妥協
目覚めると目の前にはカティアがいた。
「お、起きたぞ」
首を横に向けるとラクエルもいた。
「おー」
相変わらずかっるいな。
「どの位眠っていた?」
「半日以上眠ってました。もうすぐ日が落ちます」
足元の方を見るとサビーネもいた。
「大丈夫ですか?」
頭の上の方からサーシャの声が降って来る。
全員が揃っているのを確認すると少し安心できた。
だが何かがおかしいな。
夢を見てた気がするんだが思い出せない。
大事なことだった気がするんだが。
随分と熟睡したせいか、すこぶる気分が良くなっている。
現実世界の肉体もそうなんだろうか。
体を起こして周囲を見るとどこかの天幕の中らしい。
そしてオレ達しかいなかった。
「気がついたら塔の下に設営してある天幕に来て欲しい、と伝言を預かってます」
まだこれ以上聞きたい事があるんかね。二度寝したいが寝すぎたせいで眠れそうに無い。
「この天幕は?」
「フェリディの冒険者ギルドの持ち物なのだそうです。暫く逗留してよいと言われてますが」
冗談じゃない。ラクラバルの宿代が勿体無いだろ。
「ここに留まる理由は無いな。用件を済ませてラクラバルに戻るぞ」
全員が頷く。あの宿は魔性だな、長逗留したくなる。
「そういえば5人の妊婦はどうなった?」
こんだけ大変な思いをしておいて無駄だったら救われない。
「無事なんですが、ちょっとおかしなことになってます」
無事だと言っておきながらサビーネの顔が冴えない。
カティアもラクエルも普段どおり平然としてるから大事じゃないんだろうけどな。
「あ、あの、妊婦じゃなくなっちゃたんです」
そうか。
【精神同調】で体験した事が本当ならそうなってるよな。
「それに記憶がないみたいよー?」
記憶が無い?
「名前も思い出せないのだそうです。そのせいで多少混乱もしているみたいで」
サビーネの表情は冴えないを通り越して悲しげだ。
まああの中の1人は人馬族だったからな。心配にもなるだろう。
「そうか」
彼らが母親にしたことがこれか。
このホールティに囚われて何をされてきたか、忘れてしまっているならばむしろ福音なのかもしれない。
夕方が近づいたホールティの町の賑わいは少し落ち着いているように見える。
明らかに街中に正規兵の姿が少なくなっていた。
気の早い屋台は夕飯の用意を始めている。だからその匂いはよせ。
何故か普段以上に腹が減っている気がする。
現実世界の肉体は定期的に栄養分は補給されているというのに。
この辺りの整合性が取れてるとは思えないのだが。
3つ並んだ塔の近くにある天幕を覗くと爺様と婆様の集会場になっていた。
格好はバラバラだが共通している雰囲気がある。歴戦の兵士、そして熟達した冒険者でしかまとえない迫力がある。
一気に入りたくなくなったがジエゴの爺様に声をかけられた。
「おお、起きたか。全員入ってくれ」
サーシャ達まで中に招き入れる。
既に爺様と婆様達で20名近くいたのにオレ達まで入って天幕は満杯になった。
息苦しいよもう。
微かにサーシャ達からラベンダーの香りがしていたが、その匂いを上書きするものがある。
酒の匂いだ。
飲んでる奴がいるのかよ。間違いなくドワーフ達だ。
彼らには酒なんか水と一緒だ。
「ここにおるのは各地の冒険者ギルドから派遣されてきた者、そして神官団の者じゃよ。心配はせんでええ」
そういえば見知った顔はジエゴの爺様だけじゃないようだ。
フェリディで出会ったエルフのニルファイドさん。
バジドで出会った豹人族のクラウサさんに神官のアロンソさん。
目が笑ってるのはなんでだ?
「この若い連中は?」
「若いが冒険者じゃよ、ちょっとワシから依頼をしておってな」
しまったな。
つい中にはいってしまったが各地の冒険者ギルドの連中に顔を覚えられるような真似は避けておきたい。
「結果は仲間から聞いておるかな?」
「まあ大体は。で、依頼成功なのか失敗なのか、分からないんですけど」
かなりぶっきらぼうに言い放っておく。報酬はなくてもいいが、あまり便利な奴とも思われたくない。
「成功、としとこうかの。それと色々と聞きたいことがあるんじゃが」
「お邪魔でしょ?」
「かまわんじゃろ?」
周囲を見回してそう同意を得ようとするな。
他の連中もこんな若造なんだから追い出せって。
オレがかまうんですけど。
天幕の一角は酒盛りになっていた。
オレが懸念していた目立つような事はなくなったようだ。ドワーフ族の目立ち方が半端ない。
つかなんで騒いでるの?
「塔の魔法式書き換えがようやく終わっての。まずは一区切りしたんじゃよ」
へえ。
ジエゴの爺様も肩の荷が降りたのか。
ところでこのホールティの塔はどこの所属で魔法式書いたのかね?
