リグリネ
寒い。
顔がやたらと寒い。
ついでに暗い。日は既に落ちていた。
風も強い。というか雪が混じっていた。
もうたまらん。
【代謝強化】を念じてMPをつぎ込む。体温維持に代謝機能が強力に働き始め、体が温かくなっていく。
夜の帳の中、明かりが見えた。
うっすらと見えるシルエットは巨大な山のようにしか見えない。
存在感のある影が迫っているようだ。
「ラクエル、見えるか?」
エルフは夜目が利く。獣人族も夜目が利くが、エルフには一歩譲るだろう。
「城門なのは分かるけど門番はいないねー」
随分と高さのある城壁のようだ。少し距離を置くほうがいいかもしれない。
周囲にようやく目が慣れてきた。
城門の反対側はゴツゴツした岩場が続く荒地だった。所々に雪が積もっていた。
はるか遠くに集落の灯りが見えている。
風除けになる場所を探すが周辺にはない。
なんとなくもの悲しい情景に思えてきた。
「ここから離れるぞ」
【フィールドポイント】を仕掛けるにしてはちょっと近すぎる。
体感で10分ほど荒地を踏破していく。
【ライト】を使わずになんとか歩けるが、やはり落ち着かない。
ようやく城門から死角になる岩を見つけたので、その根元で【フィールドポイント】を念じておく。
「もう日が暮れているし寒いからな。今日はここまでだ」
「え、寒いですか?」
サーシャは寒さに強いのか。狼人族だしな。
「だよな、これくらいが丁度いいねえ」
カティアもなのか。
ラクエルはどうなんだ。
彼女の足元を何かが蠢いていた。
幻影のように半透明に見えるが確かにいる。
膝丈ほどの高さで毛むくじゃらの獣のように見える。
雪精ジャック・オ・フロストだ。数えてみると7匹いる。
・・・あれ?増えてないか?
「いやーこの子たちったらはしゃいじゃってさー」
雪精が跳び回っている様は遊んでいるようだった。
ラクエルがお母さんみたいに慈愛の目で見ている。そういう顔もできるんか。
というか寒そうな様子を見せない。
寒がってるのはオレだけでした。
フェリディに【転移跳躍】で戻り、いつもの宿に逗留する。
夕飯を速攻で平らげると装備を脱いで公衆浴場に駆け込んだ。
極楽である。
温かさが身にしみた。
宿に戻るとサーシャ達にも銀貨を渡して公衆浴場に行かせる。
何も考えずに眠りたい所だが、やっておくべきことはやらないとな。
【遠視】と【遠話】を念じると混沌と淘汰の迷宮16階の武具庫を見る。
机の上の石版に返答じゃまだない。
次だ次。
緑の竜がいた廃墟の町を見る。
もう夜でオレの目では何も見えない。そりゃそうだ。
ホールティの塔から町の中を見る。
松明で盛大に照らされる中、石造りの建物を組んでいる様子が見てとれる。
【ムービングポイント】を仕掛けた兜を見る。
やや暗めの部屋の中のようだ。
視線を巡らせて行くと数本の蝋燭の明かりの下にベッドがある。
1組の男女がそこにはいた。
彼らは小さな声で睦言を交わしながら互いを責めるかのように求めているようだった。
下に組み伏せられているように見えるのは男だ。
兜の持ち主のあの騎士だろう。ルシウス殿下、と呼ばれていた男だ、間違いない。
そのルシウスに跨って体を揺らしている女はあの神官戦士だろう。ラシーダ、という名の女だ。
纏め上げていた金髪を解いた姿は派手でありながらも清冽な印象も感じられる。
鋭い視線のままだがその瞳は情欲に染まっていた。
非常に良く鍛えられているのが分かる。肩の三角筋が凄い。広背筋が見事なラインを見せている。
横から見ている角度になるので見えていないが、正面から見たら間違いなく腹筋が割れてるだろう。
それほど鍛えられていながらも体のラインが女性らしさを失っていない。
胸などは程よい大きさでありながらも見事な形を維持している。
尻だって引き締まっていながらも肉付きも良く、女性らしい曲線を誇っていた。
男の体も立派なものだ。
