有能な研究者、理不尽な追放
「やった……ついにだ!」
俺は、目の前のモニターに映し出される美しい三重らせん構造のデータから目が離せなかった。心臓が早鐘を打っている。指先が興奮で微かに震えるのを、もう片方の手で必死に押さえた。
ここは、俺たちの村が誇る唯一の研究施設。そして俺、タケシは、この村の未来を担う遺伝子研究者だ。
長年の研究が、今まさに実を結ぼうとしていた。村民が持つ特異な嗅覚能力。その遺伝的要因を、ついに特定したのだ。この発見は、我々が何者であるかを知るための、偉大な第一歩になるはずだった。
俺は逸る心を抑え、この歴史的発見を上層部へ報告するべく、意気揚々と研究室を飛び出した。この時の俺は、まだ知らなかった。この発見が、俺の人生を根底から覆す、悪夢の始まりになるということを。
重苦しい沈黙が、村の指導者たちが集まる会議室を支配していた。俺の報告は、熱のこもったものであったはずだ。しかし、目の前に座る管理者たちの顔は、まるで能面のように無表情だった。
「――以上が、私の研究成果です。この嗅覚遺伝子の特異性を解明すれば、我々村民の能力をさらに発展させ、より豊かな未来を築くことができるはずです!」
俺が自信満々に締めくくると、中央に座る指導者が、ゆっくりと口を開いた。その声には、一切の感情が乗っていなかった。
「タケシ君。ご苦労だった。だが、その研究は本日をもって中止とする」
「なっ……!?」
理解が追いつかなかった。中止?なぜだ?これは村の、いや、人類史に残る大発見だぞ。
「ど、どういうことですか!?理由をお聞かせください!」
俺の問いに、指導者は、まるで汚物でも見るかのような冷たい視線を向けた。
「理由か。お前の研究は『危険思想』そのものだからだ」
「危険……思想?」
「そうだ。村の秩序と安寧を乱す、最も忌むべき思想だ。我々が守り続けてきたこの村の調和を、お前は土足で踏みにじろうとしている」
言葉が出なかった。俺の研究が、なぜ村を危険にさらすというのだ。意味が分からない。俺は、ただ純粋に、科学者として真実を追い求めていただけだ。村の未来を想い、その発展に貢献したいと願っていただけだ。それが、危険思想?
頭が真っ白になる俺に、指導者は、まるで死刑宣告のように、最後の言葉を告げた。
「よって、お前を村から追放する。明日、陽が昇るまでにこの村から出ていけ。これは決定事項だ」
追放。その一言が、やけにクリアに俺の鼓膜に突き刺さった。
ふらふらと会議室を出ると、廊下で数人の同僚と顔が合った。俺の数少ない友人であり、研究のライバルでもあった男たちだ。俺は、藁にもすがる思いで彼らに駆け寄った。
「おい、聞いてくれ!管理者たちはどうかしている!俺の研究が危険思想だなんて、そんな馬鹿な話があるか!」
しかし、彼らは一様に目を逸らした。ある者は気まずそうに顔を伏せ、ある者は「俺たちには関係ない」とでも言うように、足早に俺の前を通り過ぎていく。いつも俺の研究を「素晴らしい」と褒めてくれていた親友でさえ、ただ悲しそうな顔で首を横に振るだけだった。
「……すまない、タケシ。上には逆らえないんだ」
その瞬間、俺の中で何かがプツリと切れた。
こいつらもか。全員、管理者たちの言いなりなのか。俺の研究が危険なのではない。奴らが恐れているのは、俺の研究によって暴かれる「何か」なんだ。そうだ、俺が発見した嗅覚遺伝子の特異性……それは、この村の成り立ちに関わる、何かとんでもない秘密に繋がっているに違いない。
だから、俺を追放するのだ。真実が、他の誰かに知られる前に。
自室に戻り、最低限の荷物をカバンに詰めながら、俺は冷え切った頭で考えていた。この村は、巨大な嘘で塗り固められている。平和も、調和も、全ては偽りだ。
追放、上等じゃないか。
こんな腐りきった場所に、もはや未練など一欠片もなかった。俺は窓の外に広がる、村を外界から隔絶する鬱蒼とした森を見つめた。村の誰もが、汚染された死の世界だと信じて疑わない、禁断の場所。
だが、今の俺には、むしろ希望に見えた。
俺は、たった一つの決意を胸に、カバンを掴んだ。
「外の世界で、俺は真実を突き止めてやる」
そして、この村の嘘を、根こそぎ暴き出してやると。
俺の、たった一人の戦いが始まろうとしていた。