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風鈴

作者: 忍び足
掲載日:2026/07/17


夏になると、祖母は決まって縁側に一つだけ風鈴を吊るした。


ガラス製の、どこにでもある青い風鈴。


「この音を聞くと、暑さを忘れるねぇ」


祖母はそう言って笑った。


確かにその音は心地よかった。


チリン。


風が吹くたびに澄んだ音が鳴る。


子どもの頃の私は、その音を聞きながら昼寝をし、夕暮れを迎えたものだ。


祖母が亡くなったあと、その家は空き家になった。


十年以上誰も住んでいなかったが、遺品整理のため久しぶりに訪れることになった。


庭は荒れ、障子は黄ばみ、畳は湿気を吸っていた。


それでも縁側だけは、昔のままだった。


そして驚いた。


風鈴がまだ吊るされていたのだ。


埃だらけなのに、割れていない。


私は何となく指で軽く弾いた。


チリン。


懐かしい音だった。


思わず笑みがこぼれた。


「持って帰ろうかな」


そう思った、その時だった。


風もないのに。


チリン。


また鳴った。


私は首をかしげた。


古い家だから揺れたのだろう。


そう自分に言い聞かせた。


その夜。


片付けを終え、二階で寝ていると。


チリン。


どこかで風鈴が鳴った。


窓は閉めてある。


無風だった。


気のせいだ。


そう思って目を閉じる。


チリン。


少し近い。


チリン。


また一歩。


まるで音が廊下を歩いてくる。


気味が悪くなり、布団を頭までかぶった。


すると。


チリン。


耳元で鳴った。


飛び起きる。


誰もいない。


風鈴は一階の縁側にあるはずだ。


朝になり、私は急いで帰る支度をした。


風鈴だけは置いていこう。


そう決めた。


車に荷物を積み込み、最後に家へ鍵を掛けようとした時だった。


チリン。


振り返る。


風鈴が揺れている。


しかし庭の木々は一枚の葉も動いていない。


その瞬間。


風鈴の短冊がこちらを向いた。


裏側に、文字が書いてある。


黒い墨で。


「まだ帰らないで。」


私は息を飲んだ。


昨日までは何も書かれていなかった。


見間違えるはずがない。


慌てて鍵を掛け、車へ飛び乗った。


エンジンをかける。


その時。


助手席で。


チリン。


心臓が止まりそうになった。


見ると、あの風鈴が置いてある。


持ってきた覚えはない。


私は悲鳴を上げ、車から飛び降りた。


恐る恐る助手席を見る。


風鈴は消えていた。


夢だったのか。


そう思いたかった。


帰宅後。


何事もなく数日が過ぎた。


安心しかけた頃だった。


夜中の二時。


寝室で。


チリン。


あの音。


窓を開けても風はない。


それでも。


チリン。


チリン。


チリン。


一度鳴るたび、少しずつ近づいてくる。


私は音のする方へ目を向けた。


暗い部屋の隅。


何かが吊るされている。


月明かりが差し込んだ。


青いガラス。


白い短冊。


そこには、また新しい文字があった。


「今度は、あなたの家で鳴る番。」


その日から私は風鈴の音が嫌いになった。


夏になると、近所のどこかで必ず風鈴が鳴る。


チリン。


その音を聞くたびに、私は耳を塞ぐ。


なぜなら。


本物の風鈴は、風が吹いた時しか鳴らない。


風もない真夜中に聞こえるその音は――


誰かが。


あなたの家の前まで来た合図なのだから。

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― 新着の感想 ―
読ませていただきました。 風鈴の音は涼し気で心地よくもありますが、こうなると怖いですね。 風鈴の正体はなんでしょう? かつての持ち主、風鈴が付喪神となった、それとも・・・。 ありがとうございます。…
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