理想と現実の狭間
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「…………絵の……ね」
「絵の?」
「美術系の学校に行って、ちゃんと絵を習いたいって気持ちもあるの。でもそういうのって将来的に不安定に思われているみたいだから、親は短大でもいいから普通に進学してほしいみたいなのよね」
彼女はそこで一つため息をついて、さらに続けた。
「普通に進学して、普通に就職して、普通に結婚して、普通に子供を生んで……そういうのも一つの幸せだし、得がたいものだとも分かってる。でもそれだけじゃ割り切れないものもあるっていうか……」
最後のほうは声を小さくし、それだけでも悩んでいるってことが俺にも伝わってきた。
なるほど。
そういうことでの「うーん」だったわけだ。
でも……そっか……
俺は松下さんから手元の集計用紙へと視線を移し、再び手を動かし始める。
だが―――
「なに?」
という彼女の声に、すぐ顔を上げる。
「なにって?」
「今、笑ってたでしょ」
彼女は少し不機嫌そうな顔をした。
あれ? 俺、笑ってた?
「もしかして、美術系の学校に行くのを、馬鹿にしてる?」
動かしていた手を止めて、松下さんはこちらを強くにらんでくる。
「あ、いや……俺、笑ってた?」
「しっかりと!」
笑ってたのか……
「そっか。わるい、馬鹿にしたわけじゃないんだ」
「じゃあ、なにかしら?」
眼鏡をキラリと光らせて、俺の言葉に食い気味に言ってくる。
本気で腹が立っているらしい。
「したいことに、絵を描くことっていう選択肢が入っているから、自分から描くことをやめる気はないんだなって思ったら、安心したというか……」
俺はそう言いながら頭を掻く。
なんとなく気恥ずかしい感じがしたから、それを紛らわすためだ。
「どうして橘君が」
「前に美術室で絵を破ろうとしたのを止めたことあるだろ?なんか描くこと自体が嫌になったとか……」
「あ、うん……」
「委員長の絵を見た時、すげぇなって思ったんだよ。こんな絵が描ける人なんだって。そんなすげぇって思った絵を描く委員長が絵を描くのが嫌いだとか、もう描かないとか言っていたからさ。だから今の話を聞いて安心した」
てか、すげぇ恥ずかしいこと言ってねぇ?
ふと自分の話している内容を思い出したら、急に恥ずかしくなり、俺は笑ってごまかす。
「まぁ、他人の心配する前に、自分の心配しろっていうね」
そう言ってから、俺はアンケートの集計を再開した。
あまり話し込んでは、終わるはずの作業も終わらない。それではつき合わせている松下さんも、長い時間拘束してしまうかたちになってしまうしな。俺自身としても、さっさと終わらせて帰りたいし。
俺は彼女に教わったことを忘れず活かしながら、残りのアンケートの集計をしていく。何度も手を止めているせいか、全体のまだ半分も終わっていない。だけど松下さんが手伝ってくれていることもあるし、30分もやれば終わるだろう。
うっし! ささと終わらせるか。
心のなかで気合をいれ、集計のスピードを上げた。
会話のなくなった教室内に、シャーペンで文字を綴る音、紙をめくる音が響く。
比較的うちのクラスは他のクラスと比べて、放課後になっても人がいることが多い。用事も特になく遅くまで話し込んでいたり、ケータイゲームをしていたりという姿をよく見かける。だけど珍しいことに今日は、俺と松下さん以外に人影はない。その二人が喋らずに作業をしていたら、静かなのは当たり前だ。
そんな静けさの中、作業を進めていくうちに、ふと違和感を覚える。
最初はそれが分からずにいた。
あれ?
俺は思わず手を止める。
相変わらず教室内は静かで、俺の手が止まった今は、遠くから野球部の掛け声らしきものが聞こえてくるのみだ。
うーん?
作業を一時的に止めて、自分の感じた違和感について探ってみるのだけれど、何に違和感があるのかが分からない。
気のせいか……
俺は少し首をひねり、作業を再開する。
室内にまた文字を綴る音が聞こえ出した。
すぐにそこで違和感をおぼえて、また手を止める。
そしてまたまた訪れる静寂…………
静寂……
静寂?
ああ!
俺は感じていた違和感に気付き、その原因であろう隣の席に目をやった。
この教室には俺と松下さんの二人しかいない。だからいつもの聞こえてくる教室独特の喧騒は聞こえてこない。静かな教室。そんな空間だからこそ、わずかに聞こえてくる音が、実際の音量以上のボリュームをもって聞こえてくる。寝ようと布団に入ったときには、やけに時計の音が大きく聞こえるような、あんな感じだ。
今日室内に響くのは、文字を書く音と紙をめくる音……
俺と松下さん、二人の作業の音。
二人分の音。
それが違和感だった。
だって聞こえてきていたのは、一人分の音だけだったから。
俺は作業をしていた。
だから聞こえなかったのは、松下さんの作業の音。
とまぁ、深刻っぽく言ってみたものの、とどのつまり松下さんが作業をしてないってことに気がついたわけだ。
だから俺は彼女の方へ顔を向けた。
「委員長?」
俺は思わず声を掛ける。
はたして、たしかに松下さんの手は止まっていた。それだけだったら「手が止まってますぜ、いいんちょ」なんて軽口が口をついて出ていただろう。でも今は違った。ただ松下さんの名前を呼んだだけにとどまる。
だって彼女は惚けたような表情をして、俺の方を見たまま動きを止めていたからだ。
しかも今の俺の声にも反応せず、いまだじっとこちらを見ている。
ちょっと怖いよ、松下さん……
「おーい」
俺はもう一度声を掛ける。
するとようやく気付いたとばかりに体をピクリとさせ、「あ、はい!」なんていう普段の彼女らしくない反応を返してきた。
「どうした?」
「え?」
「えって……いや、委員長が石化したように固まってこっち見ていたからさ」
「あ……」
俺がそう指摘すると、今度は顔を真っ赤にさせて俯いてしまった。肌が白いから、赤くなっているのがすぐに分かる。が、なんでそうなっているのかはわからん。怒っているわけでもないみたいだし……どうしたんだろう?
「調子悪いとか?」
「う、うんん! そんなことない!」
ふむ、即座に否定された。
まぁ、なんでもないのなら良いのだが……深雪といい、女の子は時々よく分からない反応を示すな。
あ、というか、深雪の反応に似ているな。そういえば。
「なんでもないから、早く終わらせましょうっ」
松下さんは顔を赤くしたまま、俺の心配(半分戸惑い)を振り切るようにして、アンケート集計を始める。
本当に……よく分からん。
俺はため息を一つついてから、彼女にならう用に作業を再開した。
その時に隣から、
「……もう、妙に意識しちゃったじゃない……土井ちゃんのばか」
そんな呟きが聞こえてきたが、ちょうど紙をめくっていた俺の耳では、ちゃんと聞き取ることはできなかった。
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次話よりヴォーカロイドの話が進みます。




