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失恋のその先。  作者: 加藤爽子
斎藤侑士 視点
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非常階段と企画書

2023.01.02 文言修正

2023.12.21 誤字修正

「斎藤、悪いけどうちのグループから出ていってくれ」


 ああ、やっぱりな。なんとなくそうなるような気はしていたのだ。

 学舎3階の非常階段に呼び出された時点でそうだと思った。

 そもそもここ二、三日でグループメンバーの視線が刺さるように変わっていたので、その予兆は感じていたのだ。

 理由はいくつかあるだろうけど、直接の理由は俺が二回連続でミーティングの誘いを断ってしまったから。しかも二回目はドタキャンだった。


 芸術大学の造形デザイン学部の四年。卒業に必要な単位は概ね三年までに取り終わっているから、授業はほとんど出なくて済むが暇というわけではない。大多数は最終学年を卒業論文と卒業制作と就活に追われている。

 卒論は一人で出来る、と言うかむしろ一人でしないといけないが、問題なのは卒制なのだ。

 何をトチ狂ったのか教授は個人での制作は認めず、三人以上でのグループ制作を課題として出したのだ。

 まず企画書を出して教授の承認を得てから、制作に入る。企画書にグループメンバーの名前が入るからそこからあぶれた時点で、卒業は絶望的だった。あの鬼畜教授が、救済処置を用意してくれるとは思えない。

 今はゴールデンウィークも終わった五月の中旬、企画書をまだ出していないグループを見つける事が出来るだろうか。


「とにかくこれ以上はもう庇えない」

「分かった」


 庇ってもらった記憶もないけどな。

 分かりたくないけど、自分のせいなのは重々承知しているので、そう言うしか無かった。

 俺がすぐに受け入れた事で安堵の表情を浮かべた相手の背中に着いて学舎の中に戻る気にはなれなかったので、俺は外階段を降りることにした。


 親父の反対を押し切って入った大学だ。単位が取れなくて留年になったら、格好が悪いにもほどがある。それに、「四年待ってやる」と言われたから、親父は本当に四年しかくれないだろう。もし、留年ということになったら、なし崩し的に中退になるに決まっていた。


 ため息とともに階段を数段降りたところで、二階と三階の間にある踊り場に人影が見えた。更に、ほんのりと煙草の匂いがしていることに気付いた。恐らくここで吸っていたところに俺達が後から来て話し出したのだろう。


「……聞くつもりは無かったんだが」


 気不味そうな表情でそこにいたのは、細身で銀縁の眼鏡を掛けた男だ。見覚えがある。同じ学科の永倉友久(えいくらともひさ)だ。


「吸うか?」

「いや……やっぱ貰うわ」


 俺は煙草を吸ったことは無かったから一度断りかけたが、なんとなく吸ってみたい気持ちになってやっぱり貰うことにした。


 踊り場まで階段を降りると永倉の横に並んだ。永倉が胸ポケットから煙草の箱を取り出してトトっと軽く指で弾くと、抜き取りやすいように一本だけ半分ほど飛び出したようになった。器用なものだな、と思いつつ、その一本を貰い、ライターも借りて火を付ける。

 初めて吸う煙草から感じる味と立ち昇る煙に含まれる独特の匂いは、まるで今の俺の気持ちが形になったようで苦い。


 永倉とは仲が良かった訳でも無いけれど、隣で特に何も聞かずにもう一本吸い始めた彼を見ていると何となく愚痴を聞いてくれるのでは無いかと思った。


「仕事だったんだ」

「うん?」

「父が社長やってて、本当は高卒で入社しろって言われたけど、無理矢理、実家から離れたこの大学受けたんだ」

「うん」

「生活費はなんとか出してもらえるようになったけど、学費は一切出さないって言われて、でも、会社を手伝えば給料は出してくれる」

「へー」

「元々、高校生になってから父の会社でアルバイトをしていたし、まぁ、遠く離れたところに住むようになったけど、パソコンと電話があるからバイトを続けるのはそんなに支障は無かったんだ」

「ああ」


 永倉は特に質問を挟むでもなく、適度に相槌を入れてくれるものだから、ついつい色々話してしまった。

 話しているうちに煙草は既に吸えなくなるくらい短くなっていて、数回、口を付けただけのそれを、永倉の持っていた携帯灰皿の中に押し込んだ。


 バイトといえども、六年も続けていたらそれなりに古株になっていて、何かあったときに相談されるくらいには経験を積んでいる。

 それで、卒制は決定に従う、とメンバーに丸投げして、バイトの方を優先させていたのだ。

 そんな事情をメンバーに話したら、「就職決まっているやつはいいよな」と余計に拗らせてしまった。

 こっちからしたら「学費を親に出してもらえているやつはいいよな」と言いたいところだ。


 教授に提出する企画書は、企画書と言ってもテーマとグループメンバーの記載くらいで他は特に指定されていない。テーマが被ると先のグループとの違いを聞かれたり、再提出を求められたりするらしいので、早く提出してしまった方が楽だろう。とはいえ、課題が発表されたのは、4月下旬。

