前編
投稿しようか迷いましたが、とりあえず出来上がったので。
足元から何かが突き上げるような感覚に、彼女は転ばないようバランスをとろうとした。
何とか転ぶことを免れた彼女の足元を中心に、複雑かつ精緻な紋様が浮かび上がる。
直後、辺りはまばゆい光に包まれた。
*
気がつけばアキは、見知らぬ場所にいた。
いつのまにか座り込んでいたのは、冷たい石の床の上。少なくとも、先程まで散歩していた家の近くの公園ではない。
太陽がさんさんと降り注ぐ気持ちのよい屋外ではなく、じっとりとした湿り気のある屋内。しかも暗い。
そしてアキを取り囲むのは、緑豊かな木々ではなく、長く黒いローブをまとった男も女ともつかない複数の人間だった。
もし彼らが本当に人間であるならば、だが。
「貴様、名前は?」
そう言いながら、ローブをまとった者たちの後ろから青年が現れる。
不遜な態度に引っ掛かりを覚えるものの、アキはひとまず安堵する。
きらびやかな衣装をまとった青年は、人間だった。
ただ、完全に気を抜くことができないのは、相手が話している言葉が日本語ではないということだ。
明らかに日本語ではない。それなのに、アキは相手が何をいっているのか理解ができた。
「こちらの質問にも答えられぬほど、学がないのか?」
部屋は暗かったが、彼は明かりを掲げていたのでその顔はよく見えた。金髪に碧眼、どこのおとぎ話かと思うほど整った顔立ちだが、その態度には思わず眉をひそめてしまう。
だからアキはあえて短く名乗った。
「アキ」
フルネームを言うほど、愚かではないとアキは自負している。
「で、そちらは?」
金髪の青年は、顎でアキの後ろを指した。
アキは振り返り、確認する。アキ以外にも、石床の上に腰を抜かしたように座っている人物がいた。
掲げられたランプのせいで眩しそうに目を細めているが、それでもその可愛らしさは十分に分かった。
年齢は15~18歳。
アキがそう確信したのは、着ている制服が見知った高校のものだったから。
真っ黒く艶やかな髪を顎のラインで切り揃えている。きっと目はぱっちりと大きく、ふっくらとした唇は桜色だ。
「カオリ」
アキに合わせたのか、彼女もまた名前のみ名乗った。
金髪の青年は、気だるそうに鼻をフンとならした。
「で? どちらが本物の聖女なんだ?」
金髪の青年は、傍らにたつローブの人物にたずねる。
「はい。それがなにぶん、このようなことははじめてでして」
震える声で、ローブの人物は答える。
とりあえず、このローブは、男だということがアキにはわかった。
「では、魔力を測定しろ。聖女ならば魔力も強かろう」
金髪青年の言葉に、別のローブが何かの種を持ってくる。大きさは桃の種くらいだ。
それをアキとカオリに渡した。
「さあ、花を咲かせてみろ」
こともなげに、金髪青年は言う。
「そんな、花を咲かせるなんて」
カオリは戸惑ったように、手の中の種を見下ろす。
アキは無言で、手の中で種をコロコロと転がした。
さて、何が正解だろうと考える。
考えているうちに、手から種が転がり落ちた。
それを拾い上げようとして、肩口から長い髪がこぼれ落ちた。
カオリに負けないくらい、真っ黒で艶やかな髪が。
種を拾おうとしていた手が止まる。
アキは慌てて、自分の体を確認した。
手の甲、腕、足、そして服装。暗くて気づかなかったが、明らかにおかしかった。
バタバタと動き出したアキを見て、金髪の青年は、不審そうに顔を歪める。
「種に魔力も注がず、何をしている?」
「どなたか、鏡持ってます?」
たぶん、偉いだろう相手の質問に答えず、アキは周囲に問いかけた。
沈黙が落ちるなか、ごそごそと動いたのはカオリだった。
「小さくていいなら、どうぞ」
そう言って鞄からコンパクトミラーを取り出す。
