裏切り
北欧神話だよな、フェンリル狼。
いや、フロスト・ジャイアントもファイア・ジャイアントも北欧神話の住人だけどさ。
神様?
「あ、えっと。北方に住む狼人族は大体はフェンリル様の信徒だと思います」
狼だからなのか?
『フェンリル狼はミッドガルド蛇と同じく末世に出現する破壊と創造の神じゃよ』
答えたのは老齢のフロスト・ジャイアントだ。
『この世の不浄なるものを全て呑み込む者達だ。そして戦いの終わりにその肉体は世界の糧となる』
「フェンリル様もミッドガルド様も身を挺して世界を不浄から救う神です」
『世界の在り様を賭けてアスガルドの神々と雌雄を決する。だがその勝負の在り様もまた定められたものだ』
「ラグナロクですね」
サーシャと巨人が意気投合してるようにも見える。
同じ世界観だとそうなるか。
ファイア・ジャイアントも参加してくる。
『我らもまた世界を破壊する力を与えられている。だがその力の在り様も破壊すべきものがなければならぬ』
破壊すべきもの?
『世界の歪み、とワシ等は呼ぶ。その時が来れば我らは漆黒の肌にこの身を焼きながら世界を蹂躙するであろう』
なんかおっかない話だな。
しかも北欧神話とかなり違う設定になってるんじゃ?
フロスト・ジャイアントが話を引き継いだ。
『ワシ等のような霜の巨人もまた世界を滅ぼす力を与えられておる。世界を停滞させる力がな』
それもまたおっかないな。
『だがその根源たる理由が分からぬ。誰がワシ等のような者を遣わしたのか、誰も知らぬ』
運営です。
そう言えたらどんなに楽なことか。
今度は緑のドラゴンだ。
『我等ドラゴンには神をも殺す力を与えられている。だがその理由を知らぬ』
なぜかその思念はとても悲しそうだ。
『知らない、というのは恐ろしいものだ。だが知らない事にも何らかの意味があるのかもしれない』
AIの出す答えじゃないよなあ。
どうなってんだ?
結局、夕方まで世間話をしていた。
女神ヘスティアの料理教室がサーシャ達には好評を博していたようだがオレはパスしてた。
海神ポセイドン、ドラゴン、そして巨人達と少し難しい話をしていた。
主に彼らの記憶するこの世界の歴史を、であるが。
共通して懸念している事は、彼ら自身は巨大な力を与えられてはいるものの、その力の行使には躊躇している点だった。
本当にいいのか。
どこで、どこまで使っていいのか。
何より何故こんな力を与えられている、と知っているのか。
その疑念がつきまとうのだと言う。
お悩み相談にしては重たい内容だ。
結局、オレはほぼ聞き役に徹してその日を終えていた。
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何も戦闘がなかったので夕飯を食って宿に戻った。
明日は明日でまた別の神々や巨人が来るらしい。
見世物になっているような気分だ。
まあ暫くは付き合うしかない。
「ヘスティア様のお話を伺っておりますと料理がしたくなってきますね」
サビーネはどこまでも真面目だ。
そういったスキルに興味があるのは他にサーシャだけだ。
2人して何やら密談していることは見て見ぬふりをしておいた。
料理、そんなにしたいのかね?
このラクラバルの飯はどこで食ってもそれなりに旨い。
最近のメニューが猪肉一辺倒になりがちなだけで。
サーシャ達が風呂に行っている間に現世の様子も確認しておく。
というか【思考分割】でモニターし続けている情報を一気に読み込むだけだ。
今日はいつもより人影が多かった
普段から姿を見せているルイス・マグナス少尉はもちろん、いる。
ラルフ・ウエスト特務中佐と宇佐義之弁護士の姿がチラホラと見えていた。
(C-1、D-2)
《はい。ナノポッド運用状況は問題なし。代謝廃棄物の回収も確認》
《外部接続の状況は進展ありません》
《環境評価は随時継続中》
(彼らの動向から推測し得る項目はあるか?)
《ピュア・セキュリティ・インフォから何らかの生体データを得ようとしていると予測されます》
(根拠は?)
《遠隔型スキャナーまで持ち出してナノポッドそのものに対する干渉を試みているようです》
《機器タイプは医療用のものですが、非常に高性能です。単にデータを取得するには大げさに過ぎます》
《無論、生体データを取ることは不可能です。マスターの使用している全てのナノポッドは電磁シールド済みです》
なんだ?
