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壱 桜の転校生

 高校の入学式を終えて一週間も経つと、クラスメイトの顔を覚えてくる。それと同時に、バラバラにしたパズルのピースが、あるべき場所を思い出すように、居場所が出来てくる。一つ一つに新たな出会いと発見を感じながら、自分ができること、役割みたいなのが解ってくる。

 そんな中で既に自分のポジションを確立した社交的な人間は、更なる地位向上や勢力拡大を画策してクラスの中心で大きな声を張り上げている。

 それに対して内向的な性格の人間は、教室内の喧騒を無視して沈黙している。クラスでの地位なんか関係ないと無視している。

 中途半端な立ち位置の僕は、窓の外を見ていた。薄寒い三階の教室から花弁がかなり失われた桜を眺めていた。

 桜を見ていると、僕という意識がクラスって組織から隔絶されそうになる。けど、別に友達を作るのが下手ってつもりはない。内向的でもましてや世捨て人や一匹狼を気取るつもりもない。ただ単に、隣席が空席だってだけ。要するに話す相手がいない。ちなみに二番目に窓側の最後尾の席にさせられたのは、和智って苗字のせい。いっつも何か損したような気持ちになる。でも、すぐにホームルームは始まるから出歩く気にもなれない。だから、短い時間ではあるが世界に入り込んでいたんだ。桜だけの世界に。

 梅はまだ寒い季節に咲く。桜は暖かくなってから咲く。そんなイメージがあるが、桜が咲く頃に春らしい春ってのは実際のところあまりなく、冬の気配を残している方が多い。今日もそんな肌寒い日だった。横を通り抜けたクラスメイトが起こした風が体に触れ無意識に身を震わせた時に、教室の前方から引き戸が力いっぱい開かれる音がした。

 驚いた僕は頭を前方に向けると担任の宇賀屋(ウガヤ)先生が教室に入ってきた。宇賀屋先生、通称、宇賀ちゃんは背が小さい。ショートヘアの童顔で頭をナデナデしたくなる小学生のような先生だ。しかし、舐めてはいけない。男性教諭と同じようなズボン型スーツを着ている先生のお尻からは、虎系人間としての証拠である立派な縞々模様の尻尾が揺れている。怒らせたらシャレにならない電撃が飛んでくるだろう。

 先生に続いて、頭一個分ほど背が高い桜の彼女が入ってきた。風も無いのに何故かセミロングの髪がふわりと浮いた。ゆっくりと引き戸を閉めてから小走りして宇賀ちゃんに追いつき教壇の横に立つ。

 宇賀ちゃんは生徒を見回しながら転校生に自己紹介を促す。


「初めまして観音寺桜菜、純人間です」


 教室はざわめいた。クラス中で横や後ろや体を好き放題に動かして雑談を開始している。

 僕の隣は空席、前はその前の席の人と話している。だから話す相手がいない。そのせいって訳じゃないが、僕はそんなに衝撃的な話かな、と思いながら頬杖をついていた。

 冷静だったのは僕だけだったのかは解らない。けど、多くのクラスメイトが落ち着きをなくして、一向に騒ぎが収まらないように思われた。

 事態収拾できそうに無いな。と感じて視線を窓の外に移そうとしたら、教壇から爆発でもしたかのような激しい轟音が僕を襲った。

 いや、僕だけじゃなく、クラス全員に襲ったのだろう。一部の女生徒は泣きそうな顔をしながら耳を塞いでいる。

 爆発音の発生源である教壇を見ると、宇賀ちゃんが右手をついて僕たちを睥睨していた。尻尾がツンと立って毛が逆立ち激昂しているのが見てとれる。

「お前ら、いい加減にしろ。純人間だって私たちと同じだ」

 宇賀ちゃんの怒声でみんなは背筋を伸ばす。

「でも、先生。純人間がいると霊力を吸い取られるじゃないっすか」

 クラスの最後列に座っているデカイ男子生徒がそこそこ大きな声で文句を言った。男子生徒の身長百八十センチメートルはありそうで肩幅も広い。勿論、クラスで一番大きい。ちょっとカップヤキソバを食べたくなる四角く大きめの顔に角刈りの髪型は、近寄るだけで威圧感がある。宇賀ちゃんと同じ虎の尻尾を見れば穏当にすまなそうな雰囲気だ。

鉄砲塚(てっぽうづか)、科学的根拠が無いことを言うな。それに、エクトプラズムはしっかりと測定しているから、霊力に影響を与えることは絶対にない」

「絶対に、ですか……」

「ああ、絶対だ。文句があるなら後で職員室にでも来い」

 宇賀ちゃんの迫力に負けたわけではないだろう。でも、この場でこれ以上やりあう気は無さそうだ。良かった、教室が修羅場にならなくて。

 僕が軽く尻尾を立たせていると、宇賀ちゃんがこちらを見た。

「和知、今から観音寺はお前の隣だ。仲良くしろよ」

 有無を言わせない命令口調に頭が勝手にコクコクと頷く。

 すると、桜菜は入学式の代表者のような気品ある表情で歩き出す。デスマスクをつけてみんなの目を細めた視線など見えていないかのよう。嫌がらせで突き出された脚を軽く避けて僕の方に近づいてきた。

 桜菜はデスマスクをつけたまま僕の背後を迂回した。そして最後尾の窓際っていう特等席に座ると、宇賀ちゃんが軽く手を二回ほど叩いた。前を向け、との合図に口元を歪めながら前を向くクラスメイト。誰か判らないが舌打ちをした、ように感じて僕は暗雲が立ち上ったような気がした。

 両手で頬杖をついて宇賀ちゃんを見ると、転校生など忘れたかのようにホームルームを開始した。

「また逢ったね。よろしくっ」

 どうでもいい連絡事項を聞いていた僕に桜菜が囁いてきた。尻尾が思わずピンと立つ。

 上手い言葉が思いつかずに、口元を緩めて微笑んでみたものの不自然だったかもしれない。でも、桜菜はそんなこと気にもしないように同じように微笑んだ。

 顔を傾けて肩まである艶のある黒髪が細い首にかかる。仄かに白木蓮の香りがしたように感じられた。

「この学校のこと全然判らないから色々と教えて」

「僕だって入学してから一週間だから大したこと知らないよ」

「それじゃあ、知っていることは全部教えてね」

 嫌だ。などと言う理由はない。だから僕が素直に頷くと、さらに話を続けようとしている。寒気を感じて教壇を見ると、宇賀ちゃんが時々、殺気ある視線を放っている。うわっ、まずい。転校生だから大目に見てもらったんだろうけど、そろそろ本気で怒りかねない。

 僕は自分の唇に人差し指をつけて静かにしろの合図をする。首を使って教壇の方を示すと桜菜もようやく気づいた。目を一段と大きく見開いてから前を向く。

 落ち着いたのだろうか。その後の授業でも休み時間でも桜菜は大人しくしていた。授業中は黙々と先生の話を聞きノートを取る。休み時間も次の授業の予習を兼ねてか教科書を読んでいる。

 思っていたより普通。というか真面目な生徒だったんだ。と四時間目の授業を終えた僕は、数学の教科書を片付けながら、横目で桜菜を観察していた。

 桜菜も同じように、僕より素早く教科書を片付けると、こっちを向いた。彼女の視線が盗み見ていた僕の視線と絡み合う。

 柔らかそうなピンク色の唇を僅かに吊り上げた彼女は、素早く立ち上がると椅子を机の下にしまった。

「食堂を案内してくれない? 那智君」

 僕の名前、覚えていたんだ。理由も無くちょっと嬉しくなりながら、鞄からお弁当が入った巾着を取り出した。

「悪いけど、お弁当なんだ。食堂は……」

「ねえ、一緒に食堂で食べよ」

 僕の手を掴んだ桜菜に僕は引っ張られる。

 わかった。わかった。だから放してよ。

「オッケ。それじゃあ、行くよ」

 って、桜菜は僕の前を歩き始める。あれ? 食堂の場所を知っているなら案内する必要ないじゃん。って突っ込もうとしたら立ち止まった。

「で、何処?」

 はう。つかみどころの無い女子だな桜菜は。

 僕は尻尾をフリフリしながら、未だに一回も行ったことの無い食堂に向かって階段を下りる。食堂は僕らの教室から遠い。新入りの一年生がおいそれと立ち寄るんじゃない。と言わんばかりだ。一階の玄関脇フロアのパンの購買を横切り――戦場と化している。離れとなっているプレハブ小屋に繋がる渡り廊下に足を踏み入れると、熱気がものすごい勢いで伝わってくる。

