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僕に、妹が出来ました

挿絵(By みてみん)


「朝だよ……起きて、アズハ」

 なんとも陰気くさい声で目が覚めた。

 アズハが重たい瞼を持ち上げると、ココネが灰色ネズミのようにぴゅっと逃げ出すのが見えた。ぼんやりとした視界の隅で、長い銀色の髪が尻尾のように翻る。

「うるさい……もう少し……寝かせて」

 不機嫌でぶっきらぼうな声はアズハだ。

 ココネは部屋の中央に置かれた粗末なテーブルの陰に身を隠し、恐る恐るといったふうに頭半分だけを覗かせている。淡く輝く銀色の前髪の隙間から、円らなエメラルドグリーンの瞳がぱちくりと瞬いている。

「朝……ですよ」

「うるさいな、あっちいけ」

 短く舌打ちをすると、寝返りしながら毛布をぐるぐると巻きつけて、粗末なベットの上で丸くなる。その姿はまるで大きな芋虫だ。

 木と石で造られた部屋は、芋虫が占拠した寝台の他に粗末なテーブルが置いてあるだけの質素なものだ。机の上には椰子油のランプと、今や古典となったイ=ス語の本が数冊広げてあった。王都とはいえ貧しい庶民の家はどこも似たような造りだ。


「かあさんが……今日は大事なカズリの祭儀(さいぎ)だから……起きろって」

 恐る恐る、という様子でベッドに近づいたココネが、おずおずとした指先で毛布のイモ虫をゆさぶる。

 ココネの朝の日課は大抵これだ。

「ん――がぁっ!」

 芋虫が寝台の上で仰け反り威嚇する。ココネは「ひゃっ!」と、短い悲鳴をあげて部屋のドアから逃げ出してしまった。

 とたた、と足音が階段を逃げ下ってゆく。

「これでしばらくは寝れ……」と、アズハが思ったのもつかの間、下の階でフライパンが雷鳴のごとく打ち鳴らされた。

 ガンガンガンガン! とすさまじい音が階下から響く。

「ごるぁ! ココネを泣かすんじゃないよ! 起きろバカ息子!」

 それは母の最後通告だった。

 ミシッ、と母が片足を階段に乗せる音が聞こえた。

 ――げっ!?

 部屋に踏み込まれる前に起きないとヤバイ! 昨日は毛布ごと窓から放り投げられそうになったのだ。アズハは慌てて毛布からもぞもぞと脱皮するように抜け出した。

「い、今起きたところだってば!」

 妹のココネを退けても、結局はこうなるのだ。

 あくびをしながら起き上り、寝癖の付いた黒髪を適当に整えながら、建付けの悪い木枠の硝子窓を手で押し開ける。

 途端、朝のまだ冷たく乾いた風が部屋に吹き込んだ。広げられたままの古本がパラパラとめくれてゆく。『――旧世界』『燃える水――』『――鉄の翼』そんな今となっては意味を失った神話の時代の文字が躍っている。

 朝の光がアズハの黒曜石のような瞳を煌めかせた。

 輪郭は少年らしいあどけなさを残しているが、きりりと涼しげな目もとは父譲りだ。

 アズハは眩しさに思わず目を細める。


 窓から見える景色は二階建の家々に囲まれた路地裏だ。漆喰で塗られた外壁はどれも色褪せ、半ば剥がれ落ちて石や煉瓦を覗かせている。煤けたような色あいの下町は灰色鼠通り《ザカニファル 》という呼び名も納得がいく。行き交う人々が交わすあいさつや、子供の笑い声が聞こえてくる。

 ここは――都市国家連合ラガンシェールの中央都市、アトラ・ラガンシュ。

 低い城壁で囲まれた城塞都市は、一つ一つが小国家としての機能を持っており、独立した自治と軍隊をそれぞれ擁している。都市国家連合は緩やかな連邦国家のような結束を持ってこのエンドルァ大陸の東半分を収めている。

