プロローグ
「はぁ、はぁ、はぁ……」
――走る、走る、走る。
後ろからドカドカと大きな足音が近づいてくる。ここがどこだかも分からない。とにかく、逃げなきゃ。
「逃げんなオラァ!」
怒号が聞こえる。私は怖くて動かなくなりそうな体に鞭打ちひたすら走る。人気のない路地裏。薄暗く、地面の凸凹に何回もつっかえる。
「はやく……人がいるところへ逃げなきゃ……」
走る。もっと、もっと、もっと。
「っ!」
カーブを曲がると、奥に光が見えた。人が慌ただしく動いていて、車がヘッドランプをチカチカさせて走っている。ネオン看板が夜の街で目立つ。私はその光を目指して走った。
「おい、人の多いところへ行かせんじゃねぇ!」
光が近づくにつれ、涙が溢れでてくる。やっと、やっと安心できる。怖かった。誰か、助けて。
一歩。街へ出た、瞬間だった。
「きゃー!」
「うわー!」
街の方から、悲鳴が聞こえた。何事かと思った瞬間、目が真白な光で覆われる。
プーーーーー!
クラクションがなる。私は起こっている事態を理解した。トラックが暴走している。そして、こちらへ向かってくる。
私の世界から音が消え、全てスローモーションになった。
私を追っていた男をチラリと見る。男はトラック驚き尻餅をついている。この男のせいで、私は、死ぬのだ。
トラックと私の距離は約1メートル。
トラックの運転手を見る。男は、居眠りしていた。この男のせいでも、私は死ぬのだ。
トラックと私の距離は約50センチ。
走馬灯の如く、今までの友達の顔がフラッシュバックする。
絢音ちゃん、雪ちゃん、香織ちゃん、葵ちゃん、夏樹ちゃん、花ちゃん、秋月くん、山梨くん、駿河くん、お爺ちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さん――
バゴンッ
鈍い音を立て私は宙に浮く。
うっすらとする意識の中で、私は考える。
なぜ、私はこんなにも早く死ぬのか。
ナンパを断っただけで、あの男は激昂して追いかけてきた。
トラックの運転手が居眠りしていたのも、私のせいじゃない。
ああ神様――
――なぜ、私は死んでしまう。
『それはな、お主が弱いからじゃ』
頭の中に声が響いた。
弱い、弱いか。たしかに、私の腕は凄く細いし、身長もそんなに高くないし、力も弱い。でも、それは人間の、それも女なのだからしょうがないことじゃない。
『でも、強かったら、死ぬことはなかったであろう』
そりゃあそうだよ。男をふっ飛ばす力があれば、追われてなかったし、トラックにはねられても死なない強靭な体があれば死ぬことはなかった。
『なら、次は、強くいきるがよい』
ははっ。次、ね。そんなのがあれば、私は生きるために、どんな努力でもして強さを手に入れるよ。
『そうか、がんばれ』
ええ。来世があれば、来世の私は絶対に強くなる。生きるために、強くなる努力をするよ。そして、普通に生きて、普通に死にたい。そんな人生が、一番だ。
街から見える星は数少なく、その分人工の光がチカチカと眩しい。イルミネーションが綺麗な空気の澄んだ私にとって18回目のクリスマスの日、トラックにはねられた私はその勢いで地面に衝突して死んだ。
◆
目を覚ました。暖かい黄色の光が目に入る。
……あれ、私助かったの?
周りを見渡そうとするけど体がうまく動かない。
「うぁ……」
え、変な声がでた。うまくしゃべれない。
「! タルトっ、シフォンが喋った!」
「落ち着け、ラフティー。声を出しただけだよ」
私の顔を覗き込む二つの顔。二人とも温かな表情で私を見つめる。
「あぅ……ぁ……」
やっぱりうまく喋れない。だけど、私が変な声を発したことに二人は嬉しそうにしている。
「シフォン〜、お母さんとお父さんだよ〜?」
しふぉん? 誰のことだろう。でも、明らかに私に向けて話しかけてる言葉だから私のことなの?
「ラフティーの子だけって、かわいい女の子だな〜」
「もうっ、タルトったら!」
目の前で美男美女のカップルがすごいイチャイチャしてくる。え、ていうか……子?
◆
私が死んで目をしましてから一ヶ月ほど経った。その間に分かったことがいくつか。まず、今私がいる世界は前の世界とは違う。異世界ってやつだ。そして、私はこの世界に転生してきた。私の名前はシフォンというらしい。それで、お母さんがラフティー、お父さんがタルトだ。お母さんはすっごい美人でお父さんはすっごいイケメン。目の前で二人のイチャイチャを見てるだけでこっちまでドキドキしちゃう。
この世界と前の世界で違うことも多くある。まず、文明レベル。おそらく、前の世界での中世から近世のあたりだと思う。そして、言語。前の世界では見たことのない文字がこの世界では使われている。まあ、異世界だから当たり前といえば当たり前なのかな。この世界で生きてくためにまた新たにひとつの言語をマスターしなきゃいけない。大変だー。
そして何より、この世界には魔術がある。私のお母さんことラフティーが使い魔術師で、魔術を使っているのをみたことがある。すごかった。水とかが重力を無視した動きをしていたし、何もないところから火をおこしていた。これでわくわくしない地球人はいない。
文明が発達していない分、この世界には危険が多いらしい。私のお父さんことタルトが村にでた魔物を倒すために家を何度も留守にしていた。
前世、私が最期に聞いた言葉を思い出す。
『それはな、お主が弱いからじゃ』
そう、弱かったから、私は死んだ。前の世界よりも危険の多い世界でどうやって生き抜くか。
強くなるのだ。
生後一ヶ月、私ことハトサブル・シフォンは、そう、決意した。