「本当にこの中で食事する気?」

「那智が私に餓死しろって言わないなら」

 桜菜の目は輝いている。あっ、この人、ライブとかで観客に向かって平然と飛び込むタイプの人だ。きっと。などと考えると僕を無視して突撃を開始する。

 仕方が無い。逃げ出したくなる気持ちを誤魔化しながら、気合を入れて食堂の中に入った。

「おばちゃん、このカレーライスの御飯、少なすぎ!」

「文句があんなら食べんのやめな」

「ラーメン遅いよ。何やってんの?」

「いじゃけっちまうっぺよ! 黙ってっぺ!」

「スプーンは何処?」

「うっせ、投げっから受け取れっ」

 な、何でこの人たち闘っているの。ここ学校の食堂じゃないの? 声を張り上げようとしたら跳んできたスプーンが頭を直撃した。

「那智、どんくさっ」

 桜菜は食券機でカレーライスを購入し男子生徒の列に並ぶ。

 百パーセント厄日だわ。空いていたテーブルの一画を確保すると、思いのほか早く桜菜はカレーライスを持ってきた。

「おばちゃん。サービスで大盛りにしてくれたんだ。凄く優しい」

 桜菜は嬉しそうに言うと、カレーをかき混ぜだした。が、すぐに停止して、テーブル上に置かれていたソースを取った。

「ちょっ、ちょっと待った。何でカレーにソース?」

「えっ、那智、ソースかけないの? 甘みが出て美味しいんだよ」

 今一、納得できない。そう考えながら、お弁当箱を巾着から取り出した。御飯用とおかず用。セパレートで一個ずつ。おかずが入ったお弁当箱の蓋を開けながら唸っていると、桜菜に睨みつけられた。

「試してみる?」

 と、カレーの乗ったスプーンを僕に向かって突き出す。こ、これは、もしかしてこのまま食べてみろってこと? これ、桜菜はまだ使っていない新品のスプーンだけど、僕がぱくっと食べてしまえば使用済みだよね。そのスプーンを桜菜が使うということ? それって世に一般的に知られている言葉で表現するのならば……。

 言葉を失った僕が桜菜を見ると、彼女は頬を膨らませる。

「どうしたの? 御飯用のお弁当箱の蓋に乗せればいい?」

 だよねー。ははは。

 僕がお弁当箱を開けると、桜菜は間違い探しでもしているかのように真剣に覗き込む。

「ミートボールと卵焼きと交換ね」

 桜菜は一口分のカレーを蓋に乗せると、ミートボールと卵焼きを奪い取る。

「えー、それ、ちっとも等価交換になっていないジャン」

「世の中ってホントに厳しいよね」

 って言いながら桜菜はニコニコ顔。

 何で食堂を案内した挙句におかずを取られなければいけないんだ。

 ちょっと頬を膨らませながら弁当を食べる。ほとんど食べ終わったところで果物用の小さいプラスチックケースを巾着から取り出して開く。と、

「おまけっ」

 って、再びカレーライスを乗せられた。

 これ以上は取られないぞ。黙々と食べ続けていると、物欲しそうな子犬が目の前にいる。

「で、何を食べたいのよ」

「気にしないで。卵焼き貰ったし」

「でもさ、そんな目つきで見られたら食べ辛いじゃんか」

「そう、ならば、いちごをくださいな」

「あ、うん、どうぞ」

 僕がデザートのケースを前に出すと、手でいちごをつまみ、ひょいひょい、と口に入れる。

「ああっ、二個はルール違反だって……」

「あっ、ぐめむぐめむ、ごうごっえ……」

「普通に食べ終わってから喋ってよ」

「ああ、ゴメンゴメン。どうぞって言われたから、ついね。でも、まだ一個残っているから大丈夫ジャン? これでも気を使って残しといたんだから」

「それ、気を使っているって言わないような」

 貰ったカレーをお箸で口に放ってから、最後のいちごを食べる。もぐもぐ。って、カレーと合わない。しまった。お茶でも飲んでから食べれば良かった。と思いながら、目の前の桜菜を見る。と、コタツでお茶を嗜んでいる老人のように、手をコップの下に入れて水を飲んでいる。

「年寄り臭いなあ」

「ふふっ、まあ、爺さんも一杯どうじゃ」

「何で、爺さんにならんといかんのじゃ?」

「口調が移っているけどね」

「もう。いいよ。教室に戻ろっ」

「えー、トランプでもやらない? とりあえず、二人だからばば抜きとかどう?」

「なんでばば抜き。っつーか、ここより教室でやった方がいいって」

「そっか。じゃあ、食器の片付けとかあるから先に戻ってて」

「待っててもいいけど」

「いや、ちょっと寄るところがあるから」

「ん? 寄るところ?」

「考えないでいいから。そんなことより、いちご美味しかったよ。ありがと」

 桜菜は立ち上がって返却口に食器を持っていく。それを見て僕はお弁当箱を片付けて巾着袋の中に放り込んだ。時計を見ると予想していたより随分と時間が経っている。

 ゆっくりと昼寝でもしたかったのに。と、呟きながら、爺むささに気づいて苦笑い。食堂を出て来たときと同じ廊下を歩く。購買部のパンは売り切れたようで、SOLD OUTのダンボールがかけられている。校庭からは昼練をしているのだろう。金属バットがボールを弾く軽い音が聞こえてくる。

 まだ、仮入部期間だったような気がしたんだけど、もう練習とか厳しくやっているのかな。音のほうを向きながら、部活を決めるのが面倒だな。なんて考えていた。

 階段を昇り教室に近づくと、どの教室からもざわめきのように、生徒達が会話している声が聞こえてくる。それでも、廊下で会話している生徒は少なく閑散としている。色のせいか、リノリウムの床が思いのほか冷たく感じて、学ランの第一ボタンを閉じた。

 教室後部の引き戸は開いていた。だから、僕もわざわざ閉じないでそのまま室内に入る。自分の席まで歩き、座ろうとした時、ものすごい違和感で体が硬直する。

 何だ、これ?

 桜菜の机と椅子が倒されていた。

 蹴飛ばされでもしたのだろうか。鞄も教科書も散乱している。

 仕方ない。

 僕は机と椅子を戻してから、転がっていた教科書とノート、筆記用具入れを慌てて集めて机の中に入れた。もし、消しゴムとか小さいものが無造作に置かれていたのなら、なくなってしまったかもしれない。しかし、探している時間は無かった。桜菜が戻ってくる前に片付けたかった。だって、できるのならば当人に見せたくない。それに、こんなことをする人間がクラスの中にいると考えたくないし、いて欲しくなかった。

 考えると憂鬱になりそうだったので、黙々と作業をする。結構時間がかかるかもしれない。心配したが、比較的すぐに片付いた。転がっていた茶色の皮製の鞄を机の脇に置いたら終了だ。

 一仕事終えた僕は、それほど暖かくないっていうのに汗をかいていた。ゆっくりと休もう。五分くらいは休みたい。そんなことを考えながら踵を返し席でノンビリしようとした。ら、桜菜が目を細めて立っていた。

「何しているの」

「ち、ちょっと席にぶつかって鞄が倒れたから、直しただけだって」

 我ながら、これほど辻褄があった言い訳が咄嗟に出てくるなんて、流石だな。と思っていたが、桜菜はちっとも僕の話を聞いていない。

「那智のこと、いい人だと思っていたのに。残念だけど、違ったようね。いちごを一個多く食べられたくらいで、女性の鞄を漁るなんてちょっと最低すぎじゃない?」

「いやいや、それ違うから。間違っているから。僕が鞄の中身を漁るなんてちょっとありえなさすぎ」

「じゃあ、なんで私の鞄をいじっていたの」

 そう言われると、返す言葉が浮かんでこなかった。

「もういいよ」

 桜菜は一段と細くした目で僕を一瞥した。ぷい、と顔を背けると、キビキビした動作で自分の席に座る。両手で頬杖をつくと窓の外に顔を向けた。

 何その態度。お前の机が倒されていたから戻してやったのに、どうしてなじられないといけないんよ。

 僕は、桜菜を睨みながら、怒りのぶつけどころを探した。八つ当たり気味に自分の机に手を突くと、ドアを蹴飛ばしたような大きな音がする。

 自分でも驚くような衝撃音に、桜菜は、ビクッ、と体を震わせた。だけど、こちらを向かずに無視をしたまま顔を窓に向けている。

 僕は、苛立ちで尻尾が左右に揺れるのを感じながら、文句を言おうとした。一歩、前に出ようとしたところで、教室の前入り口から引き戸が開かれる音がした。

 振り向くと、宇賀ちゃんがいた。まさか、宇賀ちゃんと喧嘩をするわけにはいかない。振り上げた――この場合、振り下ろした手の立場は無視をして、自分の椅子に座った。

 机の木目模様を観察しながら、ふう、と溜息をつくと、何処からか視線を感じた。顔を上げたが、授業開始の挨拶に紛れてしまっていた。


 放課後、桜菜は、必死に荷物を皮製の鞄に突っ込むと立ち上がった。僕の座席の後ろを通り抜けて、誰にも声をかけずに帰っていく。怒っていたのも忘れ、春風のような変わった奴だって考えていると、顔がほころんできた。

