公園ランチと出張
2023.01.06 文言修正
ゴールデンウィークが明けて、会社へ行く日常が戻ってきた。
その日はお弁当を作って来ていたので、気分転換に近くの公園のベンチで食べることにした。
季節的に丁度、公園の花壇には薔薇の花が咲き始めていた。
木陰になっているベンチに座りお弁当を食べ始めると、隣に誰かが座った。
仄かに香るムスクに誰だか想像がついたけど、そっと隣を伺うと予想に違わずコンビニの袋を持った各務さんが座っていた。
「二人になるの久し振りだね」
顔には笑顔を浮かべ優しい口調でそう言うのだが、私には怒っているように感じた。
ゴクリと口の中にあるご飯をろくに噛まずに飲み込んでしまう。
必然的に喉が詰まってしまった私はゴホゴホと咳き込んだ。持って来たマグボトルに手を伸ばし麦茶を飲む間、各務さんが「大丈夫?」と背中を撫でてくれる。
飲み込むのに必死で避ける事が出来なかった。
「もう大丈夫です。ありがとうございます」
いくら苦手な相手と言っても、介抱して貰って無視する訳にもいかない。我ながら強張った声でお礼を伝えた。
場所を移すべきかと思ったけど、ここは外でたくさんの人目がある。変な事も出来ないだろうとお弁当を食べきってしまう事にした。
私がお弁当を食べるのを再開すると、各務さんもビニル袋からおにぎりを取り出して食べ始める。
「やっと一緒にランチをしてくれたね」
一緒にランチをした内に入るのだろうか。
疑問に思いはしたけれど、きっと何を言っても各務さんの都合の良いように取られてしまいそうで、何も言えないまま黙々とお弁当を食べ続けた。
「ずっと考えていたんだけど」
ろくでもない事を考えていたのでは無いだろうか。
しばらく無かったネットリと絡みつく視線に箸を持つ手が震えた。やはり食べるのを止めて会社に戻るべきだったのかもしれない。
「ミナツちゃん、本当は彼氏居ないよね?」
「居ます」
「まぁそれでもいいよ。そうだとしても全然会っていないよね?」
「……会っていますよ」
即答出来なかった。
一瞬口籠った私を各務さんが嬉しそうに見ている。
「会っています」
もう一度、各務さんの目を見て言い切ると、食べ掛けのお弁当を片付けようかと悩む。
ここで逃げたら疑惑を確定させることになるんじゃ無いだろうか。
最初に逃げておけばまだマシだっただろうけど、私が返答に戸惑ったことを各務さんは気付いてしまったのだから、もう逃げるタイミングは失っている。
ここはもう開き直るしかない。話し掛けてくる内容は全部聞き流して、パクパクとお弁当を食べきってしまうとさっさとトートバッグに片付ける。
「そんなに急いで食べなくても良いのに」
「私の昼休みはもう時間が残っていないんです」
「まだ三十分はあるよ」
「よく見てますね」
「君だけをね」
「そういうの結構です」
声には恐怖を乗せないよう淡々と静かに会話する。
何でいつもこんな遠回しな話し方をするんだろう。いっそうの事、告白でもしてくれたら断れるのに。
各務さんは顔も良いし身長が高くて人当りも良い。彼女には困らないだろう。
「各務さんは彼女居ないんですか?」
「居ると思う?」
「ええ。各務さんは彼女と思っていなくても、各務さんの彼女だと思わせている彼女がたくさん居そうです」
「僕の事、そんな風に思うんだ。酷いね」
「いつか刺されますよ」
「それが君なら受け入れるよ」
「他を当たって下さい」
「つれないね」
刺激しないように、と思っていた筈なのに口を開けば皮肉ばかりを言ってしまった。
各務さんは寂しそうにしょんぼりとするけど、ここで絆されてはいけない。
「先に戻りますね」
私はベンチから立ち上がると会社に向って歩き出す。
当然のように後を追ってくるムスクの香りにため息が出そうだ。
各務さんから距離を取るために入った女子トイレの個室で、ようやくため息を吐き出していると、何人かが連れ立って入ってくる気配がした。
「さっき各務君と沖田さんが公園に居たよね」
「付き合っているのかな?沖田さんは彼氏が居るって言っていたけど」
「それっぽくないのよね」
「そうそう。普通彼氏の事聞かれたら、惚気けるか愚痴を言うか自慢するかなのに、沖田さんは淡々と聞かれた事だけ答えるんだよね」
洗面台のところでお喋りしながら化粧直しをしている気配がする。この声は大矢さん達三人だ。
「駆け引きしているんじゃないの?各務くんハイスペックだから。散々焦らしてからモノにすればすぐ捨てられる事は無さそう、とか」
「ははは。ありえるかも」
「この分だとまたすぐに寿退社かぁ〜」
「えー。止めてよね。折角物になりそうな新人なのにすぐ辞められたらまた一から教育しないといけないじゃん」
庇ってくれていると思っていた先輩方の本音に、個室から出るに出れなくなってしまった。
