを掛けてパンストを脱ごうとしたら、固まり始めている血が貼り付いていて、強く引っ張ると瘡蓋も一緒にペリペリとめくれて血が滲む。痛みに堪えながら焦らずゆっくり剥がすしか無い。


 そんな様子を見兼ねて女性駅員さんがタオルをお湯で濡らして持ってきてくれた。

 濡れタオルでそっと押さえると擦り傷に滲みるが、パンストは先程よりも脱ぎやすくなった。


「それでは駆け込み乗車のサラリーマンに押されたのですね」


 改めて何があったのか質問されたので、手当をしてもらいながら説明したところ、女性駅員さんが冷たい声を出したので息を呑む。


「あ、失礼しました。あなたに怒ったわけではありません」

「はい。大丈夫です」

「警察に通報しますか?」


 被害届を出すかと聞かれて慌てて否定した。


「お話を聞くと、たまたまお連れの方が助けてくれたから大事には至らなかったようですが、下手をすると頭を打っていたかもしれませんよ?それに、お連れ様の鞄が誰かにぶつかって怪我をさせていたら、その責任を取らされていたかもしれません」


 そう言われるとヒヤリとする。侑士には本当に迷惑を掛けてしまった。


「そうですね…」

「本当にそうならなくて良かったです」


 指摘されて事の重大さに気付いた私はしょんぼりしてしまった。その私を気遣って、女性駅員さんは表情も声も柔らげてくれた。

 それから、お連れ様を呼んできますね、と部屋を出て行った。


 迎えに来た侑士は落ち込んでいる私を見て心配そうにしている。


「話は少し聞いたけど被害届は本当に出さなくていいのか?」

「うん。相手の人も故意じゃないと思うから…侑士は出したい?」

「水奈都がいいなら必要ない」


 仕事に戻った駅員さんには言えなかったけど、女性駅員さんに御礼を言って、駅長室を後にした。

 消毒してガーゼと包帯に包まれた足は痛みが随分マシになっている。


 明日新幹線で帰るという侑士がホテルにチェックインをするのを見届けてから帰宅しようと、改札を抜けて駅の外に出る侑士に付いて行ったら、侑士が向かったのはタクシー乗り場だった。


 キャリーケースをタクシーのトランクに乗せたので、何度か出張を経験しているらしいから行きつけのホテルでもあるのだろうか、とぼんやり考える。


「水奈都乗って」

「え?」


 何で私もと思いつつ、流されるままに乗り込んだ。

 まだ一緒に居られるんだ、と喜んでしまう自分がいる。


 侑士がシステム手帳を広げて、運転手に告げた場所はうちの住所だった。

 家電やベッドを譲ってもらった時に、新しい住所を書いた紙片を渡したが、おそらくシステム手帳に書き写しておいたのだろう。


「何でうち?」

「何でって、どうやって帰るつもりだったんだ?」

「侑士を見送ってから電車で」

「この時間帯だと確実に座れないし、立ちっぱなしになるぞ」

「そうだね」

「その足で?」

「ああ、なんとかなると思うけど?」


 侑士の目が責める様に細められる。包帯を巻いてもらって痛みも随分治まった。歩けているので骨には異常は無いだろう。


「その分だと病院にも行かないつもりだろう」


 低くなった声に思わず目を逸らす。図星だ。

 疑いの視線に目が合わせられない。多少の痛みはあるけど歩けるんだから病院なんて大袈裟だと思っているが、その場しのぎなのがバレてしまっているようだ。


「明日、水奈都の病院が終わったら帰るから」


 念を押すように宣言された。


 私はこれまで大きな怪我も病気も無かったから、病院といえば予防接種かアレルギー検査でしか行った記憶がない。だから病院イコール注射と刷り込まれていた。要は注射が苦手なのだ。