 そんな自分が、不気味だな。と思いながらも、ニヤニヤしたい表情を上手く隠せない。無論、他人に見られたくないから、深呼吸して心を落ち着かせていると、クラスメイトが近づいてきた。

「和知君、ちょっといい?」

「あっ、委員長、何か用?」

 僕に話しかけてきたのは、玄葉(げんば)紫陽花(あじさい)さん。このクラスの学級委員長だ。男女、一名ずつの二名いる学級委員の偉い方だ。その、クラスで一番偉い人は、黒縁眼鏡をかけている理知的そうな女子だった。ちょっと重そうな黒い艶のある髪をポニーテールにしているのがトレードマーク。小顔で大きな目をしているのだから、もう少し色気を出したら人気者になれるのに。でも、本人は学園アイドルなんぞになるつもりは無いようだ。細身で僕より頭一つ小さいのに、全身からエネルギーが発散されている。クラスを取り締まるほうが、恋愛とかより楽しいとでも言わんばかりの不思議系だ。

 ちなみに、委員長は狐系らしいんだけど、尻尾を見たわけではないから確信はしていない。

 尻尾を隠す権利は、結構前から認められている。と言うより、女性は感情を知られるのが嫌で尻尾を隠す人の方が多い。それに対して、男性は逆で、尻尾を出していない方が、男らしくないとか、格好悪いとか思われるのだ。

 さらに言うならば、各系統でも違いがある。虎系の人間は出す人が多く、狐系の人間は隠す人が多いとか。

 世の中って奴は、結構、面倒くさくできている。

「あんまり大きな声で言いたくないけど」

 委員長は声のトーンを低くする。その代わり手を伸ばしたらぶつかる距離まで接近してきた。ちょ、ちょっと近づきすぎ、って言いたくなるが、アナウンサーがニュースを告げるような視線のせいか、感情的な動揺は無い。

「観音寺さんと、あまり仲良くしない方がいいんじゃないかな」

 平然と言われて、僕の方が慌てた。誰かに聞かれていないかと、周囲を気にしてみる。幸いなことに、僕のことは誰も気にしていないように感じた。クラスは、どの部活に入る? とか、近くにできたアイスクリームショップに行こうよ、とか言うおしゃべり、喧騒で満たされている。

「それじゃ、また明日」

 委員長は僕の回答も待たずに自分の席に戻っていく。

 ちょっと待ってよ。どういう意味か、ちゃんと説明してよ。と言う機会を逃した僕は、呆然としながら、委員長を見ていた。

 表情の変化は無い。幾人かの女生徒の、委員長、バイバイ。って言葉に、さようなら、と事務的に答えている。まるでロボットみたいだ。などと考えながら、自分の荷物を鞄に積めていると、委員長が僕の視線に気づいた。ゆっくりと体ごと僕のほうを向く。

 視線がからみあうと、先ほどまで能面だったのに、口を開いて微笑を作る。

 何故だか解らない。解らないけど顔が熱くなった。僕は急いで全ての教科書を鞄に詰め込み、委員長に軽く頭を下げてから席を離れる。

 早足で学校を出てから走り出す。

 エネルギーが余っているのかも。こんなことなら陸上部にでも入ったほうがいいかもしれない。堤道を走りながら土手を見下ろす。と、タンポポが黄色く土手を染めている。僕は、河川のほうに向かって思いっきりジャンプした。霊力を断続的に解除し、重力に反してゆっくりと落ちていく感覚を楽しむ。けど、霊力の使いすぎ、土手の下に着くと息が切れた。

 その場に立ち止まり、並んで立っている桜の木を見た。

 既に葉桜になっている。おかしいね。昨日は満開だったっていうのに。一日でまったく違った景色になっている。

 少しは呼吸が落ち着いてきた僕は歩き出した。

 花は散ったから、花見にはならない。けど、新緑を眺めているのもいい。温かな日差しに、魂が洗浄されるかのように心が安らいでいく。ふぁー、と大きな欠伸をしながら、花見ならぬ葉桜見をしていたら、桜の木の下に人がいた。

 セーラー服を着ている。この位置から顔は見えない。けど、誰なのかは、すぐに解った。

 僕は不自然にならないように歩く。横顔が見える位置に来たが、桜菜はちっとも気づかずに桜の葉を真剣に見ている。科学者が顕微鏡だか、望遠鏡だかを覗き込んでいるときのように。

 何しているの? って声をかけようかと思ったが、喧嘩していることを思い出した。だから、黙って通り過ぎようとした。知らない振り、他人の振り。抜き足、差し足、忍び足というほどではないが、尻尾を立てて、すました顔で横を通り抜けた。

「あっ、毛虫!」

 突然、でっかい声で叫ばれた。まず、僕はその声に驚いて体をビクッ、と反応させた。次に、首をキョロキョロ振って、体に毛虫がついていないかと探す。ズボンに異常が無いことを確認してから、鞄を地面に置き、学ランを脱いで確認する。

 良かった。毛虫はついていない。安心して胸をなでおろす。

 ふぅ、と息を吐いて顔を上げると、桜菜がいた。

 鞄を持ちながらお腹を押さえている。してやったりと言わんばかりに笑い声を上げている。

 いい加減にしろ。

 学ランを着て鞄を拾う。怒鳴りつける代わりに歩き出した。自分勝手で失礼で、付き合いきれない。

「ま、待ってよ」

 無視。

 知らない人の振りをして歩き続ける。

「ちょっと、待ってったら」

 背後から声が聞こえてくる。でも、相手にしない。

 多分、それが正解。

「無視しないでよ」

 フリフリしていた尻尾をいきなり握られた。脊髄反射並みに体が勝手に反応して、振り返りながら手で払いのけようとした。

 桜菜がすぐに手を引っ込めていなければ叩いていただろう。そんな勢いだった。

 僕は一瞬、やりすぎたか。と思わなくもなかったが、当たらなかったから問題はない、と判断し、桜菜を睨みつける。

 何か、強気の反論をしてくる。怒りをぶつけてくる。そんな予感がして身構えた。

 桜の花弁が、ヒラヒラと思い出したかのように降ってきて、僕と桜菜の間を横切った。

「ごめんなさい」

 桜菜が頭を下げた。両手で鞄を前に持ち、腰から直角に頭を下げる。長い髪がバサバサって落ちてきて顔を隠すと、僕は一歩後ろに下がった。

 このまま逃げ出そうかと思ったが、お辞儀をしたままで、ちっとも頭をあげようとしない桜菜を放っておくわけにもいかない。

「あのさ、頭を上げてよ」

「じゃあ、許してくれる?」

「許すも何も怒ってないよ」

「嘘。さっき怒っていたじゃん。凄く怒ってたじゃん。無視したし」

「違うって、別に怒っていないって」

「うーそ、うそ、嘘、今だって声が荒くなってるじゃん」

「そんなこと!」

 と怒声をあげて沈黙。不思議な時間が流れる。

「許してくれる?」

「あっ、うん。本当に気にしてないから。さっきのやつは、ちょっとムッとしたけどね。でも、ちょっとだけ。だから頭上げてよ。」

「ホントごめん。シカトされたのが苛っとして、つい、ね」

 って、言いながらお辞儀の姿勢を元に戻す。すると、何本かの髪が頬にひっついた。面倒くさそうに頭を振ってから、髪を片手で後ろに払いのける。

「鞄の中、見る?」

「えっ?」

「だって、見たかったんでしょ? だから、さっき私の鞄をいじっていたんでしょ」

「ち、違うってば。た、単に机の位置がずれていたから直していただけで、その時に、鞄がずれただけで、な、中を見たいなんて思ってないから。大体、教室の中で他人の鞄を漁っていたら、絶対に他の人に見つかるじゃない? そんなのありえない。と思わない?」

