アズハの戦い
<これまでのあらすじ>
ごく普通の少年アズハと、血の繋がらない妹のココネは、カズリの祭儀を執り行う山へとたどり着いた。
時間を共に過ごすうち、ふたりの距離は少しずつ縮まってゆく。
しかし、ココネが旧世界を滅ぼした「悪魔の燃水」を使う一族という告白に、アズハは言葉を失う。
ココネを置き去りにするようにその場を後にしたアズハは、ココネの悲鳴を聞き、踵を返す。
だが、そこで目にしたものは、世界を腐らせる根源『闇の滴』だった。
アズハは傷ついたココネを抱え、その場をなんとか逃げだした。
だが、危機は去ってはいなかった。もう一匹の闇の雫が二人を待ち構えていたのだ。
絶体絶命の危機に、ココネは遂に『悪魔の燃水』の封印を解く。
それはアズハが忌み嫌う、旧世界を滅ぼした力だった。
猛烈な炎が木の棒から吹き出し、アズハの手や顔を赤銅色に照らす。
『悪魔の燃水』を振りかけた木の棒が、まるで魔法のように火を吹き上げ続ける
それはまるで伝説の『炎の剣』だ。
「熱ちちちち!? すっ、凄ッ! 凄い!」
「アズハ!」
ココネの声に弾かれたようにアズハは立ち上がり、炎に包まれた木の棒を振りあげた。
「うおぉおおおッ!」
今まさに自分の足を喰らわんとする赤黒い『闇の滴』めがけ、渾身の力で『炎の剣』を叩き付ける。
伝わる手ごたえは相変わらず曖昧で、まるでゼリーを殴りつけた様な感触だ。
しかし――爆炎を纏った木の棒を叩きつけた瞬間、炎が闇の滴に燃え移り、表皮を一気に覆いつくした。
まるで油を染み込ませた松明のように、闇の滴はメラメラと燃え上がった。
アズハの片足とココネの足首を捉えていた食腕が、一瞬で力を失い、ヌルリと二人を開放する。
炎に包まれた食腕が激しくのたうち、二人の目の前でビチビチと不気味な音を立てる。
アズハの足は消化酸で焼けただれ、焼けつくような痛みが走った。アズハは顔をしかめながらも体勢を立て直し、ココネを引きずりながら、距離を取る。
振り返ったアズハの瞳に、地獄の業火に包まれる『闇の雫』が映った。
それはまるで炎の化け物が、黒々とした不定形のスライムを逆に喰らい尽くしているように見えた。
「す、凄い……一撃で!」
――これが悪魔の燃水……地獄の業火の力なのか。
ぶるっとアズハは身震いし、ココネの肩を押さえていた腕に思わず力を籠めた。
ココネは炎に照らされたアズハの横顔に視線を巡らせる。
その視線に気が付いたアズハが、はっ、と手を離した。
「あ、ごめ……!」
「――ごめんなさい」
「え?」
逆に謝られたアズハが目を白黒させる。
「嫌がっていた……悪魔の力を……使わせた」
「……そんなの……、もういいいんだ」
「アズハ……」
「生きるためには、二人で帰るためには必要な事なんだ」
ぐっと唇を引き締めて、アズハは続ける。
「僕の……父さんを救ってくれた事だって、これと同じだったんだって、わかったよ。ありがとう、ココネ」
アズハが照れたように微笑み白い歯を見せた。
ココネの瞳が見開かれ、ぽろりと涙が零れた。
闇の滴は、黒い煙を上げながら徐々縮み、遂には動かなくなった。
辺りには異様な焼け焦げる臭いが立ち込めている。
アズハは炎の衰えない木の棒を改めて持ち上げた。勝利を確信するように、剣を高々と天に掲げた、その瞬間――。
二人の背後の木々が、破砕音と共に薙ぎ倒された。
「きゃ!?」
「なっ! 最初の――闇の雫!?」
いつの間にか最初に襲ってきた『闇の滴』が迫っていたのだ。
ココネが短い悲鳴を上げ、アズハの手を握りしめる。
ヌメヌメとした黒いゼリーの洪水が、裂けた森の隙間から、二人のいる場所めがけてドロリと流れ出した。
木々や下草をなぎ倒しながら進んでくるそれは、一息に距離を縮め、巨体に似合わぬ速さで迫っていた。
アズハは臆することなく、静かにその化け物を睨みつけた。
悪魔の燃水で燃える木の棒は、火力はやや衰え始めていたが、放つ熱量は松明の比ではない程に強かった。
握りしめた『炎の剣』と、繋いだココネの手の温もりが勇気をくれた。
「アズハ……?」
「ココネ、心配しないで」
その声は静かで、そして力強かった。
「僕が、守るから」
アズハはココネの手を離し、二歩、三歩と進み出た。
そこで静かに炎の剣を水平に構えると、姿勢を低くする。
剣術はもちろん素人だが、かつて親父と遊んだチャンバラの記憶を頼りに、一点突破一撃必殺の『打突』の構えをとる。
牛ほどもある巨大な黒い粘液の塊を、アズハは真正面から睨みつける。
二人を丸呑みにしようと伸ばされた幾つもの食腕が、まるで巨大な手のひらのように広がり、アズハに襲いかかった。
「アズハ!!」
「――ここだああっ!」
瞬間、アズハは炎の剣を闇の滴の奥深く、、身体全体で体当たりするように、深々と突き入れた。
何本も伸ばされた食腕に原形質が流れ込んだせいで、闇の滴の中枢――『核』が見えたのだ。
それは巨大なゴルジ体やミトコンドリアに囲まれた、丸い毛糸玉のようなものだった。
炎が表皮を焼き切り深々と差し込まれた木の棒が、膨大な熱量を伴ったまま『核』に到達する。瞬時に構成物質が変質し、核としての機能を失う。
――と、
ぐわん、と闇の雫全体が波打った。
ブツブツと全身が沸騰したように泡立ち、表皮が次々と破裂してゆく。タコの足のように四方に伸ばされた食腕が硬直し動きを止めた。
アズハは食腕に飲み込まれる瞬間、突き立てた木の棒を手放し後ろに飛びのいた。
闇の滴は、自らに突き立てられた剣と炎を包み消そうとするように一気に凝縮する。悲鳴も憎悪の叫びも何もない、それが無言の怪物の断末魔だった。
『核』を破壊された闇の滴は、身体のあちこちの表皮が裂け、薄汚い原形質を激しく撒き散らした。
ソーセージのような巨大なミトコンドリアや、消化酸の詰まった透明な袋、パンケーキの様なゴルジ体がまるで吐しゃ物のように撒き散らされた。
やがて『炎の剣』から炎が燃え移ると、メラメラと燃え広がった。
ブチブチと泡立ちながら燃えるそれは、今まで喰らい尽くした動物から啜り取った脂肪の燃焼だった。
闇の滴は黒々とした燃えカスをまき散らしながら縮んでいく。
「や……やった! やったぞこんちきしょぉおおお!」
アズハは思わず叫んだ。
ボロボロになりながらも、守り通したのだ。
ココネは勇敢な戦士のように戦い抜いたアズハの無事を確認すると、安堵の表情を浮かべた。
「かっこいいよ……アズハ」
「足は震えっぱなしだったけどね」
あはは、とアズハは頬を掻く。
そして血とすすにまみれた手をゴシゴシと服で拭い去ると、ココネに差を差し出す。
「さ、帰ろう!」
「――うん!」
(つづく)




