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ボディーガード

 わたしが学校でいじめられないのは、わたしが一般的な人たちから見て異常に見えるからではなくて、ほんの少し喧嘩が強かったからだ。そうでなければ、わたしはもっとずっと多くのわたしに分かれていたかもしれないが、本当のところは良くわからない。だから学校の生徒の多くと先生たちは、わたしのことを気味が悪いと思う以上に避けようとする。昔は頭の悪い連中が寄り集って襲ってきたこともあったが、今はもうそれもない。命には別状ないが身体の表裏をしっかりと貫通する孔を開けられた複数の男女生徒たちの姿を一度でも見れば、そうなるらしい。裏サイトでは写真が出まわっているそうだ。インターネットの時代は、その意味ではありがたかった。

 わたしが最初の喧嘩に勝ったのは、ほとんど偶然だった。先の尖った傘を持っていたのが幸いした。ずいぶん時間をかけてお気に入りの傘の先端部分を削ったものだが、何かに追われるようにその作業を行ったのは予知だったのかもしれない。もちろん安全用のキャップは付けていた。向こうから声をかけられて最初は取り合わなかったが、喧嘩が始まると数秒で片がついた。安全用のキャップはそのとき失くした。正当防衛を主張するには遣り過ぎだったが、珍しくわたしの周りに友だちがいたので主張が通った。わたしを襲った相手は、わたしがひとりでいるところを襲うのでは面白くないと考えたようだ。だからわざわざ、わたしが数少ない友だちと帰宅しているところを狙ったのだろう。わたしは二週間の停学処分にはなったが、警察沙汰にはならなかった。わたしを襲った相手の親が、それを避けたからだ。わたしにとって幸いだったのは、息子は愚かだったが、その親が愚かではなかったことだ。不思議な付き合いで、その男親とは、ときどき食事に行くようになった。隠すつもりはなかったが、何故だか誰にも見咎められなかった。女親との付き合いはない。そしてわたしを襲った張本人は、その後勝手にわたしのボディーガードに就任した。すなわち別の意味での愚かさに取り付かれてしまったわけだ。だから二回目以降の襲撃におけるわたしの勝利は、ほとんど彼に負っていた。……ということは、最初にわたしが彼に勝ったのは本当の本当に偶然だったということだ。わたしに躊躇がなかったことが、少しだけそれを後押しした。それだけのこと。

 ところでわたしには理解しがたいのだが、彼はわたしに恋をしたらしい。友だちの一人にそう耳打ちされてわたしは面食らったが、面倒ごとが発生するのは厭なので無駄だとはっきり彼に告げた。するとその一回の告知で、彼はすぐさま引き下がった。けれども、わたしのボディーガード職は辞さなかった。少なくともわたしが学校にいる間、あるいは登下校する時間には何処かでわたしを見詰めていた。彼のその視線に気づくときもあったし、また気づかないときもあった。彼の方から辞める気はなさそうなので放っておいた。わたしに人間らしい優しさがあったとすれば、その非行為くらいだろう。名前は憶えられないが、しばらくすると、その彼に恋する女性たちが現れた。困ったことにその中の一人は彼が所属するクラスの担任女教師で彼女の胸から洩れてくる彼への想いは痛切だった。が、彼女が気に入ったのは彼の端麗な顔立ちと若年ながらも引き締まった肢体であって彼女が望むのは彼のペニスとそれを用いた淫らな行為だ。わたしにはそれがはっきりとわかった。強烈な願望の放射として感じられた。まったく感じたくはなかったのだが……

 女教師は処女ではない。どちらかというと男性経験が豊富な女だ。学生の頃は不倫体質で、それが就職してから年下趣味に摩り替わった。さらに数年前までは同僚教師との付き合いがあって、その男性教師が遺産に関わる複雑な家庭の事情で転校していなかったら未だに関係が続いていたかもしれない。それから教生の一人も喰ったことがあった。わたしがエスカレーター式の高校に上がる前の話だ。口許はだらしないが、女教師はわたしから見ても普通に綺麗な顔立ちをしていて化粧を剥いでも元が良かった。セックスのテクニックについては、わたしにはわかりようもないが、きっとそれなりに上手いのだろう。高校二年生の男子は性欲のかたまりだから二十六歳の美人女教師に魅入られれば必ず堕ちるはずだ、とわたしと思った。それで一応、注意をした。

「気をつけなさい。あの人、あなたを狙ってるわよ」

 空気に向かって声をかける。

「ありがとう。でも知ってるさ。モーションをかけられたから……」

 朝の空気の中から彼が応えた。

「寝たの?」

「考え中」

「ふうん」

「止めて欲しい?」

「さあ、どっちらでもいいわよ。わたしには関係ないもの……」

 それでも心がゾワゾワした。わたしに彼の身体の表裏を貫いた経験があったからだろうか? それとも別の理由があったのか? それでわたしは首を捻る。自分の心がわからないので名無しの彼に訊いてみた。

