『S21』主看板娘兼任プロデューサーが示す“新・J−POP”(視点:?)
日本音楽界に突如として現れた少女……『S21』主看板娘兼任プロデューサー。
彼女が主看板娘を務める『S21』は改名という再始動を経て瞬く間に『K21』以上の人気グループと生まれ変わった。
そして二枚目表題曲から彼女が主看板娘とプロデューサーを兼任することが発表された。
そんな彼女の登場により終わりかけていたJ-POPは再び息を吹き返しつつある。
それでは『S21』主看板娘兼任プロデューサーが登場するまでの日本音楽界を簡単に振り返ってみよう。
【海外におけるJ-POPの評価】
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メロディが鮮明でダイナミックな流れの、起承転結がはっきりとした定型化された曲の構造、例示(A: Verse - B: Pre-Chorus - C: Chorus)の音楽仮音源はご遠慮ください
「BKS、YESTERDAY X TOGETHER…… Giant Hit Music “20XX NEXT NEW CREATOR in Japan”募集!」20XX年9月25日
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これは数年ほど前に、K-POPアイドルグループ『BKS』が所属する『Giant Hit Music』……以下『G.H.M』が日本でプロデューサーを募集したときの一文だ。
特定のタイプの曲を「ご遠慮ください」と明確に言い切っていて、おそらく過去にそうした仮音源ばかり送られてきてうんざりしたのだろう。
この募集要項では、他にも「国際音楽市場で競争力のある音楽」の仮音源を提出するように求めている。
つまり「定型化された曲」では世界では闘えないと『G.H.M』が認識していることがわかる。
この「メロディが鮮明でダイナミックな流れの、起承転結がはっきりとした定型化された曲」とは、おそらくJ-POPだろう。
要項にある、「A: Verse - B: Pre-Chorus - C: Chorus」の定型化された構造とは、日本的に言えば要は[Aメロ-Bメロ-サビ]の曲のことを指す。
J-POPは、いまもサビを中心に曲が組み立てられており、序奏がサビまでの助走となっている。
近年ストリーミングサービスで台頭してきたYOFUKASIやOfficial禿男dism、遊里なども典型的なJ-POPだ。
『G.H.M』はそうしたJ-POPでは海外に通用しないので「ご遠慮ください」と述べている。
こうしたK-POPの姿勢に反応したのは『ジョウズの極み乙男』などで活動する『海山 絵音』だった。
彼はK-POPアイドルグループ『WHITEPINK』のアルバムに言及した上でJ-POPとK-POPを対比し海外で流行する音楽傾向の違いについてこう分析する。
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まず根本的に違うのは、J-POPでは歌を乗せるためにビートが存在するが、K-POPではビートと歌が同時に補完し合いながら鳴っている。
分かりやすく言えば、J-POPは、はっきりと歌を押し出していて、K-POPはリズムと歌で曲を押し出している。
K-POPが勝負をしている海外市場ではヒップホップやEDM、R&Bなど、基本的にJ-POPで長らく主流となっているAメロ、Bメロ、サビのような明確な展開はない。
代わりにリズムとメロディーの反復、そしてコードも、あまり変わらないことが多いのだ。
海山 絵音「募るJ-POPへの危機感 K-POPは世界標準」20XX年12月22日『日本音楽誌』
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この海山の分析は、現在の日本と世界の音楽状況を的確に捉えている。
それは海山のように洋楽やK-POPを日常的に聴いている者にとっては当然の認識だが、J-POPにどっぷり浸り続けてきた人達には青天の霹靂かもしれない。
たとえば『BKS』の『T.N.T』が典型だが、同じコード進行を繰り返すファンク特有の構造となっている。
その魅力はメロディよりもリズムにあり、曲のどこを切り取ってもその特徴は変わらない。
ファンクではないが『DUO LIPO』や『The Weekey』にも見られるこうしたミニマリズム傾向は、動画配信サイトやストリーミングサービスを中心とする音楽受容の変化とも同期しており、一過性の現象とは片付けられない。
日本のメジャーシーンで、一瞬この方向に舵を切ったのは、20XX年に「Try Up」を発表したJ事務所所属アイドルグループ『凪』だった。
現実問題として、従来のJ-POPとロックサウンドを中心とした日本の音楽シーンは、国際的な流行からは大きくかけ離れたものになっている。
10~30年前に“終わった”音楽が、いまも流行を続けている。
