表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

魔物たち

作者: カーミラ





 ―――ある昔話しの原典―――





















 あの山脈の陰に陽が沈むと、魑魅魍魎が現れ、地上を跋扈した。あるものは、水が欲しいと言いながら、人の生血を吸っていった。またあるものは、食べ物が欲しいと言って、人を捕まえ、闇に呑み込まれた森の奥へと連れ去った。人々は、新しく補強した家の戸に閂を内側から何重にもかけ、妖怪どもに怯えながら過ごす夜を幾夜も余儀なくされていた。

 そんな村にある時ひとりの旅人が偶然に立ち寄ることとなった。陽が沈もうとしている刻限に、旅人は空腹と疲れから、陽が沈みきる前に深い森を抜けて、村に辿り着けたことに救われた思いでいた。しかしそれと同時に、旅人は村に入ってから違和感を感じてもいた。まだ陽が沈みきらぬのに、村には人ひとりいなかったからだ。萱葺きの家をみても、暖簾で仕切っているだけの戸口の家がなく、見た限りではすべて頑丈そうな、幾重にも重ねて分厚くした木の扉で塞がれていた。家の周りにすら人気はなく、どの家にも内に人のいる気配すら感じられなかったが、旅人は疲れていたこともあり、気にすることも長く続かないで気が付いた時にはとある一軒の家の戸を叩いていた。

 「もし、旅の者だが、一晩泊めてくだされ。土間でも厩でも構わぬ故」

 だが旅人の発した言葉は虚しく、刻一刻と暗くなりつつある静寂に満ちた村に、行き場を見失ったまま消えていくだけだった。

 「お願いじゃ。怪しいものではない故。屋根のあるところで一晩、休ませてくださらぬか」

 やはり人がいないのか。いやそんなはずはない。これから暗くなるという時に、家のものはまだ離れた畑にでもいるというのか。年寄りや子供はいないのだろうか。旅人は、家々をまわる内に、静まり返った村のなかで同じ疑問を反芻するようになっていた。村人はどこへいったのだろう?家にも人のいる気配がまったくといっていいほど感じられない。こんな気味の悪い村ははじめてだ。旅人はついにそう思いながら、無人の、ひと一人、家畜もいない村の中を、たった一夜の寄宿を求めて彷徨い、やがて全ての家を訊ねまわったかと思われた時、既に陽が山陰に沈んでいたことに、本来の関心事に興味を失くしたように思い当ったのだった。 異様な村の光景に、暗闇がひっそりと忍び寄ってくるのも忘れ、ただただ人がいるべき家々の分厚く、外界から遮蔽された木の扉を叩いていた。その時血の匂いに気付いた。扉を叩いていた手の甲が擦り切れて出血しているのだろう。火が漏れている家などひとつとしてない、闇に覆われた村のなかで旅人は、自身の手すら目の前に近付けないとそうと知ることはできなかったかも知れないが、ただ実際には、鉄錆のような血の匂いだけが、両腕を力無く垂らして立ち尽くす旅人の鼻腔を擽ることによってそのように確かめなくともそれと知らせていた。そしてその時、旅人の他にも、その匂いを嗅いでいるものが、彼のすぐそばにいた。何故ならとても近くにその気配を感じたことで、やはりそのものの嗅覚にも旅人の血の匂いがしている筈なのだと知ったから。途方に暮れている旅人の耳元に、それが聞こえた時、旅人は、家の中から村人のひとりが出て来て彼のもとへ歩み寄り、暖かい家の中へと、気が変わり、或いは不審な者ではないことを悟って、願いを聞き入れてくれたものであったと思った。そのものは旅人に言った。

 「もし、旅のお方。陽が沈んだ後は寒かろう。寒かろう。暖かいところへ来なさらんか。来なさらんか。喉を湿らし、腹を満たし、柔らかい褥で横臥するのじゃ」

 「忝い」

 旅人は暗闇の中の、闇に溶け込んで姿かたちの見えないが、自身のすぐ近くにいる筈の親切な村人に向かって礼を述べた。すると相手は旅人に言った。

 「こんな暗いなかでは何も見えまい。わしの着物の裾を掴むのじゃ」

 相手はそう言い終わらない内に、旅人の血で汚れた利き手の方を取った。旅人は、相手の手の感触のその突然の冷たさに、軽く掴まれた手を思わず引っ込めそうになりながらも、黙って相手の為すまま、着物の裾と思しき布の先に手が当ると、言われたとおりそれを掴んだ。