「ふーん。そうかな。そうかもね。そういうことにしておこうか」

 なーんて言うけれど、ちっとも信じていない目、何それ、ちょっと酷くない? 僕のプライドはズタズタだよ。

 それを解っているのか。首をヒョロッと伸ばして顔を突き出し、上目遣いで覗き込み、僕を観察しているし。

 ジロジロと見ながら僕の周囲をぐるりと回る桜菜。僕は、目玉だけキョロキョロ動かして姿を追う。太陽や月が消えて現れるように、僕の背後から再び現れた桜菜の視線を感じて、喉が何故か渇きを感じた。

 走っていたときには出なかった汗が噴出してきた。額をぬぐって、目の前で停止した桜菜を僕は少し見下ろした。にらめっこしているつもりは無いけれど、実質は視線と視線のぶつかり合い。戦闘状態。でも、すぐに決着する。

「ごめん」

 頭を下げた。

「えっ、どうして謝るの?」

「だって、鞄とか倒しちゃったし、それにキツイ言い方しちゃたから」

「いいよ。気にしないで」

 柔らかい言い方に顔を上げた。すると、そこには、桜の花が満開になったときのような笑顔があった。癒されるような感覚に僕も同じように微笑み返す。

「良かった。さっき、桜の木を見ながらお願いした効果があったのかな」

「お願い?」

「うん。桜の木にお願いしてたんだ。だって、那智は、ここに来て仲良くなれた初めての人だから。このまま、ずっと喧嘩しっぱなしだったら嫌だったから。那智と仲直りができるようにって、お願いしながら那智が来るの待っていたんだ」

「でも、僕がここを通るかなんか解らなくない? それに、もしかしたら、もっと遅くなっていたかもしれないし」

「うーん。あんま考えてなかった」

 眉をしかめて悩んだように見えたが、すぐにどうでもいいやとニコッて笑った。

「一緒に帰ろっ」

 って言って勝手に歩き出す桜菜に遅れないように僕は並ぶ。

「いいけど、桜菜って何処に住んでいるの?」

「ふふふ、実は、那智の近くなんだよ」

「えっ? 僕の家、知っているの?」

「なんとなくね」

 いい加減な奴。

 僕の桜菜に対する評価は、このときこれだけだった。


 早朝の高校は厳かな雰囲気がある。冬を思い出させるかのような冷気も、誰もいない校舎も、寂しげながら身を引き締められる。

 これが、数週間後ならば、校庭は朝練の体育会系、例えば野球部員で賑わっているかもしれない。でも、まだ、早朝の練習は禁止されている期間だ。

 僕は、腕時計の針が丁度七時になるのを見て、少し早すぎたかと後悔をしていた。でも、校門も玄関も普段どおりに開いていたから、何も考えずに入り教室に向かった。

 煩わしい音を立てる引き戸を開けると、予想通りに誰もいなかった。人がいないだけで何も変わりない、昨日と同じ教室。

 そう見えていたが、自分の席に近づくと違和感があった。正確に言えば、自分の席に違和感があったわけではない。隣の席、桜菜の席が異常な状態になっていた。と言うのも、いたずら書きをされていたからだ。

 サインペンで、悪戯書き。内容も、『死ね』とか、『帰れ』とか、『くず』とか。ここは小学校かよ。なーんか、語彙力が貧弱すぎるし、こうオリジナリティがないんだよな。と馬鹿にしたい気分になる。とは言え、これを桜菜が見たら落ち込むだろうな。と思って、どうしようかと途方にくれる。

 雑巾で拭いたら落ちるかな。でも、どう見ても、油性サインペンで書かれている。

 腕組みをしながら考えてみたものの、いいアイディアは浮かばない。どうやら、考えるだけ時間の浪費だ。少しでも消したほうがいいだろう。

 僕は、雑巾を濡らしてきて机を拭き始める。が、ちっとも落ちる気配が無い。いや、ちょっとは消えてきたけれど、とても全部は無理だ。他のクラスメイトも登校してくるだろうし。

 絶望しかけていると、足音が近づいてきた。

 おかしい。引き戸の音がしないなんて。と思いながらも、振り向いて確認している余裕などは無い。インパクトの強い文字だけでも消さないといけないから。

「和知君、おはよー」

 声をかけられて振り向くと委員長がいた。僕は、おはよー、と声をかけてから作業に戻る。

「関わらないほうがいいって忠告したけど」

「でも、こんなことされたの見せたく無いじゃんか」

「……和知君、もしかして、それを消すために学校に早く来たの?」

「こんなのが書かれているとは思わなかったけどね」

「なら、どうして?」

「昨日、机が倒されていたじゃない。だったら、今日も倒されているかな。なんて考えただけなんだけど」

「観音寺さんが嫌がらせをされているか確認するために早く来たの? だったら、偉いとは思うけど。けどね和知君。これからずっと、観音寺さんに嫌がらせをされていることを隠し続けるのは、無理だと思うけど」

「ああ、無理かもしれない。けどさ、できる範囲で頑張りたいんだ。だって、僕ら、みんながこんなことをしているように思われたら嫌じゃないか」

「それってとっても無駄なことに感じるけど」

「じゃあ、委員長はこのまま観音寺さんが虐められるのがいいとでも思っているの?」

 ちょっと強い口調になってしまった。ちっとも消えなくてムカついていた。のも原因かもしれない。僕は無意識のうちに、体を半分ほど後ろに向き、委員長を睨みつけていた。

 普通の女生徒ならば、逃げ出すくらいの威圧感。それくらいはあるはずなのに、委員長は涼しげな視線で僕を見ていた。と言うより、観察しているかのよう。心の中を簡単に覗きこめるとでもいうように。

 逆に、僕が視線を逸らせた。自分の心が裸にされるかのように思えて、いたたまれなくなったから。だから、体を再度、桜菜の机に向けなおし、作業を再開しようとした。

「助けてあげようか?」

「えっ?」

「秘密は守れる?」

「あ、うん。拷問でもされない限りは大丈夫。でも、秘密って?」

「私の霊力。誰にも知られたくないから、絶対に口外しないって約束できるならば、その悪戯書きを本人に見せなくしてあげる」

「解った。約束するよ」

「あと、高くつくことになるけど構わない?」

「お金? お小遣いはあまり無いけど……」

「違う。お金なんか要らない。そんなことより、私がお願いしたときにサポートすること。それを約束してくれる?」

「うーん。出来る範囲ならね。殺人とかは無理だからね」

「そんなことお願いするはずがない。私を誰だと思っているの」

「委員長って、政治家の家系でしょ? だから、敵対している政治家を暗殺するとか……、良くあるんじゃないの」

「何言ってるの。今時、暗殺とか、そんなことあるわけない。大昔の戦国時代じゃないんだから」

「そっか。ならできると思うよ。で、どうやって消すの?」

「よく見てみたら?」

 僕は委員長に言われて、桜菜の机を見た。すると、先程まで書かれていたサインペンの書き込みが、無くなっていた。

「どうやったの?」

「秘密。今日のことも秘密。約束、忘れないでね」

 僕が頷くと、委員長は僕の前の席の椅子を横にして座った。

「ところで、和知君はどうして彼女をかばうの?」

 委員長は眼鏡を外した。スカートから布を取り出して眼鏡を拭く。

「クラスメイトだし、隣の席だから。って理由だけじゃ駄目なの?」

「それだけなら、そこまでする根拠としては弱いかな」

「でも、本当にそれ以上でもそれ以下でもないんだけどね」

 委員長は眼鏡をかけなおすと、瞬きを繰り返しながら僕を見続けた。カメラのシャッターのような瞬きに、自分の心が分析されているような気がして思わず顔を背ける。

 その態度が、自分で解るほど、あまりにもあからさまだったから、委員長は本音を追求してくるのでは? と内心ドギマギしてくる。でも、彼女はそのことについて、それ以上は何も言わずに雑談を始めた。

 朝の時間は加速度的に消化される。いつの間にか時計の針は八時に近づき、クラスメイトが、空き地になっていた座席を埋めていく。

 それでも委員長は、その場所を離れようとはしない。

 委員長は想像していたより気さくで話し易い。でも、委員長が特定の誰かと話している記憶は無い。多分、他のクラスメイトもそう考えているはず。だから、視線が気になった、クラスメイトの。