たとえば“ジェネリックLow-STANDARD”として『WONIMO』や、“ジェネリック大室 哲哉”として『YOFUKASI』などがそうだ。
こうしてJ-POPは【演歌=変わらないジャンル】と化した。
海山 絵音は、こうしたJ-POPの内閉的な状況を踏まえて以下のように危機感を見せている。
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「J-POPがダメだとかではないが、これでは世界で戦えない。変化の時が来ている」
海山 絵音「募るJ-POPへの危機感 K-POPは世界標準」20XX年12月22日『日本音楽誌』
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しかし、こうした日本の人気音楽への指摘に対しては、しばしば雑な反論が見られることも珍しくない。
「J-POPとK-POPを比較する必要があるの?」
「日本は国内市場が大きいから別に海外を目指す必要なんてない!」
といったものだ。
こういう開き直りと逆ギレが混淆した論拠なき感情的な反論は、無論のこと現在の巨視的な音楽状況を等閑視したうえで発せられている。
現在は、インターネットと携帯によって良し悪しはともかく音楽は急速に国際化している。
インターネットは情報を瞬時にやり取りするものなので、デジタルデータの音楽情報が国際化するのは避けられない。
しかも携帯による動画配信サイトやストリーミングサービスの浸透は、音楽への到達をより簡便にした。
よって、国内だけで音楽を捉えること自体がもはや無意味であり、その心構では当然、海外と競うことはできない。
事実、K-POPにとって最大の音楽輸出国は今も昔も日本であり、その輸出額は増え続けてきている。
若い女性を中心にK-POPの人気が絶大なのは、もはや説明するまでもないだろう。
しかもいまは『JP1』や『MCM』、『Nd-U』とK-POP日本版グループも大人気だ。
【春本隆の栄光と転落】
だが、こうした状況の改革を阻害する勢力もいる。
それは直接的に抵抗する勢力ではなく【従来のビジネスモデル=既得権】を護持するために、ひたすら古いやり方を続けている存在……それが春本 隆とJ事務所だ。
J事務所はともかく、春本 隆は古い方法論を続けていることを明確に自覚している。
春本は夕日新聞の取材で、現在の韓国芸能界全般について話し、『タコゲーム』を絶賛したあとK-POPについて以下のように話している。
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春本「韓国では過酷な教習を長期間やって完璧なアイドルを造り上げた」
「しかし日本のアイドルに過酷な教習を長期間やったとしても、あそこまでの完成度にするのは非常に難しい」
「じゃあ、なんで日本のアイドルやアニメが世界に行けたのかというと、『鎖国』していたからだと思うんです」
「つまり、アニメもヴォルト・ティスニーを目指したんじゃなくて、独自の価値観を持っていたから、東アニとかスタジオシフリにしか作れない世界観が生まれ世界から日本に注目が集まった」
「日本のアイドルはアメリカで通用するほど、英語もしゃべれないし、ダンスもあんなにバキバキに踊れない」
「けど、こっち側で『オタク』と呼ばれるアイドル文化を勝手に日本だけでやっていたら、フランスやアメリカのオタクたちが日本の『A48』とか『BABYMEDAL』とか『セーラースター』みたいなものに興味を持ってくれたということじゃないかと思います」
「だからアメリカっぽいものを作ったら負けると思うんです」
「よく『鉄棒理論』と私は言うんですが……小学校のときにドッジボールをみんながやっていて、ちょっと出遅れるとドッジボールに入れない」
「しょうがないから鉄棒で遊んでいて、自分たちで鉄棒の面白い遊び方を生み出して盛り上がっていると、ドッジボールをやっていた連中が鉄棒に入れてくれとやってくる……そういう“鉄棒”を作らないと勝てないと思います」
「今は校庭の一番良いところで韓国がドッジボールをやっているわけだから、日本が今更ドッジボールに参加しようとするのは無謀です」
「韓国エンタメに大差で負け、作るべきは『鉄棒』
春本 隆×大島 瑠璃子」 夕日新聞デジタル20XX年11月14日
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春本は、日本の芸能界が「鎖国」状態を続けてきたことをちゃんと認識しているし、それを肯定的に捉えている。
これまでの春本は、CD 浸透期に『ワンコ倶楽部』を成功させ、CD 衰退期に『48グループ』と『Nシリーズ』を大ヒットさせたように、メディア転換期の隙を突くのが上手かった。
メディアとコンテンツの関係を率先して見抜く能力に長けていたと言える。
インターネットについても大容量回線に切り替わりつつあった20年以上前に、A48のヒットを予言するかのようなコメントを残している。