胸の筋肉の盛り上がりも太い腕周りも平素の鍛錬が尋常でない事を示しているようだった。
女の太腿と腰周りを両手でひとしきり愛でている。
女は昂りきった嬌声を堪え切れない。それでいながら男を責める動きを止めようとしない。
情欲に染まるその目が男を睥睨していた。
腰を大きく回すように揺すると微かではあるが楽しげな笑い声を上げた。
自らの裸身を誇らしげに見せつけるように上半身を反らせると、今度は男に倒れこんで顔を寄せキスをした。
同時にその手で男の胸を嬲るように愛撫し始める。
なんかサドっ気がありそうな女だな。
ひとしきり責められていた男が半身で起き上がり、女を腰元に引き付けた。
対面騎乗位から対面座位に移行していく。
男女交合仏のように互いを抱き合い互いを責めるかのように愛撫し始めた。
せっかく覗いているのだから睦言など止めて役に立つ情報を寄越せと言いたいオレがいる。
このまま覗いていたいと思うオレもいる。
目には楽しいし、耳に聞こえる嬌声もオレを高ぶらせるのに十分すぎる。
でもそれでは状況が進展しないのですよ。
そういえば腹違いの兄妹じゃなかったか、君等は。
日本でも太古では異母兄妹は結婚が認められてた時代もあったけどな。
彼等が異母兄妹であり、尚且つ恋人同士か情人同士であることが知れた所で大した価値もあるまい。
殿下とまで呼ばれている男なのだから、戦況を知る機会はこの先にもあることだろう。
急ぐことはない。覗きもここまでにしておこう。
【遠視】と【遠話】を解呪する。ちょうどサーシャ達も戻ってきたようだ。
部屋に入ってきた彼女達だが普段とは異なる匂いを振り撒いていた。
ラベンダーの匂いだ。
「ほう、いい匂いをさせてるがどうした?」
「公衆浴場で勧められてちょっと付けてみたぜ」
そんなサービスがあったのか。
男湯では垢擦りと脱毛ならあったが香水はきがつかなかった。
匂いにオリーブの匂いも微かにする。
どこかで嗅いだ様な覚えがある。
そうだ。
このゲーム開始直後に訪れたタウの村で作ってた香水だ。
フェリディで売ってあってもおかしくない。
「気に入ったなら1本買ってもいいな」
「あ、冒険に邪魔になんないのかなー?」
「寝てる間だけでもその位の贅沢はあっていいぞ」
やさしいなあ、オレ。
なんかさっきからサーシャが喋らないがどうした。
「・・・ご主人様、何か変です・・・その・・・」
何が変なんだ。
あ。
【感覚同調】と【念話】だ。
相乗効果でオレの感情はある程度伝わってる筈なのだ。
時間が経過してきているので効果は薄れているだろうが、それでも伝わってしまっていたのか。
オレの本能に基づく欲求、性欲が、だ。
サーシャが顔を赤らめてベッドに潜り込んでしまった。
「ありゃ、刺激が強すぎたのかね」
カティアはサーシャの隣を占拠する。
「いやー安心した。ご主人様も男の子で良かったー」
そう言うとラクエルは別のベッドに身を投げた。
そしてオレの方を見てる。ニヤニヤしながら、だ。
おのれ。
カルマが溜まって闇落ちする危険がなければ確実に襲ってるぞ、ラクエル。
あーしてこーしてイジメてやりたい。
おっと。
さっきの夜の営みを見聞きしてるから感情が昂っているようだ。
この感情も漏れ伝わっているに違いない。
迂闊過ぎるぞ、オレってば。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
翌朝になるとサーシャの様子も普段どおりに戻っていた。
カティアあたりが何か吹き込んでいたような気もするが気にしないことにする。
宿で朝飯を済ませてチェックアウトする。
閑散としている冒険者ギルドを通り過ぎ雑貨店があるあたりを徘徊してみる。
開店している所はない。香水買おうかと思ったんだが。
広場に戻って水筒に水を補給しながら今日の予定をサーシャ達に話しておくことにする。
「フェリディ近郊の町を回って行こう。今日は西へ行く」
「あ、はい」
「はーい」
「おうよ」
