第9楽章 「最愛の友の復帰に寄せて」
しかし、こうした疑問を切り出すには、美里亜さんとの関係性に波風を立てる可能性を考慮しなければなりませんね。
「痛みを知る者としての注意深い気配り…やはり、姉様は姉様ですね。」
美里亜さんの口元には、小さな微笑が刻まれているのでした。
「み…美里亜さん?」
「正直に申し上げれば、茶会の人数合わせは口実でしたの。本命の目的としては、姉様の御元気そうな御様子を直接確認したかった。そんな所ですわね。」
口元に刻まれた微かな笑みは、頬や目元を侵食していき、私と瓜二つの顔全体へと広がって行きました。
もはや、微笑とは呼べませんね。
その何とも照れ臭そうな笑いはむしろ、「苦笑」と形容した方が、より適切なのやも知れません。
「そうでしたか、美里亜さん。しかし…それでしたら、何もわざわざ口実を設けなくても…」
私の呟きは、私よりも少し強気の声によってかき消されてしまうのでした。
「お互いに、口実無しにお会い出来る程の暇な身分では御座いませんでしょう、姉様?いいえ…生駒英里奈少佐?その御活躍は聞き及んでおりますよ。」
美里亜さんったら、「少佐」の部分にアクセントを殊更置かれるのですから、何ともやりにくいですね。
「先月の大浜大劇場での御活躍は、実に見事でしたよ。」
こうして美里亜さんが話題に挙げた「吸血チュパカブラ駆除作戦」は、コンテナ貨物船に紛れ込んだ特定外来生物が、船員を殺害して逃走した事に端を発する事件なのでした。
堺県に上陸した吸血チュパカブラは事もあろうに、大浜少女歌劇団北組による「歌劇・吸血鬼ドラキュラ」で満員御礼の大浜大劇場に乱入。
南近畿地方に住む少女達の夢と希望が具現化したような劇場内は一変、阿鼻叫喚と混乱の坩堝と化しました。
避難が間に合わずに取り残されてしまった北組娘役トップスターの白鷺ヒナノさんの救出と、吸血チュパカブラの駆除のために、私も含んだ3人の特命遊撃士が修羅場を演じるというのが、事件のあらましなのでございます。
「ネットニュースには、共に事件を解決された御親友御2方と御一緒の写真が添付されておりましたが、晴れやかな姉様の笑顔は実に御美しくて勇ましく…おや…?これ以上は、身内贔屓になってしまいますかね?私とした事が…」
「いえ、美里亜さん…あの事件を解決されたのは、マリナさんと千里さんでして…!私が成した事などは、そんな…」
何とも面映ゆく、いたたなまれない気分となった私は、双子の妹による分不相応な賛辞を、慌てて打ち消そうとするのでした。
何しろ、吸血チュパカブラの銃殺処分と白鷺ヒナノさんの保護という大役を果たされたのは、私の親友である吹田千里さんと和歌浦マリナさんの御2人。
私は精々、大浜少女歌劇団の皆様の避難誘導と、吸血チュパカブラの断裂した腕の後始末をしただけなのですから。
「御謙遜を、姉様。その御2人が心置きなく戦えたのも、姉様の御力添えあってこそ。友情を重んじて、互いに支え合って大きな勝利を勝ち取る。それが、人類防衛機構の美徳ではありませんか?」
オロオロと狼狽える私を尻目に、美里亜さんは悠然とした所作で、振り袖の袂からスマホを取り出すのでした。
「千里さんとおっしゃるのは、こちらの方でしたね。」
美里亜さんが掲げたスマホの液晶には、件のニュースサイトに掲載された、私達のスリーショット写真が表示されているのでした。
白魚のように細く美しい指が画面をタッチし、右端に写っていた少女の像を拡大していきます。
スマホの画面に拡大表示された少女は、飾緒の付いていない遊撃服に身を包み、長い黒髪をツインテールの形に左右で分け、あどけない童顔に屈託のない無邪気な笑顔を浮かべているのでした。
「はい…その通りです、美里亜さん…」
スマホに表示された少女こそ、小学6年生で編入した特命遊撃士養成コースにおいて、私に初めて出来た御友達。
そして彼女こそ、2年半前に決行された「黙示協議会アポカリプス鎮圧作戦」で重傷を負い、今年の春先まで昏睡状態の憂き目に遭われていた、吹田千里准佐その人なのでした。
「こちらの方と知り合われてから、姉様の所作は見違えるように溌剌となって…妹の私としましても、その変化は喜ばしい物だったのですよ。それが、あんな事になってしまって…」
昏睡状態となった千里さんの1件に触れると、美里亜さんの美しい柳眉が、痛ましそうにキュッと寄せられるのでした。
「その通りです、美里亜さん。私も、千里さんに何も出来ない己の無力を、ただ恨むばかりでした…」
こう応じる私も恐らくは、同じような表情をしているのでしょうね。
「しかし、無事に回復されたようで何よりですね。特命遊撃士として現場復帰されたなら、大した後遺症もなさそうですし。」
「それはもう…『入院していた間の遅れを取り戻すんだ!』って、前より一層精力的で…」
穏やかな笑顔に転じた美里亜さんに釣られ、私も思わず、頬と口元を緩ませてしまうのでした。
「流石は双子ですねぇ…眉の寄せ方から口元の緩ませ方に至るまで…まるで鏡を見ているみたいにソックリですよぉ!」
しげしげと感心するような視線を向け、面白そうな口調で呟くのは、そろそろ天麩羅に取り掛かった絹掛さんでした。
「そうやって茶化すのは感心しませんよ、絹掛さん。貴女、海老天には塩辛い味が御好みなのですか?」
「えっ…ああっ!」
主君の冷ややかな視線で我に返った絹掛さんは、手元を見て驚愕の悲鳴を上げるのでした。
私達姉妹のやり取りに気を取られてから、ずっとそうしていたのでしょう。
和紙に盛られた塩の大半を、1個の海老天に塗り付けていたのでした。
これでは、残る京野菜の天麩羅は、天つゆだけで召し上がらねばいけませんね。
「うわ…しょっぱい!塩の味しかしませんよぉ…」
恐る恐る海老天を口に運んだ絹掛さんは、あまりの塩辛さに悶えるばかり。
口内炎でも無ければよろしいのですが…
「ああ…大丈夫ですか、絹掛さん!」
「御気遣いなく、姉様。絹掛さんにも良い薬になりますから。」
思わず立ち上がろうとした私を片手で制したのは、向かい合わせで席に着いた美里亜さんでした。
「これに懲りましたら、人様を茶化しながら食事をするなどという無作法な真似は慎みましょうね、絹掛さん。」
「は…はい…」
余裕綽々で笑いかける美里亜さんとは対照的に、絹掛さんったら、すっかり涙目の御様子ですね。
それにしましても…
「ううぅ…口の中がジャリジャリって言ってます…」
可憐な美貌をキュッとしかめて、ブルブルと身悶えする絹掛さんの、何とも笑いを誘うコミカルな仕草。
その姿は何処と無く、堺県に残してきた千里さんを彷彿とさせるのでした。