わたしの巨人
わたしは高校二年生だが、毎日学校に通ってはいない。けれども毎日家に居て自宅警備をしているわけでもない。わたしの気が向けば学校に行くし、別のわたしの気が向けば長くて遠い散歩をする。近くて短い散歩をすることもある。あるとき長くて遠い散歩をしていて日が暮れてしまったことがあった。当然のように、わたしは途方に暮れて淋しくなった。そのときは運良くバス停まで辿りついて最寄のJR線の駅に行き着けたので事無きを得た。家に帰ってきたのは午後九時過ぎだったが、家には誰もいなかった。だから問題は生じない。会社役員としては年若い父親は、いつも帰りが遅かった。消化器科の女医の母親に関しては理由は知らなかったが、帰りが遅いことが多かった。大学生の兄は家から通える距離の国立大学に在籍していたが、麻布にある高校に通っている頃から家を出て、何故か落合寄りの高田馬場のアパートで暮らしていた。お手伝いの福山さんは、その日も家に居たのだろうが、既に家族の元に帰っていた。だから何も問題は起きなかった。わたしは疲れた身体でノッソリと家に上がると、埃に塗れた身体と脚とそれ以外を軽くシャワーで流し終えてからキッチンに向かい、わたしのために用意された夕食を採った。その日の夕食が洋食ではなくて、純和風の焼き魚定食だったので、わたしは猫の真似をしながら食事をゆっくりと楽しんだ。食事を楽しむには身体が疲れ過ぎていたが、気にしなかった。まったりとご飯を噛んで、温め直した鰯と味噌汁を味わいながら、その日のことを振り返った。
わたしの家は渋谷区立北沢中学校近隣の国道四一三号線(井の頭通り)と京王線笹塚駅の中間の国道寄りにあるが、まず家を出て笹塚駅から京王線に乗って京王八王子駅まで出向いた。そこから国道一六六号線を北へ向かって甲州街道を、ついで浅川を渡り、ひよどり有料トンネルのところを西にずれ、一部小宮公園内を抜けて、ひよどり山中を右手に見つつ左にまわりながら坂を降った。中央道を渡って尾崎町でバイパスをくぐり、国道一六号線の歩道橋を渡ってわずかに北上すると、わたしの巨人46番が立っていた。ここまで徒歩でおおよそ一時間だ。坂を上がって46番を確認後、『この先行き止まり』の道を先に進み、地所に網が張られた農地の、その網の破れ孔をくぐってさらに進むと、わたしの巨人47番が道路を隔てた向こう側の高台に立っていた。緩い崖になっていたので、その方向では危なくて道路の端には出られない。それで仕方がないので、これまで辿ったコースを46番のところまで戻り、近くに集まって柔軟体操をしていた道路工事のおじさんたちを横目にしながら細い川沿いに道なりに進んで47番を眺めてから確認し、その先の丘上の48番を目指した。午後の穏やかな光の下、寂れた細道をゆるゆると昇ると、個人か団体の所有地らしいグラウンドの先に48番がいることがわかった。「人に見咎められたらマズイなあ」と考えたが幸い周りに人影もなく、木の柵で囲われたグラウンド内に侵入した。そこを越えて先に進むと、桜や梅の木が植えられたなだらかな人工の山道が出現し、その桜や梅の木には個人の名前が記されていたので、どうやらそこが会員制の自然公園か、もしくは墓地らしきものであるということがわかった。が、すでに不法侵入してしまっていたので仕方がない。巨人48番を確認後そのまま進んで、丘向こうに見えた、わたしの巨人49番を目指すことに決めた。途中、物凄くゆっくりと走る公園整備の散水車を追い越したりしたが、ありがたいことに見咎められることはなかった。わたしが縁者に見えたのだろうか? そういえばポツリポツと辺りに人の姿が増えてきた。それで、わたしは緊張した。……と同時に、別のことも考えていた。