トンネル入り口
どうやらこの猫もどきのご機嫌は最悪なようだ。
獅子の口からは涎が垂れ流しになっている。
ヤギの目は真っ赤で何か危険な薬でもキメてるかのようだ。
蛇は威嚇音を高らかに響かせていた。
オレ達を睥睨するかのように見下ろしていた。値踏みするかのように。
オレが日本刀を抜いて構えたその瞬間。
キマイラが目の前から消えていった。
森の中へと去っていく。
なんだったんだ。
(・・・山の様子がおかしいぞ)
カティアが念話で警告してくる。
山を見ると、確かに威圧されてくる感覚に襲われる。
ドラゴンと遭遇した時と似た感じだ。
(・・・精霊もおかしいよ)
ラクエルも異変を感じている。
今度は彼らなんだろうか。
『霜の巨人』フロスト・ジャイアント。
北欧神話でオーディンら神族と敵対し続けた巨人達を由来とする存在だ。
でかくて力が強いだけでなく、強力な魔法も自在に使いこなす。
幻覚攻撃を多用してくるから面倒なことこの上ない相手だった。
今のオレ達は考え得る最高レベルの装備で固めてあるが、それでも勝てる見込みはないだろう。
彼らは理性的な種族だし、いきなり魔法で攻撃するとは思いたくないが。
オレは前作で彼らと戦い、幾人かを屠っている。しかも直接に、だ。
姿形は変わっているし、時代も変遷してるようだし、バレるとは思いたくないが。
ここは逃げるが勝ちだ。
(さっさとここを離れるとしよう。サーシャ、山から少し離れて北へ向かえ)
(あ、は、はい)
昨日はドラゴンで今日はジャイアントか。
厄日が続いているのだろうか。
さっきのキマイラも逃げたって事なんだろうな。
この周辺は獣も魔物も多そうだ。
その上、東にドラゴン、西にジャイアントとかヤバイ。
山頂あたりの雲の一部が灰色に染まっていた。
いい前兆じゃないな。
森の中を駆けながら、時折見える山の様子が気になって仕方がない。
(もう少し山から離れ気味に行こう)
念話でサーシャに指示しながら周囲を警戒する。
(ラクエル、風精はもう少し先行して偵察させてくれ)
(はい)
声に緊張の色が滲んでいた。
感情に恐怖の色はまだ見えない。
あまり恐慌状態になるようなら、一度フェリディに戻ることも考えなきゃいけない。
たがこの様子ならまだ大丈夫そうだ。
森を抜け、川を渡り、沼地を超えて行く。
再度森と平原を駆けていった。
途中、ブラックマーモットやらグレートマンティスやらにも遭遇したがスルーだ。
先を急ぐ。
山脈はやや遠めに見える。あの威圧されてくる感覚はない。
だが。
灰色の雲が消えることがない。一部だけ、灰色。
気のせい、なんだろうか?
平原から丘陵地をいくつか越えたあたりでそれは見つかった。
道だ。東西に伸びている。
(でも人影は見えないよー)
道に辿り着くと早速サーシャに匂いを確認させる。
「微かですが馬の匂いはします。それにオークもです」
さて。
クレール山脈のトンネルの位置を確認したいなら西だ。
夕刻までに山の麓まで行けるだろう。
「ラクエル、【姿隠し】だ。山のほうへ向かうぞ」
気のせいと思いたいが、余計なリスクは少しでも減らしておきたい。
西へと駆けていく。
山々の風景に変化はなかったが、暫く経つと山頂にあった灰色の雲はいつのまにか消えていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
徐々にだが感じる風が冷たくなってきていた。
緩やかな登りを駆けてきていた。
後方を遠く望むと広大な草原と森の風景が広がっている。
野生のヤギの群れにもいくつか遭遇する。
その昔、映像教育で見たスイスの牧歌的な風景に通じるものがある。
前作でこの周辺でもプレイしたことがある筈なんだが、全く記憶に残っていない。
ここまで臨場感が味わえるなら金を払っていいって人は多いだろう。
・・・ビジネスになる、よなあ。
バーチャル観光は昔からあるサービスではあるが、視覚と聴覚だけの代物に過ぎない。
映像観光のみと言ってもいい。
風が肌の上を滑るような、草の香りに包まれるような、極めてリアルな観光ができないものか。
実際に現地で基礎情報を取得するのはいいが、ユーザーが馴致できるようにデータ編集する必要がありそうだ。
手間さえかければ出来なくはない。
・・・何で今ビジネスのアイデアなんて考えなきゃいけないのか。
もっと真面目にゲームに向き合うべきだろ、オレ。
なんか違うような気がしなくもない。
廃人ゲーマーならでは、だろうな。
