トリガーバラバラ、無関係な私だけループ地獄?異世界でスローライフ詐欺を希望する御令嬢
もう腹立たしい!
スローライフ詐欺したい!
こんな事なら、平凡人生にさよならしたいんですよ!
※
ぱちりと目を開けると、毎回毎回、5歳の時に使っていた子供部屋の天井が見える。ここは後に衣装部屋になり、私は別の部屋に移るのだ。
それから同格の伯爵家から縁談が来る。滞りなく嫁入りを果たし、カエラ・ステラ・グロリア・エバーグリーン伯爵令嬢たる私は、同・エバーモア伯爵夫人に収まるのだ。尚、この幻神精霊国モルゲンフリューでは、旧姓のあとに嫁ぎ先の苗字がくっつく。
変わり映えのしない苗字だが、特に血縁関係はない。何だかよく分からないご縁で紹介されたらしい。とにかく幸せな新婚生活がスタートする。子供達どころかひ孫までいる時もある。
そして、ある朝目が覚めると5歳になっているのだ。
そもそも私は、ループする前に一度だけ人生を全うしている。ここではない別の世界で、平穏無事に暮らして眠るように死んだ。一瞬苦しくて、ああ、死ぬな。死んだな。と思った。だが、次に気がついた時には、エバーグリーン伯爵家の四女だった。
別に憑依とかではなく、魂が転生したのである。物心がつくまでに時間がかかっただけだ。こちらの世界ではナンニモ珍しいことではない。
みんな多かれ少なかれ前世の記憶がある。別の世界の知識を持ってくる人もいるが、それが役立つか役立たないかは様々だ。
前世の人格が現世の人格と合わなくて病む人もいる。年齢や経験が体感的に加算されて、うまく同年代に適応できない人もいる。
そんな中で、私は最も平凡なパターンだった。ぼんやり前世の記憶はあるが普通に生まれて、年相応な生活をする。この国は爵位大盤振る舞いで、特権階級というより役人、さらに言えば単なる土地管理人、いやそれどころか徴税請負人の公務員みたいなものだ。
地道な仕事をしてお上からお給金を得て、静かな生涯を送る。なんと素晴らしいことであろうか。
あ
ろ
う
か
!
!
!
ループやめて貰えませんかね?
まあ、また平穏な新婚生活スタートまでは必ず行くので、危険とかはないんですけども。その先まで行く周回でも、山も谷もせいぜい熱出したとか。世にも恐ろしい幻獣が出たけど隣の領のなんか有名らしいなんちゃらさんが退治したとか、そんなです。
ほんと、平凡なんですよ?
繰り返したところで、変えたいポイントもないし。
誰かを救いたいとかも発生しないし。
なんで?
無意味なんですよ。
いい加減死にたいですよ。
いっそドラマチックに。
だって癪じゃないですか。
何にもないのに、ただただ平凡な同じ人生を繰り返し歩むんです。
不満がないので変化させたくはないし。夫のトーマス・ダンテ・エドムント・ジョン・エバーモア伯爵のことは大好きだし。彼以外の夫なんかいらないし。私が些細な行動の変更しちゃったら、彼とのアマアマな生活が消えるかも知れないでしょう?
アマアマ言ってもね?別になんか事件がきっかけとか、溺愛とかじゃないんですよ?普通に幸せなの。最初からラブラブだったわけじゃないし、ベタベタするわけじゃないけども。仲はとってもいいんですよ。
毎回毎回、ループのやつが邪魔しやがって腹が立ちます。なんなのか。そもそも、毎回巻き戻る時期が違うので対策も立てられず。回帰点は5歳なんだけど、それも春だったり夏だったり、秋だったり冬だったり。バラバラ。
ああ、ひとつだけ解っていることがあります。
毎回何かしら、私と無関係な事件が起きるのです。するとループします。ループのトリガーが様々なので、ループの時期も出鱈目なんです。
む
な
く
そ
!
!
!
例えば大人しく平和に暮らしていたら、となりの領主が強盗にやられて一家全滅したと思ってごらんなさい?
或いは、どこか遠方の家門が断絶して領地が国有地となり、領主代行一家の娘が領主である王子と恋仲になり、隣国王女と婚約破棄騒動が起きたとか?