つまりこんなに簡単に侵入できたのでは柵や門の意味がないではないか、というようなことを…… 舗装されたなだらかな庭園道を降って登ると、その先に続いている広場になったところに49番が聳え立っていた。そこは広いスペースの駐車場になっていた。その先に緩くスパイラルになった坂道があって、その先が本来の入園出入口らしかった。巨人49番を確認後、人目を気にしながら、けれども堂々とした態度で駐車場を渡って坂を降り、その時間帯には開け放されていた門を通り抜けて、個人もしくは団体所有の墓所の外に出た。二車線の道路を渡った先に富士美術館があって、その先のS女子短大の向こうにわたしの巨人50番が見えた。が、巨人が立っていたのが学校の敷地内のようだったので、一先ずS女子短大を迂回して右手に大きく坂を降り、隣接するS大の自転車置場からS大学校内に入ってみると、わたしの巨人50番が実はS大の敷地内の方に立っていたのがわかった。S女子短大とS大はコンクリート塀一枚でしか隔てられていない隣同士だったので、わたしは目測を誤ったらしい。近寄って50番をしっかりと確認すると、ついで同じルートで校内を抜けて国道一六六号線を向こう側に渡った。そのすぐ近くの高台の頂上に51番が立っていて、わたしは巨人を確認したが、その先に進む道は見つけられなかった。仕方がないのでS大学R合宿所のある急坂を登って先の方を覗き込んでみたが、結局その場所と向かい合う小山の上にわたしが目指すわたしの巨人が立っていることが確認できただけだった。……というわけで、再び国道一六六号線に戻り、わずかに北上した山道に期待をかけてトライした。山道の途中に牛舎があって「モーッ!」と啼かれて吃驚したりしながら細いクネクネ道をフラフラと登ると木陰からチラチラと見えるものがある。ようやくわたしが辿りついた場所には赤白の衣装を纏ったわたしの巨人52番が立っていた。同時に、そこは富士浅間神社の境内でもあった。しかもそこから巨人への巡路が続いていた。だから52番を確認すると、わたしは躊躇なくその巡路を道なりに進んだ。するとすぐに、わたしの巨犬01番に遭遇した。そしてその先の脇道が、わたしの巨人53番に到る分岐路だとわかった。53番を確認後さらに巡路を進むと、わたしの巨犬02番、03番が立っていて、その先の脇道の向こうにわたしの巨人54番、そこから僅かに戻って舗装路を北上した武蔵野GCの手前に55番が立っていた。その両番を確認してから武蔵野GCを右手にしばらく進んで降り坂に入ると、工場脇に56番が立っていたので確認し、そこを抜けて緩い崖を降って国道四六号線沿いに北西に暫く進むと工場の敷地内に57番が聳え立っていたので確認した。左手側は八王子CCだ。58番は明らかに八王子CCか、あるいは隣接する戸吹不燃物処理センターの敷地内に立っていたので取り敢えず迂回し、その先の最終処分場横の八王子市所有の野球グラウンドから59番および60番にアプローチすることに決めた。歩き難いことこの上ない枯草溜まりの広場の先のわたしの巨人59番には何とか行き着けて確認することができたが、その周りには無数のゴルフボールが転がっていた。だからそこはゴルフ場の敷地内だったのだろうが、その先の高台上の金網に囲まれた60番に接近することは叶わなかった。そして見渡す限りに道はない。「この先、いったいどうしようか?」とわたしは途方に暮れたが、引き返すには進み過ぎてしまっていた。けれども他に方法が無いので一旦来た道を戻って56番のところから北上し、用水路らしい側溝を取り巻く戸吹町の田舎道を西に進んだ。途中、巨人の頭が見えたので竹山および杉林となっている急坂から60番にトライしてみたが巨人には呼ばれず、一旦そこから降りて、東京都知的障害者育成会の建物の先の山道を登った。