剣を鋤に打ち代えて
そこは荒れ果てた荒涼たる大地のはずだった。
記憶違いのはずもない。女の身で副団長の座に着く以前からこの地へは何度も足を運んだ覚えがある。
この地で、今ではもはや存在しないかの大国の軍勢をくい止めた時、騎士団や敵国の軍馬の足の下、肥沃な大地は踏み固められ日の光にさらされ、何も実らせぬひび割れた姿をさらしていたことをほかならぬ己自身が知っているのだ。
今、目にしているのはまったく別の光景だ。
緑、だった。それも花や木々などではなく、地面に這いつくばりその大地を覆うつる草のようにも見える、芋の葉の緑だ。濃緑の海に埋め尽くされた大地の向こうに、目当ての人物はいた。
地面に突き刺さった大ぶりの鋤はかつてあの人が持っていた大剣のようで。通常ならば牛馬が引くそれを、その巨大な体躯の人物は自ら引いている。渾身の力を振り絞り、それに全身の筋肉が応える。もう歳は中年の域にまで達しているだろうのに。頭髪に交じる白髪の間に、日の光を受けてきらめく汗がここからでもうかがい知れる。
……日は傾き大地に近付きつつあるころ。職務を投げ出してここまで来たかいがあった。
私はここに来て、彼を再び見つけた。
「何もないんだ。芋ぐらいしかない。……王宮での食事並みのものがあると思うなよ? 」
おそらく元々は農具を置く小屋だったのに違いない。相手に通されたのは今でも雑多な農具が置いてある小屋の片隅に寝床と炉端がしつらえてあるだけの、質素な小屋だった。
かつては国の守護神とまで言われたあの騎士団長が、と思う。
数々の勇名を欲しいままにしてきた人だ。
人馬が入り乱れ、汗と血の臭いが照りつける陽光の下充満する戦場。その中で団長は常に鬼神と化していた。
「騎士団長に続け! 」
それが戦場で生き残る術だった。
我が王国が東西南北に広がる大小様々な国と戦い、それを我が王の下に統一が成ったのも我が騎士団の働きと、団長の力があったからだ。
団長がその代名詞ともなった巨大な愛剣を馬上から振り下ろす。その度に目前の敵は消え去り、我らの道が出来る。常に団長は騎士団の先頭にあり、戦場で敵陣に打ち込む楔として働いていた。
我ら騎士団はあの方の後ろに従うことで精いっぱいだった。誰もあの方にかなわなかった。あの方が切り開いた道を我らが渾身の力でこじ開ける。そのことが歓喜であり、我等の存在理由だった。
……あれはいつのころからだったか……おそらく南の大国が潰えた後だったと思う。
「つまらんな」
そうぽつりと団長がつぶやいたのを聞けて目をむいたのは私一人だった。
何を言うのか、南の大国は潰えたとはいえまだ我が国に害なす小国は幾多も残っているというのに、王の剣である我らがその害を取り除かないでどうするのか。そうまくしたてた私に団長は言った。
「血が騒がん」
団長がその地位を王に返上し、北の田舎へと行くと聞いたのはそれから5,6日もしたころだったろうか。
「惰弱者! 」「卑怯者! 」「臆したのか、この老害! 」
涙を流しながら団員たちは叫んだ。俺たちの先頭を、臆せず敵陣に突っ走っていたあの団長が、騎士団を去るなどありえないことだった。
あまりにもひどい言われようの中、当の本人は愛剣を肩に担ぎ、笑みまで見せて片手まで振って見せた。
「お前らも後悔するなよ! 」
変節だった。王への忠義はどこへ消えたのだ。戦いを放棄して逃げ出すなど。戦のさなか、心の置きどころとして信頼していた要の者が消え、半ば呆けた団員たちが取り残された。
国はその後盤石の体制を整えていった、騎士団の働きの下に。周りの小国は次々と降服し、臣従した。新しい体制に逆らう者たちが王命の名の下に次々と粛清され……騎士団は「犬」と呼ばれ始めた。
ささいな行動ととがめられ反逆とみなされた者、新しい体制下で暮らしていけず盗賊にまで身を落とした者、騎士団の剣の先に現れる敵はそのような者ばかりとなっていった。
新騎士団長の下、王国の儀式に参列し国家の楽の音に立ち並ぶ。その剣はその栄華の宴を支えるために困窮し道を踏み外した者を成敗したばかりだ。
「もっと誇らしげな顔をしろ。国民が見ている」
新騎士団長の檄が飛ぶ。
表面を飾り立てれば飾り立てるほど、己の行いに暗然とする。
……あの方はわかっていたのだろうか、この状態を、この行く末を。私の思いはしばしば元の騎士団長の元へと飛んだ。
このような名誉も歓喜もない状態をわかっていたからこそあの方は去っていったのではないか?
