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ムシャ薬

作者: ヘルベチカベチベチ

「アナタ。今日の私いつもと違うと思わない?」

「ええと、そうだな。」

 男は自分の奥さんをよくよく観察してみる。そして見つけた。

「ああ、靴だね。新しいのを買ったんだな。よく似合っているじゃないか。」

「あら違うわよ。靴なんてもう五年も同じままじゃない。もっと上よ。」

「あれそうだったかい。」

 男はもう一度奥さんを観察してみる。そして見つけた。

「ああ、服だね。新しいのを買ったんだな。よく似合っているじゃないか。」

「あら違うわよ。服なんてもう十年も同じままじゃない。もっと上よ。」

「あれそうだったかい。」

 男は奥さんを再度観察するも、とうとう違いは見つからない。

「降参だ。一体どこが変わったって言うんだい。」

「本当に分からない? ガスマスク付けていたのよ。」

 こういうバカバカしいのが好きだ。だから以前、「他にもこんな話ってあるものかな」と友人から新たなバカ話を聞き出そうとしてみたことがある。すると友人は、

「知っているけど、ここだと場所が悪い。こっちに来てくれ。」

 と言うので私は素直に付いていくことにした。友人に連れられて道という道を曲がり、ときには一周してしまって同じ景色に戸惑うことがありながらも、結局案内されたアパートの裏には、くたびれた原子爆弾が物干し竿に掛かっていた。

「すごいな。でも一体どういうことだ。すごいんだろうけど、まったく訳が分からない。」

「つまりだな、こういうことだろう。お前の求めていた話は。お前の何気ない会話から始まり、最後はあっと驚くものに辿り着く。どうだ、しかもこっちは実話だぞ。」

「うーむ、全然違うと思うけどな。しかも面白くもない。」

「心配するな。いつかきっと笑って話せる日が来るさ。」

 二人で大した話もしないでいると、一階の部屋の窓がガラッと開き、中から黄色いレインコートを着た男がのそのそと出てきた。その男は「こっちこっち」とやけに忙しなく手招いているので、私と友人は何だろうと近寄っていく。

「さあどれにする。どれも上物だよ。」

商売人の調子で言いながら、男が縁台の上に並べだしたのは、風邪にも傷にも効かないようなドラッグ、それが多種多様にズラリ。このレインコートの男は薬の密売人だった。

 これが面白い話かどうかはまだ私には判断が付かない。けれどあの日に買った薬がそんじょそこらの代物でないことは保証しよう。

 その名を「ムシャ薬」という。実はこのネーミング、読み方によっては薬の作用と韻を踏んでいて、つまりこの薬を飲むと使用者は武者震いを起こすのだ。一方で、私は頑なにこれを「ムシャヤク」と呼んでいるが、それでも効果は変わらずやはり武者震いである。

 わざわざ薬まで開発して、武者震いの何が良いのかといえば、説明は少し難しいが、たとえばスポーツ選手になったとしよう。サッカーでもバスケでも、選手であれば必ず試合があって、試合があれば必ず試合前、試合中というように時間が二分される。試合中には、目の前のボールに夢中になって気分が高揚し、瞬間的には我を忘れることもあるが、果たして試合前にはどうだろうか。目前にまで迫った試合を思って武者震いを起こすが、このときにはまだ試合中のように我を忘れたりすることはなく、むしろ自分を強く意識している状態である。しかし試合中と同じくやはり気分は高揚しているので、つまり武者震いには、非常に自覚的な興奮、快楽といってもいいが、これが含まれており、ムシャ薬を飲めばいつでも味わえるのだ。

 そしてムシャ薬のいいところであり悪いところ、それは味である。ムシャ薬はとにかくマズイ。マズイから一日一回でも飲めば、その最悪な味に懲りてしまうので、逆にいえば、たとえムシャ薬に強い依存性があるのだとしても、どうしても用法用量を守らざるを得なくなっているのだ。

「オブラートに包めばいいじゃないか。」

 あの日普通にコカインを買っていた友人はそう提案したが、もちろんオブラートはとっくに試していた。

「オブラートじゃダメなんだ。なぜかオブラートを使うと効き目がなくなるんだよ。」

「まあ確かに、オブラートを使ったら、勇ましくないもんな。子供みたいだけど、やっぱりマズイ薬には多少勇気がいるよ。その多少の勇気が、薬を飲んで、武者震いできるかどうかに関係するんだろうね。」

