あ、忘れてた
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廊下にかけてある時計を見上げると、午後九時を少し過ぎている。居間に行ってテレビを見るか、それとも読みかけの小説を読んでしまおうか、動画でも見ようか……などとしばし廊下で考えたあと、結局自分の部屋へと足を向けた。
そのまま自室に向かうとドアを開き、暗い部屋に足を踏み入れる。そして入り口すぐにある電灯のスイッチに手を伸ばしたところで、暗い部屋の中に浮かび上がる光りに気がついた。それは規則的に点滅を繰り返している赤い光り。スマホの着信があったことを報せる光だ。
「お?」
俺は部屋の電灯をつけて、机の上で充電しているスマホを手に取る。
そして着信履歴を確認した。
表示されたのは、春一携帯という文字。
それを見たときの俺の反応は、
(あ、忘れてた……)
というものだった。
いやぁ、「あれだけ怒っておいて」と思われるかもしれないけど、それ以上にいろいろありすぎたから。あの後、ぼーっとした思考のまま家に帰ってきて、すっかりあいつの存在を忘れてたな。あの怒りマックスのときであれば、即電話をして怒鳴りもしたんだろうけど、時間が空いたことによってその怒りも納まってしまっている。
そういえば、あいつあの後どうしたんだ?
着信履歴を見ると、電話があったのはほんの数分前。洗面所で洗濯の準備をしていた頃だろう。すぐに掛け直せば繋がるに違いない。
掛けてみるか……
怒りは静まったとはいえ、一言言っておくべきだろうし。勝手に人をあんなオーディションに応募させたわけだからな。放っておくと、今度また何に巻き込まれるか分かったものではない。
俺は携帯の履歴から、そのまま春一に電話を掛ける。
携帯の受話器から数度コール音が響いた後、聞きなれた声が聞こえてきた。
『俺だ』
「俺だ、じゃねぇよ。なんだ? あのオーディションは」
『悪いな。申し込みした人しかもらえないグッズがあってだな、どうしても欲しかったんだが、俺がヴォーカロイドのサンプリング音声オーディションなんか受けれないだろう?』
やっぱりあれが目的だったか……
春一は俺からこう言われることを想定していたのだろう。模範解答を覚えてきた学生の如く、すらすらと言葉を紡ぐ。
「だったら最初から―――」
『言えば絶対引き受けないだろう?』
まぁ、確かに。
あのオーディションは次代のヴォーカロイドの声を決めるものだ。そしてその対象となるヴォーカロイドは女の子のキャラクター。つまり女の子の声を求めたオーディションである。それに出てくれというのは、暗に俺が男らしくないということを言われているようなものだ。出るわけがない。
『だから悪いとは思いつつ黙っていたんだ』
「別に俺じゃなくてもよかったろう?サークルの女の子に頼むとか」
『先にあたっていわけないだろう。拝み倒して……で、保険で応募したお前が、予想外に書類選考を通過したってわけだ』
「グッズって、応募したらもらえるんじゃないの?」
『エントリーしたあと、結果の合否を連絡するときに限定ステッカーとストラップがもらえる』
んじゃ、応募するだけでいいんじゃねぇか。別に書類選考を通過しないといけないわけじゃないだろう。保険もなにもないだろうに。
「応募した時点でグッズもらえるなら、別に俺を保険にする必要ないだろう?」
『甘いな。まこと。氷砂糖を削ってつくったカキ氷より甘いぞ』
「……きるぞ」
『冗談だ。いや、ああいうのは最終選考まで残れば別のものもらえるんじゃないかと思ってな―――もらえなかった?』
春一の言葉を受けて俺の視線は自然と、机のすぐわきに立てかけている紙袋へと移る。それはあのオーディションのあとに、店長から渡されたグッズが入っている紙袋。春一の話が確かならば、ただ応募しただけの参加賞とは違うグッズをもらったのだろう。参加賞のグッズを知らないからなんともいえないが……でも少なくとも、ステッカーとストラップだけではないのは明らかだ。
それにしても春一のやつ、こういうことになるとカンがいいな。
「参加賞と違うかどうかはわからないけど、グッズはもらった」
『だろう?』
なんか「だろう?」とか、どや顔――どや声で言われると腹が立つな。
「が、これは俺に所有権があるな」
『なんだと?』
「なんだと、じゃない。俺がオーディション行ってもらったんだから、俺のものだろう?」
別にこのグッズが欲しいってわけではない。むしろ興味はないので、春一にあげたところで痛くも痒くもないアイテムだ。だが春一を相手とした交渉道具としてなら話は別。とたんに俺の中でぐっと価値が上がる。それにあのオーディションの対価が、昼飯一回では物足りない……てか、奢ってもらうのも忘れてた。
「むこう一週間、いや二週間、学食のAランチを所望する」
『ぬっ! まことさんや、それはいくらなんでも高すぎんか?』
うちの学校には、高校には珍しく学食が存在する。まぁ、大して品数は多くないのだけど、学食があるというだけでも特筆に価するだろう。その学食を利用する学生の半数が頼むであろうメニューが定食だ。ただこの定食もそんなに種類は多くない。多くないっていうか、3種類だけだ。肉がメインのAランチ、魚がメインのBランチ、そして豆腐や野菜など、肉も魚もメインではないというCランチ。人気順でいうとA、C、Bの順になるのかな? Aランチは言わずもがな、肉メインであるので人気が高い。価格はちょっと高めだけど、内容からすると、一般で考えれば安いほうだろう。Cランチはカロリーが低いって事で、女子全般に人気がある。価格が一番安いってことで、金欠気味の生徒にもありがたい定食だ。Bランチはやはり魚ということで、ほかの定食よりは不人気ってかんじ。それでも他のメニューよりは出てるんじゃないかな。
そして俺は春一にAランチを所望した。それも二週間分。土日は省くとして、5日分。サイフから漱石さんが数人出て行くであろう金額だ。
まぁ、確かに俺たち学生にとっては、「比較的安価」であろうとも高いものは高い。
春一が渋るのも分かる。
だがしかーし!
「貴様に拒否権などないわ!」
『悪魔め!』
うるせぇ!
俺はAランチを譲る気はないぜ。これは春一に反省を促しつつ、俺もAランチが食べられるという一挙両得、一石二鳥の手段だからな。それに春一はこれを断ることはできないだろう。こちらの手元には、やつの欲しがっているブツがある。弱気になる必要はない。
『二週間、缶ジュース一本で手を―――』
「却下」
『じゃぁ、缶ジュースにパンを一つ』
「Aランチを譲る気はない」
ふふふ、観念するがいい。
こちらに切り札があるため、交渉は有利に進んでいる。日ごろは振り回されている立場なだけに、少し気分がいい。
『あ、ちょっと一回電話切る』
「お?逃げる気か?」
『すぐに掛け直す』
春一は一方的にそう言ってから、電話を切った。
通話がツーツーという電子音だけになったのを確認して、俺もボタンを押して通話を切る
まぁ、この後電話がかからなくとも話は変わらない。グッズが我が手元にある限りは、奴は俺の手のひらで踊るしかないのだ。
放っておけば「がっはっは」などという悪の親玉笑いまでしそうなほど気分がよくなっている俺であった。
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