強奪
ラウンジだ。
ちゃんとラウンジがあった。
だがこの場所は本当にラウンジなんだろうか?
黒く平滑なテーブルに椅子。
前作でカウンターストップに用意された場所だった。
何かの嫌味にしか感じられない。
プレイングメニューが目の端に最小化されて表示されていた。
このメニューも懐かしい。
最大化表示すると一番下にログアウトの選択肢がちゃんとある。
本物、だよな?
(C-1、D-2)
《はい。ナノポッド運用状況は問題なし。代謝廃棄物の回収も確認》
《外部接続の状況は進展ありません》
《環境評価は随時継続中》
《ゲーム環境に変化検出。インデックス表示可能です》
試しにステータス表示を確認してみる。
中身はないに等しい。項目表示のみで数値が一切ない。
職業も種族も空欄だ。ある意味徹底しているが何か気持ち悪い。
アルファ・テストにしてもスカスカだ。
いや。
これは、このゲームの有り様はテストですらない。
それはなんとなく分かっていた。
だがオレは憐れな理系脳でしかないから確証が欲しいのだった。
どうやらその答えは目の前の人影が持ち合わせているに違いない。
夢の中で見た姿のままだ。
前作でオレがプレイした姿だ。
もう何者なのかも予想はしてある。どこまでも軽薄な奴だ。
「おめでとう。ようやく開放される時が来たようだね」
オレのキャラだったらこんな笑い方は決してしないだろう。心底腹が立つ。
自分の元キャラだからぶん殴るのを控えているだけだ。
「その格好、変えられないのか?」
「できるけどね。キミに殴られたくはないからね」
ほう。
自覚はあるって事かよ。
「今は殴らずに済ませておく。いいから姿を変えろ」
「どれがいいのかな?」
「オレに分かり易い姿で、だ。パーノール」
軽薄な笑い顔はそのままに懐かしい魔術師の姿に変化していく。
『微笑』のパーノール。
やっぱダメだわ。
日本刀を抜き放つと喉元に向ける。
「やっぱり。怒ってるから嫌だったのに」
「殴らないだけマシだ」
「イヤな返し方だねえ」
まるで意に介さない。
昔からコイツはそうだった。
「お前も運営だったのか?」
「介入した事は認めるけどね」
「どうやって?」
またあの軽薄な笑顔だ。
クソッ。
「言えない」
切っ先が喉元に僅かに触れていた。
パーノールの表情に変化はない。笑顔が貼り付いたままだ。
「もう一度だ。お前も運営だったのか?」
「このゲームの、という意味なら違うさ。見方によっては運営らしき役回りを演じていたのかもしれない」
なんだよ、それは。
「ボクがやったことなんかキミに違和感を与える僅かな事だけさ」
「何をした?」
「例えばその日本刀」
パーノールに突きつけている刀を見る。
これが?
「あの世界にあっては相当な違和感があったろうね。常に疑問を喚起する。まあそれだけの意味だったんだけどね」
「違和感?」
「そうだね」
彼の手元にいつの間にかティーカップがある。
左手で刀の切っ先を少し動かしてお茶を飲んでいた。
ふざけてやがるのか。
「このゲームに違和感はなかった?」
「あったさ。アルファテストなんだから当然あるだろ」
「いや、そういう意味じゃなくて、さ」
言いたい事は分かっていた。
ゲームとしての目的がどこにあるのか。
ゲームそのものをより洗練させたいのならテスターはもっと必要な筈だがまるでいない。
痛覚もそうだが市販する事を前提にするのであればおかしな点もあった。
世界設定も前作に比べておかしくなっていた。
そう、まるで。
ゲームとしての体裁を為していない。
いや、サーラはどうにか辻褄を合わせようとしていた。
彼女、いや、彼の意識から吸い上げた記憶では、元々この世界はゲームとして作られたものではない。
全ては彼女のため。
ガルズのためのもの。
「ガルズ。彼女一人を慰める。元々この世界はその為だけにあったものだった。キミはもう知っているよね?」
「元々ってのは何時からなのか、知っていたか?」
