努々忘れることなかれ3
家に戻って真地はそれを眺めた。
ワンルームの一室。両親は他界して既に居ない。
そもそも居ても居なくても変わらない両親だったが。
ボロ雑巾のようなそれを指先で突いてみてば、動きはなかった。
「…なんだろ、これ。」
しかし先程、流暢に喋ったのを真地は聞いている。
低い男の声だった。
このイキモノは何だろう。
指先でボロ雑巾を辿れば何か硬いものに突き当たった。
なぞるように指腹を伝わせれば、雑巾が僅かに震える。
触ったそれはまるで角のようにとがっており、確かな堅さが伝わった。
「…起きたのかな、ボロ雑巾。」
両側を掴み持ち上げてみる。生物らしい弾力が指先から真地に伝わり、やはりそれが生きているのだと知る。
「おい、おきろ、ボロ雑巾。」
「…乳の合間にはさんでくれたら。」
真地はそのままそれを机に押し付けた。
白いふわふわの口だと思われる部分を上に額っぽい場所を掌で押させ、容赦なく机の押し付ける。
「起きてるじゃん、ボロ雑巾。」
いたたたた、と悶えるように言葉を発する白い汚れた塊から手を離せば、真地はゆっくりとそれを眺めた。
やっぱり古びた雑巾にしか見えない。
雑巾にしては丸い塊だが、あぁ、そうだ、モップ、毛玉モップ。
白いもさもさとした薄汚れたものは身なりを(?)正し真地の方を向き直った。
「どうも初めまして、アルジェレン・ルージェント・ホッチャーと申します。好きなカップサイズはDからで」
何はともあれ、変態な名乗りだった。
白い塊は胸を張りながら、小さな手?で額を撫でる。
薄汚れている、これ以上ないぐらい、薄汚れている。
オマケに毛先が乱れて枝毛になっている。許せない。
「私は高貴なゆ」
「じゃあ、ほつほつ、とりあえず洗おうか。」
毛玉は容赦なくつままれた。
ドライヤーの風は生暖かかった。
ブラシで乱暴にとかれるのは快感だった。
視界を占める乳は豊富だった。
ぬるく乾かされながら毛玉は小さく揺れる。
「あんたおなか減ってないの?ドックフードとか食べるんなら買ってくるけど。」
「…家畜ではございませんので、あぁ、お肉が駄目な以外は貴方様と同じ食事で結構です。」
変に偉そうな喋り方をする毛玉だな。
真地はふかふかになった白い毛玉を手に取り、上下に軽くふってみた。
中味は詰まっているようで、からからという音はしなかった。
「…すいません…出来れば手荒に扱わないでいただければ…」
うえ、と声を漏らしたほつほつを机の上に置けば、真地は冷蔵庫を覗いた。
「うーん…冷奴でい?豆腐あるし。」
豆腐を出して掌の上で切れば更に並べ、カツオを振りかけようと振り向けば口の周りを汚したほつほつが顔をあげた。
「とぉーふ、神秘の食べ物ですね、以前日本から送られてきた雑誌に載っていましたよ、とーぅーふぅー」
「あっ、こら、カツオかける前に手つけちゃ駄目っ!」
「かつーお、世界で一番硬い発酵食品ですねー!」
日本食マニアか。
ていうか何でそんなに詳しい。
「なとーは、ないですか、ナトー。後できれば味噌汁という神秘の飲み物も下さいー。」
贅沢な、毛玉だった。
そこでようやくおかしいな、と真地は首を傾げる。
「…日本のイキモンじゃないの?」
そもそも、図鑑にも載っていない生き物なのだが。
丸い白いその姿は見たこともない、だから多分犬とか、猫とかそういうペットと同じではないのだろう。喋るし。
「…日本語が流暢だから気がつかれませんでしたか…おー、練習したんですよーこれでもー」
「ところで、カツオたべんの?食べないの?」
いただきます、というと口の周りの白い毛にカツオをつけながらほおばる。
「ま、いっか。アタシは真地。」
少女は笑った。薄い色素の髪が揺れる。
毛玉はそれをボンヤリと見ながら、やっぱり笑った。
「本当にありがとうございます。貴方のお陰で人心地つきました。ですが、そろそろお暇しなければなりません」
笑うようにして、毛玉は机の上から下へと降りようとした。
「・・・あれ?何か用事あったのに私つれてきちゃった?」
真地の声に、毛玉はあるのかないのかわからない首を左右にふった。
巻き込みたくありませんから、と一言だけ続ける。
なんだか、よくわからない。
真地は、椅子から立ち上がり、毛玉を掴んだ。無造作な動きで毛玉を頭の上に載せると、自分も豆腐を食べる。
「よくわかんないけどさ」
少女は笑った。別段何も気にしてない様子で
「夜も遅いし、待ち合わせがないのなら、今日はとまってけば?」
どうせ1人の長い夜。