第6楽章 「和楽庵の茶会スケッチ~さまよえる我が視線~」
和装が板に付いた嵐山の少女2人の背中を追って、私は和楽庵の茶室へと足を踏み入れたのでした。
-着物を着慣れていない姉様では、袖を墨で汚してしまうやも知れませんね。
そうした美里亜さんなりの気遣いなのでしょう。
細い毛筆を用いた芳名録への記帳は、美里亜さんによって纏めて済まされたのでした。
もっとも、美里亜さんの隣に記帳された私の名字は、「以下同文」を表す点々によって省略されてしまったのですが。
-本家筋と分家の違いこそあれ、同じ生駒姓を名乗る親族ならば、名字の記帳は1人分で事足りる。
極めて合理的な判断でしょう。
しかしながら、記帳は代筆され、名字は省略され。
これでは果たして、どちらが分家に引き取られた妹で、どちらが本家に残った長女なのやら。
すっかり私は、妹であるはずの美里亜さんの従属物に甘んじているのでした。
もっとも、考えてみれば、此度の茶会へ正式に招待されたのは美里亜さんで、私は所詮は数合わせに過ぎない身の上。
御茶の御作法を間違えず、亭主の方や美里亜さんに恥をかかせなければ、後は然したる心配事とも無縁なのでした。
そう考え方を変えてみれば、先のやるせなさは開き直りにも似た落ち着きへと取って変わり、茶室の様子を冷静に観察する余裕も生まれてきたのでした。
此度の茶会の御客様は20人弱。
男女比で言うならば3対7の割合で、成人年齢に達している和装の御婦人方が多数派でした。
もっとも、何事にも例外はある物です。
母親と思わしき30代前半の女性に連れられた、小学校高学年程度の御嬢様も、あてがわれた座布団の上で行儀良く正座の姿勢を取られておりますし、私共3人もまた然り。
御召し物を例に挙げましても、スカート丈の手頃な洋装の御婦人方もチラホラと散見出来ますし、殿方に関しましては、リクルートスーツや背広といった洋装の方ばかりでございます。
余程のカジュアルな服装でさえなければ、茶会の席で眉を顰められてしまう機会は、そうそうある事ではないのです。
それにしましても、私の隣で御座りの男性の方は、どうにも落ち着かない御様子のようですね。
定まらない視線が、ウロウロと行ったり来たり。
この方が、ここまで落ち着きをなくされた理由は、何でしょうか?
好奇心に駆られた私は、この隣の殿方を、無礼にならない匙加減で観察させて頂く事に致しました。
所謂オフィスカジュアルと呼称されるような黒いスラックスとジャケット。
ワイシャツにあしらっているのは、若い方には珍しいループタイですか。
茶会へ同席しても差し支えのなさそうな装いなのですが、大学のキャンパス内や繁華街を闊歩する際の普段着ともとれなくもない。
そんな御自身の装いが、茶席の場にはそぐわないのではないかと、今時分になってから戸惑われているのでしょうか。
-御心配なく。貴方の御召し物は、茶席に不適切な物では御座いませんよ。
このように進言しようかと存じ上げたのですが、こうした進言を衆目の面前でされては、こちらの殿方の面目にも関わります。
何とも後ろ髪引かれる思いですが、この場は見て見ぬ振りをするより他はなさそうです。
さて、そうしているうちに御茶菓子を頂く手筈となりました。
亭主の補助役も担う正客の方から順に、漆塗りの菓子器が回って来ます。
「お先に、姉様。」
美里亜さんは口元に小さく微笑を浮かべ、予め用意した楊枝を器用に操り、畳の上に広げた懐紙に菓子を取り分けます。
私も美里亜さんに倣い、楊枝を取り出して懐紙を広げ、菓子器の順番を静かに待ち受けるのです。
「うっ…!」
小さく息を呑む微かな音は、私の隣から聞こえて来たのでした。
私と瓜二つの細面に満足そうな微笑を浮かべている美里亜さんが、こんな緊張感に満ちた呻きを上げるはずもありません。
心当たりのある方向に視線を走らせますと、思った通りです。
先のオフィスカジュアルを御召しの若い殿方が、ギョッとした御顔で硬直されておいでです。
驚愕に大きく見開かれた両目は、畳の上に広げた私の懐紙に注がれているようなのでした。
「っ…!」
先よりも少し大きく、相も変わらず意味を成さない呻きを上げると、ジャケットのポケット等に手を突っ込み、焦燥に駆られるようにして、何かを探し始めるのでした。
-もしや、過激派セクトのテロリスト…?
このような考えが脳裏を一瞬よぎり、私はソッと身構えるのです。
熱源反応に、呼吸と心拍数の確認。
そして、微細な機械音の有無。
生体強化ナノマシンで改造された感覚器官で確認した所、こちらの殿方は生身の人間である事が判明致しました。
個人兵装として手に馴染んだレーザーランスは、遊撃服と同様に牙城大社の方へ預けてしまったものの、補助兵装であるトレンチナイフと自動拳銃は、矢絣の懐に忍ばせております。
戦闘ロボットやサイボーグ怪人相手では少々骨が折れますが、生身のテロリスト風情の1人や2人、私だけで楽に片付きます。
それに私の隣には京洛牙城衆の若き精鋭が2人も揃っているのですし、いざとなれば軍用スマホで京都支局に応援を要請すれば良いのですから、そこまでの大事には至らないでしょう。
注意の目は逸らさず、茶席を続ける事に致しましょうか。
菓子器も回って来た事ですし。