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序 桜吹雪の中で


序 桜吹雪の中で


 唐棣色の花弁が、蝶か粉雪のようにヒラヒラと揺蕩う春の夕暮れ、僕は河川敷を走っていた。マラソンの練習ではない。単なる下校途中、真っ黒な学ランを着て鞄を持ったまま、桜並木が続く土手の下を駆けて行く。

 風に含まれる草の薫りがあまりにも気持ちよい。だから自覚はないのにズボンの背後、チャックから出ている尻尾が動いてしまう。やばい、こんなに激しく動いたら、まるで発情しているみたいじゃんか。自制しようとするが意識できるのは少しだけ。しゃーない猫系人間の宿命だ、と心の中で言い訳をしながらジャンプ(空中浮遊)する。

 背中に翼が生えたつもり。気がつけば、高さ一メートル、距離十メートル位を跳んでいた。今の自分の能力では、これが精一杯だ。ほとんど全ての霊力を使ったせいで、力は抜けて動けない。

 荒々しい呼吸をしながら、上半身を折り曲げた。視線が地面に落ちると、沢山のタンポポが咲いている。

 ホントに今日は暖かい。風も弱く日差しだけが暖かい理想的な春だ。これほど気持ちがいいのだから体が勝手に反応しても仕方ないよね。

 僕はマラソンランナーのようにリズミカルな呼吸法で体力の回復を計る。と、一分程度で、呼吸は落ち着いてきた。

 体力的に精神的に余裕が出てきた僕は、顔を上げて前を見た。別段、何か難しいことを考えていたわけではない。

 桜が綺麗だった。

 花弁が落ちていくのを見ていたら、何時までも厭きそうにない。

 でも、いつまでも見ているわけにも行かない。僕は河川敷を歩きだす。

 夕暮れ間近、力の弱まった太陽に照らされた唐棣色のそれは、重力に負けて枝から離れた。しかし、地面には落ちず、抵抗して宙を漂う。一つ、二つなどと数え切れない無数のそれは、気がつけば世界を覆いつくすよう。

 まるで、真冬の雪、いや、華雪と呼ぶべきか。


 その唐棣色の吹雪の中に、天使がいた。

 いやいや、天使なんか存在しない。でも、不思議なことに、僕はその時、両掌を掲げて儀式を行っている天使が見えた。

 鉄が磁石に引き寄せられるように、僕はフラフラと天使に吸い寄せられていく。

 天使は紺色と白色の冬用セーラー服を着ていた。

 多分、僕と同じ高校だろう。紺色の襟に乗っかるセミロングの髪。ストレートの髪で隠せないすっきりした輪郭は、大人っぽさを感じさせる。身長は僕と同じ百六十センチメートルくらいありそうだ。年上かな、と思ったが、鉛筆のようにヒョロっとしたスレンダーな体型は、発展途上って感じだ。

 僕がゆっくり近づくと、天使は気配を感じたのだろう。花弁を集めていた両手を胸元に近づけてから振り向いた。

 桜のように微笑んでいた。顔を僅かに傾げて、大きいであろう目を細めると、指で触れたくなるようなえくぼができた。きっと、彼女は、周囲にいる人間を優しい心にする魅力がある。だから、彼女が沈黙を続けていたならば、本物の天使と思い込んでいただろう。