わたしの巨人60番から61番に続く空の影だけを頼りに一面落葉でその柔らかさに一歩ごと足を奪われる歩き難い道を進んで61番のほぼ真下から緩い崖を登ってみた。巨人に行き着けさえすれば巡路がある、と固く信じたがゆえの行動だ。果たして61番に行き着くと、そこには正しく巡路があった。これは後で確認したことだが、グーグルの電子地図にも載っていない道だった。もっともそういった地図なき路は、これまでにも多数見つけていた。61番を確認後、巡路に沿って進むと低い崖を下ってゴルフコース脇の舗装路に至った。当然そこはゴルフ場の敷地内で、しかもプレーしている人たちが普通にいた。そのすぐ先に62番が、そして舗装路を道なりに進んだゴルフコース内の丘の上に凛々しい姿の63番が立っていた。わたしは、わたしの巨人62番を確認した。続く64番はゴルフ場内の駐車場西寄りのコース内にあるように思われたが、道を進むと道標があって無事その場所まで辿り着くことができた。64番を確認後、その脚許から65番を眺望し、「あと少しで今日の分は止めようかな……」などと思いつつ道を進むとゴルフ場から外れた北側のさらに高台のところに65番が立っていることが確認できた。その途中キャディーさんたちを乗せた車に抜かれ、またそれ以外にも64番手前で工事用の車両に抜かれたが、不思議と咎められることはなかった。何故なのだろう? ところで最短でわたしの巨人65番に行く着くには、ゴルフ場の舗装路脇の緩い崖を登り、鴉避けCDが飾られた柵を越える必要があった。だから、「明らかに、見えてるよな!」(見てるかどうかはわからないけど……)などと逡巡しながら柵を越えて緩い崖をわたしは登った。巨人の処に行き着いて確認してから辺りを探ると近くに細い道があって、それは巨人の巡路であると同時に秋川ハイキングコースにもなっていることがわたしにもわかった。その位置辺りが、もっとも八王子CCに接近していたコース部分だと後に知った。ちなみに62番辺りからゴルフ場の境界には針金二本の低い柵が張り巡らされていたのだが、それに付随する注意書きを読むと『高圧電流が流れているので危険です』(表記はウロ憶え)と記されていた。つまり動物避けの電流柵だったのだ。何度も跨いだのに…… ああ、危なかった! それから秋川ハイキングコースを西に進むと巨人がその先に居ることを示す道標があり、66番への分岐路があることがわかった。だからそれを進んで、無事わたしの巨人66番に到達した。そして巨人を確認した。その少し前から辺りはすっかり暗くなっていた。そこでその日は家に帰ることにしたわけだが、如何せん道がない。だから、「以前に試したようにサマーランド方面へ抜けようかな?」などと思いつつ、「せっかくだからハイキングコースを試してみるか!」と一旦進めた歩みを逆方向に向けてハイキングコースを戸吹方面へ向かうことに決めた。途中、わりと最後のところで分岐路を降り方面に向かうと、数時間前に見た施設近くにひょっこり出たので道を戻り、本来のハイキングコースだと考えられる道を頼ると考えていたよりも北方面に抜けた。その場所の近くを流れていた用水路沿いの道を東に進むと、結果的に国道四一一号線(上戸吹西交差点)に至ったのだが、わたしの目には一切知っているものが映らない。だから方位磁石と過去の身体の記憶だけを頼りに北から西へ向かって道なりに登っては降り、やっとの思いでサマーボウルの近くに出た。それで安心して、歩いても良かったのだが、かなり疲れていたのでバスを待って、バスに乗って秋留橋を渡って北上して秋川駅に到着して、そこからJR線経由で家に帰った。その日は立川駅から分倍河原を経由する路線を選んだ。最初は座れなかったが、途中で席が空いてやっと座れた車両の中で確認した歩数計に記録された歩数は約五万三千歩。