 アトラ・ラガンシュは人口十万を擁する都市であり、連合国家群の中心都市だ。通商の要所でもあり上下水道が整備され、綺麗な水の流れる水路が網の目のように張り巡らされている。

 アズハの家のすぐ目と鼻の先は広場になっていて、中央には水を湛えた池があり、飾り気のない噴水が水を吹き上げている。その周りは市場バザールの様相を呈し、自由な商売が行われている。

 豊富な水と市場に並ぶ色とりどりの食べ物、そして様々な交易品。暮らすには何も不自由は無いだろう。

 ……お金があれば、だが。

 アズハはため息交じりに空を見上げた。

 父親が国の『雇われ戦士』であるアズハの家は、貧しい。

 国のお抱えの正式な騎士や戦士であれば、街の中心の立派な家で暮らすことも出来るだろうが、非正規の戦士はいつ契約が切られるかわからない不安定な職だ。


 アズハがよろよろした足取りで二階から降りて行くと、朝食が湯気を立てていた。

 家のリビングを見回すと炊事場と暖炉、そして中央に木組みで造られた大きなテーブルがある。

 食卓に毎朝並ぶのは、毎度おなじみのタム芋のスープに目玉焼き。そして今となってはとても貴重なライ麦パン。

 先に椅子に座っていたココネが、おはよう……と遠慮気味に声をかけた。窓から差し込んだ光がココネ髪を銀糸細工のように輝かせる。

「……ん」

 アズハは短く応え、無愛想な顔のまま反対側の椅子に腰を下ろした。

「パンが……二個?」

 座ると同時に配られたパンを見てアズハが嘆息する。ココネの皿にもパンは二個。

 ――昨日は三個ずつだったのに。

 不満げな様子に、母が視線を険しくしてアズハを睨む。

「育ち盛りのお前たちに食わせてやりたいさ。でも今王国は非常時なんだ。とうとう買えるパンに個数制限まで付いちまったのさ」

 腰に手を当てて、やれやれと肩をすくめて見せる。母はまだ若く、見た目だけではフライパンを打ち鳴らすような豪快なオカンとは思えない。

「わかってるよ……」

 アズハの沈んだ声に、向かい側に座るココネの瞳も陰る。


 都市国家連合の管理する共有農地はここ数年で急速に失われていた。

 それは土地を腐らせる『闇の滴』(スライム)と呼ばれる存在との、いつ果てるともない戦いのせいだった。

 広大な耕作面積で作付される麦は国の生命線と言っていい。国民の七割が農業に従事する都市国家ラガンシュールの主力産業だ。

 ところが、百年に一度とも言われる異常に長い雨季がようやく終わりを迎えたころ、突如、大陸の東の果てから『闇の滴』(スライム)が大量に湧き出したとの報が届いた。

 それは粘液質の不定型な怪物だった。大きさは握り拳ほどから、牛ほどもある大型のサイズまで様々で動きはのろく、移動速度は人間の歩く速度よりも遅い。しかし休むこと無く動き続け、進路上にある植物や、時には動けなくなった動物に群がっては消化酸で溶かし喰らってしまう。

 後に残るのは草一本生える事の無い、腐り果てた土地だけだ。

 一度彼らが這いずった土地は死ぬ。腐った土からはやがて新たな『闇の滴』が生まれてくる。

 駆逐するには叩いて切り刻んで、再生不能になるまですりつぶすか、ゼリー状の身体の中心にある『コア』を破壊すればいい。あるいは、強い火で燃やすのも有効で、単体相手なら決して負けるような相手ではない。

 知性は無く盲目にただひたすら動き回り、進路上の有機物をひたすら喰らいつくし、成長すれば分裂し無限増殖する化け物。

 都市国家の誇る軍隊ならば、簡単に駆逐できるはずだった。事実、初戦に置いては一人の損害を出すことも無く殲滅できた。

 だが――。

 それは駆逐しても、駆逐しても果てしなく湧き続けた。

 いつ果てるともしれない戦いに、兵は次第に疲弊し、闇の滴の酸で身体を蝕まれる者が出始めた。死者こそ出なかったものの、慣れない長期にわたる消耗戦で、軍はじりじりと後退を余儀なくされた。

