雨かあられか奴隷商人か
次の日の日が登る前、僕はもう既に目が冴えてしまっていた。
というのも昨日の夜、シルヴィの家には寝台が一つしかなく、その寝台を譲り合っていたら痺れを切らしたシルヴィが、
『じゃあ一緒に寝よう!!』
と言いながら僕を寝台の中に引きずり込んだのだが…。
そんなんで僕が眠れるはずないじゃないか…。
シルヴィみたいな女の子が隣にいて眠れるやつの方がおかしいよ…。
母以外の女性と話したことすらなかった僕にはハードルが高い。
もうすぐ夜明けだし、今更ながら眠くなってきたけど、今寝る訳にはいかない。
とりあえず僕は、そーっと寝台から降りた。
シルヴィはまだ起きる気配がなく、毛布を顔の半分までかけてぐっすり眠っている。
そういえば…助けてもらったお礼、ちゃんと言ったっけ…?
僕は伸びをしながら昨日のことを思い出してみたけど、お礼を言った記憶はない。
……うわ…お礼もまともに言えないなんて…。
シルヴィは命の恩人なのに…。
シルヴィが起きたら、絶対にお礼を言おう!
僕はそう心に決めてから、暇だったので朝食を用意してみることにした。
前世では母が病で他界してからよくやっていたから、苦手じゃない。
けど、まぁ…僕以外に食べてくれる人もいなかったから、正直上手いのかはわからない。
材料はシルヴィの家にあるものを使うし、失敗はできないな…。
よし。
そう思って僕が包丁を手に取ろうとした時、すぐ後ろから、
「おはよう、ジル!」
というシルヴィの元気のいい声が聞こえた。
「わっ!? …し…シルヴィ、おは…あっ!」
「え?」
「昨日はありがとうございましたぁぁ!!」
いきなり声をかけられて頭が混乱して、僕は挨拶もそこそこに、というか最後まで言えてないが、なんの脈絡もなくガバッと土下座をして昨日の礼を言う。
「えっ…え?」
急に土下座をした僕に、シルヴィは困惑の眼差しを向ける。
こ…困らせちゃってる…!?
説明しなきゃ…!
「あ…あの昨日、毒を治して僕の命を救ってくれて、ありがとう…ございました。その…お礼言ってなかったなって思って…」
頭をほぼ地面につけた完璧の土下座のまま、僕はそう説明する。
土下座をするというかさせられるのは前世でもよくあったので僕の土下座にはキレがあると思う。
土下座のキレとはなんだという感じだが。
「…そんなこと気にしてたの?」
「う…うん。シルヴィは命の恩人なのに…お礼の一つも言えてないなんて僕は…」
そこまで言った時、僕の顔を温かいシルヴィの手が挟んで、僕の顔を持ち上げさせる。
「へっ?」
「こちらこそ、ありがとう」
シルヴィは僕の目を見てそう言うと、にこっと笑ってみせる。
「……?」
「一緒に旅をしてもいいって言ってくれて。私、すっごく嬉しかったの。でも私もそういえばお礼を言ってなかったなって思って」
「…そうだったっけ…?」
「うん、そんなに必死にお礼言わなくたって、私もそんなこと、ジルと同じぐらい気にしてないのよ」
シルヴィはそう言うと、僕の顔から手を離して立ち上がる。
それにつられて僕も立ち上がった。
なんでだろう、胸が温かく感じる。
あんな風にお礼を言われたのが初めてだからかな…?
お礼自体は前世で言われたことはある。
生ゴミをかけられた時は、ゴミの捨て場に困ってたんだ、ありがとな。とか。
あれは全然嬉しくなかった。
僕が昔のことを思い出していると、その間にシルヴィは台所に並んだ食材を見つけたようだ。
「もしかして、朝ごはん作ってくれようとしてたの?」
「あ…うん、一応…。まだ何もやってないんだけど…」
「じゃあ、私も手伝う! 一緒にやろう」
「う…うん」
僕は包丁を握り、シルヴィは横で火を炊いてくれている。
外は日が出てきて、今日はいい天気になりそうだ。
…雨かあられか大雪かゴミ箱、心配しなくてよさそうだ…。
僕がそんなふうに思った時、人の悲鳴のようなものが僕の耳に飛び込んできた。
それも、結構近く感じる。
「シルヴィ…今の…!」
「うん、聞こえたわ。何かあったのかしら、見に行きましょう!」
「え、あ…う、うん…!」
僕は手に持っていた野菜と包丁を置き、駆け出したシルヴィのあとを追う。
そしてシルヴィが玄関の扉を引き上げようとした時、扉が自動で開いた。
いや、開いたというより、扉が家の内側に吹き飛んできた。
入口には、ガタイのいい男達が数人。
その中で、頬に大きな傷がある男がシルヴィを見るとニヤッと笑った。