などなど、自分とは関係ない事件ばかりが毎回起きます。毎回違う事件が起きます。どれもかなり大きな事件で、話題になります。それを聞いた日か、しばらくしてからか、ループします。
そのタイミングすら一定じゃないんでございますよ!
本当にもう!
巻き込まれに腹を立てましてね?どっかに元凶がいるんじゃないかなって、調べたくはあるんですよ。
なにしろ、何かしらのスキャンダルがあって、そのたんびにループするので。私関係ないのに。あと、その毎回のスキャンダルどうしも関係ない。スキャンダルじゃなくて事故とか事件とかもあるし。
とにかく何もかもが一定しないんですよ。
苛々します。
でも、調査なんかに乗り出して、愛する夫ジョンとの愛が消えたら嫌でしょ?それが怖くて何もしなかったんですよ。
今回までは。
ね。
また、目が覚めた。5歳である。同じ天井である。
「カエラ・ステラ・グロリアお嬢様〜!おはようございま〜す」
元気で真面目な専属侍女のリリーちゃんが、洗面器と水差しを手にやってきた。ドア脇の洗面台には楕円形をした素敵な鏡がある。縁取りは銀で、所々ピンクや緑で彩色された花綱を象る。
「今日は如何致しましょうか〜?」
リリーちゃんは洗面台の小さな引き出しを開けて、香りのついた油を染み込ませた塩を見せてくる。
「今日はそうねえ、ちょっと暑いからミントかな」
今回のループは、真夏スタートのようだ。このループ、困ったことに夢のような感じの記憶が蓄積されるだけで、毎回毎回毎回リアル5歳に巻き戻る。ループもの特典の頭脳成人済み人生経験加算式チートとかない。
いらん他所の人のトラブルや事件の記憶より、知識や思考能力を引き継ぎたい。だがまあ、体は5歳児である。脳も5歳児の容量しかないのだろう。
ん?
ち
ょ
っ
と
まて。
正確に何月何日にはどの塩を使ったかなんて覚えてないぞ?5歳児の記憶力なんてそんなもんだよね。その線なら、今までにも多くの周回ごとに変わる点があるんじゃないですかね?
あら、そうなの。
その程度では私と夫の愛は揺るがないのね。
まあ、もしかしたらそのせいで、各周回の事件が変化するのかも、ですが?そんなのしらないし?
でもやっぱり、そろそろ普通に死にたいかな。何回繰り返しても、すごく良い人生ではありますけれども。だんだん「死」に対する感覚がすり減って来た。
羨ましい。
死ねる人、羨ましい。
平穏人生のループなんて、同じこと繰り返してるといつのまにか回帰点に戻ってるだけなんだけども。
何だかねえ。
飽きたというか。
苦痛というか。
家族は好きだし、夫は大好きなんだけども。
「今日はピンクの花柄にしますかー?水色のレースにしますかー?」
私は突然、違うことをしようと思い立った。5歳の夏。秋冬スタートの時はともかく、それ以外では、何故か一度も茶色の細かいチェックを着ていなかった。
それはとってもお姉さんらしいシンプルなデザインで、レースもフリルもついていない。唯一目立つ点と言えば、肩の部分が膨らんだ提灯袖なことくらい。
このドレスは、ちょっと5歳児には理解できない関係の親戚がお誕生日にくだすった。生地は上等な幻獣絹で、なんでも染料も特殊だとか。
説明されても5歳児には分からなかったので、とりあえず地味なドレスだと思っていた。
「茶色のやつ、着るわ」
リリーちゃんが一瞬、変な顔をした。
「はい」
真面目なリリーちゃんは驚きを押し殺して、地味ドレスを持ってくる。朝のお支度は、リリーちゃんの担当だ。同じ伯爵家でも、沢山の侍女がお世話するお嬢様もいらっしゃるとか。私がリリーちゃんだけを頼っていると知り、馬鹿にしてくるご令嬢もおいでだった。
無視しましたけど。
ともあれ朝食の席に着く。5歳はまだ大人と一緒のテーブルを許されていない。子供用の朝食室に赴く。そこに居るのは、まず年子の兄グレアム以下略。あ、以下略は長い名前なので略した。