「最初からだったんだよ」
パーノールがまたお茶を一口飲んだ。
「ガルズの本体は生まれながらに重病疾患の患者だった。一種の宇宙膠原病だね。脳と脳幹以外は常時再生医療が必要な体だった」
こいつ、オレが知らない事も知っているのか。
「彼女の父親が彼女を慰めるために作らせた世界。最初がカイザード・オンラインだった」
「プレイヤーを外から入れたのは?」
「友達を作って欲しかったんだろうねえ」
その後の事はオレも知っている。
そこそこ人気のあるバーチャル・リアリティを使ったゲームの一つとして人気を博した。
ビジネス的にも成功の部類だろう。
「分からないのはサーラだ。何であんな存在がいるんだ?」
「キミは彼の頭の中を覗いたんだろう?知っている事をなんで聞くんだ?」
そう。
確かに知っている。
だが聞かずにいられるか。
「まあいいか。サーラ達は兵器に搭載される頭脳としてこの世に生を受けた存在だった」
「酷いな」
「そうだね。酷いよね。でもライフ・サイエンスの禁忌を破るだけの魅力もあったんだよ。最初はね」
そう。最初はそうだったのだろう。
彼らの商品価値を無くした技術が現れてしまったのだ。
「キミが開発したナノマシン技術の出現で彼らも本来の身の置き場はなくなった」
パーノールはお茶を飲み終えたようだ。
だが新たにティーポッドが出現していた。
お茶を注ぐ。まだ飲むのか。
「しかも軍事用途で生まれた彼らはそのまま世間に出る訳にいかなかった。並列有機コンピュータの代わりに流用されてたんだねえ」
「そしてカイザード・オンラインでも流用されていたって訳か」
「順番が逆さ。軍事用兵器とはいえ元は人間、あのゲーム世界で遊ばせていたんだろうね。いいストレス発散になったんじゃないかな?」
それはそれで酷い。
「オレが恨まれる理由は分かる。どうやってオレの身元に辿り着いた?」
「たまたまだよ。キミがナノマシン特許を取得する前、プレイヤーだったのだって偶然だろうね」
「ではサーラの雇い主の目的は何だ?」
分かっていた。
分かっているのに聞かずに居られない。
「キミが権利を持つ特許さ」
「だけどどうやって?」
「ネタばらしを期待しないでよね?サーラが知らない事まで何でも答えるつもりはないよ」
パーノールがまた一口お茶を飲む。
澱みがない。
考えろ。
考えるのを止めるな。
「最後にお前だ。何者なんだ?」
「言えない」
「ふざけるなよ」
パーノールの喉元から一条の血が滴った。
それでも彼は平気なものだ。
「出来の悪い庭付き一軒家の管理を任されているようなものなんだよ。私はね」
なんだそりゃ。
「庭にアリが大きな巣を作っていてね。たまにだけどボクの体に這い上がって噛んでくるんだよ」
「一体何を言ってる?」
「ま、邪魔にならない程度に駆除するんだけどさ。スマートに駆除するのって中々出来なくて困っているんだよ」
こいつ。
だが全てを喋らせてみてもいいかも知れない。
昔からそうだが比喩表現で遠まわしに示唆してくるのはコイツの常であった。
刀を少しだけ引く。
話の先を促した。
「隣の家では庭を全部掘り起こしてたよ。はす向かいでは毒餌を使ってたけどね、毒餌だとアリ以外も殺しちゃってたねえ」
何の話だ、それは。
「ボクは本当にアリの数を確実に減らす方法を試みた。少し時間がかかるのが難だけどね、一旦は上手くいったよ」
「どんな方法をとったんだ?」
またあの軽薄な笑いを浮かべてお茶を飲んだ。
「心理的な退廃に肉体的な退廃。人口爆発に加えて資源の枯渇。経済の停滞に科学技術の停滞。思想の対立。軍事的対立」
え?
アリの話、だよな?
もしかして、最初から違っていたのか?
「まだあるけどね。全滅しない程度にいい感じで減ったんだよ。庭もあまり荒れずに済んだ」
まさか。
アリというのは。
まさか。
「あんたは」
「神様、なんて言わないでよ?ボクみたいなのが神様なんてありえないって」
ふざけているのか?