このような見てくれだけの栄誉など吐き戻しかねなかったから去っていったのではないか?
短期の休暇を新団長に申し出て、馬を飛ばしてこの地方までやってきたのはそのためだった。
「5年だ」
半ば笑みすら見せて前の騎士団長は語った。
「農作業のまねごとを覚え、自分が思い描いていたことがまともにできるようになるのに5年かかった」
粗末な鍋の中で細い筋だらけの芋が泳いでいる。かつての思いに浸り込みながらも元団長の思ったよりも落ちついた快活な声が耳に入り込んできた。
「そこまでかかると思っていなかった。あの鋤は団を抜けた時にあの剣から打ち代えた。……もう戻らんとの決意を確かにするためにな」
巨大な鋤を肩に担ぎ、「土地を耕させろ」と言ってきた大男を村人はどのように見たことだろう。「荒れ地であればあるほどいい」という言葉通りに与えられた荒れ地は、今まで村人が手をつけられなかっただけあって元団長の巨大な鋤すら受け付けなかった。
「何度か飢え死にしかけたな」
と今では笑って語る元団長の前で芋が煮えてゆく。……おそらくこれを手にするまではかなりの時がたっていたことだろう。
飢え死にしかけた元団長を見かねて救ってくれた村人に、元団長は躊躇なく頭を下げ教えを請うたらしい。
……あの団長が。
「戦場になぜ役立たずがいるんだ! 」
逃げ遅れた農民が右往左往する様を馬上から見下ろし、忌々しげにそう吐き捨てたことも一度や二度ではない。
「奴らはどこかで麦でも作っていればいい。戦場でなど見たくもない」
と明言したことも何度があった。
「心意気も胆力もない奴らは土でも相手にしていろ!農夫にでもなるか!? 」
と出来の悪い者を叱りつけたこともある。
その元団長が。
「頑固に土に音を張った大木というものがどういうものか想像できるか? 」
鍋をかきまぜながら元団長は懐かしげに古い敵を語るかのような口調で言った。
「大地の下に隠れる根性悪な大岩や、いくら水をやってもやわらかくもならずベチャベチャな姿を晒し一向に肥沃にならん土とかな」
こちらの地方で馬を走らせている間によく見た光景だ。かつて軍馬が踏みしめていった大地。雨が降ってもぬかるみにしかならず、日に照りつけられて草木も生えぬ不毛の大地となる……。
「上が切られても大木の根ときたら土の中でがっちりと岩くれをつかんで離さんのだぞ? 最後の一本まで掘り起こした時には東の大国を打ち破った時のような達成感を味わったな」
埋もれていた岩を積み上げたものは人の背ぐらいにまで達した。土をなんとかするために遠くから落ち葉、枯葉、鳥獣人を問わぬ糞尿、砂等々を混ぜ込んでみた。強風で飛ばされる表土を守るために柵や苗木を植えてみた……。
「最初は豆、だった」
その口調の中に少なからぬ誇らしげなものを込めながら元団長は言った。
「ぺしゃんこで実もろくに入らない莢を集めてゆでて喰った。……あれはな、うまいもんだよ」
そして芋を煮て食えるようになるまで五年、だ。椀によそわれた筋だらけの細い芋はこの人の苦闘の成果なのだ。お世辞にも食べやすいとはいえない椀に、私は元団長の苦労を思わされた。
「……まだ騎士団にいるのか」
ぼそっと聞かれた言葉は優しいものだったにもかかわらず、私にはムチで打たれたかのような気がした。その言葉が結局自分の中の堤を決壊させ、心の中の悲しみ苦しみをあふれださせるきっかけとなった。
「……そうなるとは思わなかったな」
今の状況を洗いざらい打ち明けて、さもそうだろうと頷かれると思った私に返ってきたきたのは予想外の答えだった。