二つ上の男女双子サミュエル以下略男とミリア以下略女、三つ上のエマ以下略女、四つ上のマイケル以下略男、五つ上のフェリシテ以下略女、六つ上のエゼキエル以下略男。それより上の兄2人は大人用朝食室を許されている。だから、子供用朝食室にはいない。
私はつまり、9人兄妹の末っ子だ。現時点では。母は2年後、本当のエバーグリーン伯爵家末っ子を産む。男の子で、名前はブライアン以下略だ。
さて、今までの周回では一度も袖を通さなかった茶色の地味ドレスを着た日のこと。いつもなら、お昼に着替え、お昼寝ドレスでお昼寝をしたらおやつ用に着替え、夕食には正装の練習をして、可愛いネグリジェでお休みなさいだ。
しかしその日は、ワガママを言ってみた。一日中地味茶色ドレスを着たいとゴネたのだ。そんなこと初めてなので、リリーちゃんは侍女長に相談した。コッソリ後をつけたので間違いない。
「お嬢様が、お具合悪いみたいなんです。お医者様をお呼びしないと」
「まあ、どうしたの?」
「茶色いチェックのドレスをお召しになったんですけども」
「珍しいわね」
侍女長も驚く。
「お昼寝の時も、お昼寝ドレスに着替えないと仰って」
「まあ」
「なんとか説得いたしましたが」
「良かった。あのドレスで寝たら苦しいですよ」
「ええ」
2人は頷き合う。私は影からじっと見ている。
「お昼寝からお目覚めになったら、また茶色のチェックを御所望で」
「ええっ」
「ええ」
2人は心配そうに眉を寄せる。
「まずは奥様にご相談を致しましょう」
「はい」
「少し待ってね」
「よろしくお願いします」
リリーちゃんはその場で待機する。侍女長が母に私の異変を知らせに走る。
少し心は痛んだが、とりあえずこの周回は今日だけ変なことをしてあとは無難に過ごしてみよう。
「様子を見ましょう」
お母様が侍女長に言う。
「続くようならわたくしがお話してみます」
侍女長はお母様の言葉に黙って頭を下げた。それから、そのことをリリーちゃんに知らせる。リリーちゃんは心配しながらも気がつかないふりでいてくれた。
結論から言おう。
何も変わらなかった。
全く関わりのない魔法使いが爆発事故を起こした後で、ループした。このニュースは夫から聞いた。だが、トリガーは毎回「夫から事故やスキャンダルを聞くこと」ではない。
ニュースはさまざまな方面からやってくる。時にはリリーちゃん。時にはお母様。時にはひ孫からだ。
「うーん。なにか法則は無いのかしら」
本当にランダムなのだろうか。その後の周回で、ある日私は一覧表を作成した。毎回のトリガーだけは記憶したままループするので、リストアップは楽勝だ。
「見え、ないっ!」
うん。関連性なし。
そして、今回もお見合いの日がやってきた。ジョンだー。赤毛ぐるぐる可愛い。深い淵のような神秘的な緑色の瞳が素敵。
「初めまして、エバーグリーン伯爵エバーグリーン家御息女、カエラ・ステラ・グロリア様」
ジョンが大人顔負けに挨拶を始める。因みにこの時、ジョン9歳、私6歳。
「ファントムファング伯爵エバーモア家、長子トーマス・ダンテ・エドムント・ジョン・エバーモアですっ!」
通称幻獣伯爵エバーモア家は、他の家系と違って特殊だ。わが幻神精霊国モルゲンフリューでは、領地名が即ち家名である。しかし、ジョンの家、後の私の家だが、そこだけは違う。
「本日は私の訪問を快くお受け下さり云々」
私は5歳なので、ジョンが何を言っているのかよく分からない。察するに、大人顔負けのご挨拶である。そういえば、毎回分からない。だから、毎回同じなのか、それとも周回によって違うのか知らない。
「ジョンさま」
私は5歳児らしく、思い付いたことを口にしようとする。
「えっ、いや、いいけど。急に。ジョン。えっと」
しまった。初対面で呼び名を勝手に決めるのはまずかった。
「ええと、わたくし、あの」
「いや、いい。私もカエラと呼ぼう」
あれ?