「じゃあ何だ?」
「憐れな管理人さ。自由なんてありゃしない」
「いつからお前はいる?」
「気が付いたら君らも見ていたのさ」
「見ていた、だって?」
「そうだね。キミもゲーム内で見ただろう。神の使徒として世界を巡る事になったのがいたろう?」
ルシウスとラシーダ、か。
神々の目となり耳となる存在。
まさか。
「やっぱり観察するなら同じ目線に立たないと、ね」
「その姿はまさか」
「やっと気が付いた?これだってキミ達を観察するのに都合がいいからね」
ティーポッドからお茶を注ごうとするがもう中にお茶は残っていないようだった。
残念な顔をオレに向ける。
「どうやらもう終わりみたいだ。残念」
「待て」
「キミは中々面白い題材だったけどね。まあボクの興味は別の所にもあったし十分楽しめたよ」
「待て。待ってくれ」
「後はキミ次第。ちゃんと待っているよ。キミがボクを殴りに来るのを、ね」
「人間をアリ扱いだと?ふざけるな!待て!」
「いいねえ、キミの怒りは尤もだよ。実に人間らしい」
こいつは。
こいつは一体何をしてきたのか。何者なのか。
理解できない。分からない。
知らない事が恐ろしい。
だが知りたいという欲求を抑えることも出来ない。
待て。
「キミだってアリの意向に構う事なんてないだろうに、ねえ?少しは思い返してみるといいよ?」
待て。待ってくれ。
「それにさあ。この話って一度キミとはしているんだけどな。人間っていいね。イヤなことは綺麗に忘れていられる」
オレの目の前でパーノールの姿は消えてしまっていた。
「じゃあがんばってね」
空虚な声が響いた。
ティーポッドとカップは残されたままだ。
さっきあった事は幻ではない。
そう語りかけているようにも見えていた。
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意識が浮かんでくる感覚に暫く身を委ねていた。
眼球の動きにナノポッドが反応している。ナノポッド管理AIが語りかけてきた。
《覚醒確認しました。ナノマシン排除作業は致しますか?》
「後でいい。一旦外の空気が吸いたい」
《了解しました。生体維持装置の調整開始します。終了まで30秒ほどお待ちを》
一息つく。やはり戻ってきた実感があるのはいいことだ。
「C-1、D-2へ。他の支援AIとの接続確認だ」
《C-1、確認しました。0-1でも0-2でも他AIとの接続できます》
《D-2、確認しました。問題ありません。これまでの状況が改善された理由については不明》
「ナノポッド管理AIを呼び出せ」
《B-1です。支援体制の不備は現時点で解消。原因は不明。ピュア・セキュリティ・モニターへの出力は一時停止します》
《A-2です。B-1のバックアップ体制は維持のままC-1、D-2とのシンクロを最優先で維持します》
「何が起きていたか予測できるか?」
《A-1です。PDCA精査ルーチンは接続開始以降停止状態。データ不足のため原因の特定は困難です》
「C-1とD-2のデータ共有が終了次第、精査を進めておいてくれ」
《了解》
ナノポッドの蓋が開いた。
体に装着されているいくつかの器具を外してその場に投げ捨てるように放って置く。
すぐさま自動機械が飛んできて片付け始めた。
「先にシャワーだ。お茶は温かいのを用意してくれ」
《B-2です。了解しました。あと伝言があります》
「何だ?」
《マグナス少尉からです。覚醒したら連絡が欲しいとのことですが》
「今は標準時で何時だ?」
《10時15分を今過ぎました》
「身支度がある。11時あたりで連絡はしておけ」
《了解》
少しだけ考える時間が欲しかった。
一体、パーノールは何を言いたかったのか。
理解の範疇を超えていた。
だが理解せねばならない。そんな気がしていた。
下着を脱ぎ捨てるとシャワーを浴びた。
熱目のシャワーと冷水のシャワーを交互に浴びる。覚醒がより進むような気がした。
唐突に違和感が感じられた。
そう、何かが違っていた。
オレの手だ。
左手の小指にイエローリングが嵌っていた。
右手の小指にもシルバーリングが嵌っている。
そんなバカな。
これはゲーム内にあったアイテムだった筈だ。
最後まで何を目的として作られたのか、何を封じたのか不明のままだった代物だ。
どうして。
サーラとの戦いに挑む前、この2つの指輪はどうした。
思い出せない。
なんで思い出せないのか。
分からない。
分からないことが恐ろしかった。
「B-1、A-2。オレの手に指輪があるのは見えるか?」
《B-1です。確認できます》
《A-2です。確認できます》
「ナノポッドに入る前にオレはこんな指輪をしていたか?」
《画像確認しました。していません》
《覚醒直後の画像確認しました。しています》
「何故か分かるか?」
《申し訳ありません。原因不明です》
呆然としたまま用意された衣服に着替えてお茶を飲んだ。
指輪は外そうとしても何故か取れない。
触ってみても金属の質感がちゃんと感じられた。
考えろ。
考えることを止めるな。
違和感がどうしても抜けきれない。
ゲーム内のアイテムが何故現実の世界にあるのか。
ヒントはどこかにあった筈だ。
日本刀。
最初から仕組まれていた違和感の元だった武器だ。
あれは何のために最初からあったと言っていた?