山が近くに迫ってくる。
そろそろ辿り着いてもいい頃合だ。
(砦が見えたよー)
ラクエルから念話で報告がくる。
道を外れて見渡せる場所を探す。
大きな岩の上に登って山の方を見渡した。
遠目に砦が見える。
砦、というより崖を利用した城だ。城壁だけは見覚えがある。
塔が6つほど見えた。オレがあそこを拠点に暴れてた頃は2つしかなかったような覚えがある。
城壁の脇にトンネルへの入り口が見えた。
ドワーフ族が長年かけて造り上げた地下王国跡への入り口でもある。
そこに門番らしき大き目の影がいる。
砦の上空にはいくつかの影が舞っていた。
丁度ここから西の方角で沈みかけている太陽が邪魔になっている。何なのかが見えない。
「ラクエル、あそこまで風精は行けるか?」
「距離ありすぎてちょっと無理。でもあの影なら何なのかは見えたよー」
ほほう。
「オーガ。それにワイアームにワイバーン、騎乗してる人間付きだよー」
連中だよな、確実に。
あまりお近づきにはなりたくない。
「ご主人様、東から馬蹄が地面を叩く音です」
サーシャが地面に耳を付けていた。そんな事もできたんですか。
しばらく東に目を向けていると馬群がオレにも見えた。数十騎といった所か。
皆一様の革鎧で例によって黒の意匠を装備のあちこちに見ることができた。
幾人かは弓矢を背負っている。軽戦士に弓兵といった所だ。
眼下の道を西へと向かっていく。
やがてその馬群の列が砦の中へ消えていった。
太陽が傾いてきていた。情報もそこそこに入手できた、と思う。
【フィールドポイント】を念じて地面に手を当てる。
跳ぶ前に【遠視】を試していく。
【ムービングポイント】を仕掛けた兜を見てみた。
・・・
眼下にオーガが見えた。
横には尖塔がいくつか。そしてワイアームが何匹か。
砦らしき中にはオークの群れ。
砦の外の地面が近づいていく。
地に降りた視線の先に見慣れた光景がある。
トンネルの入り口だった。
・・・あそこにいるのか?
兜の持ち主はホールティに向かっていた。
そして今は目の前の砦にいるということは。
ホールティで戦闘があったかどうかは分からない。
陥落していることは知られている、と見ておくべきだろう。
今度はホールティの城門前を見る。
異常はなさそうだ。遠目に門番なのだろう、ドワーフがいた。
ホールティの塔から場内を見る。
森林はあらかた切り倒されていた。
いくつか石造りの建物が作られ始めている。早い、早すぎるよ。
天幕の数はさらに増えている。人の往来も多い。
大きな戦闘があった様子はない。
「よし、ホールティに戻るぞ。ラクエルは姿を変えておけ」
しばらく目を閉じて集中すると銀糸の髪の毛が金糸に、小麦色の肌が白磁に変わっていく。
うん、こっちの姿の方が見ていて楽しい。
【転移跳躍】を念じてホールティへと跳んだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
城門からやや離れた場所に出た。
「ラクエル、【姿隠し】を解除してくれ」
「いいよー」
城門で門番に身元確認を受け、城内に入った。
城壁の上にかなりの弓兵がいるのが分かる。警戒態勢は厳重のようだ。
いきなり凄い喧騒に襲われた。
単純に人が多いのだ。
屋台で焼ける肉の匂いにもそそるものがある。
中央の塔に向かう途中で見知った顔に出会った。
フェリディの武具屋だ。
やや大きめの天幕にメイスまでぶら下がっている。
「・・・ここで商売始めるのか・・・」
店の主人は意気軒昂なようだった。
「まあどこで商売してても一緒さ」
そう言うと他の客と接客を始めた。なんか繁盛しそうな雰囲気がある。
後で不要な武具でも売りに来よう。
でもゴメン。買う機会はないかもしれない。
塔の脇にある天幕を覗くとジエゴの爺様がいた。
どうやら他の探索パーティの報告を聞いている所のようだ。
簡素な机の前に傭兵らしき6名がいる。
待つついでに一緒に聞こうかと思ったんだが、先客に凄い目で睨み返された。
あの傭兵だった。
確かに情報というものは探索で得られる貴重な商品ともなりえる。
他のパーティに情報を聞かれるのを嫌がる気持ちは分かるが。
「今は取り込み中だ。後にしな」
最初から喧嘩腰だ。買ってやってもいいが揉めるのは好ましくない。
ジエゴの爺様も目で合図を送ってくる。空気を読んで欲しいようだが。
「後にするさ。急いで伝えたい事があるだけだよ」
「こっちの邪魔でもする気か」
別の傭兵が詰問してくる。あからさまに威圧してきた。