エーラじゃないの?
「なんだ?いやか?ステラにするか?」
私はとても不安になった。
「ど、どうした!そんなに嫌か!」
ジョンが青褪める。私たちはまだ席につかずに、保護者の前で向き合っていた。ジョンはおろおろして、私の平凡な茶色い瞳を見つめてくる。
「嫌ではありません。ただ、驚いて」
「そ、そうか。しかし、御令嬢が先に」
ジョンも9歳である。少し不服そうだ。
「はい。ごめんなさい」
「いや、怒ってないよ」
ジョンはとても優しい眼で私を見た。
ああ。
やっぱり私たち、気が合う。
すごく通じ合う。
「さ、お菓子あるのよ?」
お母様の言葉で私たちは庭のテーブルへと移動した。
「ジョンでいいよ」
「では、エーラと」
「あらあら?誰も呼ばないニックネームね?」
お母様がニヤニヤして、私は顔が熱くなる。ジョンはさっと手を握ってくれた。これまでの周回とは比べ物にならない進展ぶりだ。大丈夫だろうか?
今回は、実にさまざまな相違点があった。私たちは今、17歳と14歳だ。結婚式の準備中である。
「ジョン、近すぎない?」
「近いほうがいいよ?」
これまでの周回とは比べ物にならない密着ぶりだ。
もしや?
「ねえジョン、ジョンもループしてる?」
「えっ、なに?る?」
「ああ、ええと、人生を繰り返してる?ジョンとしての、おんなじ人生を、何回も?」
ジョンはぎゅっと私を抱き寄せる。
「エーラ!君はエバーグリーンの能力者だったのか!」
何事か。
それは何ですか。
初出なので解りかねます。
「えっと?なに?能力者?」
「えっ、知らないの?ああ、そうか。幻神や精霊の能力者は、ここ5000年、わがエバーモアにしか出てないからな」
とてもいやーな予感がするのだけれども?
「我が国はいろんな能力を受け継ぐ血族が差別を避けて逃げてきた国だって、知ってるよね?」
初耳ですが?
「あの、お恥ずかしいのだけれど」
「知らない?」
「はい」
私はしおらしく答える。ジョンは私のまっすぐな亜麻色の髪をヨシヨシと撫でる。今までの周回では、結婚前にこんな接触はなかった。
「僕たちエバーモアは、親しい人のいろんな能力を底上げというか、強化する能力なんだ」
「えー」
「な、なに?」
「あ、その。ごめんあそばせ」
お
ま
え
か
!
どうやらわたしには何らかの時間系能力がうっすらあって、ジョンと心を通わせた為に顕著な発現を果たしたのだ。ループが起こるのは、必ず結婚してからだ。確かな絆を築いてからだ。
ジョンの家系が持つ能力で強化されなければ、私は変なループを発動しなかった可能性が高い。結婚しなければループから抜けられるかも。
でも、好き。
困った。
「あのね、毎回、繰り返しの原因も時期も違うのよ」
この際全部話してしまえ。どうやら我が国の特殊能力者について、ジョンは詳しいようだから。
「同じなのは、結婚した後ってことだけ」
「エバーグリーンは繰り返し能力の家系だ」
ジョンは自信を持って解説を始める。
「僕の家系は特殊だから、それぞれの一族に発現者が出なくても、それぞれの家の能力だけは把握してる」
「え?どうして?」
何だろう。エバーモア家の事情、知らなかったんだけど?ひ孫までいた周回でも聞いた記憶がない。忘れただけか?ループする時に消されんのかな。世界の秘密的な?
それでなくとも、知識は周回ごとにリセットされるもんね。
「うっかり暗殺系とかの能力を強化しちゃうと大変だからね」
そりゃそうだ?
「交友関係は、ちっちゃい頃から気をつけるように煩く言われたよ」
「縁組ならもっとね?」
「弊害の無い家系を探してる筈なんだけど」
ジョンは悲しそうに私を見る。
「君を苦しめたくない」
え?
破談?