 農地を奪われた小国家は徐々に衰退し、廃墟と化した都市が出始めた。無限に増え続ける闇の滴の前に、都市国家連合は徐々にその領土を蝕まれつつあった。

 そんな不毛な消耗戦が、既に十年も続いている。


「まったく、あの人も遠征したきり二年も帰ってきやしないしさ」

「親父……」

 アズハは押し黙った。

 父は国の雇われ戦士。戦争なんて百年も無かった平和な国の『お気楽家業』だったはずなのに、遠征に出たきり二年も帰らないのだ。

 アズハの父は版図を広げる闇の滴との戦いに駆り出され、既に幾度とない遠征を繰り返していた。伝令広報で届くのは国軍の戦略的撤退(敗走)の知らせだけだった。


「噂じゃアリアハルの森でも見た、なんて人がいるみたいだし、ここもいよいよ危ないかもしれないねぇ。まったくさ」

 アリアハルの森は街のすぐ北側に広がる森林地帯だ。街の東側と南側は肥沃な耕作地帯が広がり、西側は砂漠の広がる乾いた土地で四方に他の国々との交易路が伸びている。

 その北側の森に闇の滴が現れたとなれば、この国にとっては大事になるだろう。だが街は今のところ平穏そのもので、おそらくはただの噂でしかないのだろう。

 大人の心配をよそにアズハは空腹でそれどころではなかった。飢えた獣のようにパンに勢いよく食らいつきスープをすする。

 母もテーブルに腰を下ろすと冷たスープをすすりはじめた。ココネは俯き加減のまま食事には手を付けていなかった。

「おたべよ、ココネ」

 母がやさしく微笑み、ココネの銀色の髪をなでた。

 アズハはそんな様子をちらりと眺めながら、スープを胃に流し込んだ。


 ココネは、アズハの本当の妹ではない。『妹』として暮らしてはいるが、血の繋がらない赤の他人だった。

 黒髪に黒い瞳のアズハとは違う、銀色の髪に深い緑色の瞳。妹と言われても、民族すら違う異国の少女に、アズハは戸惑い、複雑な感情を抱いていた。


 一年前――。

 一人の異国の少女が家のドアを叩いた。

 埃にまみれた白い肌に薄汚れた銀色の髪。深い緑の瞳は怯えたように震えていた。

 腰には金糸銀糸で組紐のように織り上げられた異国の飾りがゆるりと巻きつき、ぶら下げられた瑠璃色硝子ガラスの小瓶だけが不思議な光を放っている。

 少女は、おずおずと手紙を差し出した。

 それはアズハの父親が母にあてた手紙だった。

 アズハの母は手紙を読み終えると、じっと薄汚れた少女を見つめ、やがてやれやれという風に肩をすくめた。

「命の恩人の娘だから面倒を見てくれ、だとさ。他に身寄りもないみたいだね……」

「親父の……命の恩人の?」

 アズハはその少女に、驚きと戸惑いの表情を向けた。

 家の前に立つその少女は『闇の滴』に滅ぼされた国の民ということだった。

 戦災孤児。親を亡くし、引き受け手のない少年少女がやがてどうなるのか、アズハもわかっていた。国の施設に入るにも金が必要だった。無ければ当然放逐され、やがて闇市で奴隷として売られてしまうだろう。

