バスが来る
ぼくの住んでいる家の目の前には、バス停がある。
毎日毎日、決まった時間にバスがやってきて
毎日毎日、決まった人が乗っていく。
毎朝ぼくはベランダからこのバスをながめる事が日課なのだ。
ぼくは、このバスを見ている時間が好きだ。
色んな人がいる。
暑がりのおじさんやいつも眠たそうなお姉さん、話が長いおばさんと頷くだけのおばあさん……そんな中に気になっている子がいるんだ。
……今日もいた。大人達に混ざって列に並んでいる――あの子だ。
ぼくはベランダのてすりの間からのぞきこんでみる。今日も顔は見えないや。
いつも後ろ姿しか見えないのだけど、外国の子みたいに茶色くて長い髪の毛の女の子が朝早くのバスに乗り込んでどこかへ行くんだ。
多分小学生くらいの女の子なんだけど、この辺の小学校じゃないんだと思う。
今日はピンク色のワンピースを着ている。毎日違う服を着ていて、オシャレな子なんだ。
どうしても顔を見てみたくって、こうやってぼくは毎朝ベランダで悪戦苦闘している訳だけど……今日もダメだった。バスはさっさと行ってしまった。
とある雨の日、ぼくはこの日もベランダでバス停を見下ろしていた。
……あれ、いつもとメンバーが違うぞ?
眠たそうなお姉さんがいない代わりにイヤホンをしたお兄さんがバスに乗り込み、暑がりのおじさんの後ろをスーツを着た若い女の人が早足でおいかけてる。
話しの長いおばさんはいるけど、頷くだけのおばあさんはいないみたいだ。
そしてあの子は……いた!
髪の毛を切ったみたいで、おかっぱ頭になっててみのがしそうになってたけど、元気そうでぼくは胸をなでおろした。
うーん、今日は分が悪い。だってみんな傘をさしているから、どう頑張ってもあの子の顔が見えないや。
また別の日、ぼくはこの日もベランダでバス停を見下ろす。
今日はいい天気だ。朝からもう太陽がまぶしい。
いつも通りの時間にやってきたバスにはいつものメンバーと……あれ? 今日は沢山の小学生がバスに駆けこんで行くぞ?
……そうか、もう学校は夏休みなんだ。そう言えば遠くで蝉が鳴いている。
ということは、あの子が通ってる小学校も夏休みのはずだから、しばらくはあの子に会えないかもしれないな……なんて、肩を落としていると、誰かが走ってくるのが見えた。
……あの子だ!
嬉しくて、ぼくは思わず飛び上がってしまった。
しかも、今日はなんてラッキーなんだ! あの子が向こうから走ってくる……今日はついに顔を見ることが出来た!
外国の人みたいに目の色が茶色くて、とっても可愛い。
あの子はぼくのいるベランダを見上げる事はしなかった。
だけど、むしろそれで良かった。だって目があったら、ぼくの心臓はバクバクと高鳴って爆発していたかもしれないから。
あの子を乗せて、今日もバスは走り去っていく。
暑さだけのせいじゃなく、ぼくの体はお風呂から上がったあとみたいに熱くなっていた。
……あれ、待てよ?
ぼくは、ふと走り去るバスを見送りながらある事に気がついた。
あの子、今日もランドセルを背負っていたような。
小学校は夏休みのはずなのに?
……
そう言えば、前に雨が降っていた日……他のみんなは傘をさしていたのに、あの子だけ雨に濡れていたような。
もしかして、あの子は……
ぼくはポカポカしていたはずの体が冷えてしまい、ぶるぶるっとふるえてしまったのだった。
―――
今日も、バスが来る。
会社に向かう大人達にまざって列に並び、時間通りにやってくるバスに乗り込む。
いつも暑そうにしているおじさんは、隣のお姉さんにお仕事を教えてるみたい。
大人って大変だね。こんなに暑いのに黒いスーツなんて……。
向かいに座ったおばさんは……いつも一緒だったおばあちゃんが入院したみたい。
ちょうど目的地が一緒だから私とお話ししてくれる。
「目的地が一緒」って言ったらおばさんが心配そうに私の顔を見つめてきた。
大丈夫だよ。そんなに悪い病気じゃなくって、ちゃんとお医者さんの言う事を聞いてたら酷くならないらしいからって言ったら、おばさんはあめ玉をくれて、頭をなでてくれた。
今日もバスが来る。
通う予定だった学校は、もう夏休みに入ったみたいで今日はバスがにぎやか。
だけど、私は一緒に遊ぶことが出来ないの。
なぜなら、病院は休みだけど、学校の勉強をしないといけないから。
みんなはいっぱい遊べるから、うらやましいと思う時もある。
だけどみんなとちがって、私はこのバスの中でおばさんから色んなお話を聞けるから……だから、頑張ってお医者さんの言う事を聞くの。
今日もバスが来る。
バス停の目の前にあるマンション、とっても高くって綺麗なマンションのベランダで男の子が死んじゃったんだって。おばさんが教えてくれた。
私よりうんと小さい男の子。
お父さんにいじわるされて、真夏の一番暑い時間にベランダに締めだされて、体が悪くなって死んじゃったらしい。私は悲しくなって、泣いてしまった。
男の子は、どんな気持ちだったんだろう。いじわるされて悲しかったんじゃないかなって。
どんなに元気でも、どんなに生きたいとねがっても……神様はあっけなく人を連れて行っちゃうらしい。
おばさんはハンカチを貸してくれて、また頭をなでてくれた。
「その子の分まで、明るく元気に生きてあげなさい」って。
そうだよね、きっとその男の子みたいに、生きたくっても生きられなかった人がいるのだから。
泣きたいのはその子達のはずなのに、生きてる私がめそめそしたままじゃダメだよね。
私、君の分まで頑張って生きるからね。
バスの窓から見上げたマンションのベランダで、男の子が笑っていた気がした。