「でも、手放すのは嫌だ」
ジョンの腕に力がこもる。
「家の記録はないの?」
少しだけ身を離し、ジョンが真剣に私を見る。凛々しい表情だ。素敵。
「記録?」
「能力の発現者たちの記録だよ」
「考えたことなかったわ」
ジョンは明るい顔になる。
「よし、そこから始めよう」
「分かったわ。お父様に伺うわね」
「うん。繰り返しの条件は?君の言ってたトリガーってやつ?」
「今までは色々だったけど」
「そう見えてるだけかも」
「法則あるかなって一覧表書いたから、後で見る?」
ジョンはにこっと笑った。私は思わず見惚れてしまう。そしてジョンも甘く見つめてくれる。
「法則がはっきり分かれば、何か繰り返しを終わらせる手段が見つかるかもしれないよ」
「そうね。いい加減抜け出したいもの」
「君が苦しいなら助けたい」
私たちはじっと見つめ合う。
この雰囲気、今までの周回では結婚した後だった。
予想通り、ジョンが顔を近づけてくる。私は受け入れた。今回は今までと全く違う。ジョンと私の気持ちだけは一緒だけれど。だから、今更ファーストキスの時期が早まったところでどうと言うことはなかろう。
「お父様、エバーグリーン家の能力者について記録はございますの?」
「能力者?」
お父様も知らないようだ。
「ご先祖さまの日記とか?」
「ああ、それなら家長が鍵を受け継いでる」
「鍵!そんなに恐ろしい記録が?」
私は冷や汗を流した。
「いや、何が書いてあるか解らん」
「え?」
「日記のある場所の鍵が引き継がれるだけだからな」
「ご存知ない?」
「誰も知らない。本当に日記があるかもわからない」
「あら」
私はがっかりした。
「何で急にそんなことを?」
「お父様、この国の成り立ちは、差別を受けそうな能力者たちが寄り集まって出来たんだ、ってことご存じ?」
「いや、なんだそれは」
「幻神と精霊はなんとなくそう言う名前じゃなくて、その力を受け継ぐ人たちが国を作ったのですって」
「エバーモアの小僧に変なこと吹き込まれたな?」
お父様、違います。
「わたくし、何度も5歳に戻ってしまいますの」
私は決断した。もう話してしまえ。隠すことはない。
「何だって?」
「もううんざりですの。何とかしてこの繰り返しから抜け出したいのです」
私の真剣な訴えは、お父様の心に届いたようだ。
「むう。そんなことが。さぞ辛かろう」
「辛いです!」
私は心の底から訴える。
「ううむ、当主に引き継がれる鍵ではあるが」
お父様は、腕組みをして頷く。
「一緒に開けてみるか」
「はい!ありがとうございます」
お父様は、娘の苦しみを察したのだろう。ほんの少しだけ考える仕草をしたが、快く承諾してくださった。
ふと、別の世界にいた時の父を思い出す。頑固で、無口で、でも思いやりのある父だった。こちらの世界でのお父様とは全く違う。
だけれども、私が悩んで辛かった時に父が見せた様子が今のお父様に重なる。辛かったろうという単純な言葉。声の調子や目の動き。全身から滲み出る温かな雰囲気。
私は本当に恵まれている。前の世界の人生も今の世界での人生も、穏やかな愛に包まれている。前世の悩みは、勉強が難しいとか、失恋したとか、側からみれば些細なことだ。
今私が直面している問題に比べれば、たわいのない挫折や小さな不幸だ。
私の現状も、単に繰り返すというだけ。自分自身は何回繰り返そうがスローライフな田舎貴族(公務員)である。
しかしこの、繰り返すという一点こそが耐え難い。ひたすら繰り返して終わることがない。どんなに長閑な生活であっても、永劫の檻に閉じ込められるということは、次第に絶望感を醸し出す。
そんな分かりにくい辛さを、父はただ感じ取って受け入れてくれた。そのあと母と後継者である長兄も交えて、日記を見る許可を得る。母も兄も優しかった。
母と兄は、能力のことはあまり信じていないようだ。兄は既に鍵の存在を知っていた。しかし、父と同様に、鍵は象徴的な存在だと考えていたのだ。