「まあ当面は帝国側が侵入を防がねばならんでな。各国の派遣軍には辛抱して貰ったわい」
肩の荷が降りてねえ。問題を抱え込んでるじゃねえか。
「それ、後々に禍根を残しませんかね?」
「ここから先は切り取り自由、と言う事になるじゃろうな」
問題先送りにしたのかと思ったがかなりの策士だよ爺さん。
なんか怖い。
各国の征服欲を焚き付けやがったのか。
「じゃあオレ達が見つけたイズマイルは?」
「もうワシ達で確保しとる」
既得権確保も早いし。実は性格悪いでしょ。
「北の2つの町もワシ達とメリディアナ王国派遣軍で陥落させておるよ」
拠点が増えてますねえ。いいことです。
点が線に、線が面になりつつある。
帝国側で焦っているのも分かる気がする。地形的に両断されつつあるからだ。
「で、他の国の派遣軍はどう動くと思います?」
「西へ向かうんじゃろうな」
まあその方が楽でしょうとも。
エルフやドワーフ、それに人馬族がいた領域も比較的容易に奪還できるだろう。望ましい事は間違いない。
でもね。
緑のドラゴンが居座ってる町はやめた方がいいと思います、先生。
「竜がおることは知らせておる。優先すべきは大トンネルじゃよ。あれを確保できたら軍もこちら側により多く派遣できるじゃろうて」
上手くいけばいいですね。
脳内で棒読みですけど。
帝国側の正規軍が攻勢をかけてきたらホールティも危ないと思うけどいいんですかね?
「ではお前さんの話を聞くとしようかの」
ギクリ。
やはり逃してくれないのか。
長い夜になりそうだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
しまった。
最初から閉鎖した環境を作り上げて繰り返し同じ事を聞く。
矛盾点を全く無く同じことを果たして言い続けられるものだろうか。
普通は無理だ。
これは尋問の基本だ。ついでに洗脳の基本の1つじゃねえか。
最も相手が思っている以上のサプライズを用意して環境を変えるのも洗脳の基本の1つだ。
組み合わされたらたまったものじゃない。
絶妙のタイミングで出てきた夕飯には悪意を覚えたね。
話し込むと時間の経過が早く感じる。
サーシャ、カティア、サビーネの3人はオレの傍で座り込み体を寄せ合うようにして眠っていた。
ラクエルは平気なものだ。ヒマワリの種をポリポリ食って話を聞いている。
ニルファイドさんもさすがにエルフだ。眠気など何も感じられない。
ラクエルとご相伴でヒマワリの種をポリポリ食って話を聞いている。
ジエゴの爺様はどちらかと言えば聞き役に徹している。
つまりオレが一方的に説明してる訳だが。
新しい話の種がなくなると秘密に属する話もしたくなるものなんですよ。
その手に乗ってたまるか。
遂には互いに折れる事に。
まあ腹の探りあいに終始しても何も生まれませんから。
意識を取り戻した5名の女性の件はヘスティア神とヘラ神の神官団が面倒を見ることに。
オレは月一回程度はホールティに顔を出すことに。
さすがに【遠話の水晶球】を持たされるのは回避した。そこまで縛られるつもりはない。
冒険者ギルドからはオレの予備プレートに新たな刻印を施すことになった。
一種の優先通行パスなのだが少々意味が異なる。
各国の派遣軍指揮官に出している刻印と同じものなのだ。
ぶっちゃけ各国の王宮に対しても冒険者ギルドが身分の保証をするものになっている。
どちらかというと外交官特権に近い。さすがに独自の執行権までは認められないようだが。
但しこれは商用で悪用もできるが、発覚した際はお尋ね者になりかねない。
おっかないよ、あんたら。
特権と引き換えに首輪付けるようなもんだってば。
無論、報酬は頂いた。冒険者ギルド相手に安請け合いは危険だ。
ジエゴの爺様相手だと特に。
白金貨2枚を受け取る際には下卑た笑い顔を作ってみせたものだ。
天幕の中では重鎮達は朝まで飲み続ける勢いだ。
重鎮、ねえ。
冒険者ギルドの先行きが不安になってきた。
さすがに派遣されて来ているだけにギルド長はいないそうだが、それでも不安が募る。
大丈夫なのか?ここは。
寝ているサーシャ達を起こすとホールティを出てラクラバルへ跳んだ。
結局、丸一日戦闘がなかった訳だ。
探索も進んでいない。
白金貨2枚は十分な報酬なのだろうがこの金の出所も謎だ。
高すぎるだろ?