 放り出すわけにもいかなかった。

「安心おし! 今日から……ウチの子だ」

 そういうとアズハの母は、ニッと笑い娘の少女の頭をがしがしと撫でた。

 名前は――ココネ・レイハーネフ。

 不思議な瞳の色を持つ、異国の少女だった。

「アズハ! 今日から妹だと思って面倒見るんだよ。14歳で同い年だとさ」

「はぁあああ!?」

 アズハの叫びに、少女はビクリと身体を硬くした。銀色の髪もおどおどした様子も、まるで灰色ネズミだ、とアズハは思った。

「あの……よ、よろしく……おねがいします」

 頭をぺこりと下げると本来はもっと美しいはずの銀色の髪がさらりと揺れた。

 一人っ子のアズハは、突然の同居人にどうしてよいかわからず、戸惑う。

「い、妹って……そんな」


 アズハがそんなことを回想しながらスープに口を付けていると、目の前にパンがそっと差し出された。皿の上でライ麦パンが三つに増えた。

「あげる……」

「いらないよ」

 皿に追加されたパンを、アズハは押し返そうとした。

「私、ひとつで十分だから」

 そう言って僅かに小首を傾げ微笑むココネから思わず視線を外す。

「い、いらないなら……もらうけどさ」

 アズハは固く焼き締められたライ麦パンを半分に引きちぎり、頬張った。

 固いパンをもぐもぐよ咀嚼しながら、よくわからない気持ちを飲み込む。

「ココネ、遠慮なんかしなくていいんだよ? このバカは腹へりゃ自分のパン代ぐらい稼いでくれるさね」

 そろそろ働く歳だろ! この無職が、と二の句を継ぐ母を無視し、詰め込むようにパンとスープを食べ続ける。食べ盛りを地で行くアズハの様子を、目を丸くして眺めていたココネもようやく食べ始めた。

 アズハは三つ目のパンを口に放り込むと、立ち上がり出かける支度を始めた。古びた背負い袋に水筒と青林檎一つと、母が差し出したクッキーを何枚か受け取り詰め込んだ。

 火を起こす道具も必要かと思い立ち、火打石と金属棒を放り込む。

 アズハの支度の様子を見て、ココネが慌てて食べる速度を加速させる。む、むぐー! とむせて慌ててスープで流し込む。


「……じゃ、いってくるよ」

 今日は半年に一度の『カズリの祭儀』の日だった。それは死んだ者への祭礼と、生きているものの帰還を願う土着の祭儀だ。戦士は戦いに赴くとき、自らの墓に名前を刻む習わしがある。死ねばそこに埋められ、生きて帰還すればそれを削る。

 戦士が戦いに赴いている間は、家に残った者が月の満ち欠けと共に無事を祈る。それがカズリの祭儀だ。

「アズハ。今日はココネも連れてっておやり」

「え!? 勘弁してよ……」

 ちらりと食卓に視線を向けると、ココネが両頬を膨らませて、もきゅもきゅとパンを咀嚼中だ。リスか。アズハは呆れたように目を細める。

「ずっと家にばかり居てかわいそうじゃないか。町の外に出るいい機会だしさ、二人でいっといで」

「で、でも……」

「あー! ぐだぐだ抜かすなっ。今日は家の大掃除もしたいんだよ!」

 ばん、と箒の柄で床板を打ちつけて、そのままアズハの尻を叩く。痛い! と転がるようにドアから飛び出したアズハの後から、何故かココネも叩き出された。

 ごきゅん! とココネはそこでようやく朝食を飲み込んだらしい。

「じゃ、二人で仲良く気を付けてお行きよ! アズハ……ココネに何かあったら承知しないからね」

 後半語気に凄みを混ぜてそう言うと、母はバタンと勢いよくドアを閉めた。一瞬アズハに向けてサムズアップしていたように見えなくもなかったが。

「…………」「…………」

 閉ざされたドアの前で二人は茫然と立ち尽くした。果物を積んだ牛車がその横をのんびりと取りすぎてゆく。

 やがてココネと目が合った。

 着の身着のまま家から放り出されたココネは普段着そのもので、白と青の装飾が施されたワンピース風の民族衣装を身に纏い、年頃の女の子が巻くような腰布を巻いている。

 他に身に着けているものといえば、ココネが肌身離さず持ち歩くガラスの小瓶のペンダントだけだ。それはココネにとって大切な御守りらしい。

「しょうがないな。一緒に行く?」

「――うん!」

 ココネがぱっと目を輝かせた。瞳は翠玉のように綺麗で、思わず魅入っていしまう。アズハはぎこちない動きで踵を返すとココネを伴って広場の方へと歩きはじめた。


つづく

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