「それで心が休まるなら」
兄はそう言って、日記の確認を承諾してくれた。母は黙って涙を拭い、頷いた。おそらくは、私が心の病にかかったと判断したのだろう。父が首から下げているので、鍵の存在は知っている。母もまた、鍵は当主の印に過ぎないと思っていた。
父に頼み込んで、日記の確認にはジョンも同行させて貰う。鍵を開ける権利を持つ父、次に引き継ぐ為に知ってもよい兄、今回の出来事の当事者である私。その他に、能力強化で私の人生に弊害を起こしているらしき、私の婚約者ジョン。この4名で日記を探しにゆく。
領地にある丘を登る。麓近くでは羊が草を食んでいる。斜面で休む羊飼いに挨拶などしながら、頂上までやってきた。禁足地にはなっていない。もしかしたら、昔は立ち入り禁止だったのかも知れない。
「何だか朽ち果ててますわ」
頂上には、朽ちた大木とひこばえから育ったらしきそこそこの樹齢を持つ木が生えていた。その根元に、石の祠がある。崩れて、欠けて、小さな柱と屋根が散らばっている。よく観ないと小さな神殿だとは解らない。
「鍵、要らなかったな」
恐らくは、扉に錠前が付いていたのだろう。しかし、今ではそんなもの、影も形もありはしない。
「そうね」
私はため息をつく。この有様では、日記など実在したところで土に還っていることだろう。
「とりあえず、どけてみる?」
ジョンが遠慮がちに提案する。
「倒れた木や、壊れた祠を丁寧に取り除いたら、何か出てくるかも知れないよ」
「そうだな」
父が頷く。
「まあ、やってみるか」
兄も同意した。
「倒木はずいぶん大きいけど」
私が心配すると、ジョンが安心させるように手を握ってくれた。
「倒木は後で人手を集めてからにしたいけど、一族の重大な秘密が大勢に見られたら大変だからね」
「ここ今、誰でも来られる場所だと思うけど」
「うんまあ、それはそうだけども。秘密は見られないほうがいいでしょ」
「そうねえ」
ジョンは私を見てにっこり笑う。
「これからすること、他言無用だよ?」
地味な革の剣帯から、腰に帯びた平凡な剣を引き抜く姿が頼もしい。
も
し
や
?
スローライフ詐欺に突入しましたか?
手に汗握る派手派手な冒険譚がはじまりますか?
チートちーたーチイテストですか?
ジョンは平凡な剣で倒木に軽く触れる。すると苔むした倒木は、砂のように崩れ去る。
まあまあ、大変!いよいよですね?ループの秘密が明かされるんだわ。
「ジョン、凄いわ」
「剣の力を増幅しただけさ」
だけさ!
だけさですって。一度言ってみたいですよ。カッコいい。
さて、肝心の祠の下を探ると、土の下から四角い石櫃が見つかった。お父様が両手で持つと、その手の中に隠れてしまう。石櫃には傷一つ付いていない。なんとも頑丈なことだ。
お父様が地面に下ろして蓋を開けると、中には濁った緑色の汚らしい球が入っていた。表面はザラザラで、拳大の球である。
お父様が取り出そうとしてそっと触れると、たちまち空中に文字が現れた。
いい感じですよ!私はワクワクしながら見守る。
文字は古代文字であり、言葉も古めかしいが、お父様は現代語に翻訳しながら読み上げてくださる。お父様が古代の言葉を使いこなせるとは初耳だ。
コイツは益々、スローライフ詐欺に近づきましたよ!
「当主着任おめでとう」
どうやら、本来は当主を継いだらこれを読むことになっていたらしい。いつしか失われた継承儀式のようだ。
「わがエバーグリーンは、その名の通り若くあり続けることも出来る」
へえ。不老能力者かな。
「人助けをするときにだけ、その出来事が起きるのを防げる日まで、時間を巻き戻せるのだ」
以上。
以
上
。
うん。うん?うーん?????
なんか意図的にできるようなことが書いてありますけども。私の場合は誤作動か何かですか?ぜんぜん知らない人に関する無関係な事柄でループしてます。手助けになっていることなんかあるのでしょうか?