うん、いつもの調子で行けそうだ。
城門の外に出て少し悩んだがいつも通りに行動することにする。
【知覚強化】【知覚拡大】【身体強化】【代謝強化】【自己ヒーリング】【魔力検知】【念話】そして【野駆け】を念じる。
「サーシャ、カティア、【半獣化】だ。ラクエル、【シルフィ・アイ】も頼む」
サーシャとカティアが【半獣化】する。
ラクエルは精霊魔法で風精の【シルフィ・アイ】を発動した。
サーシャ、ラクエル、カティアと手を繋いで【感覚同調】を念じる。
大きな戦闘は期待できないが普段どおりに能力底上げをしておく。
街道を往来する人々に見られる可能性はあるが、【シルフィ・アイ】で先に見つけることができるだろう。
異様な速度で駆けて行く姿を見られる前に隠れるなり歩くなりすればいいだけだ。
まあぶっちゃけ移動速度を上げて時間を短縮したいのだが。
城門が見えなくなった所で速度を一気に上げていく。
普段と違うのは先頭を駆けるのがオレだってことだ。
途中で行き交う人影や馬車の列を見つけると道を外れながら進む。
道であるだけに草原を走る以上に速度が上がっていた。
右手側の遠くに雪を頂いた山々を臨みながらいくつかの丘陵地を抜けていく。
フェリディに向かうのであろう冒険者や傭兵らしきパーティにもいくつか確認できた。
途中にある3つの村々はスルーだ。道を外れて先を急ぐ。
体感速度で2時間としないうちに左手側に海が見えるようになっていた。
町は近いだろう。
暫く先に進むと道が海側と山側にと分かれている。
ギルドで聞いている情報の通りならば海側に進めばリグリネだろう。現実世界のジェノヴァに相当する都市だ。
山側に進めばピエモレ、オスターに行けるだろう。
ピエモレはトリノ、オスターはアオスタに相当する都市になる筈だ。
今日は海がいいな。
このゲーム内ではあまり魚が食えていない。食ったのは川魚だけだ。
食道楽と言わば言え。
食欲には勝てないのだ。
海の方へと向かって駆けていく。
強化されている嗅覚は港町に特有の匂いを微かに捉えていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
道なりに進み丘陵地をいくつか越えると眼下に港が見えた。
海沿いに細長く町が形成されている。
崖の様に丘陵が続いているのだが、そこは全て城塞化されているようだ。
丘陵を伝うように塔が並んでいる。少なくとも8つの尖塔が見えた。
小さく教会らしき建物が見える。広場で小さく蠢く人影も確認できた。
道は丘陵地の谷間に続いていて、遠くに関所が見えていた。
実にいい眺めだ。現実世界なら観光収入で食っていけそうだ。
道の外れで手を地面に当てて【フォールドポイント】を念じておく。
今日は拠点となる町を確認したいだけだから、ここから山の方に向かってもいいが。
ここは冒険者ギルドに寄っておくか。
関所での身元確認はオレ1人で済んだ。この辺りは警備厳重といった雰囲気がない。
石造りの建物、石畳の街道は洗練されていて美しい。
道行く人々もそれなりに洗練された格好をしているようだ。
城塞には弓兵の姿もあるが数が少ないように見える。
この周辺には魔物が少ないのだろう。
港の近くでは倉庫と商家が軒を連ねている。
随分と繁盛しているらしい。道行く人々にも派手な格好のご婦人方をよく見かける。
教会のある広場に出た。
荘厳というか華麗というか。
教会だけは静謐といった佇まいだが、広場一帯は芸術品のような風景を見せている。
どこを向いてその風景を切り取っても様になっていた。
だがそんな美しい広場を台無しにしている存在がいる。
冒険者が、傭兵が、そして正規兵らしき者が大勢いるのだった。
派遣軍なのは間違いあるまい。
正規兵くらいは整然としてて良さそうなものだが。
士気が高いようにも見えないし規律も今ひとつとなると、あまり戦力として期待できそうにない。
「あ、ギルドはあれですね」
