槍の次は少女
何時間ほどだったのか、空が白み始めた時、僕は目を覚ました。
一度寝て覚めても、僕の姿は変わらずドラゴンのままだ。
冒険者に襲われたことも、空を飛んだことも、まだ自分に起きた出来事じゃなくて、どこかおとぎ話を聞いているような気持ちになる。
『この辺り…僕じゃちょっと目立ちすぎるかな…』
僕はあたりを見回しながら考える。
赤や黄色といった鮮やかな色をした葉が、山を彩る。
そんな美しい風景の中、真っ白なドラゴンが一匹。
まぁ、尻尾だけなら溶け込まないこともないけど…
この体じゃやっぱりちょっと目立つな…。
また、場所を変える必要がありそうだ。
ゴミ箱も、槍も投げつけられない、静かな場所に行きたい。
僕はもう一度飛び立とうと、翼を広げようとする。
だが、体が痺れているような感じがして、上手く翼を動かせなかった。
『…あれ…?』
立ち上がろうとしても、主に後ろ足に力が入らずに、すぐに転んでしまう。
『……もしかしてあの槍…毒、塗ってあった…?』
未だ自分の近くに転がっている槍を見やり、僕は困り果てる。
毒…毒かぁ……。
そりゃあ人間がドラゴンに勝つためには必要な手段なのだろうが、酷いことをしてくれたものだ。
生まれてほぼ一日で毒に蝕まれて死ぬなんて…。
本当に、僕にはろくな事が起きない…。
神様が僕みたいなやつは生きるなって言っているのかもしれない。
僕は翼を広げるのを諦め、その場にもう一度体を丸める。
どうせ死ぬなら、苦しまずに眠るように死にたいな…。
まぁ前回も、痛みも感じるまもなく死んだんだけど…。
『つまらない人生…いや、竜生だったなぁ…』
そう呟いた時、小さな足音が聞こえるのに気づいた。
その足音は、こちらに近づいてくる。
僕はそっちに、視線だけ向けてみる。
誰かが僕にトドメを刺しに来てくれたのかもしれない。
痛いのは嫌だな。
そう思っていると、茂みから現れた人影は、思ったよりもかなり小さかった。
「やっぱり!!」
茂みから出てきたのは女の子で、長い水色の髪を一つに束ねた可愛らしい少女だった。
スタイルもとても良く、僕はドラゴンの癖に彼女に見とれた。
「ドラゴンの声が聞こえると思ったの! あなた、こんな所で何してるの?」
少女はそう問いかけながら、こちらに近づいてくる。
『…えっと…僕は…』
僕はそう声を出してみて、ハッとした。
僕はもうドラゴンで、人間の言葉は話せない。
それどころか、今出した声は少しドスの効いた威嚇のような声だった気がする。
これではこの子を怖がらせてしまう。
…いや、もう怖がらせてしまった……。
きっとこの子は村に逃げて行って冒険者たちに僕の居場所を知らせるだろう。
冒険者が来る前までに死ねるといいな…。
僕が溜息をつきながら少しもたげていた首をもう一度地面につけると、驚くことに少女はもっと近づいてきた。
「どうして途中で止めちゃうの? もしかして、私には言葉が伝わらないとか思ってる? 大丈夫、ちゃんと聞こえてるわ。」
少女はそう言いながら僕の顔の前まで来るとかがみ込む。
「あなた、名前はあるの?」
『…僕は…ジ…ジル』
僕は自然と、少女の問いかけに答えていた。
僕はこの女の子に聞きたいことが沢山あった。
僕が怖くないの?とか、どうしてドラゴンの言葉がわかるの?とか、どうしてこんな山奥に居るの?とか。
「そう、私はシルヴィ! よろしくね、ジル」
シルヴィと名乗った少女は、にっこりと、花が咲くような明るい笑顔を僕に向けた。
僕はこの笑顔を見ただけで、そんな小さな疑問はどうでもいいかと思ってしまった。
それどころか、
…こんな笑顔を見られただけで、僕もう死んでもいいな…。
というよりも、これを僕の目が映す最後の光景にしたい…。
とまで思ってしまうのだから、やっぱり僕はしょうもない。
「ねぇ、ジル。あなた、スノードラゴンでしょう? どうしてこんな雪のないところで寝てるの?」
シルヴィは、不思議そうにそう僕に問いかける。
『僕は、スノードラゴンって種類なのか…。冒険者に襲われて、ここまで逃げてきたんだ…。だけど、体に毒が回ってるみたいでもうここから動けない。』
「毒? それなら私が治してあげる!」
シルヴィは跳ねるように身軽に立ち上がると、僕の体をぐるりと一周回りながら見る。