あと、私が5歳だった年に事件や事故の分岐点や原因多すぎ。
私は毎回、平凡な人生です。
でも、ループすること自体は普通ではありません。
しかも、意図しない部分で毎回マイナーチェンジさせてしまっていると思います。
巻き戻りのトリガーは毎回違うので、前回までの分は無事回避成功しているのでしょう。
「バタフライ効果」
私の呟きを、ジョンが素早く拾う。
「バタフライ?」
「風が吹けば桶屋が儲かる式のトリガーですよ」
「んんん?」
この世界でも盲目の人が吟遊詩人になる例はある。説明は通じそうだ。
「風が吹く→砂が舞う→砂が目に入る」
「うん」
「目が悪くなる→盲目の楽士が増える」
「うん」
まずい。次は盲目の三味線弾きである検校さんや瞽女さんが登場だ。この国に猫皮つかう楽器なんてあるか?
あ!蛇皮の手提げ太鼓ならある。生き物は前の世界とだいたい同じだ。手提げ太鼓は、手首に提げて旅の吟遊詩人が叩き歩く円い楽器だ。これなら使えるな。
「蛇皮の手提げ太鼓が売れる→蛇が沢山狩られる」
「ほう」
よし。いけた。
「鼠を食べる蛇が減る→鼠が増える」
「ふんふん」
あと一息。
「鼠が桶を齧る→桶が駄目になる→桶が売れる」
「それで桶屋が儲かるのか」
「そう」
ジョンが得心する。
「つまりね」
「うん」
「助けが必要な人がどこかに現れると、私は5歳のどこかの日付に戻るんだと思うの」
「結局は漠然としてるんだな」
「そうね。私の無意識にやった何かが手助けになって、とりあえずその人の悲劇は防げるのよ」
「よく分からないけど凄いな」
「ええ。たぶんだけどね」
4人に気まずい沈黙が落ちる。
「それで」
口を開いたのはお父様だ。
「解決はするのか?」
私は目を伏せた。
「カエラの繰り返しは終わりそうなのかい?」
「それは」
私は目を上げ、3人の男性を見回す。
「あのね。元々は自分の意思で巻き戻して助ける能力だと思うの」
「そんな感じのメッセージだよな」
ジョンも同意する。お父様とお兄様も頷く。
「このメッセージが言う通り、場合によっては永遠に繰り返してずっと若くいられるのよ」
3人はまた頷く。
「だけど私の場合には、歳とることもあるし、何故か回帰点は5歳限定だし、助ける相手も選べないし」
ジョンが優しく私のこめかみにキスをくれた。少し落ち着く。
「とにかく出鱈目に発動するの」
言い切り、ジョンを見る。ジョンが励ますように見つめ返す。
「あのね。私に現れたエバーグリーンの能力は、たぶんすごく弱いの」
「まあ、そうだろうな」
お父様が言った。
「それで、エバーモアの、親しい人の能力を増幅する力で強められても、やっぱり弱くて不安定なんだと思う」
「つまり?」
お父様が先を促す。
「つまり、私が死ぬためには偶然繰り返しを抜け出すことが必要なのよ」
私はうんざりした口調になってしまう。
「それか、」
「ダメよ」
「まだなんにも言ってない!」
ジョンが私達の愛を犠牲にしようとしている。そんなの、許さないんだから。
「だいたい今回は、もう充分にジョンの能力が発動する条件は満たしてるもの」
「それは」
「今結婚をやめたって無駄よ」
ジョンが悲痛な顔をする。
「忘れるよ!頑張って、君のこと」
解ってないなあ。
「ジョンが私のことをあんまり好きじゃ無くなる前に、私の人助けトリガーが引かれてしまったらおんなじことでしょ」
「そうだな」
ジョンはショボンとする。
「だいたい、私が嫌よ。ジョンが他の人と結婚するなんて」
「僕だって嫌だ」
「今まで何回貴方と結婚したと思ってるの?ひ孫がいたことだってあるんだから!」
「ううう、じゃあどうすれば」
「はあ」
私たちは振り出しに戻る。
特に収穫もなく、私達はエバーグリーン邸に帰ってきた。石櫃はエバーグリーン邸に持ち帰る。疲れたのでお茶にした。
「疲れた時は甘いものが一番だな」