恐らくさっきの悲鳴は、この男たちが手当たり次第に村の家々の扉を蹴り飛ばしていたからだろう。
「よう、お嬢ちゃん、やっとまた会えたなぁ」
その男の言葉に、僕は驚いてシルヴィの顔を見た。
するとシルヴィは威勢よく男を睨みつけている。
「何の用なの? また殴られたくてきたとか?」
「この間はコケにされたからなぁ。奴隷も全員逃げちまうし…。だからちっと仕返しに来たってわけだ。お前を奴隷にして売れば、逃げたヤツらの倍の値はつきそうだしな」
「…最低」
「あぁ!?」
シルヴィに向かって、男の太い腕が伸びる。
僕は咄嗟に二人の間に割り込んでいた。
僕になにか出来ると思った訳じゃない。
でもただ、助けなきゃって思ったんだ。
「何だテメェ」
「あ…あの、そういうの、良くないと…思うんですけど…」
「男のくせにもやしみたいな体してると思ったら声ももやしみたいにヒョロヒョロじゃねぇか。俺はもやし野郎には用はねぇんだよ!」
気づいた時には男が振りかざした拳が僕の頭をすごい力で殴り飛ばしていた。
壁に打ち付けられて、動けなくなる。
も…もやしかぁ…ナメクジからはだいぶ…昇進した…かな…。
頭がグラグラする…。
頬に、生暖かい赤い液体がつたうのがわかる。
「ジル…!!」
シルヴィの呼ぶ声が、微かに聞こえる。
今にも意識が無くなりそうだ…。
「あんたたち…絶対許さない…!」
僕の薄く開いた瞳に、シルヴィの姿が映る。
た…助けなきゃ…シルヴィを…。
必死に体を起こそうとしたその瞬間、ゴッという鈍い音が聞こえ、僕は嫌な予感と共に視線をそっちに向けた。
すると、そこに倒れていたのはシルヴィ…ではなく…あのガタイのいい男…どうして倒れてるんだ…?
次の瞬間、僕は信じ難いものを見た。
シルヴィが、細い足と腕で、次々と男達を蹴り倒し、殴り倒していったのだ。
痛みも一瞬忘れてしまうぐらい、僕は驚いた。
シルヴィって…実は恐ろしく強い…?
シルヴィの青っぽい灰色の瞳が鋭く光っていて…ちょっと…怖い…かも…。
いや、ドラゴンが人間の、しかも女の子を怖がってどうするんだ…!?
そんな一方的な戦いの中で、蹴り倒された一人の男がむくっと起き上がり、僕に駆け寄ってくると僕の白い髪を鷲掴んだ。
う…普通に痛い…。
そして、台所にあった包丁を手にすると、僕の首に当てる。
「こいつがどうなってもいいのか!?」
その声を聞いた途端、シルヴィの動きが止まる。
「…卑怯者。ジルを離して」
「お前が暴れなけりゃな」
「……。」
シルヴィは構えていた両手を下ろし、目だけは睨むことを忘れない。
「あ…あの…」
僕の口から掠れた声が出る。
「僕のことはいいから…続けてシルヴィ」
僕みたいなクズが死んでシルヴィが助かるなら、別にそれでもいい。
「バカ!」
そう思っていた矢先に飛んできたシルヴィの言葉に、僕は驚いた。
「一緒に旅するって約束したでしょ!?」
そんなのは、僕とじゃなくても他の人でもいいはずなのに、シルヴィは怒る。
自惚れかもしれない。
でも僕は、シルヴィが旅の相方に他の誰かじゃなく僕を選んでくれたんだと思ってしまった。
「おっと…そこまでだお嬢ちゃん」
いつの間にか起き上がっていたもう一人の男が、シルヴィを後ろから羽交い締めにする。
「ちょっと、離しなさいよバカ!」
「暴れんな! お前もこれから奴隷になるんだからよ!」
その言葉を聞いた瞬間、僕の中で今までになかった感情が燃え上がる。
シルヴィを、奴隷になんかさせない。
だってシルヴィは、僕と旅に出るって言った!
「…シルヴィ、ごめん!」
僕は次の瞬間声を張り上げる。
僕の喉元に包丁を突きつけてた男は、驚いたように僕を見る。
それを無視して、僕はシルヴィに向かって言葉を続ける。
「この家、壊すよ!」
「…! いいわよ、やっちゃってジル!!」
シルヴィは僕の意図を読み取ったようだ。
僕に向かってそう大きな声で言った。
その瞬間、僕は頭の中にドラゴンの姿を思い浮かべた。
白い鱗に覆われた、紫色の目の、尻尾の先だけ赤い、ドラゴン。
僕にはドラゴンなんて不釣り合いかもしれない。
だって僕はゴミ箱で死ぬ、ナメクジもやし野郎だ。
でも…
「こんな僕でも…!!』
僕の声が、途中からドラゴンの鳴き声に変わる。
『シルヴィの事は守る!』
僕にしては力強い言葉が、一際大きなドラゴンの咆哮となって村に響いた。
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