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テレビの前から「お茶の間」が消えたように、現代は情報の受け手としての大衆が存在しない。
大多数の支持がヒットにつながる「最大公約数の時代」は終わった。
これからはインターネットのように「最小公倍数の原理」が支配する個人的なメディアが流行の拠点になる。
こだわりを持つ少数が面白いと思うものが核になり、それに共感する人々の輪がドミノ倒しのように広がっていくような現象が主流になっていくだろう。
日本音楽新聞朝刊20XX年1月29日付「音楽・映画のネット配信、創造活動を揺さぶる波――特定の層を意識」
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この段階まで春本のメディアを見抜く目は確かだった。
劇場を拠点に火を起こし【古いメディア=CD】と機能不全となりつつあった【ランキング=オジコン】を利用して“人気錬金術”を成功させた。
だがCDの大量購入を煽る、この手法はメンバーの丸坊主騒動やファンによる複数の暴行事件など重大の副作用も生じた。
だが、そんな春本にも最近陰りが生じつつある。
CD売上が音楽ランキングチャートに反映されにくくなり、その結果、48グループや『N46』をはじめとするNシリーズの人気は低落の一途をたどっている。
春本が編み出したCD大量購入を煽る商法は、ここから崩壊を始めた。
日本の主流音楽チャートとなったビルボードでは、20XX年から48グループはもちろんのこと、Nシリーズやジャックスも年間上位から姿を消している。
春本がプロデュースする2つのアイドルグループ『小銭倉庫』と『最終舞台』が解散となったのは記憶に新しい。
日本の大衆文化状況を「鎖国」とする認識そのものも、もはや10年前の段階にとどまっている。
現在は「鎖国」を続けたくても続けられない、なぜならインターネットが更に浸透したからだ。
前述のとおり、インターネットとは情報の国際化を意味する。
デジタル情報そのものであるエンタテインメントの国際化を簡単に避けることはできない。
つまり現状では【情報=エンタテインメント】における「鎖国」の論理は、もう通用しない。
よって春本の比喩を借りれば、校庭の隅の“鉄棒”で遊んでいたら、そのうち“鉄棒”が取り払われる危険性もある。
10年前の『鉄棒理論』はもはや機能しない。
そもそも『A48』や『BABYMEDAL』などがフランスやアメリカのオタクたちに訴求したのはもうずいぶん前の話であり、K-POPに対して「あそこまでの完成度を追求するのは非常に難しい」という姿勢も消極的すぎる。
こうしたことからは、メディアとコンテンツの関係を長年にわたってしっかりと見抜いてきた春本ですら、現在のインターネット状況には対応できていないことを示唆している。
つまり春本隆の「鉄棒理論」は古雑誌と化した。
実際、春本 隆の手腕に陰りが見え始めたのは、A48グループのメンバー39人が挑戦した韓国・KnetのK-POPオーディション番組『PRETENDER 48』(20XX年)からだ。
『EYEZ*ONE』を生んだこの企画では、A48グループが普段ろくに教習や練習をしていないことが発覚し、この年のA48グループ総選挙で1位だった松丼 珠理奈は『PRETENDER 48』現場評価でA48グループ総選挙圏外(101位以下)の上尾みうにも負けて、結果的に体調不良を理由に途中で離脱した。
しかもその後に春本が『EYEZ*ONE』日本語曲のプロデュースを手掛けるものの、その人気は韓国語曲に比べると大幅に劣ってしまった。
加えて日本語曲『不機嫌ハロー』が韓国語版では韓国のエンジニアにミキシングを直されるようなこともあった。
そして最終的には【サクラ=宮主咲良(現・IMF)】や【ジュリ=高端朱里(現・Missile Kicks)】といったA48グループ主要メンバーの人材流出も招いた。
A48グループのK-POP挑戦はパンドラの箱だった。
また『PRETENDER 48』で、春本隆プロデュースの楽曲が番組側から明確に否定された例もあった。
それは『PRETENDER 48』の冒頭で参加者がチームごとにそれぞれパフォーマンスをし、トレーナーがチームを5段階にランク分けして練習をおこなった場面での出来事だった。
ここで100名ほどの参加者のパフォーマンスはすべて番組と動画配信サイトで公開されるのが通例なのだが、このとき唯一紹介されない二人組がいた。
それが『H48』の弓吹奈子と畑中美久の通称“なこみく”二人組で、このとき2人が披露した曲は出演時に着ていた衣装から『キミのバナナ』ではないかと見られている。
その歌詞は極めて卑猥な内容の暗喩となっており、それを小柄で幼さを感じさせる当時16~17歳の2人が歌ったと見られる。
2人のパフォーマンスを放送・配信しなかったKnetの判断はもちろん妥当だし、そもそもこういう歌詞の曲を10代の女性に歌わせることがかなり異常だ。