サーシャが示した建物はやや古ぼけていた。その一角だけは広場の中で暗く沈んでいるように見える。
出入り口に武装しているエルフがいた。
エルフに目礼して中に入ると、カウンター付近は閑散としている。
運営掲示板とプレイヤー掲示板の目印となる柱が2本並んで1階の角にあった。
まあ今はスルーだ。
反対側の角にはドワーフのグループがいる。
珍しく酒を飲んでいないようだ。気難しそうな顔つきで話し込んでいる。
カウンターにいた一番若そうな男に話しかける。
エルフだがイケメンというより精悍な顔付きをしていた。
「転移のオーブはあるかな?」
「今はダメだ。派遣軍で使う分で品切れだよ」
ここでもか。仕方がない。
「じゃあ道標はある?」
「転移のオーブはあるのか?」
質問に質問で返された。まあ道標だけだと使いようがないからな。
「あるにはあるけど」
「こっちには余裕がない。セム銀貨7枚で買い取るが」
おお、高額買取りと思っていいだろう。でも当方は既に金には困っていないのであった。
「悪い。ちょっと譲れないんだよね」
エルフの男が不審げにオレを見る。
「・・・道標ならレイジオ、ベネト、オスター、ジズがある」
「全部欲しいけど」
「ジズだけは銀貨9枚、他は銀貨6枚だ」
金貨1枚と銀貨2枚をカウンターに置く。
「ところでジズってのは何処なんだ?あまり聞かない地名だけど」
「お前さん知らないのか・・・ここから南にある島さ」
現実の地形準拠であるのならばシチリアかサルディーニャかどっちかなんだろうな。
「広場の連中は派遣軍か」
「まあな。お前さんもどうだ?フェリディの近くから転移できるそうだが稼ぐにはいい場所があるらしい」
いや、そこから来たんですけどね。
というかここの冒険者ギルドも賑わなくなるんですけどいいのか。
「いや、まずはこの周辺で適当な迷宮を探してるだけど」
いくつか世間話的に迷宮の場所を聞いておく。
道標を受け取るとカウンターを離れた。
広場に戻るとあれほど雑然としていた様子が一変していた。
全員、整列しているのだった。
教会前には一段と目立つ一群がいる。
中央の人物は老齢の神官だ。その両脇にフル装備の騎士が数名随伴している。
その両翼に軽戦士と弓兵が並ぶ。異色なのは後方に控えている4頭の白馬だ。
よく見たらただの白馬ではない。ペガサスだ。
ペガサスを乗りこなす猛者がいるのか。
前作でもほんの数名しか見たことがない。
広場から派遣軍がフェリディ方面に向けて順々に出立していく。
その列と反対方向の街道を進んで行った。
なかなかに食欲をそそる匂いが流れてきている。
天幕が並ぶ一角は市場と屋台が混在していた。ここだけがこの街で雰囲気が違っている。
野菜や肉だけでなく魚が多く売られていた。屋台にも魚料理を期待できるだろう。
「お前達も魚はどうだ?」
「おお、いいねえ」
カティアは早速食いついた。サーシャはコクコクと頭を上下に振っている。
まだ昼前だがいいだろう。オレも早く食いたい。
適当に目に入った屋台で魚のフライとチーズのサンドイッチのようなものを購入した。
行儀が悪いが歩き食いだ。久しぶりのせいなのか、味覚も強化されているせいなのか、実に旨い。
それにやたらと安かった。
あっという間に平らげると市場も覗いて行く。
「ラクエル、欲しいものはあったか?」
彼女の熱烈な視線を浴びていた果実があったことは知れていた。
高そうだが彼女だけ食事が寂しいのはマズイ。
「・・・あれっていい?」
柘榴か。柘榴だよな。
ちょっと珍しい。
結局サーシャとカティアの分も買ってあげることに。
3人とも実にうれしそうだ。この笑顔が見れたのなら安いものだろう。
港を左側に臨みながら町の西端の城門に辿り着いた。
海に面して細長く町が繁栄している様子がここからだと良く見える。
見事な海に美しい町並み、そして海を行く帆船。
一枚の絵画のようだ。
平穏な気分でリグリネを後にした。