そこは泥濘4
少女の手には、一振りの日本刀が握られていた。
「…おーい、殺すことはないとか、言ってませんでしたっけー?」
「死にはいたしませんよ、その場では。」
うわー、性質わりぃ、と沙耶の言葉を聞いて真地は思わず笑った。
「杜海、よろしくね」
密やかな笑いを零しながら言葉を続けるものの、杜海に反応はない。
返事はない、というよりは、返事することを忘れているかのようだ。
杜海の瞳に光はない、まるで無表情で、それこそ沙耶より人形のような顔をしている。血の気がないというのか、白いというか。
ともかく、雰囲気が、人でないような気がして、真地はほつほつを頭の上に載せる。
「ねぇ、アンタ何か戦う方法とかあんの?がりっと噛み付くとか、金縛りに出来たりするとか。」
一応なりとも聞いてみる。
とはいえ、全く期待はしていないのだが。そもそもこんな丸っこい生物に何が出来よう。
「処女を捜すことなら大の得意なんですがー。あ、後カップ数を瞬時に判断できます、他に成長する確率の乳を当てるのも得意ですね!」
全く要らない上に何に必要なのかもわからない。
ていうか、そんな無駄な能力何処で手に入れた。
「無駄な話は、私嫌いですわ。奉り給え、お姉さま。」
沙耶の指示に、杜海が動いた。
「…ほつほつ、確りつかまってなよ。」
振り上げられる刀は月の光を受けて、白い刀身を輝かせる。
それは躊躇いなく、逡巡もなく、1人と1匹の上に振り下ろされた。
真地は、きっと誰もが思うより簡単に見える方法でそれを避けた。
沙耶からは、まるでそれが踊っているように見え、思わず目を疑う。
身体を捻り、右の手の上腕部で片刃であることを利用し、切れない刃のほうを押さえ、凪ぐ。
「…合気道…?」
驚いたような沙耶の声に、真地は笑う。
そう、こんな風に幼い頃もリズムを刻んだ。
大地の上で、空の下で、草原の真ん中で。
あらゆる場所で、全てのものが生きている温度を感じながら舞うのだ。
「我流でね、小さい頃、親と一緒に海外回ってて、そこの先で大人達に叩き込まれちゃってさ。」
喋る余裕があるようで、真剣をまるで玩具のように凪いで行く。
「変に素質があるとかで、皆が一生懸命叩き込んでくれるから、染み付いちゃって。」
ありがたいことだ、本当に、いつ役にたつかわからない。
「おっひょぉおおーう、えぇっつから見ると真地さんの乳の谷間っつ、がーみーえーるー」
髪につかまったまま振り回されている、ほつほつの声はお気楽この上ない、がそれが逆に真地を活気付かせた。
ばかばかしい。
どんな虚構であろうと、愉しまなければ損なのだ。
(力に逆らわない、だけれど屈しない)
誰から聞いた言葉だったろう。酷く印象に残っていたのだが、言った人間の事までは思い出せなかった。あの頃は一気にたくさんの人間と逢って、たくさんの出来事を体験したから、本当に印象深い事しか覚えていない。
刀の側面に手を沿わし、挟み込むようにそれを押さえれば、身体を相手が力をこめている方向と逆に捻った。
刀は折れるわけでもないが、恐らく動かすことは出来ないだろう。
「コレはちょっと危ないね。」
力を拮抗させながら、真地は笑う。
杜海の無気力な瞳と、無意識に見える表情に少しだけ寂しくなった。
彼女はあの怒る様こそ、美しいのに。
人は、感情があるからこそ、美しいと感じられるのに、と思えば思う程、なぜか憤慨して、妙に心地の悪い気分になる。
そこで真地は気がついた。
コレは、自分の思考じゃない。
「ねぇ、ほつほつ、アンタさ、寂しいのな。」
同情する声でもなく、憐憫もなく、寂しさもなく真地は呟いく。
人間を愛し、人間の傍に居たいのに、認められない寂しさを、確かに感じたから。
まるで流れ込んでくるかのような、そんな、意識。
「どうする気?杜海、動かせないんでしょ?」
無表情な中に確かに真地は、杜海の感情を見た。
「…こんな単なる人間に刀を抑えられて、動けないなんて。」
無感動な瞳に光が過ったのを確かに感じる。
そう、コレだ。
「ほつほつ1人でも余裕だったかな?これじゃ。」