 「離れている故。そのまま端を掴んだままついて来なされ」

 相手が徐に歩き出すと、旅人も着物の先を掴んだまま村人の後に従った。血の匂いが、先にも増して旅人の嗅覚を刺戟するようになっていた。出血が先より酷くなっている。血で村人の着物を汚しては、親切を仇で返すと、旅人は血で汚れていない方の手を伸ばして、暗闇の中、掴んでいた手にもう片方の手を触れると、村人の着物の裾を掴む手を変えようとした。ところが旅人が自身の血で汚れた手の甲に触っても、滑り気がない。その血が出ている筈の手を、鼻の先に当ててみても、そこから血の匂いがしない。試しにもう一方の手を、村人の着物の裾を見失わないようにして元の手と交替させて鼻の先に付けてみても、やはり湿ってもいなければ匂いもなく、そもそも傷口による痛みもない。旅人は、なればこの血の匂いはどこから匂ってくるのだと、訝ると同時に村人に矛先が向けられた。怪我をしているのか。旅人は今一度、自身の嗅覚に全神経を集中させるように先を歩く村人へと、その足取りを半歩速ませ、更に近付いた。すると間違いなく村人からその匂いは来ているようで、それは見誤ることなく血の匂いであることを確信した。

 「もし、親切な村人よ。そなたはどこか怪我でもしているのではないか?」

 旅人の、相手を気遣う問いに、着物の裾を引かせて先を歩く村人は、何でも無さそうにかえした。

 「生贄の血を抜いた後だから、これは奴らの血の匂いなんだよ」

 「この村にも家畜がいたのか。先に見た時は、人はおろか、犬一匹見かけなかったが」

 「みな陽が沈んだあとは、家のなかにいるからさ」

 「なるほど」

 旅人は暗闇の中、ひとり頷いた。「狼が出るのだな」

 旅人は自身の口から自然に出たありきたりな結論に、一瞬身体を震わせると、暗闇のなかに、赤く光る目がないか視線を左右に巡らした。そして村人の着物の裾を掴む片手に力を入れた。ここでこの手を離せば、村人からはぐれ、見知らぬ土地の暗闇のなか、自身は明朝までの長いあいだ、死と隣りあわせの状況に置かれる。家畜を狙う狼共の餌食になり、苦しみと恐怖と絶望に取り巻かれながら死んでいくことが、この闇のなかでは容易に想像を飛躍し、肌に突き刺さる現実として実感することができた。そして旅人は、救いのないそんな状況のなかで、生贄に瀉血した家畜を捧げる神がこの村にいるという事実について、先をゆく、尊い着物の裾を有り難く掴まらせてくれる救いひとに向かって説明を求めていた。

 「昔からいる。此処の主のようなものだ。連れて来た獲物を祭った後、みなで食べるのだ」

 月のない闇に閉ざされた夜においても、目の前にいる村人の体躯がおぼろげな輪郭となって浮かび上がっている。前から気付いていたことだが、村人は非常に大柄な体格をしていた。漆黒の闇のなかに暗黒への入口のようにずんぐりとした壁が峻立しているかのようであった。