 でも、よくよく考えてみれば打撲と擦り傷で注射はしない気がする。それなら大丈夫かもしれない。


「……はい」


 そこまで考えてようやく頷くことが出来た。

 ふと駄々をこねる子供みたいだと思った。親に言われたならこんなに抵抗しなかったな、と。

 ずっと手の掛からないお姉ちゃんでいたから、私が注射嫌いだとは家族は知らないだろう。


「水奈都、消毒液やガーゼは家にある?」

「ううん。絆創膏と頭痛薬だけしか無い」


 侑士は開いているドラッグストアストアがあれば停まるように運転手さんに声を掛けた。

 驚いた事に深夜営業をしているドラッグストアは東京では結構あるらしい。


 侑士が買いに行く間、タクシーで待っているように言われた。


「その足どうしたんだい?」

「あ、階段から落ちてしまって」

「それは大変だったね」


 侑士が店に入ると運転手さんが話しかけてきた。改めて膝に目を落とすと、タイトスカートから生足が伸びていて、両脛には白い包帯が巻かれている。


 よく見ると左足の包帯に薄っすらと血が滲んでいた。

 侑士が急に消毒液の話をするから何かと思えば、これに気付いたのかもしれない。


「彼氏さんの言う通り、ちゃんと病院行かないと(あと)が残っちゃうよ」


 ルームミラー越しに見える人の良さそうなタクシードライバーのおじさんは微笑ましいと言わんばかりにニコニコとしていた。

 彼氏さん、と言われて顔が熱くなる。タイミング悪くそこに侑士が戻ってきた。


「水奈都大丈夫?熱無い?」


 赤くなった私の顔を侑士が覗き込むもんだから、顔の熱が余計に引かない。


「…これは違う」

「いや素敵な彼氏さんですね、と話していたんですよ」


 あまり見ないで欲しい、と顔の前で手を振ると、運転手のおじさんが追い討ちをかけた。

 そんな事は話していなかったと思うのだが、そう言われて侑士の顔も僅かに赤くなり、覗き込むのを止めてくれた。


 再び走り始めたタクシーの中の温度が上昇した様な気がした。そして、車内が沈黙に包まれる。


「いやぁ初々しいカップルだね。お似合いだよ」


 運転手さん、無理に喋らないで下さい。

 その後は何の会話をしたかあまり覚えていない。

 ひたすらに早く着いて、と祈っていた。


「狭くてびっくりすると思うよ」

「間取り図見たから想像できるよ」


 無事に家に着いて鍵を開けながら侑士に狭いと告げると、大学時代に卒展の前に泊めてもらった際、侑士の部屋で間取り図を見せた事を思い出した。

 あの時は色々有り過ぎて、間取り図の事は記憶に薄かったのだ。

 色々の方を思い出すと顔が熱くなってきたので開いたドアの陰に身を潜めて先に侑士に入ってもらった。


 座るところなんてベッドくらいしかない狭い部屋だ。

 ガーゼを代えるためにベッドに座って左足の包帯を外す。

 包帯越しに薄っすら血が見えていたけどやはりガーゼに赤い斑点が滲みていた。


 スーツの上着を脱いでシャツの袖を捲りあげた侑士が、キッチンスペースで手を洗って、ガーゼを剥がし終えた私の前に座り込んだ。


 ガーゼには血が付いていたけど既に出血は止まっていた。

 侑士が足に付いている血を拭き取り、買ってきた新しいガーゼを当てて包帯を巻いてくれる。骨張ったヒンヤリとした男性の手にドキドキした。


「ありがとう」


 包帯を巻き終えたところでお礼を言ってなかったことを思い出した。


「そうだ。薬代とタクシー代いくらだった?」


 晩御飯は割り勘にしたけど、ドラッグストアとタクシーの代金は侑士に払ってもらっていた事を思い出して金額を確認する。


「お詫びだ。出さなくていい」

「お詫び?」

「もっと早く掴まえられたらこんな怪我しなかったのに悪かったな」

「そんなことない!掴まえてくれただけでも奇跡だ」

「いやせめて、内側を歩かせていたら良かったんだ」


 女性の平均より背の高い私は肩もガッチリしていて、体重もそれなりにある。そんな私を掴んで落とさなかったのだから侑士は凄い。

 これくらいの怪我で済んだのは明らかに侑士のおかげだった。


「じゃあ、明日は八時頃に来るから、保険証用意して待っていろよ」


 用事は済んだと言わんばかりにジャケットをはおり直した侑士を思わず引き止める。


「ちょっと待って、どこ行くの?」

「うーん。近くでホテル探してみるか…無ければ、ネカフェかカラオケボックスにでも…」

「駄目だ」


 薬代もタクシー代も受け取ってくれないのに、今度は宿泊費まで払わせるなんて申し訳無さすぎる。


「お前、もっと警戒心を持ってくれよ」


 片手で自らの両目を覆って侑士が漏らしたそれはとても小さな声だったけど、ちゃんと聞こえた。

 自分を女性としてみてくれているんだと思うと、全身が熱くなってもう無理だった。この数ヶ月自分を支配していた想いが溢れ出してしまった。

 自立したいだとか遠距離恋愛だからとかそんな建前はどうでも良くて、とにかくもっと侑士と一緒に居たかった。

 こんなに一緒に居たいという欲求に衝き動かされるのは初めてで、恋愛経験も皆無の私は、ただ率直にこの気持ちを伝えることくらいしか出来ない。


「侑士、好きなんだ。私と付き合って欲しい」


 もう二十三にもなるのに男女の機微なんて知らない私にはこんな直接的な言葉しか出て来なかった。

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