 僕は横目で観察する。と、盗み見をしている生徒は幾人かいる。が、あからさまに気にしているのは一人だけ。一般人よりワンサイズ大きい鉄砲塚弘行だ。

 いかにもガンつけてるって感じで睨んでくる。

 ふぅ、あんなの敵に回したくないんだけど。

 溜息混じりに中学校時代の話をしていると、委員長が立ち上がった。席の持ち主が来たのか、と思って教室の入り口の方を向くと、桜菜がいた。

「おはよー、観音寺さん」

「お、おはよ。えっ、と」

「私は玄葉紫陽花。このクラスの委員長だから。何か困ったことがあったら相談して」

 桜菜は委員長が立ち去るのを見ながら、自分の席に座る。首を傾げるが、すぐに何も無かったかのように鞄から教科書を取り出して机の中にしまう。

 準備を終えると、桜菜は僕を睥睨する。はて、何か僕がやったとでも? 机に書かれたはずの書き込みは既に消えているし。

「あのさ、那智」

「ん、何?」

「いや、えっと、そうだ、一時間目の準備しないと」

 と言いながら、さっきしまったはずの教科書を机の中から取り出す。全く、何をやっているんだろうね。一時間目の教科書は机の中に入れなければ良いだけなのに。

「ところで、那智…………、一時間目の授業って何だっけ?」

 一体、何をどうしたのか。桜菜は、いつもよりほんわかしたように見える。

 いや、和んだ雰囲気をだしているわけではなく、寝惚けているようなボンヤリした感じで、一時間目だけではなく午前中、何処となく集中力が欠けているように思われた。


 四時間目が終わると、桜菜はようやく頭が回転してきたようで、元気そうな表情になった。もしかすると、食事のために元気になっただけの現金な奴なのかもしれないが。

「じゃあ、今日も食堂に行きますか」

 と、黒板の内容とノートが合っているか確認していた僕の肩を軽く叩く。今すぐにでも出撃可能と言わんばかり。

 僕は鞄の中からお弁当が入っている巾着袋を取り出した。せかす桜菜を無視するようにゆっくりと立ち上がり、教室の出口に向かって歩いていく。

 機敏な学食派の生徒達は既に教室からいない。残っているのはコンビニとかで買ってきたのを含む弁当組みだろう。いくつかのグループを作って、楽しそうに机をくっつけている。騒がしいって感じではなく、賑やかな教室内はとても良い雰囲気だ。

 僕と桜菜は、そんな教室を出て食堂に向かう。はずであったが、立ち止まった。

「ちょっと先に行ってて。忘れたものがあるから」

「後でもいいじゃない」

「デザートの入れ物が別だったことを思い出したんだ。デザートを食べる必要が無いって言うなら取りに戻らないけどね」

「さっさと戻りなさい」

「へいへい」

 とか言いながら、学食へ向かって歩いていく桜菜を見る。よし、これで、オッケとばかりに教室に戻って、引き戸をなるべく大きな音が立たないように開いた。

 人が入れるほどのスペースができたのを確認して、僕は体を横にして扉を通り抜ける。そして、自分の席のほうを確認した。

 すると、桜菜の席の周りに女生徒がいた。三人の女生徒は桜菜の机にお茶でもかけようとしている。

 僕は早足で近づいた。

「机はお茶なんか飲まないと思うけど」

 女生徒たちは僕の声にジャンプするかのように体を反応させた。彼女たちは慌てて手に持っていた水筒を後ろ手に隠そうとする。が、ショートカットの寝惚けているような目つきの女生徒だけは、水筒の蓋にお茶を注ぎゆっくりと飲み干した。

「飲むかもしれないよ」

「いやいや、どう考えても飲まないって」

「何でもいいけど、純人間に肩入れするの止めたら? それとも、彼女のこと好きになったの?」

「そういう問題じゃないだろ。隠れてこそこそとセコイことばかりして、恥ずかしくないのか!」

「隠れてじゃないよ。ただ、机もお茶が欲しいかな。と思っただけだよ」

「そんなわけないって。クラスメイトなんだから、そんなイジメ止めて仲良くしようよ」

「何で? どうして純人間とお友達にならなきゃいけないの? ちょっと無理じゃない? お互いに、一緒のクラスで授業を受けるのが苦痛じゃない?」

「どうしても、嫌なら、宇賀ちゃんに言ってクラスを変えてもらえばいいだろ」

「先生に告げ口する気? うわっ、それって中学生みたいな発想だよね。大体、普通の高校生なら、純人間がうちらに与える影響のこと知ってるはずだよね。ネットとかまともに読んでれば」

「何言ってるの。そっちこそ、真面目にネット読んでないんじゃない。大体、自分に都合の良いニュースだけ見て、不都合なニュースは見ないことにしてない? 良くないよ。中途半端な知識だけで全部を解ったように勘違いするの」

「あのさー、難しいことは置いといて、一つだけ解ってることがあるよね。純人間がいなければ問題が発生することがないって、こと」

「そっかなあ。それと同じくらいに、ユグドラシステムの領域外であれば、純人間が、他の人間種に影響を与えることはない。って解っていると思うんだけど。そういうことを認めないと差別主義者になっちゃうんじゃない?」

「和知君は猫系だから、そんな風に考えちゃうのかも」

「猫系だから、何だって言うの。そんなの今、関係ないよね」

「関係あるよ。猫は、気まぐれで自分勝手って昔っから決まっているからね」

「それってさあ、昔流行った血液型とかそれと同じ類の疑似科学だよ。科学的根拠がないんだよね。血液型正確分析と同じように、種族系統別正確型分析は」

「ちょっと、それ猫系のお決まりパターンの返答だよ。ネットのテンプレに書いてあった。猫系は、種族系統と性格は関係ない、って必ず言うと。でも、大体、合っていると思って間違いないよね。もし、間違っていなかったとしても、猫系はランク的には下のほうの系統であることは変えようのない事実だし」

 いい加減、議論に厭きてきた。と言うよりムカついてきた。話しているだけで胃からドロドロした酸味ある塊がのぼってくる。

 既に体の血液が沸騰しかかっていた僕は、巾着袋を机の上においてから、拳を握り締めて自分の席を叩く。

 低くて鈍い音と共に拳の痛みが体中に広がっていくが、奥歯をキリキリ噛み締めながら表情を変化させないように努力する。

 少しやりすぎたか? そう考えて女生徒を見たが、表情は眠そうなままで変化していない。とろーんとした垂れ目で、不思議そうな生物でもいるかのように僕を見上げている。

「わ、私たちだけじゃないよ。純人間が嫌いなのは」

「はあ?」

「鉄砲塚君だって、昨日、机を蹴ってたよ」

 彼女はクラス中に宣言でもするかのように大きな声を張り上げる。思わず僕は背後を見た。鉄砲塚の座っているはずの席を。

 すると、熊のような男がこっちを睨んでいた。机に片手をついて頭を乗せて、親の敵でも発見したかのような殺気のある視線を送ってきている。

「鉄砲塚君の意見は?」

 ショートカットの女生徒に煽られたからか、鉄砲塚は立ち上がって近づいてくる。木目調のリノリウムの床が悲鳴を上げている。そんなイメージが沸いてきたが、実際に音がなるはずは無い。

 僕は、目の前に巨体が現れて動揺した。が、まさか、逃げ出すわけにもいなかいから、そのまま座ったままで静止している。

「渡瀬、どうせなら正々堂々と嫌がらせしろよ。隠れてこそこそするってのは、何か苛っとするんだ。俺は気にいらねえ」

 鉄砲塚は、渡瀬と呼んだショートカットの女生徒に向かって、低く割れた声で命令した。僕は思わず体を戻した。渡瀬以外は、既に逃げ出して自分の席に戻っている。そこが、彼女の席だから逃げられないということもあったが、鉄砲塚に対しても三秒以内に眠れそうな目つきで見返している。

 天然なのか計算でやっているのか良く理解できん。

「わかったか!」

 鉄砲塚の声に渡瀬は首を傾げた。正々堂々と嫌がらせをするならば問題ないの? とでも言いたげだ。

「お前もだ」

 威嚇の声に振り向いた。

 鉄砲塚は立ち去ろうとしていた。が、右目だけギョロっと大きくして僕を睨みつけてきた。かと思いきや、顎を突き出して今度は二回ほど目を細くする。

「何か文句でもあるのか?」

 いいえ、席に戻ってください。とでも言うべきだったかもしれない。だが、僕の口からはそんな台詞は出てこない。嵐が過ぎ去るのを待つようにひたすら沈黙するだけ。のはずだった。黙っていた。けれども、表情に出てしまっている。

 解っている。

 僕は鉄砲塚に喧嘩を売っていると。

「気にいらねぇ。お前、すげー、気にいらねぇ」

 ぶっとい油圧ショベルのような腕が伸びてきて、僕は学ランの襟首を掴まれた。殴られる。そんな気配を感じていながらも、僕は動じていなかった。あまり、怖くなかった。恐怖心とか、そういうのがぶっ飛んでいたのかもしれない。だって、僕だって、かなりムカついていたから。気に入らなかったから。