行動だけで見ると焦っているようにも見えるが。
(引き続き情報収集と解析を頼む)
《了解》
《了解》
他に【思考分割】も解呪して情報統合していく。残すのは神々との連絡用のものだけだ。
あの殿下とやらはまだ坑道で粘っているようだ。
味方は殆どが撤収していることを知らないのだろうか。
そして帝国の玉座はずっと空のままだ。
見かけたのは警護らしき兵士の影だけである。
なんとも空虚だ。
サーシャ達が戻ってくるのと交代で風呂に入りさっさと寝てしまった。
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翌日も同じような時間に廃墟の町に出向いた。
顔触れは昨日とは違っている。
まずはドラゴン。
緑のドラゴンは変わらず鎮座しているが、漆黒のドラゴンの代わりに白銀のドラゴンが周囲を警戒していた。
『白金竜』プラチナ・ドラゴン・オブ・グレイサー。氷河の竜とも言われてた個体だ。
次に巨人。
フロスト・ジャイアントは変わってないが、ファイア・ジャイアントは剣を担いだ若い巨人と老齢らしき巨人になっていた。
そして神々。
女神ペルセフォネーは変わらずいるが、その他のメンバーは全て変わっていた。
軍装の神が2人、片方は女神だ。恐らくは軍神アレスと女神アテナだろう。
そして露出はむしろ少ない装いなのに、匂うような色気を漂わせる女神がいる。
美と愛の女神アフロディテ、だろうな。
最後の1人はまるで牧童のようだった。だがその杖は見たことがある意匠のものでその正体はすぐに知れた。
伝令神ヘルメスだ。杖は先端に翼があり2匹のヘビが巻きついている。
ケーリュケイオンの杖だ。
今でも医療機関でこのデザインを紋章に採用していたりする。
そしてオレは彼らとも昨日と同じような問答を繰り返す羽目になっていた。
若干、彼らの切り込む角度が違っているだけだ。
迂遠ではあるが付き合うしかない。
サーシャとサビーネはまるで退屈している様子がない。
女神アテナを相手に縫い物をしている。刺繍だ。
白地の布に白糸で細かく花模様が描かれている。白に白糸で目立たないように思えたがなかなか味わいがある。
かなり厳しく指導を受けていたようだが大丈夫か?
カティアとラクエルは軍神アレス相手に剣術を習っていた。
腕の差は歴然だ。いいように転がされているし。
ふむ。
これってAIがAIにアナログで教えを乞う形になるんだろうか。
女神アフロディテは終始聞き役であまり話はしなかったが、ヘルメスがその分おしゃべりだった。
恐らくヘパイストス神が注意を促したのはこの神のことだろう。
興味本位であれこれ聞いてくる。
正直、閉口した。
だからその事態が発生したのは救いだったかもしれない。
あの殿下が遂に裏切られたみたいなのだ。
【遠視】と【遠話】で映像と音声はリアルに見えていた。
床に3つの石版も見えている。そしてガーディアンの姿もハッキリと見えた。
レッサーデーモンだ。
その体躯はオーガに等しい。
物理攻撃力はオーガに一歩譲るが、こいつの恐ろしさは高い魔法攻撃力と防御力にある。
支援がなければ人間に勝ち目などない。
オレは2人の人間が4つの石版を同時に外す所から見ていた。
外したのは殿下とその従者である神官戦士の女だった。
石版を外し、レッサーデーモンが出現したその時。
後方で異変が起きた。
騎士らしき男がロックビーストに上半身を噛み千切られていた。
悲鳴が神官戦士の女の口から放たれる。「リカルド兄様!」と叫んでいた。
駆け寄ろうとする彼女の背中にレッサーデーモンの振るった棍棒が直撃する。
たった一撃で虫の息だ。
そんな彼女に殿下が駆け寄った。「援護しろ!」と叫びながら。
その背後にダークエルフが追従する。
援護のために、ではなかった。
鎧の継ぎ目にダガーが潜り込ませていた。
「貴方がいけないのですよ、殿下」
ダークエルフの声色には哀しい色があった。
「これもまた帝国のためです。ここで人知れず斃れて頂きます」
「・・・何故、だ。ゲフラ・・・」
「貴方は様々なものを生まれながらに与えられていた。それがいけないのですよ」
「何を言うか!」
「貴方の死刑執行はこの魔物がしてくれるでしょう」
「・・・」
「貴方には恩もありましたので回りくどい方法にさせて頂きました。ご容赦下さい」
口調は実に丁寧だがその言葉には毒が含まれていた。
「ああ、これはいけない。ラシーダ殿は無傷で持ち帰れと命じられていましたのに」
ダークエルフの口元に笑みが浮かぶ。
「まあいいでしょう。殿下の死のお供に乳兄弟とその妹が従者となれば寂しくはない」
殿下は何も言い返せないようだ。
「ああ、毒がもう回っておりましたか。これは失礼」
そう言うと殿下の剣を奪った。
従者達の元に戻ると転移のオーブに道標を突き刺した。
その従者達は皆、下卑た笑いを浮かべているように見える。
無残。
ダークエルフとその従者達は、従属させた魔物2匹と共に転移してしまった。
「何かありましたか?」
おっと。
女神アフロディテが珍しく声をかけてくる。