 やがて頭上で梢が擦れ合い囁きあう音がし出した。森の中へ入ったのだ。旅人は不審に思い、裾を引かせたまま乱れることなく歩を運ばせてゆく村人に問うた。

 「そなたの家までは、まだ歩くのか」

 「もう少しで着くよ」

 ふたりは闇に閉ざされた森のなかを進んでいった。その森は深く、仮に新月でなかったとしても、天を塞ぐ木々の枝葉によって地上まではその銀色の明かりを届かせることは不可能であっただろう。旅人はその森の深さを知っていた。村へ入る前、この同じ森の中を半日彷徨い、漸く抜けてきたのだ。だがまた戻ることになるとは思っていなかった。日暮れ真直に森を出て、村に着いたと安堵していたら、ついさっきまで生活の跡を残したまま、日暮れと共に人びとは神隠しにでも遭遇したかのように消え失せ、長閑な村の家にしては似つかわしくない厚く塞がれた戸を叩いても、どの家も例外なく沈黙にしがみ付くかのように気配を消していた。だがそこに住人がいることは、旅人にもわかっていた。まだ見ぬ住人ではあったが、村そのものがそれを語っていた。、つい先程まで村人が、日々の生活を営んでいた徴を到る場所に見つけることができたからだ。煙の燻る野焼きの跡や、使われている井戸や踏み均された路にそれを容易に見出せた。家々は朽ちているわけではなく、旅人が今までみてきた同じ規模の村にしては裕福な方ですらあると、その佇まいから窺い知ることができた。前を歩く村人にしても、まるで旅の途中のある海岸で打ち上げられていた、背丈が六尺近くもある青い目の巨人をも凌ぐかと思われるほど大柄であった。また旅人はそれほど大柄な男のあとに追従し村を抜け、再び深い森の中へ入っていたことで不審に思っていた疑惑もまたすぐに拭い去っていた。旅人は村の家々をすべて廻り、すべて何か申し合わせたかのように部外者に対して沈黙だけしか返ってはこなかった。この前を歩く大柄な男は村人ではなく、森に住む樵なのかも知れないと察しを付けていた。祭事は村人と共有しているらしいことから、職業柄村はずれの森の中に居を構えているのだろう。

 「着いたぜ」

 村人らしからぬ森住まいの大柄な樵が、突然立ち止まると後ろを歩いて来た旅人に告げた。旅人には屹立する山のような男の背中らしい黒い岩のような陰が他の闇より濃密であること以外には何も確かめることはできない。目が暗闇に慣れることはなかった。男の着物の裾を頼りにしなければ、森のなかで木に頭を打ちつけながらどこにも行けずに木の根元に横臥し、獣に怯えながら夜が明けるのを待つしかなかっただろう。だがその方が今の状況よりも遥かに善いと悟った時には既に遅かった。男は洞穴の前に旅人を振り返り立っていた。その洞穴の中が黄色く照らされたことでそこに大きな洞穴の在り処を知ったのだ。そしてその明かりによって暴かれた男の容姿が人間のものではなかったことに、その時はじめて旅人は気付いたのだった。それは地獄の窯の中から這い出て来た魔物であった。黄色い目が四つあり、口は耳元まで裂け、開いた口の中は沢山の長い舌が蛇のように捩れ合っていた。鼻のあるべきところにはひとつの巨大な穴が空いており、その穴を蛆虫が塞ぐように犇めき合い、蠢いていた。その醜怪な顔の殆どをまだ乾かぬ喰らった獲物の鮮血によって赤く染まり、流れ、岩のような体躯に滴り落ちていた。旅人が尊いものだと思って掴んでいたものは着物の裾ではなく、食べられた村人が身に着けていたであろう帯の先であった。その帯を巻いている腰らしきものの下には、本来人間にとっては尻に当るところであったが、邪悪な顔が口を開けて常に嗤っており、旅人と目が合うと、突然その口から汚物を垂れ流し始めた。

 旅人はもう少しで気を失いそうになるところだった。そうならなかったのは洞穴の中から現れた他の怪物を見たからだった。首がひょろ長く三本の首と頭と顔がある女が手燭を片手に出てきたからだ。三つ頭の内のひとつの首が大柄な化け物の前までくると、女の化け物は旅人の耳が割れそうな程の高音域で叫んだ。

 「新しい御馳走を連れて来たのか。甘そうな坊やじゃないか。先の女と一緒に太らせてから喰おうね」

旅人は洞穴の奥深くへ、三つ首女に連れられていかれた。だが以外な事に、洞穴のなかにいたのは、目が覚めるような美女だったのだ。絶望に打ち拉がれた旅人に、希望の光りが差し込んできた。