これはきっと、彼氏が居ると嘘を付いた報いなのだろう。慣れない事はするんじゃ無かった。
辛うじて仕事は評価されているようで、それだけが救いだ。
午後からはとにかく仕事に没頭した。
過去の議事録やアンケートのご意見欄を読み込んで顧客の要望を汲み取った上で私ならではと思わせるデザイン案を作ってみせる、と意気込んだ。
その分、家に帰ったらゼンマイの切れた人形の様にぐったりとしていた。色々有り過ぎて頭の中はぐちゃぐちゃだった。
会社であった出来事は何も考えないようにして今日も侑士から貰った家具たちに元気を分けてもらう。
ふとスマホを見るとメッセージアプリに通知があった。
『みぶろう』のグループチャットだ。
克己がまた何か機能を増やしたのだろうか。
そう思いながら開いてみると、克己からのメッセージには違いないが内容は予想と異なっていた。
視界に飛び込んできたのは克己と侑士のツーショット写真だった。不意打ちの侑士の写真に涙が出そうになった。
二人ともスーツ姿なのに肩を組んで楽しそうに笑っている。
写真に続いて『東京駅の新幹線ホームで偶然会った』とメッセージがあった。
気が付いたら、侑士の個人チャットに『東京にいるなら晩ごはん行かない?』と送っていた。
登録しているだけでまったく使っていなかったけど、すぐに『OK』のスタンプが返ってくる。
それからやり取りを繰り返して、金曜日の終業後から最終の新幹線の時間まで一緒に過ごせる事になった。
一連のやり取りを終えて、唖然とした。
いつもの自分なら絶対にメッセージを送ったりしなかった。何かに取り憑かれたように気が付けば約束を取り付けてしまっていた。
現実なのか信じられず何回もやり取りを読み返してしまう。
翌日からの職場は気分が軽やかだった。昨日作業したデザイン案を改めて見ると何だか混沌としていたので笑ってしまった。
詰め込みすぎだ、私。
昨日、帰る時には、やり切った感があったのに、我武者羅に作業し過ぎた。
「楽しそうね」
そこに大矢さんが声を掛けてくる。
「昨日のデザインの酷さに笑っていました」
「そう?悪く無いと思うけど」
私は新しい紙を取り出した。
「見ていて下さいね」
「ええ」
大矢さんの了承に鉛筆を走らせる。
昨日のデザインから必要な部分をピックアップし、一部分を強調して描く。強調以外の部分は存在を仄めかす程度に留めて、要らないものはバッサリとカットだ。
手の動きには迷いが無く荒削りではあるが五分もすれば描き上がった。
私の手が止まると大矢さんが小さく息を呑んだ。
「確かにこっちの方が良いわね」
「はい」
褒められて自然に顔が緩む。
「その案でプロジェクトメンバーにプレゼンして貰おうかな。メンバーに都合聞いて後で知らせるからプレゼンの準備しておいて」
「分かりました。よろしくお願いします」
大矢さんはそう言い残してその場を立ち去った。
プレゼンでも評価して貰えたら、きっと教育期間が終わりになるだろう。
テーマ、コンセプト、ターゲットと伝えたい事柄を箇条書きにしていくと卒業制作を思い出した。あの時はごっちゃ混ぜで思い付くままに書き出していたら、侑士がそうやって整理してくれたのだ。
あら方書き出すと、プロジェクトチームの先輩が作った資料をテンプレートにして内容を置き換えて行く。
翌日、大矢さんからプレゼンの日時と参加メンバーの連絡が来た。伝えられたのは金曜の十四時から一時間。
合わせて会議室の予約を取っておくように指示された。
考えてみれば当然の事なのだけど、会議室の予約は自分のタスクとして思い付いて居なかったので一瞬戸惑った。
必要なものが他に無いか、大矢さんにちゃんと確認しておいた方がいいかもしれない。
今週はそんな感じで慌ただしく過ごし、プロジェクトメンバーに向けたプレゼンは不足無く終える事が出来た。反応も上々だったので達成感があった。
でもこれはまだまだ初めの第一歩だ。これで満足している場合では無い。
ただ今日はやり遂げた気持ちのまま、自分を褒めて甘やかしても罰は当たらないだろう。
なんて言い訳しているけど、この後、侑士との約束があるので、プレゼンが終わって緊張から解き放たれて、要は浮かれているだけなのだ。
「プレゼンが上手く行ったお祝いに晩御飯を奢るよ」
定時になって嬉々とタイムカードを押していると、各務さんに声を掛けられた。
「先約がありますので今日はお先に失礼します」
各務さんから誘われて、嘘の用事では無く断るのは初めてでは無いだろうか。
嘘を言うのは自分を削る行為なのだな、と思った。
今日は嘘では無いから、心がとても軽く笑顔を作るのも苦労しない。
「先約って男?」
「そうですね」
駅に向かって早足で歩く私に各務さんがついてくる。
「各務さんはこのまま帰るんですか?」