そして後ろ足の小さな傷を見つけると、何か、僕にはわからない呪文を唱えた。
すると、僕の体から痺れが取れて、自由に体が動かせるようになる。
『…すごい…! 君は、魔道士なの?』
「ううん。私は確かに魔法を使えるけど、この魔法はドラゴンにしか効かないの」
『…ドラゴンにしか…?』
「そう。ねぇジル、こんな所にいてもきっとすぐに冒険者に見つかっちゃうわ」
『うん…そうだね』
「だから、ひとまず私の家に来ない?」
立ち上がり、伸びをしていた僕は動きを止め、驚いて視線を小さな少女に向ける。
『ええっと…君、そんな山奥に住んでるの…?』
「ううん、村の真ん中よ」
『それじゃ僕行けないんじゃ…』
「行けるわ。私に任せなさい!」
シルヴィは胸を張ってそう言いながら、また何か、僕に向けてさっきとは違う呪文を唱え始めた。
僕の体が光だし、僕が驚いて後ずさると、後ろにあった木にぶつかってそのまま倒れた。
「あ…いてて」
小さく発したその声が、何故だかドラゴンの鳴き声にならず、人間の言葉のように聞こえる。
そうして改めて自分の体を見ると、鱗もなく、翼もなく爪もなく、尻尾もない。
「え…え…!?」
「うんうん、人化ができたみたいね」
シルヴィの瞳が、僕を見下ろしているのが見える。
「…人化…?」
言われてみれば、手も足も、人間そのもので服も少しのみすぼらしさはあるがちゃんと着ている。
そして視界の端に映る白い髪は、僕が前世で生きていた時と同じだった。
「そうよ、ほら。見てみて、これがジルの人間の姿よ」
そう言って差し出された小さな鏡を見ると…。
「あれ…僕だ…?」
「何その反応」
シルヴィは怪訝そうにそう言うが、だって僕なんだからそれ以外に言葉が出ない。
鏡に映った人間の姿は、前世の僕そのものだったのだ。
そう、ナメクジ野郎という異名を持つ僕の姿だ。
「もしかして…ドラゴンだったのも全部夢?」
「もう! ジル!」
「はっ…はいっ!?」
「何訳のわからないこと言ってるのよ? とにかく、その姿なら村の中に入っても大丈夫でしょう?」
「あ…うん、そっか…そうだね。これも、君の魔法…?」
「私はジルが人間の姿に変化できるようにちょっと手助けしただけ。自分で戻りたいと思えば、ドラゴンに戻れるはずよ」
シルヴィは人差し指を立ててそう僕にいう。
そこで僕は、言われた通りにドラゴンの姿を想像してみた。
すると、僕の体が光に包まれ、次の瞬間僕の手は白い鱗に覆われた巨大な爪を持つ前足に変わっていた。
『す…すごい…』
その僕の声も、ドラゴンの鳴き声になる。
「でしょう? さぁ、人間の姿に戻って!」
シルヴィの言葉に、僕はもう一度人間の姿を想像する。
根暗で弱虫で何も出来ないどうしようもない人間の姿の僕を。
あぁ、何だか嫌になってきた。
「どうして人間の姿にはうまく戻れないのかしら…」
シルヴィが困ったように僕に視線を向ける。
僕がいくら人間の姿を想像しても、僕の体は光り出さない。
「もしかして、人間の姿に戻りたくないって思ってる?」
『…あ…いや、その…前世のトラウマが…』
「え、前世?」
『うん、僕、前世は人間だったんだけど…人間の姿がまるで前世の僕なんだ…』
「へぇ…前世のことを覚えてるだなんて…そんなことあるのね…」
シルヴィがそう言った時、僕は微かに足音を聞き取った。
それも、少人数ではない。
沢山の人間の、それもシルヴィよりも重い足音。
『…誰か…来る…』
「…? 本当だ…冒険者かしら。あなた、このままじゃ危ないかもしれない。今は、私が人間の姿にしてあげる」
そう言い、シルヴィは僕にまた呪文を唱えてくれる。
そして人間の姿になった僕の手を引いて、森の中を歩き出した。
…お…女の子と手を繋ぐなんて…。
前世では母以外の女性と話したこともなかったのに…。
明日は雨かあられか大雪か…。
いや、ゴミ箱が降ってくるかも…。
「ジル!」
「はっ…はいぃ!?」
「ちゃっちゃと歩いて! とりあえず山から降りよう!」
「わ…わかった…!」
シルヴィはぐいぐいと僕の手を引いていく。
ちょっと慌ただしくもあるが、とりあえず僕はいま、前世も含めて一番幸せかもしれない…。
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