その日、出遭えなかったわたしの巨人58番と60番および63番には後に出会った。詳細は省くが、58番はゴルフ場の入場口からぐるりと坂を上がった高台に立っていたので覚悟を決めてゴルフ場内に不法侵入し、誰にも見咎められなかったので簡単に出合えた。実際には、わたしの後からセンチュリーとプレジデントがゴルフ場内に入って来て坂の途中でわたしを追い抜いたのだが、向こうはわたしにまったく無関心だった。60番の方はもう少し面倒だったが、前回と同じ八王子市管理の野球グラウンドから今回はゴルフ場内のコースではない外周部に侵入して巨人を観察した。巨人はやはりゴルフ場の敷地を仕切る柵の向こう、つまりその柵を越えればゴルフ場の外に出る高台に立っていて、そのままでは近づける道は見つからなかった。それで仕方がないので枯枝をかき分けながら複数の茨に刺され続けつつ緩い崖を登り、ついでフェンス状の柵の緑の針金の隙間に靴の先端を左右交互に引っ掛けながら昇って高さ二メートルほどの柵を乗り越え、ゴルフ場の外でかつ清掃工場の最終処分場近くと見当をつけた巨人の本体と空の影を見失わないように視界を塞ぐ高く伸びた藪の中を枯枝および枯木が夥しく折り重なった坂を降って細い水無川を越え、最後に結構急勾配な坂をよじ登るようにして、やっとのことでわたしはわたしの巨人60番の脚許に到達した。
63番の場合は以下になる。まず高尾街道をそのまま犬目の交差点まで歩き、そこから川口川を西に向かった。 目指すのは川口川と秋川街道が交わる辺りだ。そこより東では川が北側、西では南側となっていた。犬に吼えられたりしながら先に進んで、「これかなァ?」などと思いつつ秋川街道を外れて北に向かう田舎道に分岐したアスファルトの道をずんずんと進むと、確かに目の上百五十メートルくらいにわたしの巨人53番が聳え立っていることがわかった。が、当然のように道はなく、しかも困ったことに後に首都圏中央連絡自動車道(圏央道)内の川口トンネルとなるトンネル工事の作業中で作業員及び誤ってその地に入ってしまった侵入車を引き返させる役目らしい監視員もいたので、どうしようもない。もっとも、そのとき作業員及び監視員は休憩中だったが…… そこで一旦道を引き返し、敗北感で胸を一杯にしながら別の道を探し求めた。やがて見つけた丘陵道は先程の道と距離的には近かったが、先に進んで交わることはなく、南東まわりで工事現場を迂回できそうな感じがした。だからまたしても結構険しい丘陵道を登り、再度63番にトライした。倒木が多くて、中々直進が叶わないが、空の影と垣間見える巨人の姿だけを頼りに丘陵道を降りまた登ると、まさに遭遇といった感じで、わたしの巨人63番に至る小路に遭遇した。今回わたしは巨人に呼ばれたのだ! 道標はなかったが、それは正しい巨人の巡路だったことがすぐにわかった。それでまたしても倒木などを踏んだりくぐったりしながら巡路を進み、約十分ほどして63番の真裏まで辿り着いた。そこでほっとしながら高圧電流が流れていると説明があった低い柵を片足づつ跨ぎ、巨人の背中からゴルフコース側を向いた巨人の前姿を写真に撮って満足した。その後、いくつか分岐もあったが、できるだけ道なりと思える方向に進んで丘陵を降り、最終的に熊野神社近辺に至る細道に到達したので、そこから秋川街道に戻って楢原町の辺りで京王八王子駅行の西東京バスに乗り、その日は帰った。実際にその日巨人を確認した順番は60番、58番、63番の順だった。その後約半年間かけて、わたしはわたしの巨人=トキオ・ウエストライン全77番のすべてを知ることになるが、それに伴うそれ以上の話はわたしの中には無い。