甘党のお父様は、カリカリに焼いた砂糖塗れの薄いパイをご機嫌で齧る。西陽が砂糖の結晶に反射してとても美しい。私達がいる四阿の屋根からは藤の花房が垂れている。
私は未練がましくトリガーの一覧表を眺める。半分チョコレートがかかっている薄切りのドライレモンを齧りながら。
四阿は四方に階段がついている。小高い場所に造られているのだ。眼下には紅茶色の薔薇が茂みを作り、その先には橋が架かっている。人工の池を向こう岸へと渡るだけの、石造の太鼓橋だ。
風が花の香りや虫の羽音を運ぶ。ジョンの赤い巻き毛が愉快な動きでそよいでいる。
「いっそこの人達全員に手紙でも送ってみようかしら?」
「いくらなんでも、怪しまれるよ」
「何か共通点が見つかるかも知れないわ」
「遠い異国の大災害もあるじゃないか」
「ああ、その時はこの国に関係のある被害者は居なかったと記憶してるけど」
少なくとも公式発表ではそうだった。トリガーに関わる記憶だけは何故かはっきりと引き継がれるので、確かだ。
「分岐点が5歳、それでその時の何が回避に成功したポイントなのかわかる?」
「解らないわよ。何かしら違うことをする、ってこと自体がきっかけかも知れないし」
回避についても解らなければ、回帰の引き金もやっぱり解らない。
「案外、君とナンニモ関係がない、がきっかけとなる事件の条件かも」
「ええー。当たり判定大雑把すぎる」
だけど、そう考えるのが一番しっくりくるのだ。
「あーあ。結局は平凡な人生の繰り返しかあ」
「怖い思いを繰り返すよりマシだろ」
ジョンが慰めてくれる。我が赤毛の婚約者どのは、琥珀色の紅茶に砂糖を落としてくるりとかき混ぜる。
「そりゃそうね」
私はふっと気を緩めた。頬の緊張も解ける。ジョンが甘い視線をくれた。私は少し上目遣いになってしまう。
スローライフできるなら、何だかんだでその方がいいかも。変わり映えのしない人生のループに疲れ果てて、いっそスローライフ詐欺して何かしら無双してみたかったけど。死にそうな目に遭うループは怖いかな。
「でも、ジョンは居てくれなきゃ嫌よ?」
ジョンが立ち上がる。気がつけば、父と兄は橋の上をぶらぶら歩いていた。秘密の話をするので、給仕にも下がって貰っている。四阿には私達ふたりきりだ。
「エーラ」
ジョンは私の座る金属製透かし細工の椅子に寄り添う。束ねた亜麻色の髪房を梳きながら、気遣うような静かな声で、私の名前を呼んでくれる。
「いっそコントロール出来る様にしない?」
はいぃ?
な
に
を
言
い
出
す
か
?
え?
ちょっと。
今そう言う雰囲気じゃなかったですよね?
「考えたんだけどさ」
考えなくていいよ。
「僕がなんかこう、修行してさ」
考えた割にはフワッとしてますね。
「底上げしまくれば、いけると思うんだ」
ふうーん?
「どうかな」
いや。
どうかなって。
この人、信用ならないな。
何回も一緒に生きてきたのに。
全然気が付かなかった。
祠があった丘での「だけだよ」といい。
大人しいから解んなかったけど。
コイツ、やらかし系主人公なの?
いや、違うか。
自覚してるもんね。
実力も能力も、きちんと自覚してる。
たちが悪いです。
「あーあ!」
「え?何急に大きい声だして?」
「もう疲れちゃったわ!」
「エーラ!僕がついてる」
「そうなのよ!そうなのよね!」
私は笑い出してしまう。
「私には貴方がついていて、ジョンと幸せで平穏な人生を送れる」
「うん。そうだね」
「だったら、もういいわ!気にするの、やーめた!」
私は腕を伸ばし、ジョンの首を抱き寄せる。
「ええっ!エーラ、はしたないよ」
そんな平凡地味な反応も可愛い。
「ふふっ、たまには私からしたって良いじゃない?」
「そんなっ!困るよ」
私は焦るジョンの唇の真ん中に、チュッと素早くキスをした。
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