「たしかに考えてみればそうなるのは予想出来ていたはずだったのだがな。俺が感じていたのは、”面白くねぇ”、ってことだけだった」
思わず汁をすくう匙がポロリと床に落ちた。
「名誉も栄誉も全部、俺がやりたいことをやった後についてくるオマケのようなものだったからな。俺にとって大切なのは戦場で、敵と対峙した時に感じる高揚感とそれを叩き伏せた時の達成感だった。それがあの時から減ってきていた。ほら、あの南の大国が滅んだころからだ」
思い当る節はあった。この元団長が栄達や富貴や、忠誠心などとは別のものに導かれて戦っているように思えたことは確かに何度もあった。だが、それが、そんなものだったとは。
「俺は開拓には向いているが維持には向かん。芋畑の世話をしてきてよくわかったよ。あの畑は今まで世話になった礼に村の連中にくれてやろうかと思っている」
あいた口がふさがらないどころの話ではなかった。あなたは正気か? そこまでくるのにどれだけ苦労したか、今あなたが語ったばかりじゃなかったか。やっと手に入れたそれらを放棄して、あなたはこれからどうするというのだ!
「他の土地で同じことをやる」
そう答えた相手は未来に起こる事がらへの期待からか満面の笑みを浮かべていた。
「国の四方あちこちにこのような土地は山ほどある。俺はそれらに戦いを挑んで元の豊饒な土地へと生まれ変わらせるつもりだ。……俺の戦いに口を出すなよ? 五年前、やりがいを失ってからやっと手に入れた、俺の生きざまだ」
……そうだ、この人はまったく変わってなどいなかったのだ。騎士団の先頭にあって真っ先に敵に突っ込む、この人のままだったのだ。ただ、それが今、真にやりがいのある”敵”を見つけ、そちらに戦いを挑むようになったというだけのことだったのだ。
「……私に……何かお手伝いできることはないですか? 」
陶然としたまま問う自分に、やはりかわらぬ調子であの人は答えた。
「お前にしかできないことをやれ」
私はあの人を見つめたまま身動きもできなかった。その変わってゆく顔色に、元団長はあの人とも思えぬ優しい表情で私を見つめた。
「お前の剣に俺はどれほど助けられたか知れん。お前の剣は相手を打ち滅ぼすものではなく、誰かを助けるものなのだろう。そうやって守ってゆけ、お前が守るべきものを」
「今、見つけました、団長」
私はあえて彼を”団長”と呼んだ上でそう言った。
「私が守るべきものを」
辺境の大地に朝日が昇る。
今から王宮へ向かわなくては休暇中に職務に戻ることはかなわない。
……それは行きの行程では想定すらできなかった姿だった。
「また気苦労を重ねるのか」
しようのない奴だと彼が笑う。
「性分ですから」
しようのない奴ですと私も笑う。
「俺に開墾だけさせろ。他のことなど考えさせるな」
「……はい」
苦笑と共に馬上の人となる。馬上から見下ろした”団長”は、いつも見上げていたあの姿ではなく、大地に根をおろしながらも朝日の中で光輝いていた。
「人の下にあっても使われるようなお前じゃないだろうが。うまく舵をとってみせろ。……出来るはずだ、俺が知っているお前は」
……いったい自分に何が言えただろう。過分な言祝ぎに目がしらが熱くなるのを抑えて、自分も一言言い放った。
「軍馬の足の踏み場もないほど農地を広げてください」
馬の脇を蹴っていななかせるのと同時に彼が苦笑しながらもしっかりと頷くのが見えた。
今、お互いの前に道はくっきりと示された……それが再び交わることのない道だとしても。
(終)




