I'm free to be whatever I
ハルはそういうとリモコンを握りテレビの電源を落として、立ち上がった。
「僕、ギターなんて弾いたことないです。持ったこともないし。」
「最初はみんな初心者だよ。言葉を覚える事だって生まれた時から話せる人間なんて誰一人存在しない。」
確かにそうだけれど。
僕はハルの後ろについてゆく。先程の部屋に入るとハルは壁を探るように電気のスイッチを見つけ、パチンと音が鳴ると思わず目を瞑ってしまう程の強力な光が部屋の全てを照らした。
「一応、防音室なんだ。」
無機質に思えたのはそういう事でもあったのか。不自然に思ったのは温度が感じられないだけではなく、自然音が遮断されていたのだ。
「本棚にあるのは、バンドのスコアとか音楽関係の雑誌。」
「CDもたくさんありますね。」
何枚くらいあるのだろう。
パッと見ただけではわからない。
ざっくり数えて、一段約50枚の列が6段続いている。これだけでも300枚か。
「ここにあるCDのほとんどはわたしが集めたもの。」
――ほとんど?残りは家族のものだろうか。
「すごい量ですね。見たところ僕が知っているアーティストの物は一枚もないです。」
知っているアーティストを探す事より、日本語で表記されているジャケットを探したのだが、あいにく一枚たりとも見つからなかった。
人間とは不思議なもので自分が知らないものを見ると、知ろうとする欲求が生まれる人と、知らない事で不安になる人の2種類の人間がいるらしい。これも由紀恵が言っていた事だ。2つの感情の前者は自身の成長に、後者は嫉妬や自責に繋がるとも言っていた。
「海外の物が多いかな。でもあるよ日本のアーティストのも。」
僕は左から順番に眺めて行ったがやはり日本語のCDは見つからなかった。
膨大なCDが並ぶ棚のすぐ隣に正方形の厚紙でできた正方形のなにかが飾られていた。本でも無ければCDでもない。よくみると同じ形状のものが棚を埋め尽くすように収納されていた。所々ビニールがかかっている。
「これはなんですか?」
僕は正方形のザ、ストーンローゼズ?と書かれたものを指さして、ハルに尋ねた。
ハルは分厚い書籍が積み上げられたデスクの引き出しを漁っていたが、僕の声に気が付くと振り向き答えた。
「それはレコードだよ。」
「レコード。聞いたことはありましたが、見るのは初めてです。」
「ジェネレーションギャップを感じるね。といっても私も全然世代とは違うんだけれどね。レコードはすべて譲り受けたものだよ。」
僕はレコードというのは、小説の中で出会っただけで、実際にこうやって見ると、とても重量感を感じた。僕はハルの許可をとってパッケージから円盤をだしたが、軽度の緊張感を覚えすぐに元に戻した。
「よし、こんなものかな。泉。ここに座って」
ハルはそういうと僕を棚にもたれて座るよう促した。
ガサゴソとデスクの引き出しを漁っていたのは、専用のタオルを探していたらしく、ギターにかかった埃を入念に払っていた。
立てかけられたアコースティックギターを手に取ると優しくなでるように埃を拭っていった。
ハルの眉毛はハの字になっていて、いつもより目尻が和らいでいるように見えた。
僕の正面。向き合うような形で座ったハルはあぐらをかいて、ギターの箱の部分を自分の太ももに置いた。
その姿はとても神秘的で、非現実的な世界の中に入り込んだような感覚を覚えた。
例えるなら初めて、大声援を受けたプロ野球のスタジアムに行った時に全身で感じた感覚。
ぶるっと寒気が走る。鳥肌。
心拍数が上がったのか、心臓の鼓動が徐々に早くなり喉が乾く。
「ちょっとまってて、チューニングするから。」
チューニングとは何だろうか。僕はなぜか子供の頃に駄菓子屋で買ったチューインガムを連想した。
ハルが左手でギターの先っぽに着いた6つのコックをいじっている。
そのコックを右左にひねるたびにハルが弾く弦はキツく張って行き奏でる音も緊張感を帯びたように締まってゆく。
「おっけー。じゃあまずは私が弾くね。」
ハルはそういうと左手を弦に重ねる。キュッとした音が鳴った。
振り上げた右手の親指と人差し指には、三角形のプラスチック製の何かを持っている。
「じゃあ、曲はオアシスのほわっれぇばー」
僕は発音が良すぎるハルの英語を聞き取れなかったのだが、そんなことをたずねるのさえ今はどうでもよかった。
彼女の演奏はいつのまにか終わっていた。
僕は走り出したい衝動が抑えられなくなっていた。