 「必ずここから出よう。ふたり無事に脱出できたら、俺と結婚してくれないか」

 旅人は突然女に言った。女は傍に置いてある蠟燭の火の傍の御馳走が載ったままの皿に落としていた顔を上げると、旅人の顔をまっすぐに見て力無く微笑んだ。女は華奢な上半身からは想像することもできないほどの大きな乳房と、同じく大きくて丸くもっこりとした尻をし、男心を虜にするむっちりとした芳しい身体付きをしていたので、旅人は思わずこの先の見通せない隔離された誰もが観念するであろう最期と見定める暗所で、最期の人生の名残りにこの女を好きなようにしたいという衝動に駆られもしたが、結婚を承知してくれた以上、何としてでもここからこの美女を連れて逃れる策を講じなければならないと固く心に誓った。旅人は女から事情を聞くうち、女はやはりあの村の者で、この地方一帯の他の村々にも名を馳せている庄屋の娘だという。化け物に攫われ此処へ連れて来られてから三日経つということだ。その間、ずっとこの洞穴に閉じ込められているのだという。

 「わたしの知っている限りでは、陽が出ている間は、奴等は眠っているようなの。夜にならなければ行動しないらしいのよ」

 女はまだ諦めてはいなかった。ここに幽閉されて三日が過ぎたが、脱出の方法を考え続けていたということだった。さすが庄屋の娘だけのことはある。官能的な肢体だけではなく、化け物に取り囲まれている絶望と恐怖の渦中のなか、苦境と絶望の中に於いてさえ、自分のすべきことを失わずに冷静になって行路を紡ごうとしていた。

 「日中の内に逃げ出すことは出来なかったの?」

 旅人は女に訊いた。

 「洞穴の出入口が鉄柵で塞がれていて出られなくしてあるのよ」

 女は言った。「日中は奴等は眠っている。その間に脱出したいけれど、夜の方が脱出できる可能性が高いと思うの」

 「夜の方が?」

 「そうよ。夜は出入口が開かれているし、見張り役の三つ首も、他の化け物共も、必ず洞穴の近くにいるわけではなさそうなの。配膳の搬出入の時以外、この洞穴の中に居る事すらないわ。今もそうであるように」

 言われてみればその通りだと旅人は肯いた。女の話しだと日中もどこか別の陽の届かない場所で眠っているということだ。ということは、この洞窟は純粋に獲物である我々の、食べ頃に肥えるまで閉じ込めておく牢屋なり飼育小屋ということだろうか。

 「しかし夜になってここから逃げ出すことが出来たとしても、仮に月が出ていたとしても、暗闇のなか、捕まることなく無事に帰れる保障はない」

 「その通りよ。途中で捕まるようなことがあれば、二度目はない。その場で屠られるでしょう」

 ふたりは暫し鎮痛な思いで黙り込んでいた。沈黙を破ったのは旅人の方だった。

 「化け物共と言ったね?」

 「ええ。それがどうしたの?」

 庄屋の娘の瞳に未知の期待に対する希望の光りが射しているのを検めた旅人は、悦びに心躍らせながら女に問い質した。

 「俺は化け物を二種類しか見ていない。そなたは三日の間に何種類見たのだ?」

 娘は指を折りながら数えはじめた。

 「十二はいたかな」

 「みな違っていたか?」

 「違う。そう。確かにみな違う化け物だった。ひとつとして同じのや、似たものはいなかった。少なくとも、わたしが見て、知った限りでは」

 「だとしたら、奴等は人のことなど碌に何も知りはしないのだろう。実際に食用としている以上、人間が本来どういう生き物かなんてわかるまい」

 旅人はそう呟いた後で女に言った。

 「いい考えがあるんだ」

 旅人は言った。「これから話すから、そなたにも積極的に協力して欲しいのだ。それでなければ折角の計画が水泡に帰すことにもなり兼ねない」

 「勿論。喜んで協力するわ。どんなことでもするわよ」

 庄屋の娘は、庄屋の娘らしく殊勝に応えてから、洞穴の中でさえ、食人種の餌食として絶望的な境遇に置かれても素敵な笑顔を旅人に向かって見せてやることを忘れはしなかった。