「猫はコタツで丸くなってろ」

 自分で上手いことを言ったつもりか、口を中途半端に開いて歯を見せた。そして、僕は突き放されて自分の机にぶつかる。

 何も言うな。そのまま放っておけ。心の中で、理性が叫んでいるのが聞こえてきた。けど、徐々に溜まっていった心の中にある熱い塊は、その命令を無視した。

「逃げるのか。虚偽の恐怖から」

 呟くように言ったつもりだったが、思いのほか大きな声だったようだ。クラス中が一瞬、真冬のシベリアのように沈黙に閉ざされた。

 鉄砲塚は、オベリスクとでも言うような巨体を停止させ、ゆっくりと振り向いた。目には炎。殺気が稲妻となって僕を焼き尽くしそうだ。

「誰が、逃げただと?」

「純人間を差別するって安直な世界に逃げただろ」

 余計なことを言っているのは解っていた。けど、止まることなどできなかった。

 僕は、ファイティングポーズを取る。

 その瞬間に、鉄砲塚はボクシングのストレートを放っていた。

 馬鹿め、届くはずないだろ。と嗤ってやろうとしたら、腹部に強い衝撃を受けた。何事が起こったのか理解できない。僕はくの字にならないように我慢しながら、両手で腹を押さえる。

「今、謝るなら許してやってもいいぜ」

 両手拳を組んで、ボキボキと音を鳴らして威嚇する。

 喧嘩になったら勝てるはず無いな。と考えながらやせ我慢をして、痛くなくなった振りをした。腹から手を離して直立不動の姿勢をとる。

「猫が虎に勝てるとでも思っているのか? 馬鹿が」

「勝ち負けじゃない。喧嘩に勝っても負けても、純人間が僕らの寿命を縮める、っていう差別が間違っていることだけは変わらない」

「俺は、寿命なんか気にしちゃいねぇ。ただ、純人間が殺したくなるほど嫌いって言うだけだ。そんなのを庇っている雑魚も、な」

「どうして、そこまで純人間を目の敵にするんだよ」

「そんなの、お前の知ったこっちゃねえ。とりあえず、奴らがいるってだけで許せないんだよ」

「でも、女子なんか半分以上が尻尾を見せていないんだから、他にも純人間がいるかもしれないじゃないか。全員、調べたとでも言うのか」

「ぐだぐた五月蝿い。黙れ! 霊力を調べれば解ることだ。そんなことより、どうして純人間のことの肩を持つ」

「クラスメイトじゃないか。純人間とかそんなこだわりを持つほうがおかしいだろ」

「けっ、平行線だ。とりあえず、お前をぶっ飛ばすことにした。何か言うことあるか? 猫」

 こうなったら、やれるとこまでやるしかない。勝てるとは思えないが、一発でも入れれば、状況だってちょっとは変わるだろ。

 僕は、テレビで見たボクシングのように、拳を作って頬を隠すように構えた。ボクシングの経験はないが。

 鉄砲塚は、空手の構えだろうか。腰を落として左腕をL字にして顔をガードし、右腕は一撃必殺を狙っているように腰に溜めている。

 周囲は、嫌な雰囲気を感じ取ったのだろう。お弁当を食べていた人は大急ぎで食べて、席から離れる。不思議と僕らを取り巻くような円が出来ると、ますますお互いにひくにひけなくなってくる。

 精神的に追い詰められてきて、集中力が持続できなくなってくる。罠だとは知りつつも自分から飛び込むしかないか? 

 僕は正面から飛び込んで右ストレートで鉄砲塚を殴ろうとした。しかし、僕のリーチが届く範囲に入る前に、カウンターのパンチが飛んできた。

 左テンプルに強力な衝撃を感じて景色が歪んでいく。おかしい。絶対におかしい。この距離で手が届くはずはないのに。

 白黒のスローモーションの世界になる中、鉄砲塚が僕に止めを刺すべく、両腕を腰に溜め、突っ込んでくる気配を感じた。

 絶体絶命のピンチだ。サイレンが頭の中で騒々しく鳴り響いている。しかし、体が踏ん張れない。言うことを聞かない。だから、どうすることもできない。

 僕は、自分の机と椅子を巻き込んで倒れた。

 リノリウムの床に転がると起き上がる力すら沸いてこない。必死に動かそうとするが、夢でも見ているかのようだ。意識が朦朧として、溺れているみたいに体が言うことをきかない。

 えーい、もう、どうにでもなれ。と僕は処刑されることを覚悟した。

 やられることを前提にしてしまえば、そんなに怖くない。

 そう思い込もうとしたが、飛び込んでくる鉄砲塚の姿がぼんやりと見えて、僕の体は硬直する。

 耐え切れなくなって目を閉じた……。

 しかし、追加の攻撃は飛んでこない。

 ようやく自分の体を取り戻しかけた僕は、上半身を起こしながら目を少し開いた。

 予想していた鉄砲塚の姿はない。その代わりに、彫刻のような美しい脚と紺色のスカートが見えた。視線を上げると、艶のある黒いポニーテールがふわりと揺れた。

「二人ともつまらないことは止めなさい」

 委員長だった。下手すれば巻き込まれるはずなのに、冷静沈着そのもの。心臓に昆布の森が分布しているに違いない。

「玄葉……」

 先程まで自信に満ち溢れていた鉄砲塚が動揺を見せている。まさか、喧嘩したら委員長の方が強いとか。

 そんなはずはないだろう。と、僕は立ち上がりながら考えていた。

「そこをどけ、こいつを叩きのめさないと気がすまない」

「教室で喧嘩をされてもね。困るんだよね。学級委員長の立場としては。だから、私はここで喧嘩をするのを認めるわけにはいかない」

 委員長の背中の向こうから、凄まじい殺気が感じられる。それなのに、委員長の後ろ姿に動揺はない。華奢なスタイルながらも安心感がある。

「巻き込まれたいのか!」

 威圧してくる声に、委員長は左腕を横に伸ばして対抗する。

「もう一度言うけど、喧嘩するのを許可できない」

 頑なに自分の意見を通そうという委員長の言い方に違和感があった。だから、思わず、

「もしかして、喧嘩以外で決着をつけろと……?」

 と、呟いていた。

「どういうことだ?」

 呟きに反応したのは、委員長ではなく、鉄砲塚だった。委員長に向けていた視線を僕に向けてくる。混乱しているのか、先程までの殺気は薄れ、困惑したように細い目を少しだけ丸くしている。