これ以前にも、同じく“なこみく”二人組が歌う『アインシュタインよりもティアナ・アクロン』も〈女子は馬鹿でも カワイイなら無問題 〉という内容の歌詞で炎上した事があった。
ただ非常に古臭いジェンダー観は春本隆個人の心的傾向とは無関係で、むしろ作詞家としてのこれまでの仕事を振り返ると、流行することや観客への需要を第一義としてきた春本に、明確な思想は無いだろう。
どちらかと言えば、各局面において最適だと考える詞を提供しているように捉えられる。
よって、「キミのバナナ」や「アインシュタインよりもティアナ・アクロン」も、“なこみく”や『H48』の観客を「古臭いジェンダー観を持つ中年男性」と想定して送り出しただけと見られる。
だが、こういう表現は海外どころか、もはや日本国内でも批判を免れない。
そこには未成年者への性的搾取の匂いが濃厚に漂っているからだ。
こうしたこともあって、春本隆は『A48』の新曲「元カノです」では強気の女性を描いたのだと考えられる。
つまり調整している。
今後の注目は、それがどれほど若い女性観客に通用するかだろう……まあ手遅れかもしれないが。
【『S21』主看板娘兼任プロデューサーが示す新・日本音楽】
「J-POPお断り」の『G. H .M』と、「鎖国の論理」を提示する春本隆は、きわめて対照的だ。
日本の歴史で言えば、黒船のペリーと江戸幕府の徳川 家慶の関係を思い起こさせる。
だが、この両者の中間的な場所に立つような存在もいる。
独自のアプローチからジェンダーレスアイドルグループ『Hicha'Z』を生み出した『S21』主看板娘兼任プロデューサーだ。
最近ではエッセイ集『私が唄う理由』を上梓、そこには彼女が強い危機感をもって、『Hicha'Z』を生み出したことが綴られている。
なかでも印象的だったのは彼女が実際に体験したある出来事に関する記述だ。
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その頃に出遭った、ある1人の女の子のことは今も強く印象に残ってる。
彼女は「歌と踊りを両立する『BIGSTARS』みたいになりたい!という気持ちで上京してきた」と私に熱く語っていました。
(略)
彼女は技術があるし見た目も華があって、だから大手音楽事務所にスカウトされて、すぐにメジャーデビューが決まりました。
でも、そこであまりうまくいかなかったみたい。
彼女自身は踊も歌も話歌も、もっともっと練習したいって思ってるんだけど、食レポやチェキ会みたいなものを週に10本以上も入れられて、練習する時間が無いとぼやいていました。
(略)
「心の底から音楽をやりたい……もっと上達したい!」と思っていた彼女の希望を所属先の事務所が汲み取ることはありませんでした。
(略)
その女の子が苦しんでる姿を見てて、ふと思ったんです。
もし彼女が希望通りの練習が出来ていたら『BIGSTARS』みたいな世界的スターになっていたかも、と。
『S21』主看板娘兼任プロデューサー『私が唄う理由』pp.46-48/20XX年/芙蓉社
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日本のエンターテイメントは、長らく地上波テレビ局を中心に各メディア企業が手を取り合って発展させてきた。
音楽であれば、地上波テレビのバラエティや情報番組で芸能人として振る舞い、そこでの人気をCD販売に結びつけてきた。
映画であれば、テレビ局を中心に出版社やビデオ販売会社などメディア企業が製作費を出し合う製作委員会方式で、各々が自メディアでコンテンツを運用することで潤ってきた。
メディアを持たない芸能プロダクションは、アーティストや俳優の出演を差配することでそこに深く食い込んできた。
筆者が、このメディア企業の互助会的なシステムを「芸能界・20世紀レジーム」と呼んできたのは、それがインターネットメディアとそれにともなうコンテンツの国際化によって、どんどん相対化され崩れつつあるからだ。
『S21』主看板娘兼任プロデューサーの憂慮もおそらくこうした認識のうえにある。
アーティストや俳優がテレビで食レポをして動員を稼ぐような状況ではなく、そこで表現される音楽や映像コンテンツを好んでもらう状況を『S21』主看板娘兼任プロデューサーは期待している。
『S21』 一枚目表題曲に収録された、彼女が作詞作曲を手掛けた『S21』二期生個人PV曲の各ストリーミングサービスへの配信は、そうした改革のためだ。
現状『S21』をはじめとする彼女がプロデュースするグループは好調だ。
その人気は着実に浸透しており『Fruits&Flower合同会社』もしっかりと、その後ろ盾になっているように見える。
K-POPやK-POP日本版ではなく、あるいはジャックスでもない新機軸を『S21』主看板娘兼任プロデューサーはハッキリと打ち出した。
【鎖国と開国】だけではなく、新たな改革が生じつつある。
こうして日本の音楽状況はやっと“新・J-POP”に向けて動き出した。