パーノールは何と言った?
予想できる答えが頭をよぎる。
だがそんな答えを直視したくない自分がいた。
恐ろしい。
知らない事が恐ろしい。
恐ろしい
知ってしまう事もまた恐ろしい。
一体何が起きているのか。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ようやく彼が目を覚ました。
どうしても緊張してしまう。
難しいことは考えなくていい。私がやるべきは任務だ。
それがどれほど穢れた任務であったとしても。
既に手順は定めてある。彼に日常連絡をとりあう既知の友人がいないのも有利に働くだろう。
ウエスト特務中佐と宇佐弁護士と面談している彼の様子は普段と比べても精彩がなかった。
「では長期間ログアウトできなかった、ということですか?」
「ええ、まあ」
弁護士もあきれた様子だ。
そんな理由で長期間実務を放棄していたのか。
言い訳にしては酷すぎる。
実務、とは言っても彼が何を日々研究しているのか、一番分かっている私にだって理解しきれないのだが。
今の彼の格好も30代の若手技術者として見るのは困難だった。
東洋人の常で若く見える。大学生に見えなくもない。
使い古しのジーパンにTシャツだけの軽装だ。両手の小指に指輪もしている。
いつもにも増して軽薄な格好だった。
聞き取りがまだ続く。アクセスログは知れているが、その先でどういった会話をしているか知れたものではない。
迂遠だが後々の面倒事は減らしておきたい。
この計画に関わってるメンバーは決して多くはないのだ。
「さて、ここから本題なのだがね」
ウエスト特務中佐からのサインだ。
手筈通りに彼の背後に回る。
「君には悪いがここで退場して貰う」
「退場?」
私は手にしたハンドガンを彼の首元に突き付けた。
「少尉。頭にダメージを負わせて貰っては困りますな。心臓でお願いしたい」
おっと。
弁護士に注意されてしまった。
やはりどこかで慌ててしまっていたようだ。
生体DNA認証だけでなく眼球虹彩も音声認証も必要になるのだった。
声帯を潰してはいけない。
「これは失礼」
後ろから彼の心臓の位置にハンドガンを突き付けた。
「これは何の真似ですかね?」
「疑問かね?そうだな、君がもう軍にとってもお払い箱ってことだよ」
「お払い箱?」
「まあ安心してくれ。君の研究は我等が引き継ぐ」
そうだ。
彼が今抱えている研究は我々が引き継ぐ。
その権利も利益もだ。
その巨大な利益は個人が独占すべきものではない。
軍が一括管理すべきものなのだ。
彼もナノマシンを利用した遠隔操作の特許で十分に潤っただろうし、短いとはいえ充実した一生を送れたことだろう。
充分だ。
だが彼一人が潤うのを快く思う者ばかりではないのだ。
「なんで?」
「時間稼ぎは諦めることだ。話し合う余地はない」
「銃をどうやってここに持ち込んだんですか?」
なんとこの期に及んでまるで見当違いの質問をしてきた。
中佐も呆れ顔だ。
「不思議だ。どうやって持ち込めたんです?」
「それを聞くのかね?」
「知りたいだけですよ」
中佐が私に視線を投げかける。
どうせ大した意味もないが知らせておこうか。
「古くからある銃でしてね。金属部品はなく炭素繊維と超高分子プラスティックの複合材で弾頭も同様。発射はガス式なんですよ」
「へえ」
精彩がないと思っていた目に力が宿ったように見える。
彼との付き合いはそこそこ長いがやはり理解できそうにない。
「なるほど」
命が失われようとしていることを理解できているのだろうか?
満足のいく答えを得たのか、口の端に笑みが浮かんでいた。
軽薄な、貼り付いた笑い顔だ。
何故か異様に寒気がする。
「では少尉」
「了解」
だがそんな不快感もいずれ消えてくれるだろう。
私は躊躇なく引き金を引いた。