 僕と鉄砲塚の間に立っていた委員長が、ゆっくりと横に動きながら、体の向きを変えた。僕らを交互に見ながら腕組みをする。そして、意味深に口元を吊り上げた。

「スポーツで勝負しろとでも?」

 僕は委員長に質問を投げかけた。すると、腕組みをしていた手を解いて、平泳ぎをするように動かす。そして、突き出された両手には、何故か一枚ずつハンカチが握られていた。

「魔術師かいな」

 僕の呟きは、委員長に余裕でスルーされた。

「スポーツというより、例えば、ゲーム。胸に入れたハンカチを奪い合うゲームを教室内でやっていたとしても、私が文句を言う筋合いはないから」

「それで、怪我をさせてもいいのか?」

「遊んでいて何らかの事故が発生するのは望ましいこととは言えないけど、仕方が無いことかもね」

 鉄砲塚の発言は、そのゲーム中にぶん殴るって意味だろう。それを余裕で認める委員長もいい根性をしている。

「それで、そのゲームとやらを何のために?」

「テメエ、今更、逃げる気か?」

「お互いが、言うことを聞くってのはどう? これなら、揉め事が解決すると思うけど」

「ああ、俺はそれで構わねぇ。俺が負けたら、そいつに手を出さねえし、他の奴にも出させねえ。逆に、俺が勝ったら、そいつには二度と学校に来ないでもらう。それでいいか」

 顎を突き出しながら、僕を睥睨する鉄砲塚の条件は、すぐに認めることが出来ない。

「ちょっと待った。そいつって、僕のこと? それ……」

「違う。そこに座っている純人間のことだ」

「なら、僕がどうこう決める権利なんかない。本人の問題じゃ……」

 僕が言いかけた言葉を遮るように、鉄砲塚の後ろにいつの間にか出来ていた観客の人垣から、一人の女生徒が現れた。

「私なら、その条件でオッケ!」

「何言ってるんだよ。負けたら、学校を辞めるってことだぞ。まだ、二日しか経っていないっていうのに」

「いいよ。それで。そんなことより、早く昼ご飯食べに行かないと、お昼休みが終わっちゃうよ」

 周囲の人の視線を気にせずに、僕の手を掴み引っ張ろうとする。

「ちょっと待てよ」

「何か問題でも?」

「昼御飯、持って行かないと」

 僕は、桜菜を押し留めて鉄砲塚と委員長を見た。

「そうね。もう、昼休みは半分ほどになったから、ゲームをやるのは放課後の方がいいかもね」

 委員長の言葉は命令と同じような効果があったのか、鉄砲塚は黙って自分の席に戻った。既に俺たちに興味が無いと言わんばかりに、椅子に座って、背もたれに体を委ねている。

 僕は床に転がっていた巾着袋を拾った。

「早くしないと御飯なくなっちゃうよ」

 桜菜は教室の出入り口付近で手招きをしている。

 やれやれ。お弁当の中身は大丈夫だろうか、と思いながら桜菜のほうに歩き出した。そして、立ち止まる。

「ありがとう。委員長」

 すれ違うときに、小声で言う。何故だか解らない。でも、これ以上巻き込みたくなかった。他の人に聞かれたくなかった。

「気にしないでいい。それより見えないパンチに気をつけて。あと、これ、貸しだから」

 委員長は、それだけ告げると席に戻っていく。立ち止まっていたのは、それを言いたかったから? 何も語らない背中をちょっと見ながら、桜菜が待つ出入り口に早足で近づく。

「急げ、急ぐぞ」

 相変わらずの桜菜に引きずられ、僕は食堂に連れて行かれた。勿論、悲しいことに数少ないデザートは半分が桜菜に奪われることとなった。


 いつもの放課後ならクラスの半分以上の生徒たちは、部活やら遊びやらでいなくなるところだ。しかし、この日は成り行きが気になるのか、ほとんどのクラスメイトが残っている。とは言え、この教室内でゲームをするならば、人数が多いのは望ましくない。邪魔になるだけではなく、巻き添えで怪我をさせてしまうかもしれない。

 さすがにそれはまずいだろ。

 と言うことは、期日を変更するか、場所を変更するか、のどちらかだ。

 僕としては、中止になってくれてもいい。いや、寧ろ中止にならないか? と思っていたが、鉄砲塚の野郎はやる気満々、クラスメイトも興味津々。今更、尻尾を丸めて逃げるわけにもいかない。

「なんか、ワクワクしてきたよ。一生懸命応援するから頑張ってね」

 と、桜菜は完全に他人事。応援してくれるだけありがたいと考えるべきか。

「みんな。今からゲームをやるから、教室から出てもらっていい?」

 委員長が教壇に立ち、クラスメイトに向かってお願いをしている。一部の男子生徒が不満気味のことを言うと、鉄砲塚が巻き込んで怪我させても責任はとれねえぞ、と脅す。

 残ったのは、僕と桜菜、委員長と鉄砲塚、そして、桜菜の前に座っているショートカットの女生徒だった。

「渡瀬、お前もさっさと教室から出ろ」

 鉄砲塚の氷のような声に、ゆっくりと立ち上がったショートカットの女生徒は、椅子を机の下に入れ、体を僕や鉄砲塚のほうに向けた。

「でも、自作自演だと嫌だから」

「なんだと?」

「ほら、鉄砲塚君が和知君に手を抜いて勝たせないか、心配なの」

「そんなことあるわけないだろ。まずはお前と勝負してやろうか」

 鉄砲塚の発言を聞いて委員長が教壇を二回ほど叩いた。

「和知君の立会人は、観音寺さんがいるから、渡瀬は、鉄砲塚の立会人ってことでいいじゃない。教室の外ではみんなが興味津々と集ったままだし早く決着つけないと。宇賀ちゃんが不信がって戻ってきたら話がややこしくなるから」

「わかった。ルールは?」

「立会人、ハンカチ持ってる? 渡してあげて」

「玄葉、私が鉄砲塚君にハンカチ渡さないといけないの?」

「嫌なら、立会人を辞めて教室の外に出ていてくれない?」

 委員長の判断は任せるとばかりの発言に、渡瀬は僕の前を横切って鉄砲塚のほうに歩いていく。

「これ、どうぞ」

 横から声をかけられて動揺した。上手い返答が出来ずに、黙ってハンカチを受け取り学ランの前ポケットに入れる。

 僕は、きゅっと唇を一文字に閉じ、桜菜を見た。すると、彼女は嬉しそうに微笑んでいる。どうしてだろうか。学食でお昼を食べているときに全部説明したと言うのに。何故、平然としていられるのだろうか。

「ホントにいいの?」

 思わず尋ねた。いつもより、ニコニコしている桜菜に訊かずにはいられなかった。

「うん。怪我しない程度に頑張って」

 この状況、理解しているのかな? 相当に切実な立場に追い込まれているはずなのに、LED電球もびっくりするほど妙に明るい。でも、暗いよりかはいいか。目にかかった前髪を軽く払う桜菜に微笑みかけてから、両手拳を握って気合を入れなおす。

 よし、やってやる。

 鉄砲塚のほうに向き直ろうとしたときに、桜菜が握り拳を前に突き出してきた。

 だから、握っていた拳を軽くぶつける。と、火打石でも当たったかのように火花が見えた。僕は全身を燃え上がらせる炎を纏って鉄砲塚を睨みつけた。

「ハンカチは完全に奥に入れないで、一部は出すこと。それと、ポケットをあからさまに手で隠す行為は禁止。勝利条件は、十秒以上相手のハンカチをキープすること。細かいことは、私が公平に判断する。ってことでいい?」

「ぐじゃぐじゃした御託はいらねえ。さっさとやろうぜ」

 やる気満々の鉄砲塚に対し、僕は無言で委員長に頷いた。

 委員長は、僕と鉄砲塚の表情を見比べてから、桜菜と渡瀬を教壇に立っている自分の後ろ――黒板の前――に移動させた。

「準備はいい?」

 僕は鉄砲塚を見た。準備万端とばかりに冷たい視線で僕を見ながら構えている。どうやら、彼にとってこのゲームは喧嘩と同じようだ。

 だが、鉄砲塚に付き合う必要はない。僕は、委員長の言葉にゆっくりと深く頷きながら間合いを取る。

「じゃあ、ゲームを開始します」

 委員長のレディー・ゴーの合図と共に鉄砲塚は正拳を突き出した。五メートルはある。パンチが届くとか届かないってレベルの距離ではない。

 そんなこと解っていた。が、僕は膝を折り曲げてしゃがむ。

 多分、鉄砲塚の霊力は、ステルスブレット(見えないパンチ)。空気の塊だか何だか解らないけど、そんなものを飛ばすことができる。

 だから、紙一重など考えずに完璧にかわした。

 しかし、次の瞬間に、床を踏み込む音が聞こえてきた。予想していた動きだ。俊敏に立ち上がり、軽く地面を蹴ってジャンプをする。突進してきた鉄砲塚の頭部にカウンター気味に、空中右回し蹴りを放った。鉄砲塚はこの攻撃に容易に反応して左腕でガードした。

 そして、僕を捕らえようとして……目標を失った。

 僕は、蹴飛ばした勢いを利用して、背後に跳んでいた。軽々と机の上に着地する。

 これが、こちらの作戦。

 弁慶に向かって牛若丸がやったそれと同じ。自分より強いのが解っている相手に、正面から闘う必要はない。机の上を跳びまわり、相手の疲れたところでハンカチを奪う。伊達に午後の授業を無視して考えていたわけじゃない。

「猫っぽい作戦だな」

 なんとでも言いやがれ。

 僕は鉄砲塚を中心に円を描くように机の上を走り回る。

 さて、どうする? 同じように机で勝負するか? それならば、狙い通り。

 そのまま地上にいるならば、弁慶と同じ運命。

 偉そうな言い方をした鉄砲塚だったが、僕が考えていたより冷静に動く。壁際まで後退してから、教室の隅に移動した。ニヤリと嗤いながらベランダへの入り口前で構えなおす。

「大口を叩いている割には、守りに入るのか?」

「ほざけっ、黙ってかかってこいやー」

 こちらの煽りに対して口では言い返してくるものの乗ってこない。随分と慎重じゃないか。教室の後ろは机に囲まれている教室中央よりスペースがある。ましてや、隅だ。前面からの攻撃からしかない。飛び道具を持っている奴にとっては、かなり有利なポジションだ。

 だが、それも想定済みの動きだ。鉄砲塚の放つ見えない(ステルス)弾丸(ブレット)は凄い能力だが、どうやら連射できない。それは、とってもおっきな欠点。だから、ビビる必要などない。

 いくぞっ!