 まだ、承認を貰っていないグループも探せばあるだろう。

 ただし、見付かったとしても、仕事の手は抜けないので二の舞いになる可能性も高い。

 このままだと中退する未来しか見えず、思わず深いため息が出てしまう。


「なぁ、うちのグループに入らないか?」

「いや、ちゃんと活動出来るか…」

「ま、うちのメンバーに聞くだけ聞いてみればいいよ」


 偶然にも永倉のグループはまだ承認を貰っていなかったらしい。一も二もなく飛び付きたくなる提案だったが、二の舞いだけは避けたかったので、及び腰になったのは仕方の無い事だろう。

 非常階段には胸くらいまで壁があって、永倉はその壁に寄りかかって、中庭を指差す。


「丁度あそこに居る三人がメンバーだ」


 むさ苦しい男ばかり四人だった元のグループとは異なり、永倉のグループメンバーは華やかだった。

 残念ながら、その中に友人と呼べる程親しい人は居ない。簡単に言うと住む世界が違う人達だった。


 一番に目を引くのは、原田克己(はらだかつみ)。中性的な顔立ちで女子も羨む長いまつ毛と色白の肌の持ち主だ。身長は成人男子にしては低め。恐らく170は無いだろう。イケメンというよりは、美人と言う方がしっくりくる。

 原田は大胆かつ柔軟な発想をする。好奇心旺盛で、いつも瞳を輝かせて楽しそうにニコニコと笑っている。

 ただし、目の前の興味に囚われすぎて講義を遅刻したり欠席したりすることもザラにある自由人なのだ。

 およそ人の悪意とは無縁の人生を送っているのだろう。人見知りはせずに誰の会話の中にでもスルリと入り込んでくるところがある。

 その中でも永倉とはよく一緒に居るのを見掛けるので、同じグループというのも納得だ。


 二人目は、沖田水奈都(おきたみなつ)。原田と同じ位の身長なので、女性にしては背が高い。胸まで伸びた艷やかな黒髪をきっちりと一つにまとめ、キリッとした眉毛とほんの少し吊り上がった目が、気の強そうな印象を与える。

 愛嬌のある問題児の原田とは反対に、沖田は絵に描いたような優等生だ。

 この大学には、授業料が借りられる奨学金制度とは別に、特に優秀だと思われる学生に対して、授業料の一部が免除になる特待生制度がある。

 特待生試験は、一年生は高校の時の内申、ニ年生以降は前年の成績が優秀で無ければ受験資格がなく、しかも毎年受け直さなければならないので、ハードルが高い。その試験をくぐり抜けて四年連続、特待生で居続けているのが沖田なのだ。


 三人目は、近藤由恵(こんどうゆえ)。くりっとした大きな瞳が印象的なショートボブの女子だ。

 沖田よりも頭一つ分背が低くて小柄な体格だ。大きな瞳でじーっと見る癖があるが、逆に見られるのは苦手らしく、視線に気付くと、すぐに沖田の陰に隠れてしまう。その動作が小動物っぽくて可愛いという男子も多い。確かに二十歳(はたち)を過ぎているようには見えない少女っぽさがあった。

 どうやら男性恐怖症らしいという話を聞いたことがあるが、今は隠れもせずに、男性のはずの原田と喋っているので、あくまでもただの噂なのかも知れない。まぁ、原田の顔が中性的なので男性だと意識していない可能性もある。


 顔面偏差値というものがあるのなら、学部内でも上位に入るだろう三人が話しているのはとても華やかだ。


「何かキラキラしているな」

「だろ?たまに居たたまれなくなって一人になりたくなるんだよ」


 今がその一人になりたい時だったのだろう。


「『斎藤』なら問題無いから、オレ的にはグループに入ってくれると助かる」


 俺なら問題無い、とはどういう意味だろう?少し変な言い回しに首を捻りながら、階段を降りて中庭に向かう永倉に付いていった。


「なぁ、斎藤も卒制メンバーに加えてくれないか?あんまり参加出来ないらしいけど」


 永倉が三人に俺の加入を伺ってくれる。

 永倉には思わずくどくどと話してしまった。事情は伏せて、あまり参加出来ないことをあらかじめ伝えてくれるところが有り難い。

 俺が近付くと男嫌いという噂の近藤がギュッと沖田の服の裾を握ったのが見えた。


「ふむ。私は構わないが」


 そう言うと沖田の視線は近藤に向く。

 その視線に釣られるように、原田と永倉と俺も近藤を見た。

 注目を浴びた近藤は顔を赤くして俯いた後、おずおずと見上げてきた。大きな瞳が少し潤んで、上目使いでこちらを見てくるのだ。確かに小動物っぽい動作で可愛らしい。男子が騒ぐのも納得だ。逆に女子にはあざといと嫌われるかもしれない。