 化け物共がふたりの幽閉された洞穴の前に、最も多く集まる丑の刻限の終り頃、旅人と娘は互いに片手を取り合い現れた。化け物共は、自分達の飼育している獲物が勝手に牢屋の外まで出てきたことから、怒り心頭に呻きや叫びを発し、咆哮しながらふたりの前まで詰め寄るものもいた。ふたりは恐怖心に屈せず、手を取り合い、畏怖堂々と化け物共に対峙していた。森の中の木々が梢を擽る音が呻る化け物共の涎を啜る卑しい音に混じって何かの胸騒ぎのように打ち震えていた。

 「化け物共よ!よおく聞け!」

 旅人が集まっている種種雑多な化け物共に向かって言い放つ。

 「お前らは何か勘違いしていると思うが、実は俺もお前らと同じ化け物だ!」

 暫しの静寂の後、三つ首が長い三つの首をひょろつかせながら四方八方に言いまわった。

 「嘘よ!嘘よ!嘘よ!こやつは食い物よ!食い物よ!食い物よ!」

 「黙れ!食い物ではない。お前らと同じ化け物だ。その証拠も、しっかりとあるのだ!」

 旅人が大声で怒鳴った。すると旅人を騙って連れてきた先刻の大柄な化け物が旅人の前まで来ると、突然後ろを振り返った。先程の汚物を垂れ流して旅人を嘲笑した尻にある顔が馬鹿にするように言った。

 「オレはお前をずっと見ていたんだぞ。闇の中でもオレの目はずっとお前を見ていたんだ。お前、ずっとオレの帯を有り難そうに掴んでいたんじゃないのか。何も見えてなかったんだろう。オレらの仲間なら、闇の中だって自由に歩けるぐらいのことはできるんだ。お前はオレ様のこの美男な顔があることも碌に気付いていてはいなかっただろうがよ!」

 そう息巻き言い終えた化け物は、また口から汚物を垂れ流し始めた。周囲にいる他の化け物共はみな一丸となって一斉に哄笑した。

 哄笑の嵐冷め止まぬ中、旅人は突然、穿いていた袴を脱ぐと、褌も解いて下半身丸裸になった。そして化け物共に向かって下腹部を指し示し言い放った。

 「これを見ろ!」

 化け物共が皆一斉に見遣ったが、なあんだという具合に拍子抜けするものまでいた。そして言うには―――

 「お前ら家畜の片方なら当然付いているものだ。好みによって喰ったり喰わなかったりする仲間もいるがな」

 得体の知れない骨で構成された肉のない化け物がつまらなそうに言った。白けた空気が流れるなかで、旅人は化け物共に対して尚もまだ自身の一物を指で示したまま言い続けた。

 「これは脚だ!」

 「嘘よ!嘘よ!嘘よ!そんなちいちゃな脚はない!小さ過ぎる!小さ過ぎる!小さ過ぎる!」

 すると化け物共の間で今までにないほどの凄まじい高々な哄笑が起こった。旅人と庄屋の娘は、哄笑が一頻り静まるのを待った。やがて静まった後、旅人は言った。

 「脚であることをこれから証明してみせてやろう」

 旅人はそれだけ言うと、女に向かって肯いてみせた。すると庄屋の娘はそのむっちりとした身体を覆っていた着物を素早い動作で脱ぎ捨てていた。何時の間にか女は素っ裸だった。それだけで十分過ぎた。三つ首の持つ手燭の明かりに照らされた芳しく豊潤でいて締まりに締まった艶体は、傍らでまじまじと釘付けになった旅人の、露わになっていた股間から生えたものを一瞬のうちに奮い立たせていた。それは立派なものだった。その証拠に、化け物共の間からも嗚咽が漏れ聞こえたほどだった。それを確かめてから暫し余裕の面持ちさえ見せながら、化け物共に向かって言い放った。