一瞬、ジエゴの爺様相手に【接触読心】を仕掛けたくなった程だ。
謎だ。
それにオレも表情を繕っていた訳だが一度だけ失敗した自覚がある。
ホールティ以外でもオークの繁殖が行われている可能性について、だ。
城郭のある大きな町はもちろん、周辺の村々も妙齢の若い女性がいなかった。
その話を急にされた時、オレの顔は一瞬引きつっていたに違いない。
ニルファイドさんはオレの表情を逐一見ていた筈だ。
油断ならない。
ジエゴの爺様はオレの戦闘力を直に見ているしな。
「すみません、さすがに眠いのでお先に就寝いたします」
サビーネは眠そうな時でも真面目か。装備を脱ぎ優雅に一礼するとベッドに直行する。
カティアは既に眠り込んでいたサーシャをベッドに運ぶと装備を脱ぎ散らかして同じベッドに倒れこむ。
彼女達は一日ずっと全く体を動かしてないのに、だ。神経を張り詰めさせていたのだろう。
愛い奴等だ。
ラクエルはそういった疲労は感じないようだ。こないだ神官相手に酷い目に逢ってるんだから無茶するなよ?
普段通りに窓際で目を閉じてブツブツと呟き始めている。
オレはと言えば昼間眠りすぎて目が冴えてしまっている。
普段通りに【遠視】と【遠話】で各地を見て回るが目ぼしい変化が無い。
武器庫に置いてあるダガーもそのままだ。
現実世界も覗いてみたが変化が無い。支援AIのC-1とD-2の中間報告を仮想ウィンドウで一通りチェックし終えても眠くならない。
いっそラクエルに精霊魔法で眠らせて貰おうかね?
それも何か違うな。
こういう時は今までやってこなかった事を色々試してみたらいいのだ。
前作でもこういった時間の谷間でやっていたことは幾つかあった。
冒険で得たアイテムの鑑定。
【遠視】と【遠話】による各所の覗き、じゃなくて、調査活動。
錬金魔法ならばマジックアイテム素材の成形や精錬、製錬。
付与魔法ならばマジックアイテムの作成。たまに錬金魔法と組み合わせて魔法生物の作成。
呪符魔法ならば術符の作成。たまに魔法生物の作成。
今の手持ちと現実を考慮すると錬金魔法の練習あたりがいいか。
前作では錬金魔法はメジャーでありながらマイナーな存在だった。
矛盾する言い方になるが、そう表現するのが相応しい。
一番多く使われたのが戦闘時ではなく非戦闘時のマジックアイテム作成、それも素材を仕上げるために使われていた。
多くのプレイヤーは戦闘時に使える呪文リストとして錬金魔法はほんの数種類に留めていたことだろう。
攻撃力の向上と防御力の向上に使う呪文はそこそこ需要はあったが、それは他の呪文体系にもあったりするのだ。
こないだオレもブルーゼラチンに【リフォーム】を使ったが、ああいった状況が特別なのであって頻繁に使う機会はない。
魔術師達は皆、錬金魔法は一定の職業レベルに達すると他の魔術技能を取りに行くのが通例だった。
オレみたいにマルチジョブで付けておいて上限まで育てた例が果たして他にいたかどうか。
そのオレにした所で戦闘では精神魔法と組み合わせて使う機会ばかりだったしな。
ドロップアイテムで手に入れた水晶は十分にある。
錬金魔法で加工することで、転移のオーブを始め、青、黄、白、赤のオーブの素材になるのだ。
転移のオーブは取り急ぎ必要ではないが、いざと言う事態を想定すると、あるに越したことは無い。
MP回復薬になる黄のオーブも同様だ。ショートソードでMP吸収はいつでも使えるが、不測の事態に備えておくべきだろう。
強力なアンデッドを相手にすることを想定するのなら数を揃えて置きたい。あいつらはMP吸収が効かないし。
出来を確認するために【鑑定の鏡】を出しておく。
前作以来、やってなかったからな。
ベッドの上で胡坐になって座り、掌の上で水晶を転がす。このまま魔法を発動することもできるが。
最初から半歩、踏み出してみよう。
最初に使うのは錬金魔法の【リファイン】だ。不純物を取り除いて純度を上げる呪文になる。
その次に使うのは錬金魔法の【モールディング】だ。簡単に言えば形を整える呪文になる。
【モールディング】を使えば様々な形状に加工できるが、オーブ類は球体にするのが基本だ。
加工が難しい物質であれば錬金魔法の【リフォーム】も併用するが、水晶ならばそこまで必要でもないだろう。
そして加工品質をより向上させる為に無重力下で魔法を行使することもできる。
これはやらなくてもいいのだが、僅かながらマジック・アイテムの品位が上がるので使う方が好ましい。
無重力状態を構築するには精神魔法の【重力偏移】を使ってもいいし、時空魔法の【グラビティゼロ】を使ってもいい。
問題が1つ。いきなり失敗とか、しないよね?
前作で最初に大失敗をやらかした思い出が脳裏に浮かぶ。
嫌な思い出はどうしてこうも忘れられないのか。
そうだ。
最初はどうせ失敗するのだ。そうに違いない。
失敗したって経験を積んだ、と考え直せばいいのだ。
一番良くないのは偶然に成功してしまい何も経験則にもならないことだ。
取り返しのつかない失敗さえしなければいい。
水晶1つくらい使い物にならなくなってもいいじゃないの。
やばいな。
柄にもなく緊張している。
「なにしてんのー?」
一気に力が抜けてしまった。
ラクエルぅ。
君は君の暇潰しでもしてなさい。