私の最強カレー
しいなここみさん主催『華麗なる短編料理企画』参加作品です。
玉ねぎを焦がしてしまった。
だから今日は、もう彼に会いたくない。
適当な理由をでっちあげて、彼にLINEを送る。ベッドに寝転ぶと、枕元に置いたスマホから短い着信音が鳴った。
だけど、なんとなく見たくない。
彼のことだからきっと、私を労う優しい言葉が綴られているに違いない。そうわかっているから、申し訳なさすぎて見たくない。
窓際に置かれたベッドからは、透明すぎる夏の青空が見えた。
その偽りのない美しさが、今の私には痛かった。
彼は、私にはもったいないくらい魅力的な人だ。
100人に聞けば、120人が『あなたにはもったいないよ』と言うだろう。湧いて出た20人は、聞いてもいないのに糾弾してくる人達。
そのくらい、彼と私は不釣り合いだと思う。
彼は私なんかのどこが好きなのか、未だに全然わからない。
わからないから怖いんだ。
だから、お化粧もめちゃくちゃ練習したし、ファッションだって常に研究を怠らない。立ち振る舞いも些細なところまで女の子らしさを意識してるし、料理も家事も、彼に喜んでもらえそうな事はなんだって頑張った。
でも、気を抜いた私のちょっとした仕草や失敗が、彼を幻滅させ、嫌われてしまうかもしれない。
だって、この関係は誰が見ても不自然だ。地球って星に生命が誕生したみたいに、偶然のバランスで成り立っているものなんだから。
今日は彼を家に招待して、彼の好きなカレーを振る舞う予定だった。
でも、飴色にしたかった玉ねぎは、ボーッとしてる間に焦げ臭い匂いを放ち始めていた。
もうダメだ。
ダメダメだ、私。
落ち込んでいるのに、ゲンキンな私の腹は、飯を食わせろと叫び始める。
しゃーない、カレーの続きを作るか。
彼に振る舞おうと思っていた、上品な欧州風カレーはもうダメだけど、ニンニクと唐辛子をガツガツ突っ込んだ、刺激満点の激辛カレーなら問題ない。
本当の私は、こーいうガッツリが大好きな、全然かわいくない女子なんだよ。
焦げた玉ねぎにニンニクチューブをドバドバぶっ込んで、適当に切ったブロック肉を放り込む。
ニンニクのいかつい匂いが漂ってきたら、蛇口の水を流し込んで、一味唐辛子とハバネロソースを適量投入する。一味とハバネロの瓶は半分になってしまったが、それが適量。
スパイスの調合なんて本当は面倒くさいので、市販のカレールウをやや多めに砕き入れて、ひたすら煮込む。片手にスマホで、大好きなお笑いYouTuberの下ネタでゲラゲラ笑いながら、時々お玉でカレーをかき混ぜる。
スプーンで掬って一口――
ううん!
めっちゃかわいくないけど、めっちゃ美味い!
辛さが物足りないので、ダメ押しで輪切り唐辛子を投入してみた。
ああ、最高。
吹き出す汗が心地いい。
なんてこった、福神漬けを切らしていた。
おしゃれカレーに福神漬けなんて合わないだろーなって、買い出しの時に棚に戻しちゃったんだっけ……。でもそれがないと、この最強カレーは完成しない。
コンビニで買ってこよう。
汗で首元が湿ったTシャツのまま、サンダルをつっかけてアパートを出た。すぐ近くのコンビニには、少し割高だけど福神漬けが常備されていたはず。
福神漬けと一緒に、ビールとケーキを買って、ルンルン気分で部屋への階段を上がっていると――
――あ!
ドアの前に、人影。
シュッとして、スラッとした、見慣れたシルエット。
彼だ。
彼が落ち着かない様子で、私のアパートのドアを眺めていた。
――なんでいるの!?
咄嗟に引き返そうとしたところで、サンダルが脱げそうになってバランスを崩し、手に持っていたコンビニ袋を落としてしまう。
振り向いた彼と目が合った。
最初、驚いた表情をした彼は、すぐに優しい顔になった。
「よかった。出歩けるくらいには回復したんだ?」
「なんで、ここに……」
「ごめん、カナが体調悪いって言ったっきり音信不通になっちゃったから、俺、心配で心配で……。迷惑かもと思ったけど、必要そうなもの買って、様子見に行った方がいいかなって思ったんだ」
言いながら、指先で頬を掻く。彼が困ったときによく見せる可愛い癖だ。
そうだ、私は彼からのLINEも未読無視してたんだった。だから、スマホも見れないほど重症だと思わせてしまったのかもしれない。
「あ、うん、あの後、けっこうよくなって……」
自分がすっぴんで、髪もボサボサな事に気付く。
もうイヤだ!
消えてしまいたい!!
でも彼は、そんなダサい私を蔑まなかった。
心の中に溜まった安堵が、縁から溢れ出たみたいな、長い長ーい息を吐いた。
「安心したよ……」
私の心を手のひらで包み込むみたいな、優しい声。
そうだった。私は、彼の毛布みたいな優しさが大好きなんだ。いつだって、触れればやわらかく、くるまればほんのり温かい、そんな彼の優しさが。
彼からはいつだって、お日様の匂いがする。
そんな感慨をかき消すみたいに、つけっぱなしの換気扇からは、キッチンに置きっぱなしの最強カレーの匂いが漏れ出ていた。
ニンニクがガッツリきいた、イカついカレー。
「この、カレーの匂い……めっちゃ美味そうな匂いじゃん」
「いや、これ、私が作った……」
「カレー作ってたんだ。え? もしかして、俺がリクエストしてたから? だったらごめんよ、体調悪いのに、無理させちゃってたかな」
無理なんてしてないよ。
私はそんなあなたに、優しさのお返しをしてあげたいんだよ。
何をしてあげれば喜ぶのか、どんな私なら愛してくれるのかなんて、頭じゃ全然わからない。
でも私が彼のために何をしたって、きっと彼は喜んでくれる。どんな私だって、きっと彼は愛してくれる。理屈じゃないけど、そんな確信めいたものが、ほんとはいつだって心の中にあった。
卑屈さの陰に隠れて、気づかなかっただけだ。
「いいの。作りたいから、作ったの――」
だから私は勇気を出す。
さっきの彼の優しい声が、ちっぽけな私の勇気を後押ししてくれる。
「ねえ、カレー、一緒に食べよ?」
「え、いいの?」
「食べてもらいたいんだ。私が大好きな『最強カレー』」
知ってもらいたいんだ。
本当の私――
「最強カレー?」
「うん」私は頷く。「ニンニクガッツリで、唐辛子ドバドバの、最強の激辛カレー」
そう言って笑った私の顔は、ノーメイクだし、眉毛はないし、前髪は跳ねてるし――でも最強に華麗な笑顔だったと思う。
妻の作ったカレーにハバネロソースをドバドバ入れて、嫌な顔をされるタイプです。