エピローグ
「どうせ死ぬなら、自分が一番好きな曲を脳内に染み込ませながら死にたいかな。海に毒。アイスティーにミルクを注いだみたいに。」
彼女は言った。
透明な窓ガラスに滴る雨水は、遠くをぼやかす様、モザイクに映す。
「やっぱりビートルズですか?」
彼女の嗜好する音楽は今までにいくつも教えてもらっていた。彼女の部屋には卓上IHヒーターみたいなレコードプレーヤーも宅配ピザの箱を潰した様な形をした円盤も数え切れないほどあった。
どれもこれも触れたら壊れてしまいそうな程繊細で古くて、決して埃がついてないわけ無いのだが、僕にはそれらがとても貴重で素直にカッコよく思えた。
しかし僕は、彼女が一番好きな曲を尋ねた事は無かった。
それは僕が、聞くことを自然と避けていたのだろう。
理由は自分でもわかっている。
【僕は決してあなたに好いてもらう為に音楽を聴いているんじゃない。】
という事をアピールしたかったのだ。
背伸びをしていたのかはわからないが、中学生の頃の僕はきっとそういう思春期特有の桃色の思考で、今までの距離感が少しでも壊れるのが嫌だったのだ。
けれど、なぜ今ならこうも容易く聞けるのだろうか。
いや、僕はその意味を知っている。
「ビートルズは最高。彼らの曲をベッドの中で聴くと翌朝、目元のシャドウがうまくいかなくてね。人のお化粧を邪魔する酷いやつらさ。」
彼女は口癖のように言っていた。「良い曲もそうでない曲も、他人が評価をすることは良い事。そのときに大事なのは、笑えるような比喩と味を整るくらいの塩分量の皮肉、それと最後に愛が欠かせない」
彼女はそうやって音楽を聴いてきた。
時にわかりずらく頭を悩ませる僕だったが、その解釈を尋ねることは一度もなかった。
それでいいのだ。
音楽とはきっとそういうものなのだろう。
時には干渉せず時には干渉して自分のフェイバリットを押し付けあって押し付けられて。
「ジョンレノンがピタゴラスの生まれ変わりだとしても、なにも驚かない。」
彼女はそういうと宙を見上げた。
「私の一番好きな曲は―――」
彼女はバタンとベッドに倒れた。
ナースコールは何度押しても反応せずガラクタになっていた。
電線が切られている。
彼女のベッドの横にはハサミが一本落ちていた。マジックペンで病院の名前が書いてある。