第10話【人を動かす】
ボクらは今バスの最後部座席に座っている。車内は半分も埋まっておらず、市内と住宅地を行き来するために乗ったであろうご老人達が優先席と入り口付近の席に座る。
窓際に座るボクの右頬に少し空いた窓から春の風が運ばれる。左には四年ぶりの旧友がカバンを抱えこちらに話題を振っている。
「赤点は六十点じゃん、それで点数足りんかったら単位落とすんじゃろ……」
「そ、そうじゃね……そう考えるとやっぱり高専って結構厳しいよね……」
「ゆうちゃんって、勉強できるんかいね?」
「え、ボクはまあ、うーん、普通かな」
「まあ俺も普通なんじゃけど」
「にっしーは中学の時の内申いくらくらいだったん?」
「俺? あー、うーん、確か百二十位だったかな?」
「え? めっちゃ高いじゃん! ボクなんて九十点よ」
「ええー、まあでも推薦受けたけど落ちたし」
「ボクも! それで一般の試験受けてなんとか合格できたんよね」
「そうそう」
ボクらは二人とも高専を推薦入試で受けていたが、生憎落ちて一般入試で合格していた。小さな共通点が見つかり安心感が増す。
ボクは吹奏楽部への勧誘を再開する。
「それじゃあまあ試験も余裕じゃん。推薦組より断然勉強してきたもんね」
「いやまあ確かにそうじゃけど、流石に一年生で単位落とすのもね……」
「まあね……でも、せっかく高専来たんじゃけん部活やりたくない?」
「そうじゃね、建築デザイン部の方はあんまり活動もないし、暇になりそうではあるけど――」
イマイチ煮え切らない反応にボクは別の方向から攻める事にした。
「じゃあ毎日の授業はどうなん?」
「うーん、今の所は大丈夫。まあまだ始まったばっかじゃけんなんとも言えんけど。」
「いやいや、中々難しいよ? 特に物理とか数学とか一気に数式が複雑になって今までよりも教科書も分厚いし」
「まあね、でもそんな内容は難しくなくない?」
「それは今までの積み重ねがあるからこそだと思う。じゃけん高専でも今の調子なら大丈夫だと思うよ!」
「うーん、まあねえ」
一人でも気の知れた友達がいれば、新しい環境に馴染むのは圧倒的に楽になる。ボクは半ば必死に食い止めにかかった。
【押してダメなら押し倒せ】
「にっしーなら大丈夫よ! ボクが保証する」
「いや、ゆうちゃんに保証されても」
「じゃあ、部活、絶対楽しいと思う! ほら、初心者大歓迎って言ってたし!」
「あ、そうなん? そうは言っても勉強がなあ」
「勉強は、なんとかなるよ! だって高専に入ったんじゃけん、進級できるポテンシャルは絶対あるはずよ!」
「いや、まあそれはそうじゃけど」
「逆になにがそんな心配なん?」
「そりゃあ、大学進学する時に成績が少しでもいい方がいいじゃん」
「おお、そこまで先を見据えてるとは……」
「そりゃあね」
「じゃあやっぱ部活あった方が良くない? ほら吹奏楽部五年間続けてましたって、結構粘り強さある感じせん?」
「まあ確かに……じゃあまあ――」
半笑いで受け流しつつも彼は少し目を見開き決心を決めたようにこちらを見つめ――
「ゆうちゃんがそこまで言うんなら、一緒に入ろっかな? 吹奏楽部」
「ほ、ほんとに?」
「うん」
「や、やった! よかったー!」
「まあ最後は根負けしたって感じじゃけどね」
今度はハハハと歯を見せて笑いながら自分の行動を振り返る。人は熱意にほだされるもの、この日改めてそれを感じた。
「あ、そうよゆうちゃん。連絡先」
「ああ、確かに」
「えーと、じゃあはい」
差し出されたスマホのQRコードを読み取りボクらは連絡先を交換した。
四年越しに復活した繋がりに、ボクの心はポカポカしている。
「ゆうちゃんってバス停どこで降りるん?」
「えーと豊富じゃね」
「そうなんじゃ、俺は織田じゃけん、次で降りんといけん」
ピンポーン《次止まります。ご乗車ありがとうございました。》
にっしーはバスの降車ボタンを押すと甲高いチャイムの音と停車のアナウンスが機械的に流れる。
バスはゆっくりと速度を落としバス停につける。
「それじゃあ、また連絡するわ」
「うん、またね」
『また』その言葉が今のボクにとってはなによりも嬉しいものだった。
よっしゃー! にっしーを吹奏楽部に誘うことができたぞ! これで一気に入部するハードルが下がった!
正直、もう最初部活に入っていると聞いた時は期待を捨てた。流石に二つも部活に入ることはないだろうと。だけど話していく中でやっぱりにっしーと一緒に部活をしたいと思えた、だからここまで粘り強く誘うことにしたんだ。
もしかしたら試験の結果次第では、にっしーは入ってくれないかもしれない。ボク自身の試験だってどうなるかわからないし。
だけど、自分なりに考えて交渉して、人を動かしたっていう成功体験がなによりも自分の自信になった。
誰もいなくなった最後部座席でボクは一人口角を吊り上げる。その笑顔はまだいびつで、だけど少しだけ余裕のある表情だった。
この日四年ぶりの再会を果たした彼は後に天才ドラマーNISHIKIと呼ばれることになるのだが、それはまだ先の話だ。