 「どうだ!わかったか!俺も貴様らと同じ化け物なんだ!脚が三本あるだろう!」

 「ほんとだ!ほんとだ!ほんとだ!悪魔の脚だ三本だ!立派だ!立派だ!立派だ!」

 「おお!指などと比べるまでもない。突然こんなに大きくなるとは。しかも自ら動き出している!何なんだこれは一体!」

 「脚よ!悪魔の脚よ!」

 「悪魔様とは!今までの非礼をお赦し下さい」

 「解ればそれでよい」

 そして素っ裸のまま恥ずかしさで美しい顔の頬と大きな尻の頬をも桃色に染めているかの女を顧みて言い放った。「この女は俺が貰っていく!文句はないな!」

 化け物共はみな低頭平身となって答えた。

 「何なりと。仰せの通りに」

 夜がまだ明け切らぬ中、闇の途上を三つ首に村の入口まで道案内をさせてから、用無しとなったので、化け物を蹴るように追い払った後、旅人と庄屋の娘は互いに固く手を繋ぎ村に入った。村はまだ寝静まり、相変わらずどの家も戸を固く閉ざしたままだった。旅人は女とふたりきりになると、その着物の下には何も身に付けていないことを思い、また先程の衝撃的な光景を思い出しただけで、三番目の脚が大きいままでいるのを到底鎮めることなど出来はしなかったけれど、あまり調子に乗って嫌われるようなことにもなりたくなかったから、極力武士然と振舞うことで自身に鞭打ち闘っていた。しかしそれもあとほんの僅かな間だけでよかった。

 約束通りに旅人と庄屋の娘は婚儀を挙げ、目出度く夫婦となった。婚儀は盛大なものだった。旅人は妖怪たちから娘を無傷で取り戻してきたことで、娘の父親である庄屋は、たとえ帝が首を縦に振らずとも、無理繰り娘と繋ぎ合せたであろう。娘の方にも勿論異存はなかった。娘はあの死と食人と底無しの絶望が支配していた洞穴のなかで、同じ境遇に曝された旅人が、自分を見るなり結婚してくれと告白した時から、既に一緒になることを決めていた。そして無事、村へ帰り、これ以上の祝福など想像も付かないほどの祝福を受け、結ばれた。村中は勿論、近隣の村々や町、そして時を待たずして多くの旅人たちや行商人、飛脚などを通して都にも伝わっていくこととなった。



 






 化け物共にあれから村を脅かされることもなくなった。ふたりが村に戻り事の経緯を話すと(庄屋の娘が媚態を曝け出した事とそれを見た旅人が大きくなった事で化け物共を退治したという詳細は伏せたままで)、間髪を入れずに村の男衆は森へ入り、その日の内のまだ太陽が光り輝いている刻限に、化け物共の寝静まっている住処を見つけ出した。そこはふたりの出会いの場所となったあの牢屋代わりの洞穴とはまた違う洞穴であった。その出入口に村の男たちは話しの経緯から、用意していた石で塞ぎ、隙間を粘土質の土で固く閉ざした。更に祈祷師によって魔除けの祈祷が行われ、魔除けの札が張られた。その洞穴の周りを注連縄で囲み、祭壇を作って神を奉った。魔物退治の神によって封じ込められていることで、有象無象どちらの容でも永久に外に出て悪さを出来ないようにした。気の遠くなるような歳月が流れた現在でも、その神所は、人の立ち寄ることのないある森林地帯の奥深くに今もひっそりと残っているという。

 今も残っているといえば、旅人と庄屋の娘との間に生まれた子孫たちも、遠い末裔となってこの時代に、我々と共に生きているという。旅人と庄屋の娘はあれから、婚儀の後、何かから解放されたように、互いに激しく、そして優しく、相手を求め合った。その証拠に、二十人という子沢山に恵まれることとなった。二十人の子供たちはやがて大きくなり、其々も親と同様にまた多くの子を持つことになった。その子たちもまた子を持ち、その子たちもまた子を持つ。テクノロジーが進み、宇宙に人を送る時代にいる我々と同じこの時代にも、かつて遠い昔に、今でも意味不明な得体の知れない化け物共に依って命を絶たれようとしていた一組の男女の末裔が、今もこの世に生を受けている奇跡に、いつでも私は驚きと同時に、人々の来し方行く末を想わずにはいられなくなるのだ。


 






 






 


 


 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