ゴールデンウィークと由恵
2023.01.04 文言修正
閲覧、評価ありがとうございます。
不定期ですけど、完結出来るよう頑張ります。
それから私は二度程大矢さん達とお昼をご一緒させて貰った。女ばかり三名の中に混ぜてもらっているので、上司の悪口や仕事の愚痴でとっても賑やかだ。
三人共仕事の忙しさが理由で彼氏が出来ないらしく、一応彼氏が居る事になった私は、色々と質問されてしまった。
各務さんはやはり時折絡みつく視線を送ってくるが、以前に比べて一人でいる事が少なくなったので、仕事以外の会話をする事が無くなって、ホッとしている。
職場でのトラブルが落ち着いてきても、侑士を思う時間が減ったのかというとそうでも無かった。
逆に色々聞かれているうちに、自分の中の侑士の存在感が増すばかりだ。
そんな気持ちを抱えたまま、ゴールデンウィークを迎えた。休み中は、里帰りと由恵に会う予定がある。
実家に帰ったら、受験勉強から開放されて去年より明るくなった大学一年の弟と、弟とは逆にそろそろ就職の事を考えなければならなくなって頭を悩ませている大学三年の妹がいる。
お姉ちゃんが作った肉じゃがが食べたいと、弟妹におねだりされてついつい作ってしまったが、食事当番から逃げるために利用されてしまったらしい。
こっちは長距離移動で疲れているのに、上手く利用された事に肩をすくめるしかない。
まぁ、弟妹が美味しいと喜んでいるならそれで良いか。
帰省の予定は三泊四日で、二泊は実家だけど一泊は由恵の家に泊めてもらう予定になっていた。一泊したらそのまま東京に戻るのだが、由恵の家からなら空港まで車で三十分かからないので飛行機のチケットを取っている。空港へは由恵が車で送ってくれるそうだ。
ペーパードライバーの私とは違って、由恵は毎日通勤で車を使っているので運転には慣れていると言っていた。
なんなら大学時代も、最寄り駅までは車通学だったらしい。
二日間、それなりに家事はしたけどのんびりと過ごさせてもらった。三日目の朝食後、荷造りを終えると由恵の家に向かった。
由恵の家に行くのは、卒展の日以来二回目だ。
あの時は由恵も飲んでいたから、駅前の駐車場に車を停めたまま、バスで由恵の家に行ったから、由恵の運転する車に乗るのは初めてだ。
由恵は、田舎町と言うけれど、自宅から歩いて行ける距離に総合病院やコンビニがあるのだから、うちの実家からすれば十分に都会だ。
由恵の家は、一階が喫茶店になっており生活スペースは二階になっていた。
ご両親は由恵が二歳の時に離婚しているので、母親がずっと一人で切り盛りしているらしい。
物心がついた時には既に父親は居なくて、母と姉の三人家族だった上に女子高出身と聞けば、とことん男性と接する機会が無かったのだな、と思う。大学入学当時は男性が苦手だと言っていたのも無理は無い。
それなのに克己には由恵から告白したというのだから不思議なものだ。
大矢さん達会社の先輩方は「男の人苦手〜」とか言っている子ほどさっさと寿退社するのよ、って愚痴っていたのでそんなものかもしれない。
由恵の運転は大学四年間駅までは車だったというだけあって、とても慣れた様子で戸惑いが無かった。運転中でもニコニコと会話している。
私は免許を取ってからも、月一、ニ回運転するかどうかだったし、上京した今は公共の乗り物しか乗っていないので、もっと運転の機会は減っている。免許を取って三年くらいになるが、未だに初心者マークを貼りたくなる。
「沙恵さんは帰ってくる?」
沙恵さんは由恵の三歳年上のお姉ちゃんだ。沙恵さんも私と同じで就職と同時に一人暮らしをしているが、前回、由恵の家に泊まった時にたまたま顔を合わせる事が出来た。
色白で可愛らしい印象の由恵とは違って、小麦色に日焼けし少し痩せ気味な感じだった。
「ううん。お姉ちゃんは土日祝が休みじゃ無いから連休には帰って来ないの」
動物園で飼育員をしているから、連休は繁忙期なのだと由恵に教えてもらった。
「あんなに細いのに…」
「ね、わたしも凄いと思う。メチャクチャ食べるのに全然太らないんだって。羨ましい」
そんな風に沙恵さんの話をしていたらもう由恵の家に着いた。『喫茶サテライト』と書かれた小さな喫茶店にはお客様用の駐車場は無い。
裏手に回ると車を停めるスペースがあるが、由恵と由恵のお母さんの車で満車だ。由恵は慣れたもので切り返すことなくさっさと車を停めてしまう。
