夢
知らない場所で急に目覚めてしまうと戸惑うものだ。ぐっすり眠っていたところを起こされるので連続の気配が何もない。それでも病気じゃない他の人たちと比べれば、その経験が多いから慣れているといえば慣れていたが、それでもわたしは慣れなかった。だから、いつも戸惑うのだ。幸い、わたしにはわたしたちの誰かの修羅場に居合わせたことはない。もっとも修羅自体、基本的には小夜の創作物であるわたしたちには殆どないはずなのだが……
あのときわたしは知らない町にいた。街かもしれなかったが町だと思った。立っていた近くに田圃と畠があったからだ。わたしの横には誰もいなかった。けれども近くには通行人が若干名いた。数十メートル先に緑が見えたので公園だと見当をつけて歩いて行った。結論から云うとその緑は団地を囲う防風林(?)だったが、その先に小さな子供と母親が遊ぶ小公園があったのでベンチに腰掛けた。リュックから携帯を取り出してGPSで現在位置を確認すると杉並区だった。前にそうなったときが埼玉県入間市だったので拍子抜けした。けっこう隈なく歩いているつもりだったが、知らない場所はいくらでもある。団地から少し先に行くと神田川が流れていたので、その方向に向かうことにした。すると向こうから男の子が一人近づいて来た。まさかわたしに用があるとも思えないので後ろを振り返ったが、母親らしい人物は見当たらない。お爺さんは歩いていたが、顔と目付きが男の子と似ていなかった。それで顔を戻すと男の子はもう目の前だ。わたしに向かって不思議そうな笑みを浮かべている。おそらく四歳か五歳くらいだろう。近所の家に子供がいなかったので、わたしには子供の年齢の詳細な見分けがつかなかった。が、三歳児ならば、いくら何でも近くに母親がいるだろう。わたしはその場を逃げ出すか、知らない振りをして遣り過ごすかの決断を迫られていた。幼い子供を前にして身の竦むような思いをしたのは初めてだった。わたしは審判のときを待った。すると、わたしの方に近づいてきた男の子がわたしの前でふと立ち止まり、
「ちがうひと!」とだけ言った。
「わかるの?」
「わかるよ」
「でも顔、同じでしょ」
「ちがうよ」
「どう違うのよ?」
「ちがうおねーちゃんのほうがかわいい」
「まあ、ひどい言われようね。で、きみ、名前は?」
「あぼ・みくる」
「あなたの名前じゃなくて、きみが会ったお姉ちゃんの方の名前? 言わなかった?」
「わすれた? でも、いわなかったかも……」
「じゃあ、わからないわね。会いたいんなら探してみるけど、どうする?」
「いいよ。だってにげちゃったんだもん。ぼくのこときらいなんだ」
「まあ、そう悲観しなくても…… きみ、この辺りの子?」
「そうでもない」
「じゃ、どうしてここにいるの?」
「みらいくんちにあそびにいくところ」
「みらいくん家は、この辺りなの?」
「あっち」
そう言って、みくるくんが細長い人指し指でツイと差し示した処には結構大きな茶色の集合住宅が建っていた。
「あのマンションのなか」
「あ、そう。じゃあ、邪魔しちゃいけないから、バイバイね」
すると彼は思案気な顔をした。
「ねえ、あのおねえちゃんはまたでてくるの?」
「さあ、わたしにはわからないわ」
「そうなの?」
「うん、残念ながらね。……ね、きみはどんなふうにそのお姉ちゃんと会ったの?」
「ゆめのなかであった」
「夢の中?」
「うん。ゆめのなか」
「あの、よくわからないんですけど…… 夢って本当の夢?」
「ゆめはゆめだよ。きょうのあさのゆめのなかで、おねえちゃんがはだかででてきた」
「裸なの? 大胆だなぁ…… それで?」
「ぼくのことをよぶから、おねえちゃんのところにいったら、ふく、ぬがされた」
「それって犯罪じゃないの? ああ、でも夢か? それで?」
「おおきなせんめんきがあって、そのなかでおふろみたいに、あわでいっぱいにされた」
「何となく先が読めてきたわね。それで?」
「ぼくのおちんちんをなんどもあらって、くすぐったいから、いやだっていったんだけど、くちのなかにいれた」
「それで?」
「たべちゃおうかなっていって、たのしそうだったけど、ぼくのおちんちんがおとうさんのみたいにおおきくなってきたら、きゃあっ、ていって、にげていって、めがさめて、おわり」
「ふうん。で、きみの方は楽しかったの?」
「よく、わかんない」
「ねえ、もう一回訊くけど、そのお姉ちゃんに会いたいと思う?」
「どっちでもいい」
「だけど、わたしより可愛かったんでしょ?」
「だって、にげちゃったんだもん」
「そっか!」
「ね、おねえちゃんも、ぼくのおちんちんをたべようとする?」
「えっ、まさか、しないわよ!」
「だって、ちがうおねえちゃんがでてきたのって、おねえちゃんがみたゆめのなかだったんだよ」