「あなた、経験はある?」

「ないよ。あるのは河野頼子をオカズにしたマスターベーションだけだな」

「わたしがいいの?」

「殺されかけたからね」

「でも致命傷ではなかったわ。内臓だってほとんど傷つけていない。血もすぐに止まったし……」

「だけど河野頼子が救急車を呼ばなければ、きっとオレは死んでいたよ」

「救急車を呼んだのはわたしじゃなくて、わたしの友だちの一人だわ」

「名前を憶えられないね。……でも河野頼子には、それを止めさせることができたじゃないか。襲われたことに怒り狂っていれば。でも、そうはしなかったから」

「わたしはそこまでヒトデナシじゃないわ。……ねえ、小夜じゃダメなの? あっちの方が可能性があると思うんだけど……」

「花、ひろむ、琴、向日葵、萌葱、理沙…… どれも違う。もちろん小夜も、頼子2も、頼子3も、頼子4も、頼子5も……」

「そんなにいたかな?」

「途中で消えたのとか、纏まったのかとかを入れれば、もっと多いはずだよ」

「研究熱心なのね。……でもゴメン。わたし男の子に興味ないんだ」

「知ってるよ。オジサンの方が好きなんだよね」

「そんなことはないけど…… でも、どちらにしても恋は無理だわ」

「毀れてるから?」

「そう、毀れてるから…… でも、それを先にいったのはあなたが初めて」

「河野頼子の憶えている限り?」

「そう、河野頼子としてのわたしの憶えている限り。……ねえ、出て来なさいよ。こんな会話、不自然だわ」

 すると魔法のように彼がわたしの目の先に現れた。

「これでいい?」

「亡霊みたいね」

「まさか、手も足もあるし、生きてるよ」

「でも勃たないのね。可哀想だわ」

「河野頼子だったら勃つんだよ。心外だな」

「あのとき以来?」

「そう、あのとき以来」

「だとしたら、もう一回わたしを襲って勝てば治るんじゃないかしら?」

「だとしても、たぶんもう無理」

「まあ、わたしもあっさりやられる気はないけどね」

「そんなこといって、頼子さん、隙だらけだよ」

「だって、あなたにはわたしを襲う気がまるでないもの……」

「脇腹を叩いて動けなくして公園の奥に連れて行って服を脱がすかもしれないだろ」

「でも脱がさないかもしれないし……」

「不意に首を羽交い締めにして窒息死させるかもしれないだろ」

「でも、させないかもしれない」

「どうしてあのときオレの動きが読めたわけ?」

「すでに経験していたからっていえば答になるかな?」

「いつ?」

「いつだろう? あるいは未来の記憶なのかもしれないわね。わたしたちみんなは時間を逆に動いていて、でも宇宙の収縮期にいるから、それに気づけない」

「何それ?」

「前に父親の本棚にあったホーキングとプリゴジンを読んでて、ふと思ったの。……ねえ、わたしたちって傍から見れば恋人同士に見えるのかな?」

「さあてね。たぶん、ただの高校生だろ」

「だからさ、そのただの高校生の男女生徒が恋人同士に見えるかどうか訊いてるのよ。あなたって、わりとバカ」

「チッ。見たいヤツには見えるだろうし、そうでないヤツには見えないだろうさ」

「ふふふ……」

「何だよ、気味悪いな」

「ねえ、恋人は無理だけど、わたしたち、友だちにならなれるわよ、きっと。……手を繋いであげましょうか?」

「ふん、河野頼子の言葉とも思えないね。本当に今、河野頼子?」

「たぶん、ね」

「誰か出てきたりしてない?」

「出てきて欲しいの?」

「いや、欲しくない。キミがいい」

「わたしがいいの?」

「ああ、キミがいいんだよ!」

「ふうん。どれだって大して変わらないのに……」

「ふうんじゃないよ、どれだって大して変わらなくないことを知らないくせに……」

「辛くない?」

「聞くなよ、ウザい。そっちの方こそ辛くないのか?」

「もう過ぎたわ。その時期は…… それに、わたしにとっては辛いはずがないから……」

「……ってことは、いずれ河野頼子は消えちまうわけ?」

「さあ、どうなんだろう。でもたとえそうなっても、この身体のどこかには棲んでいると思うな」

「キミの一人になりたいな」

「そうね。それができたら面白いかもね」

「キミが精神を喰う怪物でオレを喰えばいいんだ」

「悪魔を呼んで……」

「そう、悪魔を呼んで……望みを叶えてもらう」

「そしてあなたはわたしを手に入れて、そして悪魔に魂を奪われる」

「そして人格はキミの中に入る」

「魂は人格じゃないのね? ああ、単に命ってことか」

「解釈なんかどうだっていいのさ」

「でもあなたがわたしの一人になっても、たぶん、このわたしとは無関係よ」

「うん、確かにそうだ。そこまでは考えなかったな」

「でもきっと、わたしの身体はあなたを大切に扱うわ」

「でも、それって意味ねーな」

「そうね。それって、わたしじゃないものね。でも、わたしとはできないわよ。あなたとだったら友だちのキスくらいは可能かもしれないけど……」

「最初がそれだったから?」

「答えたくないわ。それが答。わたしは男の人を知らないけど、わたしの身体は男を知ってる」

「複雑だね」

「そうでもないわよ」

「でもオレには十分複雑に聞こえるよ」

「わたしには、あなたがわたしを襲った動機の方がもっと複雑だと思えるんだけど」

「わかるわけ?」

「わかりたくないわ。それが答。だから好きなように解釈して……」

「そうだな。河野頼子がわかりたくないってことは、この世に存在するのは河野頼子の方であって、残念ながらこのオレではないってことかな?」

「え、違う……!」

 けれども、それっきり彼の姿はわたしの宇宙から消え去った。


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