「薬の効き目に心持ちが関係するかね。」

「そもそも心持ちに影響する薬なんだから、きっと関係するんだろう。」

 友人の話にも一理あると思ったので、お礼にムシャ薬を少し分けてやった。友人は早速ムシャ薬を試している。

「すっげ武者震いだ。こんな気持ち、小学校の遠足前夜以来だよ。」

 傍目からみると、武者震いをしている人間というのはとても気色が悪かった。

 コーヒー一杯ずつの勘定を済ませ、喫茶店を出るころには空が黄色くなっていた。何時だとこんな色になるのだっけ。

貧し気な大学生が、路上で談志のモノマネを見せていた。

「んいよっ! んいよっ! んいよっ!」

 とても似ているがあまりにも局所的すぎる。あれでは誰も足を止めないで当然だ。青年が座布団代わりに敷いている段ボールはもう随分と薄くなっていた。

友人は武者震いしたまま、モノマネの出来に感心して言った。

「めちゃくちゃ似てる。なあ。」

「んいよっ! んいよっ! んいよっ!」

 友人が褒めた途端、青年のモノマネにがぜん熱が入りだした。青年からしてみれば、ついに足を止めた客だから、みすみすタダで逃がすわけにはいくまい。貧乏は嫌だ、そういうようなことを談志の感じで言ってくれれば、こっちもすぐに払うというのに、

「んいよっ! んいよっ! んいよっ!」

 やっぱりこれの一点張りである。もはや似ているのかも分からない。私も友人も耳がマヒしてきたので、この場から離れようとすると、

「待ってくれえ! 待ってくれえ!」

 青年がついに新しいパターンを放つが、マヒした耳ではもう談志でないので、こっちが足を止める理由はなくなっていた。

 道という道を曲がって、またあのアパートの裏へ出る。今日はまだ原子爆弾が干されていなかったが、別に今日はそれが目当てではない。待っていると、一階の部屋の窓から密売人が顔を出した。着ているレインコートが、前の黄色から不透明な黒色のものに変わっている。

「何か用か。今日は売らないよ。」

「売ってくれないのは分かってる。あそこに原爆が干してあれば営業日の合図だろう。」

 友人の武者震いは続いていて、喋りにも興奮が隠し切れていない。

「誰がそんな物騒なことを言った。壁に掛けてある看板が「定休日」に返っているだろう。見えないのか。早く帰りな。」

「よく見ればそうだな。定休日らしい。でもせっかく来たんだ。」

「なんだ、もてなして欲しいのかい。」

「もてなすもなにも、密売人の家のもてなしなんてタカが知れてるだろう。」

「だったら尚更帰るべきだ。お前、イカレてるのか。」

「イカレてるのかって、そっちこそイカレてない保障はないだろう。イカレてるのか。」

 私は二人の何を聞かされているのだろう。

「僕は一体何を聞かれているんだ? 君たち二人は何か用なのかな。」

「そうだな。おい、オレは何を聞こうとしていたんだ?」

「埒が明かないね。おい、そっちのずっと黙っている方、何しに来たんだ。」

 私はこのときイカレていたので、密売人の質問を黙殺した。

「……。」

 これには密売人も呆れてしまい、とうとう挨拶もなしに窓を閉じてしまおうと、腕に余ったレインコートを滑らせている。そこで友人はすかさず「そんな悲しいことするなよ。」と密売人に近寄って行くと、その側に掛かっていた定休日の看板をひっくり返し、営業中へと表示を変えてしまった。

 しばらくして密売人が部屋から窓を開けて顔を出した。レインコートは黄色である。

「さあどれにする。どれも上物だよ。」

「コイツ看板に操られてやがるな。」

 友人は試しにもう一度看板をひっくり返す。それに合わせて密売人は「帰れ帰れ」と冷たくあしらってみせ、またしても窓を閉めて部屋に引っ込もうとする。レインコートの色は、ひとりでに黄色から黒への移り変わりを見せた。

「これは傑作だな。ほら休業、営業、休業。営業営業休業、休業休業営業。おい、見てくれよ。この密売人遊べるぞ。」

 私はこのときイカレていたので、友人の誘いを軽く制した。

「ちょっと待ってくれ。静かに。今になってやっと、くたびれた原子爆弾が面白くなりそうなんだ。天然の武者震いがする。」

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