散歩中だったアキは何ももっていなかったが、どうやらカオリは鞄を持ち込めたようだ。
アキはカオリから受け取った鏡を間近に見て、額に手を当てる。
そこに映っていたのは、カオリに負けないくらいの美少女だった。
目はややつり上がり気味だが、くっきりとした二重で美人と言っていい。鼻筋も通っており、頬もふっくらすべすべ、唇もぷるんとしていて綺麗だった。
「あー」
カオリに鏡を返しながら、アキは眉間にシワを寄せる。
鏡に写っていた自分に心当たりはある。
あるがしかし、それは五十年前の自分だ。
齢六十六。
それが、本来のアキの年齢のはずだった。
自分の姿を確認し終えたアキは、さてどうしたものかと考える。とりあえずは、頼まれたことをやるべきか。
床に落ちた種を手探りで拾い上げると、アキは金髪青年を見上げた。
「どういった事情で私たちを誘拐したのか、聞かせてもらっても?」
「誘拐? 」
アキの質問に、金髪青年は訳がわからない、といったように顔を歪める。
「誘拐じゃなければ、拉致かしら。とにかくまあ、犯罪ね」
「貴様!」
金髪の青年は怒りで頬を朱に染め、腰の剣を抜き放った。
アキの背後で、カオリが小さく悲鳴をあげる。
「そんな物騒なものはしまって」
そういいながら、アキは剣の腹を押し戻す。
もちろん剣の刃は、潰されたりなどされていない。一歩間違えれば、切れる。
けれどそれは、アキにとっては脅威ではなかった。刃物では、アキに傷をつけられない。
「花を咲かせるのは、ほらこれでいいでしょ?」
渡されていた花の種をぽんと金髪の青年に放り投げる。
慌ててキャッチした金髪青年は、怒りに眉をつり上げた。
「花を咲かせられないからと、神聖な種を無造作に投げるとは……」
「イシュノア様! 花が!」
おそらく、金髪青年の名がイシュノアというのだろう。ローブの一人が、イシュノアが掴んだ種を指差しながら震える声で言った。
イシュノアは、険しい表情のまま、己の手に視線を落とす。
「これは……!」
アキが投げた種は見事な花を咲かせていた。
銀色の花弁の、ボタンのような大輪の花を。
「ではあなたが聖女様?」
半ば呆けたように、イシュノアという男が聞く。
だからアキは、平然と嘘をついた。
「ええ、そう」
注目されたかったわけでも、自分なら聖女をやれると勘違いしたわけでもない。
だって、頼まれたのだから仕方ない。この世界の女神とやらに。
ちょっとした手違いで異世界に産まれた女神の愛し子が、何者かによってもとの世界であるこの世界に召喚された。
女神は嬉しくなってその様子を覗きこんでいたら、なんと今一番きな臭い国の宰相が関わっている。
これはヤバイ。そう思った女神は、たまたま近くにいたアキに頼んだのだ。
代わりに聖女をやってくれ、と。
元の日本に戻れることと、特殊な能力いくつかの条件で、アキは引き受けた。
女神との打ち合わせどおり、アキはイシュノアに要求する。
「この世界の女神とは、先程言葉を交わしました。どうか、そこの娘は北の魔の森に捨ててください」
女神の特徴を詳しく伝えれば、アキが聖女だという信憑性が高まった。
すぐにイシュノアはカオリを北の魔の森に「捨てる」手配をとる。
ローブのうちの一人が、カオリを立たせた。捨てろと言われているわりに丁寧な扱いをしている。
それを見て、アキは心のなかで微笑みを浮かべた。
まだ残っているこの国の良心。きっと、彼になら任せても大丈夫。そしてカオリは、魔の森で運命的な出会いを果たすだろう。
魔王と呼ばれている、孤独な魔導師と。
それが恋に発展するかどうかはわからないが、女神はカオリを守るための最高の守護者とすると言っていた。
あとはまあ、カオリと魔導師次第だろう。
残るは最後の仕上げ。
腐りきったこの国を転覆させるだけ。
アキは、カオリを振り返らずに、石の部屋を出た。