「わたしも良いよ」


 戸惑う様子に反して、その声は思いの外ハッキリしていた。


「まぁ『斎藤』だし」


 ニヤリと笑って原田も頷く。永倉と同じく含みのある言い方だ。


「その『斎藤』なら何かあるのか?」

「グループ名が『みぶろう』なの」


 俺の疑問に答えたのは、意外にも近藤だった。

 成程、全員名字が新撰組だ。思わず俺もニヤリと笑った。


「だけどね。名字じゃ無くてお互いの事は名前で呼び合おうって事になってるから、名前で呼んで?」


 近藤…もとい、由恵が小首を傾げてそう言った。


「斎藤の下の名前って何だっけ?」

侑士(ゆうし)

「これからよろしくね、侑士」

「ああ、よろしく」


 沖田…もとい、水奈都に名前を聞かれて伝えると、彼女は笑顔になった。吊り上がった目が弧を描くと、気の強そうな印象が和らぐ。


 このグループのリーダーは水奈都だと言うことで、彼女がさっとグループの説明をしてくれた。

 このグループのルールは、名前で呼び合うことと、スマホのチャットアプリに参加する事らしい。

 チャットは主に出欠確認用で、欠席でも全然構わないが、出欠の意思表示だけはして欲しい、とのこと。雑談も多いそうだ。


「私達、丁度これからミーティングの予定だったんだけど、侑士は時間あるかな?」


 今日のところは問題無い。先程、チャットの登録をした時に確認したが、会社からも特に連絡は入っていなかった。

 俺が大丈夫だと頷くと、ぞろぞろと空き教室に移動した。


 テーマは星。モチーフは星座早見盤。という事は決まっているらしい。

 それならもう企画書を提出してしまえば良いのに出していなかったことを疑問に思い口にしたら、造形が思い浮かんで無いのだという返答だった。

 星座早見盤と言うと、円の縁に刻まれた日付と時刻を合わせて、星の観察に使う理科的なアイテムだが、平面的なので、造形と言うからには立体物にした方が良いだろう、と。

 他のグループなら、承認取ってから悩む部分だな、と思ったのでその旨を告げたら、全く造形が思い浮かばないなら、テーマやモチーフを変える必要が出てくるかもしれない、という回答だ。

 作り始めたら造形なんてどんどん出てくるよ、という克己と、ある程度の形が見えていないとテーマを確定出来ない、という水奈都の平行線だ。


 卒制の説明があった時に、神話が好きだという水奈都が由恵と神話から始まって夜空の話をしているのを耳にして、興味を持った克己がいつの間にか話に加わってきたのがきっかけだったらしい。

 克己ととりあえずグループを組もうかと話している途中だった友久も加わり、高校時代に天文部だった事から天体観測の話になって、盛り上がったから、丁度三人以上集まったしグループ組もう、で、今に至る、と。


「それなら、テーマの星は確定でいいんじゃないか?造形が見えないなら、もう少し絞って行けばいい」


 俺がノートを取り出して、テーマ:星、モチーフ:星座早見盤と書き出す。その下に、コンセプト:、ターゲット:、造形:と見出しだけ書き込んでいく。


 父の会社は、輸入販売を主な業務にしている。

 ずっと仕入れた物を販売していただけだったのだが、数年前から、自社の製品を作りたい、と言う事で、商品の企画開発も行うようになっている。

 俺は企画会議の内容を思い出しながら、メンバーが思いのまま発言する内容をあらかじめ書き出した見出しに割り当てて箇条書きにしていく。


 結局、造形が見えないと言っていた水奈都にも実は求める形があったのだ。

 端的に言うと、柱時計の文字盤が星座早見盤になったもの。柱の部分が円柱であっても彫刻であっても、柱時計か置き時計かの違いだ。

 克己がただのオブジェだと面白くないから、中に電球を入れて照明にしようと言い出した。

 光源があるなら星座早見盤よりもプラネタリウムじゃないか、と友久が言うと、由恵が目を輝かせる。

 水奈都と克己の言い合いから始まったミーティングも、最後にはみんな楽しそうに意見を出していて、俺も楽しくなってきた。


 元のグループでは、いかにして卒業の単位を取るのかに重きを置いて、作りたいものが出てこなかった。自分も含めて他力本願のグループだったのだろう。

 会社とは違って、利益は絡まない分、夢は広がる。原価や生産工場の確保などは度外視して、ただただ作りたいものを語れるのだ。

 こういう商品開発は、学生でしか出来ないんだろうな、と思うと、グループ制作を課題にした教授の意図が少し分かった気がして頭が下がる。鬼畜なのは取り消さないけどな。


 ただ意見が出るままに書き連ねた俺のノートを見ながら、由恵が清書して提出用の企画書が完成した。

 水奈都の言うところの造形が、メンバー間で共通認識になったところで、矛盾した意見は自然に淘汰されて消されていった。


「侑士に来て貰えて助かったよ」


 出来上がった企画書の最終チェックを終えて、水奈都が嬉しそうにそう漏らした。とても良い笑顔だ。


「お役に立てて光栄です」


 茶化すように芝居がかった口調でそういうと、メンバー全員で笑った。初めは警戒していた由恵も自然に笑っている。

 いいグループに呼んでもらえた。友久に感謝だな。


 おそらく他のグループより書き込まれている企画書は、もちろん教授からすぐに承認を得ることが出来た。

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