 彼女は、細くて緩やかな曲線の眉を動かした。そして、僕に気づくと、折角集めていた花弁を思いっきり空に放り投げる。

「何で?」

 反射的に訊いていた。深い理由も無く言葉が出て行く。

「ん? だって、こうするのが自然だって思ったから」

「確かに持って帰っても食べれないしね」

 僕が笑うと同じように笑ってから怪訝そうな顔をする。

「ねぇ、私のこと怖くないの?」

「何で?」

「私、純人間だよ」

 彼女は目を細めて僕から視線を逸らした。


 雨のように降っていた桜の花弁は、いつの間にか小降りになっていた。

 僕は、唇をギュッと噛み締める。そして、顔を背けた彼女に向かって、

「あの、僕は和知(ワチ)那智(ナチ)、高校一年生です」

 と自己紹介しながら、軽く会釈する。目をクルリンと大きくして僕のほうを見た彼女は、パチクリと瞬きを繰り返す。

「私は観音寺(カンノンジ)(サクラ)()、同じく高校一年、だからタメ口でいいよ」

 ん? おかしいなあ。うちの高校は二クラスしかないから、純人間がいれば間違いなく気づいているはずなのに。

 僕が首を傾げていると、彼女は上目遣いで僕を見ていた。

「どうしたの?」

「あのさ、和知君は猫系人間だよね。純人間が近くにいると嫌じゃないの? 霊力が吸い取られるとかでさ」

「それってデマじゃん。そもそも僕の母は純人間だから、その手のアレルギー反応みたいなのないよ」

「だったら、お願い、触らせて!」

 潤んだ目にたじろぎながら不本意にも頷いてしまうと、彼女は突然、僕の大事な部分に触れてきた。そして掴まえられる。

 逃げ出そうとしたが握りしめられている。振りほどくわけにもいかない。

 ああっ、何でそんなことをするの? 徐々に血液が流れて硬くなっていくのを感じて、恥ずかしさで心拍数がハードロックする。

「や、止めてよ」

「いいじゃない。減るものじゃないし」

「そ、それって何処の旧世代の酔っ払いの台詞だよ」

 力が抜けそうになるのを踏ん張って、腹に力を入れて声を出す。

「だって、軟らかくって気持ちいいし、触るの初めてだし」

「もうっ、本当に止めてってば。尻尾は凄く繊細な器官なんだって。か、かん? さんだって他人に体を触られたら嫌でしょ」

 僕の必死の訴えが届いたのか、彼女は尻尾から手を離して体を一歩引いた。

「ごめん。初めてだったから。痛かった?」

「大丈夫だけど、ほーんと、勝手に尻尾を触るのは犯罪行為だからね。絶対に二度とやらないで」

「解った。解った。二度とやらないから。あと、私のことは桜菜でいいよ」

 彼女は謝るような仕草を見せたと思いきや、僕の顔を両手で挟んで自分の顔を近づける。

 あっ、睫毛が長い、って僕が気づくぐらいの距離で、彼女は真剣な目つきをしている。

「一体、何を?」

 少しだけ身を反らせて逃げようとしたが、追尾機能付きのミサイルのように彼女の顔もついてくる。

「あのさ、訊いていい?」

「んん?」

「猫なのにそれっぽい髭がないね」

 な、な、なななななんて失礼な奴なんだ。初対面の僕に向かって、何だその発言は。

「当たり前じゃないか。猫じゃないんだから。そもそも、猫系ってのは、尻尾が猫っぽいからそう呼ぶだけで、動物の猫とは関係ないんだ。だから猫系以外の人間だってあんな長い髭なんて生えてないよ」

「そうなんだ。ごめんね」

 自分の頭を軽くグーで叩いて目を閉じる。そ、そんなあざとい仕草をされても少しくらいしか可愛いと思わないぞ。

 僕は三白眼気味に彼女を睥睨するが、こちらのことなんか少しも気にしていない。それどころか、今度は僕を中心にして、月のようにクルクルと回りだす。両手を後ろで組んで体を揺さぶりながら横歩きしている。

「結構、普通だね」

 彼女の言葉に転びそうになった。一体、僕をなんだと思っているんだ。

「当たり前。三十センチもあるグレートなフサフサ尻尾と霊力が使える以外は人間と同じだって。って言うより人間そのものだってば」

「そうなんだ。私の住んでいたとこは純人間しかいなかったから珍しくって。ついつい余計なことしちゃうんだ。ごめんね」

「別に謝らなくてもいいんだけど、その癖、絶対に止めたほうがいいよ。ここら辺では純人間は珍しいし、偏見を持った人も少なくないから」

 彼女は、うん。と言いながら僕の心を見透かそうとする澄んだ眸を見せる。何かが解ったように目を瞑って立ちなおしてから、くるっと半回転して背中を見せた。

「こんな桜が降る日はいい人に逢える。そんな予感がしていたんだ私」

「うん。僕もそんな気がする」

 僕の返事を聞いたか聞かないかは判らない。彼女は背中を見せたまま右手でバイバイっと手を振った。つられて同じように手を振ると見ていたのかのように歩き出した。

 帰り道は同じ。かな? と思ったが、動けなかった。そのまま一緒に歩いてはいけないように感じていた。

 理由なんて無い。ただ、僕は彼女が現実の存在に思えなかったから、天使が桜の中に消えていくのは当然だなって見送っていたんだ。

 桜の吹雪は、すでに落ち着いている。ヒラヒラと揺らめく花弁の蝶は、帳が近づく夕日に照らされ、僕にまとわりついてきた。息を吹きかけて腕についた蝶を払いのけると、充電された電池のように、僕の力は満タンに戻っていた。

 だから僕は走り出した。桜の空気を吸い込んで、尻尾を立てて風になった。

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