 鉄砲塚の正面から攻撃を加えるべく机上を走る。

 かかったな。と言わんばかりに放たれるステルスブレット。

 だが、甘いっ!

 僕は、奴の動きに合わせて、机から窓ガラスに向かってジャンプして避ける。そして、空中浮遊(エアウォーク)の霊力を使いながら窓枠を蹴り飛ばし、天井に向かって跳ぶ。天井を軽く両手で弾き、霊力を解除。地球の引力に任せたエネルギーを足に託し、ドロップキックをぶちかます。

 この一撃で決まる。などとは思っていないので、ブロックした鉄砲塚の両腕を踏み台代わりに、背泳ぎのスタートのように力いっぱい蹴飛ばす。空中で再び霊力を断続的に使用し、半回転して机上に着地、すぐに横っ飛び。

 鉄砲塚を見ると、ステルスブレットを放った体勢。危ない。危ない。

 一発でも喰らえば、動きが鈍って接近戦を挑まれる可能性がある。単なる接近戦ならば、こちらにも勝機があるだろうが、組みつかれたら最後。体格差があるから勝ち目はない。

 でも、同じような戦法を繰り返している限り、こちらに不安はない。

 位置エネルギーは偉大だ。僕と鉄砲塚の体格差なんかふっ飛ばしてくれる。とは言え、同じ攻撃を繰り返したら読まれる。心臓の速さを呼吸でコントロールするよう意識しながら、次の攻撃パターンを頭の中で組み立てる。

「和知、結構、やるじゃねえか」

「降参するか?」

「ほざけっ! お前こそ今のうちに降参すれば怪我しないで済むぜ」

 鉄砲塚は先程より険しい目つきになった。眉間にしわを寄せて見ているこっちが萎縮してしまいそうだ。

 僕は視線を僅かに逸らす。そして、胸ポケットのハンカチに照準を合わせる。

 さっきの攻撃は、実は偽物(フェイク)。今度は、ダメージを与える振りをして、胸ポケットからハンカチを抜き取る(スチール)。

 僕は距離を取って呼吸を整えなおす。

 よしっ、行くぞ!

 気合を入れなおして、走り出そうとしたら、教室の角にいた鉄砲塚が前に出た。ロープ際に追い詰められたボクサーが反撃する勢いに似ている。

 頭の中を警戒音が鳴り響く。

 僕はその場に停止して鉄砲塚の動きを観察する。と、突然、鉄砲塚は前蹴りで机を蹴飛ばし始めた。僕の机や桜菜の机、って言うか近くにある机を無差別に力任せに蹴飛ばしだす。

 当然、ドミノ倒しのように机が倒れる。あまりの無茶振りに僕は慌てた。ギリギリ位置が動いただけの机を爪先で弾いて、鉄砲塚からさらに距離を取る。

 鉄砲塚は次々に机を蹴飛ばして、どんどんと自分の周囲のスペースを確保していく。

 こちらが乗っている机を無くす作戦か?

 自分で動揺を感じるほど焦っていたが、鉄砲塚は壁際から離れると、何事も無かったかのように、また待ちの体勢に入る。

 しかし、こちらからの攻撃は躊躇した。先程とは状況が違う。三メートルは跳ばないと届かないから、今度こそは空中にいるときに狙い撃ちされてしまう。

 何か、他にいいアイディアは無いか? と考えていると後方から声が飛んできた。

「これだけ大騒ぎしたら、先生がいつ飛び込んできたとしても不思議はない。だから、さっさと決着つけなさい」

 委員長に言われて、僕は机上から飛び降りた。認めたくはないが、近づけない以上、作戦は失敗していると言わざるをえない。

 だが、奥の手はまだある。

 僕は床に着地した瞬間に腕をクロスさせた。と、同時に竹刀で突かれたような衝撃が腕に加わり、僕はよろけた。

 まずい。と思ったが、鉄砲塚は近づいてこないで次のパンチを狙っている。僕は、横に移動しながら敵に狙いをつけさせない。――はずだったのに、弾丸が肩口をかすめた。

 くうっ。遠距離戦は圧倒的に不利だ。

 ――ならばっ!

 僕は左右に動きながら徐々に間合いを詰めていく。止まった瞬間が狙われるのが解っているから、ジョグの速さで動き続ける。転がっている机や椅子。こんなものでつまづかないように、動きが止まらないように。

 鉄砲塚の表情を見た。若干、苛立ちを感じているように見える。が、体勢を維持したままだ。どうやら、想像していたより、かなり忍耐強い。

 けど、こちらの動きに対して、徐々に散漫になっている。体勢こそ変わらないものの、僕の動きに対して、首だけでしか対応していない。

 後の先――僕の攻撃に対し反射的に反応し先に攻撃を決める――に絶対の信頼を置いているのか。

 相手の自信があるところに飛び込むのは愚かだ。そんなことは理解している。しかし、いつまでも揺さぶりをかけているわけにはいかない。

 先生の乱入による引き分け狙いができればいいが、それでは問題は解決しない。不満が残るだけ。イジメは水面下に隠れる最悪の結果が待っているだろう。

 とするならば、勝負するしかない。

 僕は背後の教壇にいた桜菜を一瞥した。

 いつもと同じように笑顔だった。

 全てを預けてくれている。そんな信頼が感じられた。

「やってやるぜ!」

 吼えながら突撃する。

 横の動きから縦の動きへ変化させての攻撃。しかも死角の位置から。鉄砲塚の一瞬の狼狽を見逃さない。

「舐めんじゃねえ!」

 鉄砲塚はすぐに戦士に戻り、ステルスブレットを繰り出そうとする。

 だが、甘いッ!

 僕は地面すれすれにジャンプして見えない(ステルス)パンチ(ブレット)をかわす。霊力(エアウォーク)を行使して弾丸のように跳び、鉄砲塚の脚が届く範囲で両手をついてその場に停止する。

 猫の威嚇しているポーズになった僕に襲いかかる鉄砲塚のサッカーボールキック。その脚を支点にしてジャンプした。ポケットのハンカチを抜き取り、思いっきり胸を蹴飛ばす。

 その勢いを利用して背後に向かって跳ぶ。そんなに高くない位置だが、床には机やら椅子やらが散乱しているから、十秒以内に捕まえることは不可能。

 間違いなく勝利した。

 そう思って鉄砲塚を見ると攻撃の構え。

 くうっ。八つ当たりか? それとも、僕の勝利を認める気が無いとか?

 足を向けたまま体を真っ直ぐにして、攻撃が当たる面積を最小限にした。と、同時に足裏に衝撃が加わり、その勢いで体が回転し、逆さ吊り状態になる。

 狙いはこれかッ!

 能力で浮いているから落下しない。だが、これでは単なる的だ。

「終了!」

 委員長の合図にも、鉄砲塚は攻撃態勢を解かない。そして、ステルスブレットの弾丸を撃ってきた。

 避けれない。

 被害を最小にするための体を丸める前に、攻撃はヒットした。しかし、腕をかすめて体が横に数回転したのみ。

「ふんぬッ、運のいい奴が……」

 鉄砲塚は仁王立ちしながら捨て台詞を吐いた。どうやら、もう攻撃してくる意図はないようだ。

 一安心。と、言いたいところだけど、今の僕は逆さ吊り状態だ。床まで一メートルはある。このまま霊力を解除して落下したら、罰ゲームのように置かれている机に激突することは間違いない。

 ちょっとずつ解除して床に着けばいいけど……。もう、そろそろ、力の限界だ。落ちるしかない。

 それでも、ぶん殴られるよりダメージは少ないか。と諦めかけた。その時、真横から強い衝撃を受けた。

「良くやった那智。ありがとぉ~」

 言葉と共に桜菜に抱きつかれた。のは良かったけど、空中に跳んでいられる力は抜けていく。だから、抱きついた桜菜は急激に質量が増加したように感じたのだろう。バランスを崩して、パワーボム気味に激しく床に叩きつけられる。

 ぐはぁ!

 死んじゃうんじゃないか? と言いたくなるくらいの強烈な痛み。そんなものを背中と後頭部に受けて、息と共に呻き声を吐き出した。

「ああ、大丈夫? 那智、大丈夫?」

 一番、ダメージを与えたのは、鉄砲塚じゃなくって桜菜だよ。って冗談が思い浮かぶ。しかし、言葉が出てこない。いや、その前に口が開けない。それどころか、体の制御が不可能になり、意識が遠のいていく。そして、世界は真っ暗闇に閉ざされた。


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