指輪をしているとはいえオレの思念は伝わっていなかったようだ。
それでも顔色までは隠せない。
「悩んでる?何か悩み事かね?私が聞いて進ぜよう」
ああもうヘルメスは五月蝿い。
このまま見捨てるのは容易いが相手はレッサーデーモンか。
サーシャ達は熱心に神々と交流を深めている。
邪魔するのも悪いな。
「ちょっと行きたい所があります、すぐ戻りますよ」
女神ペルセフォネーに断りを入れると【転移跳躍】を念じようとすると割り込みが入った。
「あ、オレも行っていいかい?」
ヘルメス神だ。
急ぎたいんですけど。
オレの脳内ではレッサーデーモンが殿下に迫っている。
仕方ない。
無言のままヘルメス神ごと【転移跳躍】を念じた。
レッサーデーモンは男を踏み潰そうとしていた。
ちょうど男の兜目掛けて跳んだので、オレとヘルメス神にも踏み下ろす形になっていた。
【位相反転】を念じて不可視の盾を構築する。
カウンターで脚の膝あたりまでを吹き飛ばした。随分と思いっきり踏み下ろしてしたらしい。
残っていたもう片方の脚に日本刀で抜き撃つ。
サーシャ達との同調効果がないから威力は落ちるだろうと思っていたが両断してしまう。
だがこのレッサーデーモンには翼がある。
地上に落ちはしたが浮かび上がった。
再度【転移跳躍】を念じてデーモンの頭上に跳ぶ。
【魔力検知】でこのデーモンが幾層もの防御結界を構築済みなのが見えていた。
その手は知ってる。
前作でレッサーデーモンどころかデーモン、そしてグレーターデーモンとも戦ったことがあるのだ。
MP吸収効果が望めない事は折込み済みである。
そして最も警戒すべきことは魔眼に宿る固有能力だ。
天使の歌声もそうだが、どんな能力が宿っているかが事前に分からないのが悩ましい。
サーシャ達を連れてこなかった最大の理由がそれだ。
正面に回っては魔眼の効果で何が起きるか知れたものではない。
鎧兜の能力である程度は防げるが、数瞬は隙を生じるかもしれないのだ。
それに純然たるオレの力量も測れそうだしな。
傲慢でもなんでもなくいい相手だろう。
首元を刀で薙ぐ。
複層ある筈の防御結界をいくつもすり抜けて刀が首に吸い込まれていく。
一撃で両断。やっぱおかしいわ、この刀。
だがそこで別の現象が足元で起きていた。
四重の魔法陣が築かれていた。こいつの魔眼は召喚術だったのか。
一旦距離を置いた。
そういえばヘルメス神はどうした?
彼は倒れ伏した男と瀕死の女を抱えて宙を浮いていた。
そのままオレの所に飛んでくる。
「いきなりでビックリだよ」
「いきなり付いて来るからですって」
男女とも生気が残っている。というより眠っているようにしか見えない。
「生きてるんですか?」
「まあ軽く祝福だけしておいたがね」
神様の祝福一つでこれか。
女は瀕死だった筈だが回復しきっているようだ。やるじゃん。
目の前でレッサーデーモンの体躯が分解されていく。
元々は体を持つ存在を媒介して肉体を形成するのが天使であり悪魔である。
案の定、レーッサーデーモンを媒介して出現し始めているのはデーモンだった。
出現し終えるのを待つことなく距離を詰めに行く。
デーモンは不気味に形を変えながら体の各所を蠢かせている。
こいつはあまり時間をかけずに一気に始末すべきなのだ。
時間経過と共に始末に終えなくなる。
【空間遮断】と【渦流閉鎖】を同時に構築する。
デーモンの周囲の空間を削るのと同時にその中心にもう一つ、渦状の空間を収束させていく。
遮断した空間の内部で急速に質量の偏移が起きる。それにつられて重力も、空間も、全てが歪んで行った。
閉鎖空間を【位相反転】で1点へと潰してしまう。
魔力の残滓になる魔結晶を残してデーモンは肉体を消失していった。
「これは見事」
神様に見せるような大した代物じゃないです。
でもまあまあの出来だろう。
前作ではグレーターデーモン相手でも一方的に勝っているのだからこの程度は当たり前ではある。
確認できたことに意味があった。
「まあまあですよ」
謙遜になってない。
ちょっと受け応えがおかしかったかな。
石版を拾って魔水晶を3つ回収する。
レッサーデーモンともなると随分と強いガーディアンになる。
もう少し弱い相手ならこの殿下と神官戦士の女でも凌げたのかもしれないが。
腹心らしき従者に裏切られたのでは、ね。
避けようもなかっただろう。
皇帝家の一員とはいえ、その身分を失う時はあっけないものだ。
「その2人、預けていいですか?」
「うん?もちろん。既に祝福を与えているのであれば否はないよ」
ギリシャ神話の中でヘルメス神はどちらかと言えば油断のならない神だというイメージが強かった。
個々の神様も設定を少し変えているような感触がある。
白状すると女神アフロディテとか年中発情してるような偏見があったのだ。
軍神アレスはもっと酷くて頭の弱い暴れ者だと思っていた。
そう。
この世界は最初から何かを歪めてあるような印象がある。
神々だけではない。
プレイヤーのオレだってそうだ。
何かが引っ掛かっていた。