「フラレたからね…」
侑士との待ち合わせは私が通勤で使っている電車とは方向が違うが、奇しくも各務さんの自宅方面のようだ。
聞かなくても勝手に伝えてきた駅名は待ち合わせの駅よりも先の駅で、同じ駅では無い事にホッとした。
「ミナツちゃんは?」
同じ駅じゃなかった事に気が抜けて、つい駅名を言ってしまった。
「僕も行っていい?晩御飯食べた後は邪魔しないから」
「…野暮ですよ」
「じゃあ、一目見たら帰るからさ」
「意味が分かりません」
「会うのが駄目なら彼氏の写真見せて。それで今日のところは大人しく帰るよ」
待ち合わせの駅をつい言ってしまったことを後悔しつつ、それでついて来ないなら、と写真をみせることにした。
先週なら写真は持っていなかったけど、幸い今ならメッセージアプリに克己から送られてきた写真がある。
端末にダウンロードして保存してあったそれを開いて各務さんに見せた。
「彼氏ともう一人は?」
「大学の友人です」
「綺麗な男だね」
「彼はそうですね。人生で会った中で一番美人です」
見せた写真は克己と侑士のツーショット写真だ。まず克己の方に目が行くのは仕方ない。飾りっ気のないメンズのスーツを着てネクタイを締めていなければ女性にも見える中性的な顔立ちは、写真で見てもハッとする綺麗さだった。むしろ、性格補正が無い分、写真の方が綺麗に見えるかもしれない。
いつもにこやかな笑顔の仮面を被っている各務さんがポカンと口を開けている姿は珍しい。
電車がキーっと大きな摩擦音を鳴らしながら目的の駅に停車したので、各務さんの手からそっと私のスマホを回収すると、ホームへと降り立った。
約束通りそのまま電車に乗っている各務さんを見送って、待ち合わせ場所に向う。
侑士とは改札を出たところで待ち合わせしているが、既に待っていた。
ずっと声が聞きたい、会いたい、と思っていた侑士の姿に一瞬足が止まる。私、今変じゃないよね。
ほとんどリクルートスーツと変わらない白いブラウスと紺のタイトスカートという格好だ。
会社を出る前に化粧直しをしたけれど、もう一度鏡を見たくなったのでトイレへ行こうか迷っていると、改札の向こう側にいる侑士と目があった。
右手を小さく上げて優しくなった目に惹きつけられるように改札を出た。
身長は各務さんより少し低いけどちょっと猫背なのでおそらく同じくらい。穏やかな雰囲気に安心する。
出張中なのに手ぶらだったので聞いてみると、コインロッカーに預けているという回答が返ってきた。
「何か食べたいものある?」
「あ、何でもいい」
侑士が一緒ならどこでもいい、と言うのが本音だったが、言われて困る言葉ナンバーワンだったと言ってから後悔した。こっちから誘ったのだからお店も探しておくべきだった。
「魚が美味しい店があるんだけどそこでいいか?」
「うん。侑士はこの辺詳しいんだね」
「取り引き先があるから何回か来たことあるだけ」
「そっか。私、家と会社の往復しかしていないからこの駅に来るのも初めてだ」
言い訳めいた私の言葉に、気にしなくても良いと言わんばかりにお店へ案内してくれる。
侑士が連れてきてくれたのは、小料理屋だった。
カウンター席は小袖の着物と割烹着を着た女将さんらしき人と会話を楽しみたい常連客らしきサラリーマンで席が埋まっていて、テーブル席に案内された。
お刺身の盛り合わせにうざくに里芋しんじょうと冷酒。
侑士の注文に追加して私はブリ大根を頼んだ。実家ではたまに作っていたが、一人暮らしでは一人分を作ると材料が大量に余るし、材料を全て使って作ると一人ではとても食べ切れない量で、どちらにせよ持て余すメニューなのだ。
出汁巻玉子にも惹かれたが、魚が美味しい店と言っていたので魚が入っている方にした。
侑士に会ったら各務さんの言動に振り回されている事を相談したいと思っていた。
でも、いざ会ってみると、各務さんの事を侑士に知られたくは無かった。それに侑士を彼氏だと嘘付いていることも私の弱さや甘えをさらけ出す事になるので言えない。
大学時代の思い出話や、会社でデザイン作業やプレゼンをさせて貰えたこと。まだまだ戸惑うこともあるけれど、私は自分の足で立って歩いている、と侑士に認めて貰いたかった。
侑士の職場の話を聞くのも楽しかった。
侑士は四月に新しく出来た部署に配属されたらしい。商品の企画開発をする部署で、まだ具体的な案が出せていない為、以前自社開発した商品の売り場をアフターフォローを兼ねて見て来いと放り出された、と苦笑していた。それでしばらく東京出張が続くらしい。
まだまだ顧客と直接やり取りするまで行っていない私と違って、最前線で働く侑士に羨望を覚える。
とはいえ、侑士は高校、大学とアルバイトとして既に働いており、同じ新卒と言うには経験が違いすぎた。