第8楽章 「防人の乙女、大巫女の乙女、側近の乙女」
茶会の席を無事にこなした私は、着慣れた遊撃服に再び袖を通し、二条城を後にしたのでした。
艶やかな着物も悪くはないのですが、「防人の乙女」である私にとっては、やはり遊撃服が相応しいのでしょうね。
そして「茶会の頭数合わせの御礼」として、こうして美里亜さんと昼食を御一緒する運びとなった次第で御座います。
「今日は良い事をなされましたね、姉様。」
座卓を挟み、私と差し向かいで御座りの美里亜さんは、烏龍茶を傾けながら笑いかけて来るのです。
どうやら私が茶会の席で楊枝と懐紙をお渡しした事は、美里亜さんにとっても印象的だったようですね。
「は…はあ…」
これに応じた私は赤ワインのグラスを揺らしているのですから、血を分けた双子のはずの私達が、今や大きく隔たった境遇にある事はお分かりでしょうね。
一介の「防人の乙女」に過ぎない私とは対照的に、美里亜さんは牙城大社の次期大巫女。
そんな牙城大社は、牙城門学園という学校法人だけではなく、料亭や旅館といった観光産業にも参入して、莫大な収益を上げているのでした。
私が招待された料理旅館もまた、そうした牙城大社の息がかかった資金源の1つなのでした。
もっとも、そうした関連事業の収益よりも、氏子からの御布施の方が遥かに高額ですので、「資金源」と申し上げるよりも「税金対策」と表現した方が適切なのかも知れませんね。
「みっともなくて言えませんからね。茶席に招待された身で、『懐紙と楊枝の用意を忘れました!』なんて。人がなかなか言い出せない事を御察しする配慮は、英里奈御嬢様の御優しき御心の賜物ですよ。」
牙城大社の次代を担う大巫女候補に明るい声で同調したのは、その気心知れた腹心である所の絹掛さんでした。
巫女装束の白い袖が握るグラスに満たされているのは、目にも鮮やかな発色のオレンジジュース。
この個室でアルコールを嗜んでいるのは、私1人なのでした。
それにしましても、京丹波産の葡萄を100%使用したという赤ワインは、美里亜さんがお勧めされる事もあり、和食との相性も良好ですね。
先付けとして供された鯛白子に、お造り3種盛り。
そのどちらにも見事に寄り添い、素材の持つ味を上手く引き立てている。
人付き合いも、かく有りたい物ですよ。
「帰り際にお伺いしたのですが…あの方は、本来招待されていた方の代理で来られたそうでして…私と同様に。全てが御膳立てされている茶道部の茶席だけの経験で、ここに来られたそうです。それで、その…」
しどろもどろと、要領を得ない返事。
美里亜さんと向き合って話す時の私は、いつもこうなってしまうのです。
「焦らなくて構いませんよ、姉様。」
アワビの雲丹焼きへと箸を伸ばした美里亜さんの声には、私とは正反対な落ち着きが備わっているのでした。
「それで、どうも他人事とは思えなくて…」
「成る程。しかし、落ち着きのない殿方を自爆テロ目的の過激派と誤認されるとは…過剰な心配性と申しましょうか、公安職の性と申しましょうか。いずれにせよ、いかにも『防人の乙女』である姉様らしい御話ですね。」
奥歯でアワビを噛み砕いた美里亜さんは、実に屈託なさそうに笑うのでした。
「は…はあ…」
双子の妹への相槌は、半ば上の空な生返事でした。
私の関心事は、此度の京都行き小旅行その物となっていたからです。
大きな失敗を犯す事も、トラブルに巻き込まれる事もなく、先の茶席は無事に御開きと相成りました。
しかし、頭数を合わせるための代理で来られた若い殿方の照れ臭そうな笑顔を思い出すにつれ、意識下の深層心理で燻っていた疑問が、少しずつ形を成して来たのでした。
茶席の頭数を揃えるだけならば、大社の巫女や牙城門学園の生徒の方々を動員すれば、それで済むはず。
わざわざ交通費や昼食を負担してまで、堺県に在住する私を呼び寄せる必要性は、果たしてあるのでしょうか。