衛星という名は、いつでもお客様に寄り添いたい、と由恵のお母さんが付けたそうだ。
昨年度の一年間で星座や神話の本を読み漁ったが、惑星や衛星も神話から名前が付けられていて面白い。
天文に関する用語が身近になった為か、一度来ただけなのに、サテライトという名前と込められた想いに郷愁を感じる。まだ一度しか来たことが無いのに、なぜだか帰ってきたと感じるのだ。
由恵の家の生活スペースは二階にあるので、外階段を昇るとそこが初めて玄関になる。一軒家にしては珍しい構造だと思う。
家の中にも階段があるが、そちらは客席から見えないように隠し階段になっているそうだ。
お店が営業中の時にはその階段は絶対に使わないよう厳命されているため、由恵は、極力外階段を使う事にしているらしい。
二階から家に入って由恵の部屋に荷物を置かせて貰うと再び玄関から外階段を降りて、喫茶サテライトの「営業中」という札が掛けられた扉を開ける。扉の上部に付けられているベルがチリリンと高音で来客を報せた。
「あら、いらっしゃい」
「お邪魔します」
カウンターの中に立っていた由恵のお母さんに、喫茶店のお客にしては変な挨拶を返してしまう。
お昼の時間なので混んでいるかと思いきや、お客さんはカウンター席に一人で煙草を吸っている男性だけだった。その男性もすぐに煙草を吸い終わると、お会計をして店を出て行った。由恵のお母さんと軽いやり取りがあったので常連のようだ。
カウンター席の端に由恵と並んで座ると、由恵のお母さんがお昼ごはんにナポリタンを作ってくれた。
「ゴールデンウィークだからね。みんな子供が帰ってきているから自宅でご飯にするのよ。だからこの時期は、さっきの人みたいに煙草を吸う場所を求めている人や独り身の人ばかりになるの」
ガランとなった店内をこっそり見ていたのがバレてしまったようで、由恵のお母さんが説明してくれた。
久し振りに帰ってきた家族に振る舞うなら、外食するにしても喫茶店は選ばないしね、という事らしい。
男の人が苦手で二十歳を超えるまでは最低限しかお店に顔を出さなかったという由恵も初めて聞く話だったらしく、隣で「へー」と声を上げている。
食後のコーヒーまでしっかりと頂いて、次にお客さんが来たのと入れ替わりに二階に戻った。
実は私は煙草の匂いが苦手なのだけど、サイフォンを使って淹れてくれたコーヒーの香りと換気のお陰で、食事をする頃には気にならないくらいになっていた。
その話を由恵にすると、由恵や由恵の家族も煙草は吸わないけれど、お母さんがお客さんの煙草の匂いを纏っている事はよくあるから、「煙草の匂いはお姉ちゃんとわたしを育ててくれたお母さんの勲章」と苦笑した由恵に申し訳なくなった。
「ごめん」
「ふふっ。謝ることないよ。わたしも嫌いじゃないっていうだけで良い匂いとは思ってないもん」
私の考え無しの言葉にそうやって由恵が笑って許してくれるのは何回目だろうか。視野の狭い私はそういう何気無い一言でどれだけの友達を失ったのだろう。
「そんな事より気になっているんだけど、この前電話で話していた各務さんはどうなったの?」
「ああ。会社で一緒に居てくれる人が出来たから、各務さんとは距離が出来たんだ」
「良かった〜」
ニッコリと微笑む由恵はまるで天使のようだ。
「この前、克己とプラネタリウムに行っちゃった」
相変わらず克己は卒制で作った『Pla²』をベースに機能を付けて楽しんでいるらしい。
「それでね。バイクで家まで来たのに、ここからは駅までわたしの車で行って、電車だったんだよ」
バイクに乗せて欲しかったっと由恵が頬を膨らませている。
「由恵の家までまたバイクを取りに来るの大変では?」
「そう思うでしょ?でも、お母さんに勝手に泊まる約束取り付けていたの!店の前の植木の手入れを条件に」
「へー。家族と仲良くしてくれるのは良いな」
「仲良すぎなの。克己がうちに来ることわたしは知らないのにお母さんやお姉ちゃんは知っているんだよ?」
「そうだね。それはちょっと嫌かな」
由恵が悲しんでいるから最後にはそう頷いて聞き役に徹したけど、内心は由恵の不満は贅沢だと思っていた。
「克己、来週は東京に出張するんだって。もしかしたら、水奈都とすれ違うかもね」
「ははは。人でいっぱいだからすれ違っても分からないかも」
なんだかんだ言って克己の話をしている由恵はとても楽しそうだ。大きな瞳をキラキラさせて幸せそうに笑っている。
