第4話【小さな巨人】
キーンコーンカーンコーン……1時間目終了を知らせるチャイムが鳴る。
「はいみんな自己紹介ありがとうー、ここにいる人はこれから五年間やっていく仲間なんで、みんなまあぼちぼち仲良くやっていきましょう」
「「「はい!」」」
気だるげな雰囲気を感じさせる平松先生に反して、ボクらは元気に返事をする。
「今日はこれで終わりなんですけど、みんなに言っておく事があります」
突如真剣な顔つきに変わった事で、クラス内に緊張した空気が張り詰める。
「この学校には留年制度があるのはみんな知ってると思うんだけど、毎年結構な人達が留年してます……今隣にいる人が、来年は一個下の学年になってるなんてことも普通にありえます。まあこのクラスにもすでに一個上の人が何人か居るんですけど」
教室がざわつく。そして明らかに他よりも着込まれた制服を着る者に視線が集まる。どうやら彼らが留年生のようだ。
「なんで勉強はしっかりやってくださいね。あ、僕の担当する数学はもちろんみっちり教えるんですけど、もし授業で分からなかったりした時は僕の所に来て下さい。分かるまでやるんで、ははっ」
先生はうすら笑う。あ、この人まじだ。一瞬にしてクラス中に危機感が与えられた。
ここで先生は再び気怠げな顔つきに戻り話し始める。
「あーそうだ、今日は部活は基本休みなので、部活見学したい人は明日からぼちぼちやって下さいー。じゃあボクも電車の時間があるし早く帰りたいんで、さっさと号令かけて帰りましょーう。起立ー」
ガラッガラガラッ。クラス中が一斉に立ち上がったため、軽い地響きが起きる。
「気をつけ、礼」
「「「ありがとうございましたー」」」
先生の号令で挨拶を済ませたボクは、とりあえず席に座り一呼吸する。ふう。お、終わった……
今日は予定通り入学式とホームルームでの顔合わせだけで何事もなく終わった。大半はそのままカバンを持って帰っていくが、席の近い者同士で話している人たちもいる。
どうする……話しかけるか?ボクは顔に手を当て考え始める。でもなぁ、話しかけるにもなんて声をかければいいのか……自己紹介を聞けなかったため、近くの人ですら名前がわからない。うーんうーんと項垂れていると――
「やっほー」
ビクンッ。突如向けられた声に、ボクの瞳孔は開きそうになる。すぐさま左に顔を向けると、声の主がこちらを見ている。
「はじめまして!」
「は、はじめ、まして……」
何とか挨拶を返すことができたが、吐き出したまま息がうまく吸えない……
まずは状況確認だ。とりあえずオレは今、左隣の席の人に話しかけられていて……向こうはそんなオレの状況などお構いなしに会話を続ける。
「勇樹君、よね?自分は隣の席の灰河大河! 源ちゃ――陸君と同じ学校出身の!!」
「あ、あの……お、幼馴染!!」
ツッコミを入れた自己紹介が頭をよぎる。どうやらあの人と同じ学校出身のようだ。
「そうそう! いやー、自分コミュ障じゃけんさ、友達作っていけるか割と不安だったんじゃけど、結構そういう人多そうじゃけん安心したわ! これからよろしくねー!」
「う、うん、よろしーー」
ボクが挨拶を返そうとした瞬間
「おーい大河ー、そろそろ寮食行くぞー」
教室の後ろの方から声がかけられる。
「あ、源ちゃん!」
その一言で会話が遮られてしまった。
「ごめん自分寮食行かんといけんけ! それじゃあまたね!!」
「あ、うん、また……」
ボクはなんとか返事を返すと、彼は一目散に教室の後ろで待つ彼の元へ走って行った。
ドクンドクンドクンドクンドクンドクン……心臓が激しく脈動する。いきなりの事で心身ともにびっくりしてしまったのだ。気持ちを落ち着かせるため、ボクは深呼吸をする。すーはー、すーはー……
それから十数回深呼吸をするとようやく心臓は落ち着き始める。キングエンジンはようやく落ち着いたようだ……
びびびビックリしたーーー!!急に話しかけるって反則だろ!!!こっちにも心の準備ってもんがあるんだぞ!!!それにコミュ障ってなんだよ!!まずオレに話しかけられる時点でコミュ障じゃない!!コミュニケーション能力ある方の人だよ!!!!むしろ立派な対人玄人だよ!!!!
はあ、はあ、はあ……急激なスピードでツッコミを入れたせいで息が荒くなる。途中で遮られてしまった事もあり、殆ど話せなかった自分の姿が頭をよぎる。いざ人前に立つと言葉が出てこなくなるのだ。頭の中ではこんなにもスラスラと言葉が出てくるのに……
でも、話しかけてもらえたー!!!
ボクの顔はパァっと明るくなる。しかしもう名前覚えて話しかけてくれたのか……
改めて考えるとすごい事だ。さっきは全然コミュ障じゃないと思ったが、もしかしたらオレと同じで話すのは苦手で、それでも頑張って話しかけてくれたのかもしれない……
すごいな、はいかわ君...ボクは素直に賞賛の言葉を送る。きっと彼も初日で緊張と不安があったはずだ、それなのに勇気を振り絞ってこんなボクのためにわざわざ話しかけてくれたのだ。あんないいやつはそうそういない……背は結構小さい方だった。髪はサラサラしてて少しだけ襟足が残ってる感じで、手足は細い。何か運動をやっている事を感じさせる引き締まった肉体だ。しかし、初対面で話しかけるのはすごい。きっとどんなに慣れた人でも勇気がいるはず……
話しかけてもらえるって、すごく有難い事だよな……最初は散々に言ったけど、本当は頑張ってくれてたのかもしれない。そう思うと、今更になって感謝の気持ちがふつふつと湧いてくる。
ありがとう、はいかわ君……ボクは彼の、その小さな体に大きな勇気を感じさせる姿に敬意を込めて『小さな巨人』と心の中でそう呼ぶ事にした。ふと隣の机に貼られた紙が目に入る。
━━━━━━━━━━━━━━━━━
三十八番 灰河 大河
━━━━━━━━━━━━━━━━━
灰色の河は大きな河だという事だろう。河を二回使うあたり、名付け親のパワフルさが伝わってくる所がある。河は流れを作るものだから、流れを作れる人になって欲しいという想いが込められているのかもしれない。それなら名前と行動がぴったり一致している。
小さな巨人、灰河大河。よし、覚えた! 記念すべき一人目だ!!
きっとこうして地道にクラスメイトの顔と名前を覚えていくのだろう。クラスメイトはあと三十九人、それに部活の先輩や後輩、ひいては先生方も合わせるとゆうに百人は越えるだろう。途方も無い道のりに少しうんざりしたボクだったが、これも悲願への第一歩だと自分に言い聞かせる。
「一歩前進、かな?」
思わずつぶやいてしまった事に気付き周りを見渡すが、すでに教室にはボク以外に人の気配はない。窓は閉められ、ブラインドはあげられたままだ。誰も独り言を聞いていなかった事に内心安堵する。
今日はボクの悲願の第一歩くらいは踏み出せたと思う。再びこみ上げた喜びに、思わず笑みがこぼれる。いびつな笑顔を携え、ボクは両腕でガッツポーズを決める。
「よっし! この調子でがんばろう!!!」
誰もいなくなった教室で、ボクは一人気合を入れた。
明日はいよいよ部活か……今日の収穫と明日への期待も相まって、上機嫌で帰路についた。