いいじゃん。タダで情報貰えるって考えはないのか。
「ここが陥落してる事は連中に知られてるよ」
天幕の中から言葉が消えた。
ホールティを奪取して1週間くらいだ。この世界の情報網事情で言えば、もっと時間がかかっていてもおかしくない。
「おい、本当なんだろうな!」
「じゃあまた後で」
ジエゴの爺様も何か言いかけたが、あえて無視して天幕を出る。
少し時間を潰そう。
塔の陰で【アイテムボックス】を整理していく。リザードマンが使っていたメイスや戦槌に盾がメインだ。
翡翠などの鉱石類と魔水晶は保留にする。
すぐそばに冒険者ギルドの天幕があったので魔石と魔晶石を買い取って貰う。
白金貨1枚に金貨7枚になった。
買取が高めな気がする。
取り次いだ担当者に聞いてみたかったが、他の冒険者との応対で忙しそうだ。
聞くのは憚られる。
さっきみたいに押しが強かったり、今みたいに押しが弱かったりする。
自覚してるが気まぐれな行動ばかりで一貫性がないのがオレの悪いところだ。
次はさっきの武具屋だ。
主人はカティアが抱える大量の武具に驚きの目を向ける。
「買い取ってくれる?」
「・・・どれもでかいな。どういった経緯で手に入れた?」
「リザードマンの得物」
オレの言葉に驚愕の声を上げた。
「おい!この辺りにいるんじゃないだろうな?」
湿地が多い地方ではリザードマンは最も忌み嫌われているからな。
反応が切実になるのも当然だ。
でもね、もっと大変な相手もいたんですよ。
「いや、遭遇した場所はここからは相当離れてるから。今回は遠出だったんでね」
武器は柄が太く、盾は人間が使うには大きい。
それ故に安く買い叩かれたような気がするが、まあそんなものだ。
銀貨12枚は十分な戦果ということでいいだろう。
これで荷物が軽くなった気がした。【アイテムボックス】に入れてた訳だから気のせいなのだが気持ちの問題だ。
探索の報告が済んだらどうしようか。
もっと気持ちが軽くなるに違いない。
先延ばしにしている事がいくつかある。
ここにいた連中から奪った道標の行き先。
鰐の顎でみつけた迷宮。
もちろん、あの石版に残した伝言の返信が最重要だ。
パーティメンバーも最低もう1人は増やしておきたい。
次も女性メンバー限定だな。うん。
もうそこは仕方がない。
あとクレール山脈の大トンネルは一度行ってみたい。
前作のゲームでは、最深部の魔物召喚の魔法陣を潰していくのが最も時間をかけたクエストになった。
ほぼ序盤からオレが引退する最後のほう近くまでかかっていたと思う。
主戦場だっただけに久しぶりに見てみたい。
こう言ってはなんだがオレだって理系脳の端くれだ。
良くも悪くも知りたいと思う欲求から自由になれない人種なのだ。
知りたい識りたい。
道があったらその先にどんな景色があるのか、見てみたい。
誰も見たことがない景色があるのなら見てみたいよね。
武具屋を出て通りを塔の方に戻って行く。
もうたまらん。
旨そうな匂いで充満しているのだ。
一軒の屋台で捕まった。
焼いたパンにチーズと胡椒を効かせて焼いた羊肉にトマトを挟んである。
見た瞬間に惚れてしまっていた。
ちょっとお高めなのが残念だが、味わってみるとそんな事など吹き飛んだ。
まだ味覚も強化されたままだ。朝から携帯食と水だけで食事に飢えていたこともあっただろう。
旨い。旨すぎる。
オレとカティアが2つづつ、サーシャは1つを平らげた。
ラクエルは持ってた干葡萄に胡桃でご相伴である。
さすがに不公平な感じになるので、ラクエルの食料調達にも付き合う。
木の実に干した果実などを購入する。天幕で臨時の商売の筈だが在庫は豊富にあるようだ。
塔の脇にある天幕に戻る。
さっきの傭兵達はいない。ジエゴの爺様が何か手元の羊皮紙に書き込んでいる。
「今はいいかな?」
声をかける。爺様の様子はやや憔悴、といった所か。
「お前さんか。まあ入れ」
天幕の中は様々なものが散乱しているようにも見える。助手とかいたほうがいいだろうに。
「この町も随分と人が増えたみたいで何より」
「増えたら増えたで色々と考えんといかんこともある」
「片付けたほうがよくないか?」
「ん?ああ、ちょっと時間がなくてな」
サーシャ達に念話で片付けるように指示する。
机の上には大きめの羊皮紙が拡げられていた。いくつかの書き込みがある。
中央の大きな丸がホールティだろう。
「では報告を聞こうかの」
オレはジエゴの爺様の対面に座ると3日間の探索結果を思い返していた。