晩御飯は、由恵と私で酢豚を作った。自分が作るときは市販の酢豚の素を使うのだけど、由恵は器用に調味料を混ぜて味付けし、最後に片栗粉を水で溶いて餡にした時には感動した。麻婆豆腐や八宝菜も家にある調味料を混ぜて作る事が出来るらしい。
由恵は簡単に言うけれど、由恵の家と私の実家では、そもそも定番で置いてある調味料の種類も量も全然違う。
例えばうちのお酢と言えばすし酢一択だけど、由恵の家の台所には、米酢、黒酢、バルサミコ酢が並んでいる。
私も炊事はする方だと思っていたけど、市販の調合済みのソースや出汁の素が無かったら作れないものが沢山ある事に気付いた。炊事は炊事。料理では無いのだと。
東京に戻ったら何か一つでも得意料理を身に付けようと思う。
晩御飯の後も由恵と缶チューハイを片手にお喋りをする。
由恵は結局デザインを活かした仕事では無く、経理の仕事についた。職場の話になったのでお互いどんな毎日を過ごしているのかを話した。
私はお酒に弱いから最初の一缶を時間をかけて飲んでいたけど、由恵は二缶飲んだところで、赤ワインのハーフボトルを開けたところだった。
「水奈都は侑士のどういうところがタイプなの?」
会社の話題が尽きたからか、急にそんな事を聞いてきた。
お互い顔がほんのり赤くなった程度だったが、もしかしたら少し酔っていたのかもしれない。
大矢さんや会社の人に質問されていたのなら「優しいところ」とか無難に答えていただろう。
「一言で説明出来ないのだけど…」
「いいよ。教えて」
「私が目的地に向って歩いているとして、侑士は後ろから見守っていてくれている。それで、私が道を見失ったら手を引いてくれるし、私が道が違うかもと振り返ったら大丈夫だと肯いてくれる。そんな存在」
「分かったような分からないような感じだけど、信頼しているんだね」
「うん」
侑士の低く響く声も、大きく骨張った手も、広くしっかりした鎖骨も、私を優しく見詰める目も好きだ。
その全てが私に側に居て欲しいと思わせるのだ。
私はこんなにも侑士の事が好きだったのかと他人事の様に思った。
涙が一筋流れてしまったのは、やはり酔っていたのだろう。由恵に気付かれ無いように机に両手を置いてその腕を重ねた部分に顔を伏せた。
どんなに後悔しても思わず侑士からの告白を断ってしまったあの日に戻る事は出来無いのだ。
「なんか羨ましい」
「うん?」
由恵がポソリと呟いた言葉の意味が解らず思わず疑問の声を上げた。
「付き合う前の方が楽しかった」
「そうなんだ」
「今は克己の目にわたしは映ってないかもしれないと思うと怖い」
「そんなことないよ」
「でも、わたしが一番じゃないの。だからバイクにも乗せてくれないのよ」
克己はいつだって好奇心のままに行動する。由恵が言う通り一番では無いかもしれない。
だけど、花火の時もミュージカルの時も結局克己は由恵の為に走って行ったのだ。由恵の事を大切にはしていると思う。
付き合うというのはお互いがお互いの一番で有り続けなければならないのだろうか?
もしも私が侑士と付き合っていたとしても、侑士より会社や家族を優先させる事は大いにあるだろう。
優先順位が常に一番で有り続ける事は有り得ない。
しかし、大学時代に由恵を思い詰めさせた自覚のある私は、自分の考えよりも由恵の心の方が大切だった。
男性が苦手だと由恵が私に言ったあの日から、由恵は私が守ろうと思っていた。だけど、由恵を一番傷つけたのは私なのだ。これ以上傷付ける事は絶対にしたくない。
「克己はひどい奴だね。由恵をこんなにも悲しませるなんて」
「違うわ。克己は優しいのよ。メチャクチャ美人で笑うと天使みたいなの」
どうやら克己を貶めるのも駄目らしい。打って変わって克己を褒め出した由恵にどうしたらいいのか聞きたくなる。
人の心の機微を読むのは本当に苦手だ。
きっと私も由恵も酔っ払っているに違いない。そう決め付けて、まだ飲み足りないという由恵を宥めて切り上げることにした。
「明日、空港まで送ってくれるんだろう?二日酔いになったら困る」
なかなかワインを手放さない由恵だったがそう伝えると、そうだったと諦めてくれた。
二人でダイニングを片付けて、歯磨きをすると、酔いも醒めて来たので、順番にお風呂に入る。
日付が変わる前には布団に潜り込む事が出来た。
由恵と話していると、まるで大学時代に戻ったような気分になった。それが、明後日にはもう会社に行かなければならないのが、不思議な気分だ。そんな事を考えていたらすぐに眠ってしまった。